SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER準備号第2号

 <ボランティアの旅日記>

行ってきました〜″

〜ラオス編〜

今年2月末から3月上旬にかけてラオスを訪問した。ビエンチャンのみの滞在だったが、その間見聞きしたことを少しお話ししようと思う。

(1)ラオスで見付けた「日本」
 タイを訪れる日本人は多い。が、バンコクから飛行機で1時間のラオスとなると、その数はめっきり減ってしまう。「ラオスへ行った」と友人に話しても「タイの一部?」「チベットの方?」と、とんちんかんな答えが返ってくることもしばしばだ。ラオス人から見ても、日本人は珍しい方に入るのだろうか。街中でラオス人に会うと始めは「中国人?」次は「フランス人?」と聞かれ、「日本人」はなかなかでてこなかった。
 とはいえ気をつけてみると、以外にも街中で「日本」をよく見かけるのだ。
 まずは、世界中どこへ行ってもある、といわれる日系企業だがラオスも例外ではない。ホンダやイスズのショールームや、味の素のオフィスが街中に堂々と建っている。(少々話がそれるが、この味の素の力はすごい。以前、タイのチェンマイ〜チェンライ間にある、リス族とアカ族の村を訪れたことがある。電気も通っていない村なのだが日本人は時々来るらしい。子供たちが私たちを見ると「アリガトーウ」、そして「アジノモトーォ」と叫ぶのだ。それも知っている日本語はこの二つだけだった)。次に、ラオスで一番大きな市場「朝市」をのぞいてみよう。ちなみに朝市と言っても一日中建物の中で食糧から本、銀細工まで売られている市場である。家電製品売場にはNECのテレビ、衣服売場には“ワコールセール中”の貼り紙。街中の食料品店へ足を運ぶと、日本の食品メーカーのカレールー、ミツカン酢、おかき、醤油が日本語のパッケージのまま並んでいる。ちゃんと入口にはガラス扉があって外国人向けの店という感じもしたが、さして大きな店でもないのにその品揃えには驚いた。
 ラオスの本屋をのぞいてみると、日本について書かれているものが二冊見つかった。一冊は浮世絵の表紙の本、もう一冊は「日本経済の発展」と筆書きのような書体で書かれた表紙の本だ。どちらもショーケースに並べられていて(ラオスの本屋ではこれが普通)手に取ってみなかったが、さすがに文章はタイ語等で日本語ではないようだった。
その他には、街中で会ったラオス人が「日本語知ってるよ、サクラ」と言いつつ、花ではなく食べ物だ、というので訳が分からなかったことがある。後日店先に「SAKURA」と書かれた鯉の餌を見付けて納得。
 しかし、一番驚いたのは映画館から流れてくる日本語の歌だった。どう聞いても日本語なのだが、歌っているのは日本人ではないらしい。「シナノノヨル〜」「サヨナラ〜」と聞こえてくる。後でJSRCビエンチャン事務所の吉川さんに尋ねると、「それは“支那の夜”ですよ」と言って遠くを見遣りながら歌い始めた。戦前の日本の歌で、中国に行った日本兵から中国を通りラオスまで伝わってきたのだろうか。

(2) ラオスのテレビ番組
 私が見た番組はラオス国営放送、平日の夜8:30からのドラマである。家族みんなが家にいて団らんを楽しむ時間であり、一番人気のある番組を放映していると思われる。
その番組中には、ロープウェーが出てきたり、出演者名が漢字ばかりであるところを見ると、中国製なのだろうか。登場人物は軍の兵士たちで主役は女性兵士である。まず、女性兵士たちが高さ数メートルもある飛び込み台からプールに飛び込む、という訓練をしている。しかし主役の女性兵士は過去の事故の記憶があって何度試みても飛び降りることができない。「私はダメな兵士だわ」と悩む彼女は友人たちの応援を受け、はしごを登っては練習して再度の挑戦を試みた。そして上官と友人達がプールサイドで見守る中、ついに飛び込むことができたのだ!とたん、友人達はわーっと軍服のままぴょんぴょんとプールに飛び込み彼女の元へ泳いで行こうとする。ご丁寧にバタフライやクロールで水しぶきをあげて泳ぐ姿がスローモーションで映り、バックミュージックまで流れてきた。模範兵士となった彼女はある日、バスの中で強盗を退治、上官にほめられると「友情のおかげで成長できました」と言うようなことを行って皆がわーっと拍手をする、という・・・。まるで“社会主義版中学生日記”のようである。話はまだ続くが、その模範女性兵士はある兵士と恋愛関係に陥りそれが発覚、男は軍隊を追い出され、彼女は一変後ろ指を指される存在になってしまう。しかし、ある日命がけで悪者と戦って撃退したことから名誉挽回。エンディングは青空と人々が歩く広場が映り、「街に再び平和が訪れました」というところで幕となった。
 ラオス国営放送は一局しかチャンネルを持っていない。ビエンチャンっこは、タイのテレビ電波も受信できるため、そちらの方を好むと聞いていたが確かに納得してしまった。
 印象深かったのは、このドラマの次に放映されていた、植林運動推進のためのアニメーションである。木が殖えれば、雨が降り川に魚が殖え、鳥が木の実を食べ・・・というサイクルが映された後、もし森林がなくなっていくと・・・と先程と逆の状況が映し出される、というものだった。ラオス政府にとって木材輸出は重要な外貨獲得のための手段であるが、そのジレンマを垣間みるような映像だった。

和田素子

第2回に続く


里程標内容SVA東京市民ネットワーク