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雑感

4月18日 解散した宗教法人から解散後の宗教団体への権利義務の承継

 破産法の再現答案アップしました。破産法、昨年末に全然やっていなかったから、この時期にちょっとはやっておかなければと思って、小林秀之先生の「破産から民法がみえる」を少しずつ読みながら、破産法の過去問を解いています。なかなか面白い本です。
 明日は辰已の模試です。どうなることやら。
 家だと誘惑が多いので、図書館に行って民法を学習していました。債権総論です。択一も近いし、択一式受験六法もそろそろ読み始めなければ。

 破産といえば、昔の話だが、かのオウム真理教も破産宣告を受けて清算中である。そのオウム真理教に対して国や都が有する債権を放棄するという話が、最近の新聞に載っていた。何でも、被害者の救済資金に回る分を多くするためだという。国や都の債権がどのような種類のものか、詳しく新聞を読んだ訳ではないのでわからないが、債権放棄分については税金から補填されることになるのは確かだろう。

 その一方、教団は、全国各地で宗教活動を再開しているという。この宗教活動をしている人々は実質的に見たら宗教法人オウム真理教と同一の団体なのだから、この団体が地下鉄サリン事件等の被害者の損害賠償債権や国、地方公共団体の有する債権の支払義務を負うべきではないのだろうか。そのような義務を免れてのうのうと宗教活動を続けているというのは、腑に落ちないこと著しい。

 では、教団が任意団体として新たに入手した財産に対して、破産宣告以前に宗教法人オウム真理教に対して生じた債権を基礎として強制執行をかけていくことはできないか。
 形式上は、宗教法人オウム真理教と現在の任意団体オウム真理教は法律上は別の人格だから、オウム真理教に対する債権をもって、任意団体の財産に強制執行をかけることはできないことになりそうである。
 しかしこのような結論が腑に落ちないことは前述のとおりである。自然人が破産した場合には、免責を得ない限り、破産者が破産宣告後に取得した財産に対しても、破産宣告前に原因を有する債権を基礎として債権者は強制執行をかけていくことができるのである。このように自然人については追及が続く可能性があるのと比べると、宗教法人とその後がまの任意団体とを形式的に区別する取扱いはバランスを失し、適当でないのではなかろうか。
 そこで、法人格は失われたものの、宗教法人と破産宣告後の任意団体は実質的に同一の権利義務帰属主体であると見て、宗教法人に対する債権をもって任意団体の財産から満足を得られるようにできないだろうか。

 このように考えると、宗教団体の再起更生を妨げるとの批判が出て来よう。しかし、不法行為に基づく損害賠償債権や租税債権は免責の対象にならないのである(破産法366条の12第1号第2号)。つまり、免責による破産者の再起更生よりも不法行為の被害者の保護や租税の確保は優先すべきものとされているのだ。だとすれば、少なくとも被害者の損害賠償債権や国、地方公共団体の債権については任意団体の財産から満足を受けられることとしても、宗教団体の再起更生を不当に妨げるものとはいえまい。

 ところで、マスコミによる最近のオウム真理教関連の一連のニュースは、1995年3月の地下鉄サリン事件から3年の経過ということと、公安筋によるオウム真理教の活動状況の発表を契機としてなされている。オウム真理教を批判するのはよいけど、このような活動状況の発表が、「やはり破壊活動防止法を発動して解散命令を出させるべきだった」という方向に世論を誘導しようとしてなされたものではないかと考えるのはうがちすぎだろうか。破壊活動防止法などというえげつないものを使うよりも、任意団体に税金を払わせたり、その財産を被害者救済資金に充てさせるための方途を考えるべきだと思う。

 なお、以上の文章は、オウム真理教の構成員によって地下鉄サリン事件や松本サリン事件などが引き起こされたことが事実であると仮定してのことであることを、お断りしておく。


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