●第5章 空間の優劣−選択の分岐点−


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*5−1 この章では

 第4章では、何だかんだと言っても配偶者候補がいることを前提に、その候補者とうまくいくか、周囲に祝福されるかを考えた。しかし、ボーイフレンドやガールフレンドはいるとしても、ぼつぼつ結婚しようかと思っている人はそんなに多くないだろう。多少の関心はあっても、まだ将来のことと考えている人の方が大多数ではないだろうか。

 しかし、結婚の意志があるのだが出会いがなかったり折り合いがつかなかったりで、ある種の焦りすら感じる人も決して少なくないと思う。 別段、これは同人関係者に限った話ではなく、いわゆる結婚難に直面している現代適齢期世代に共通する問題なのではあるが、その根本にあるものは一体何であろうか。

 その問題に対して、この文章では「共有する帰属空間の認識に対するズレ」が存在するからだ、という回答を用意したい。相性は抜群のように思えても、出会った「場」での縁に対する認識と接し方までが一致しているのを確認しない限り、本当に相性が抜群かどうかはわからない。また、そこまで踏み込まなければ、同好の仲間や友人にはなれても、結婚の対象として意識されることはないのである。しかも、この場合、双方の外向けと内心の認識が両方ともが一致しなければならないのだ。

 さて、その「場」に対する認識とは何かを見てみよう。





*5−2 帰属空間の優先順序

 いつの時代にも、人と人が出会う「場」というものがある。そこで出会った二人が交際を始め、大恋愛の末に結婚へ至ったとき、新たな二人の「場」、すなわち家庭が創られる。第3章では、この「場」のことを帰属空間と表記した。人は、誰でも家庭、地域、学校・職場、そして趣味の世界など、様々な帰属空間をもっている。

 二つ以上の帰属空間があれば、その間に順位の上下が発生する。もちろん、普段は同じような重みでとらえていても一向に差し支えないし、両立することが望ましいのは言うまでもない。

 だが、両立が難しく、やむを得ない二者択一の選択を迫られたときは、当然ながらその人にとって優先順位の高い方が選ばれる。典型的には「家庭をとるか、仕事をとるか」という命題があるが、状況と選択いかんによっては、出世したり窓際族になったり、家庭が崩壊したり円満になったりする。

 ここでは、より優先する帰属空間を優等空間、その逆を劣等空間と呼ぶ。

◆「優等空間」 相対的に優先順位が上位の帰属空間。
◆「劣等空間」 相対的に優先順位が下位の帰属空間。

(劣等とは、ここ一番という時に優先順位が低くなることを示す。空間の絶対的な価値が劣るという意味ではないので、特に注意されたい。)





*5−3 個人的な優等空間と劣等空間

 やむを得ない状況において「家庭をとるか、仕事をとるか」を突き付けられたとき、その選択の仕方が異なってくるのは、その帰属空間が優等と見なされているか劣等と見なされているかが違うという理由による。いわゆる会社人間は仕事をとるだろうが、それが家庭よりも職場の方を優等空間だと思っているからである。

 もちろん、空間はあくまでも相対的なものであるし、人それぞれの価値観を反映するから、同じ帰属空間でも、人によってはそれが優等空間であったり劣等空間であったりする。 同人空間でも、これを最重視する人がいたり、数ある趣味の一つと思っている人がいたりする。また、縁あって関わってしまった青春の恥部だと思っている人がいても不思議ではない。 このような、個人的レベルで判定される空間を以下のように定義する。

◇「個人的な優等空間」 その人にとって、相対的に優先順位が上位の帰属空間。
◇「個人的な劣等空間」 その人にとって、相対的に優先順位が下位の帰属空間。



 ここで、同人の認識する空間を優劣で表記すると次の表のようになろう。
下段:属性、右:基準 個人的な優等空間 個人的な劣等空間  関心の中心 
真性同人 同人空間 学校・職場空間など 同人空間
両立同人 学校・職場空間など 同人空間 両方を随時
演技両立同人 学校・職場空間など 同人空間 同人空間

 真性同人は、同人空間を何よりも大切にする。それしか大切にできる空間がないとも言えるが、とにかく重視している。両立同人は、学校や職場の空間を同人空間と同等以上に大切にしている。だが、二者択一の選択を迫られたら、多分学校や職場の方を選ぶだろう。演技両立同人は、同人空間を大いに重視しているが、表向きは両立同人に準じている。

 さて、結婚は「縁」であり出会いである。白馬に乗った王子様が私をさらいにやってくる、といった空想的なものから、机の距離が5メートル以内の社内恋愛まで「縁」にもいろいろあるが、誰でもよりよい出会いを求めている事は確かであるように思う。よい出会いは、個人的な優等空間での「縁」と言い換えることが出来る。

 例えば、見合いについて考えよう。見合いでの「縁」は予めセッティングされたものではあるが、ある種の“事前審査”を通った水準が保証された出会いなのだから、結婚相手は見合いで、と考える人は多い。すなわち、見合いの場を個人的な優等空間と思っているわけである。その考えで一致している二人ならば、あとは相性だけの問題だけになる。うまく合えば、順当に結婚出来るだろう。

 ところが、ひたすら恋愛結婚にこだわって見合いを頑なに拒絶する人もいる。見合いで相手を決めることは恥であり、見合い結婚だけは避けたいと思っている人である。これは、見合いの場を個人的な劣等空間と見なしているからにほかならない。だから、そもそも見合い話に関心はないし、義理で会っても真剣に検討する意識はない。相手がこういう考えをしておれば、まさに相性云々以前の問題となり縁談がまとまるどころではない。

 まとめると、見合いの場という空間に対して、二人がそこを優等空間と思うことで一致しておればうまくいきやすい。だが、これが一致していないと、神のみぞ知る相性は世界一だったとしても、二人がそれを知る由もないまま話はなかったことになってしまうのだ。

 同じように、同人空間での場合も考えよう。相性がよくて、なおかつ二人が一致して同人空間=個人的な優等空間だと思っており、もうそろそろかなと考えはじめたとすれば、大いに結婚へと結び付く可能性がある。また、個人的な劣等空間だという認識で一致していても、同様に相性がよく、秘密を“共有”する形ならば、後述するような縁の優等化が行われて一緒になれないことはない。さらに、二人が完璧な隠れ同人ならば、第4章で述べたように結婚後も隠れ同人を続けることが可能である。

 だが、この優劣の認識が一致していなかったら(相手が同人=劣等空間扱いしておれば)、結婚話はするだけムダというものだ。同じサークルで仲良く同人誌を作ってきて、相性が最高のように思える異性がいたとしても、結婚に話が及んだ途端にそれまでの関係もろともご破算になるに違いない。
「僕たちもそろそろどうだい?」などともちかけても、
「何バカなことを言ってるのよ。私のハズバンドになる人は、私の秘密(同人活動をしていたということ)を知っていちゃダメなのよ。」と言われておしまいであろう。

 やっかいなことに、この認識が一致しているかどうかは結婚話でもしてみない限り確認できない。そして、一旦確認してしまったら、もはや元のような関係を続けることは出来ない。結婚が成就するか、関係そのものが終わってしまうかのどちらかしかないのだ。だから、この結末を見るのが怖い同人は、賭けに踏み切る前にもうしばらく今までどおり同人活動を続けようと思う。

 配偶者候補が思い当たらない人は、結局のところ、この確認作業をためらっているのが根本の原因であると思われる。同人空間であれ、それ以外の空間であれ、ひそかに告白を待ってくれている異性がいるかもしれないのに、確認することで今までの関係が壊れてしまうことを恐れるあまり、それ以上の段階に進めないでいるのだ。かくして、いたずらに時間を空費した揚げ句、目当ての異性が第三者と結婚していくのを見送ることになるのである。

 以上を法則としてまとめてみよう。

 ◆出会いに関する優等空間優先の法則:1◆

 人は、一般に個人的な優等空間での出会いを望む。


 ◆出会いの「縁」に関する優劣一致の法則◆

 相性のよさそうな異性がいても、二人の出会った帰属空間での「縁」に関して、その優劣の認識が 一致しないと結婚までもっていけない。


 ◆優劣一致の確認と関係終了の法則◆

 結婚話を持ちかければ、「縁」に関する優劣が一致するかどうかはわかる。けれども、結婚が成就するか そこで関係が終わるか、どちらかの運命しかない。
 この賭けに踏み切らなければ、しばらくは現在の関係を続けられる。ただし、いつまでもその関係が 続くとは限らない。
  


*5−4 社会的な優等空間と劣等空間

 空間に対する個人的な優等・劣等の認識は、人それぞれの価値観を反映する。これに対して、世間一般の判断が下す優等・劣等の評価は、時代の価値観を反映する。同じ時代ならば、ある空間への評価は大体固定化している。このような、社会的レベルで判定される空間を以下のように定義してみる。

◇「社会的な優等空間」 社会一般の評価が相対的に上位の帰属空間。
◇「社会的な劣等空間」 社会一般の評価が相対的に下位の帰属空間。


(優等・劣等の判定は、その空間の本質的価値に関わりなく、あくまでも社会一般の評価で決まる。)

 書道・俳句や演劇など、教養が要求され芸術性の高いサークルに入っている人やボランティア団体で活動している人はおおむね評価が高い。それは、書道・俳句・演劇やボランティアが社会的な優等空間に属するものとして高く評価されているからであると言える。だから、そういう場所での出会いは大いに歓迎される。

 人は個人的な優等空間での出会いを求めるが、それが社会的な優等空間でもあれば、まさに求めるべき理想の出会いとなる。そのような場で出会い、交際を経てゴールインするカップルは、ほとんど無条件に祝福される。結婚式での司会も、二人は素晴らしい縁で結ばれました、とアピールするのに困らないだろう。また、学生からの付き合いや社内での恋愛も結婚式で紹介される出会いの定番になっているが、劇的な優等要素こそないものの、学校や職場もおおむね社会的な優等空間の範疇に含まれていると解することが出来る。

 一方、元暴走族とレディースの縁とかディスコやスキー場でのナンパなどで結婚するカップルもいるはずだが、司会がそのまま正直に言うような例はそうそうあるものではない。それは、暴走族とかディスコやスキー場が社会的な劣等空間であると自他共に認めているからではないだろうか。だから、暴走族での縁を正直に言うとしたら、現在は立派に働いているといった社会的優等空間での活躍と必ずセットになるだろうし、ナンパでの縁を正直に言うとしたら、二人は社会人として優秀であり、他にも高尚な趣味を共有しているなどといったフォローとセットになるだろう。

 そうでもなければ、おおよそ友人の紹介といった劣等縁のにおいを薄めた形に落ち着くことになる。ディスコでナンパした女でも、その両親に会うときには「英会話学校の友人の紹介で知り合い、交際を重ねてきました。お嬢さんを僕に下さい。」などとのたまうのである。もう少しエスカレートすると、(社会的な優等空間での)出会いと交際の壮大なドラマが創作される。二人は互いの親の前ではそのドラマを演じきり、結婚式での司会はドラマの筋書きを迫真に満ちた表情で朗読するのだ。

 一般に、社会的な優等空間の範疇に入ることは、実際よりも強調されることが多い。大したことはしていないのに、面接などでいかにボランティア体験が豊富かを懸命に語る風景を想像してみればいい。その逆の場合は、なるべく人には知られないような注意が払われる。

 以上を法則としてまとめてみよう。

 ◆出会いに関する優等空間優先の法則:2◆

 人は、一般に社会的な優等空間での出会いを望む。


 ◆空間の社会的優劣と活動公表の法則◆

 社会的な優等空間での活動を外部の人に公表する時は、一般に活動レベルは高くなる。
 (例:ボランティア活動の実績を強調する時)
 社会的な劣等空間での活動は、外部の人には活動レベルを低く公表するか、全く公表しない。
 (例:隠れ同人)


 ◆結婚に関する祝福の法則◆


 社会的な優等空間で出会った縁はほぼ無条件に祝福される。 社会的な劣等空間での縁は、それより社会的な優等空間の人からは基本的に祝福されない。


 ◆劣等縁の優等化の法則◆

 社会的な劣等空間での縁は、相対的に優等な空間で祝福されるために縁が優等化される。
 (例:社会的な優等空間での出会いと交際のドラマ作り)
  


*5−5 同人空間の場合では

 ある同人誌即売会の会場で、こういう会話がなされていた。彼らの話題は、次に作る予定の同人誌についてだったが、そのうちコスプレ(漫画やゲームのキャラクターに似せた衣装を着込んでキャラクター像を模倣することで、同好の志とコミュニケーションをとる行動。他の来場者にそういう自分の姿を見せびらかす現象。)の話に移った。いわく、会場内に親子でコスプレをした子連れの夫婦がいて、当然ながら、物心つかないような幼い子供にもそれらしいコスプレ衣装を着せていたというものであった。

いわく、
「本当に子供がかわいそう。」
「こんな子供のころから(同人の空気を)仕込まれたら、将来どう育つんだろう。」
「1歳くらいの子供は連れて来るべきではない。」
「ついてきた子供にはケリを入れたくなる。」
「子連れで(参加なんて)、いい年して同人なんかやめろよな。」
おおよそこのようなパターンを繰り返して、元の話題に戻っていった。

 この会話をしていた彼らだって、どう判断しても同人誌制作を中心に生活が回っているようにしか見えなかった。だが、そういう彼らでさえ、同人空間に連れてこさせられる子供をかわいそうだと思っている。

 このような会話は、個人的にどう思っているかはともかく、同人空間=社会的な劣等空間という共通認識が彼らの間で一致していなければ成立しない。そして、多分その認識に誤りはなく、実際に同人空間は社会的な劣等空間の方に含まれている。

 同人には不本意なことかもしれないが、そういう評価が定まっていることに疑いの余地はない。 履歴書の特技欄に「同人活動」と書ける人がほとんどいないのも、隠れ同人や演技両立同人が大量に現れる現象も、ひとえに同人空間の社会的評価が相対的に低いことによる。同人活動の理念や価値の検証が置き去りにされていることは別にしても、これが現実なのだ。

 だから、同人空間で出会った相手と結婚する場合、同人仲間からは祝福されるだろうが、同人以外の人や親の前では素直にドラマを演じたほうが賢明だと思う。同人誌で日頃から創作ストーリーをひねっているのだから、出会いと交際のドラマ作りなど朝飯前だろう。





*5−6 まとめ

 出会いの場にしても、交際の場にしても、その場(空間)に対する認識が個人的にも社会的にも優等で一致しているのが理想である。本人たちが納得しあっていても周囲が反対する結婚は、何らかの社会的な劣等縁に対して、周囲が世間体の悪さを気にする要素を抱えているからである。

 駆け落ちは、周囲の反対を押し切って二人の個人的な優等空間を死守するための名誉ある転進であり、心中は、転進すらならなかった時の最後の手段だと言える。どんなに反対していた親も、心中されてしまえば、ああそこまで愛し合っていたのなら、と涙する。個人的な優等空間が社会的に勝利するためには、かくも大きな代償を必要とするのである。

 普通は、駆け落ち心中ほどの悲愴感はない。ディスコでのナンパを友人の紹介にしてみたり、出会いと交際のドラマを創作したりして社会的な認知を試みる。この試みは、ある種の“秘密”を二人だけで共有することにもなり、それでうまくいくのならば本当に申し分ないであろう。

 さて、結婚の意志はあっても出来ない人がいる。これは、別段同人関係者に限らない。社会一般の結婚難現象にも通じている。この際、「まだまだその時期ではない」とか「該当する理想のタイプがいない」という人は放っておこう。社会的な優等空間で配偶者候補がおらず、(同人の)“秘密”が共有できるような配偶者候補もいない理由は何故だろうか。

 誰だって、学校・職場や同人空間で思い当たる異性ぐらいいるはずで、ある種の焦りを感じている人も、結局のところ関係が壊れることを恐れるあまり、一段階突っ込んだ結婚話が持ちかけられないのではないか。出会いがないのではなくて、それ以上の出会いを求めていないのだ。告白のリスクよりも現状維持の方を選んでしまうのだ。しかし、その現状でさえ、ずっと維持できるものではない。

 「家庭をとるか、仕事をとるか」なら、そんなに両極端ではないバランスのとれた選択も可能だが、配偶者選びに中間はない。配偶者が得られるか得られないか、1か0かなのだ。

「学校・職場の人間関係の維持をとるか、一気に配偶者を勝ち取るか。」
「同人空間での現状維持をとるか、一気に配偶者を勝ち取るか。」

 まさに、この二者択一の選択が迫られているのである。






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