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雑感

8月16日 黙祷は一斉でなく個人個人で

 もう盆も中日を過ぎた。ということは、毎年訪れる終戦記念日も過ぎたということである。試験が終わってからも1か月近くになる。そろそろ本腰入れないと・・。

 1日中家にいると気が滅入るので、久しぶりに秋葉原にでかける。iMacが米国で発売されたらしいので、日本でも発売されていないか、どんなものなのかを見にでかけたのだ。
 しかしiMacはまだ発売されておらず、発売時期、価格とも未定となっていた。うーん、残念。まあ、あったとしても、買う金がないのでしようもないが。


 ところで、高校野球が正に真っ盛りだ。私はこれに興味を失ってから大分立つが、新聞などは見開き2ページを全面的に使い報道している。朝日新聞などは、試合結果に2ページ、当日行われる対戦のみどころに2ページ、計4ページも使っている。たかが高校生のスポーツにそんなに紙面を割くのもどうかと思うが・・。まあ、前から真夏の風物詩だったから、NHKや朝日新聞が熱心に報道するのは分かる。

 ただ、あれで理解できないのが、8月15日の正午に試合を中断してサイレンをならすというあの慣行である。戦争のいたましさをふりかえるという趣旨は理解できなくもないが、なぜ無関係の高校野球でそれが行われるのか。また、サイレンとともに球児たちが直立で黙祷しているのをよく見かけた(最近は見ていないのでよく知らないのだ。)が、なんで一斉に黙祷するのか。黙祷は個人個人がその信念に基づいて行えばいいことであり、試合をしている人、見ている人全員に、さあ黙祷しなさいとばかりに時間を設けるのはどんなものか。あの中断によって試合の流れががらりと変わることだってあろう。それによって負けるに至ったチームとしては、やりきれない面も残るのではないか。

 まあ、たかが高校野球である。8月15日正午には試合が一時中断するという内容がパック(セット)になった大会だと思えばいいことだ。それに、球児だって、直立しているだけで本当に黙祷しているかどうか疑わしいし。

 ただ、これが公的な場となると話は違ってくる。

 私が公務員時代、あの阪神・淡路大震災があった。その1か月後、昼休みの時間だったか、庁内で一斉に黙祷の時間を設け、みんなで黙祷しようというのだ。職場の放送で告げられたから、公的なものであることは間違いない。何かおかしくないか?組織としてやることか、そんなこと。追悼自体の意義は否定しない。犠牲者の人々を悼む気持ちは私にだってある。でも、何で役所全体で?おかしいと思った私は、半分ほど眼をあけていたことを覚えている。やはりおかしいと思うのか、全く黙祷しない人もいた。それに比べると私の態度は不徹底であり、なんか日和見的だったなと、今も反省している。もちろん黙祷しなかったからといって何のペナルティもあるわけでない。ただ、役所が公務員に黙祷を命じることはどうみても職務と関係ないだろう。

 一般にいいものと思われることであるならば、本来個人の自主的判断に委ねられる事柄についても集団で行うことについて抵抗を感じないというのが、日本ではまだまだ強いのではなかろうか。少なくとも黙祷するかしないかぐらい、自分の自由な時間のうちで、静かに決めて実行したいものである。


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