●「耳をすませば」をみて
Impression of "Whisper of the Heart"

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「耳をすませば」に目をこらせば   by つるのひと 

僕にとっての耳をすませば   by 英人

耳をすませば   by 葉月

耳すまの影響   by エデン

「耳をすませば論」−今の十代って子供だと考える−   by ちひろ

耳をすましてみて。   by 雫ちゃんの心へ

「耳をすませば」を見て   by 承太

夢がなくても   by ナオキ

私は私の映画をつくる。   by 衛藤

大事なひとことをいえる生き方   by MAMWITCH

真実   by 哲也

真の自分を見て   by あき

憧れを追いかけたい!!   by Yuuki

鮮やかな風景、好きな場面   by SZA

純真な気持ち   by 雄太

世界で一番好きな映画   by あくあ

あの頃をもう一度   by Itou

やりたいだけじゃダメなんだって気づいて   by ゼノ

私と「耳をすませば」   by ASAMI

感慨深い映画   by 大塚

すごくうれしい   by 寛子

自分の可能性について   by 月島ゆうこ

無邪気な心を忘れずに   by みお

私の探している場所   by 樹

素敵な出会い   by よし



以前の文章



「耳をすませば」に目をこらせば by つるのひと

「耳をすませば」には、多摩市の発展にかかわってきた建築物がたくさんでてきます。

今、私の手元に「昭和30年代前半の聖蹟桜ヶ丘周辺」という写真のコピーがあります。(多摩市の図書館にある小学生用の副読本の中にありました) いろは坂も霞ヶ関橋も桜通りもなく、駅の周りは田んぼだらけ。なによりこの当時は「多摩村」だったんですねえ。

町になったのが昭和39年、市になったのが昭和46年。この発展の原動力となったのが、地球屋があるとされる丘の上の住宅地「桜ヶ丘住宅地」なのです。(もちろん、多摩ニュータウンのことも忘れてはいませんが)

ガス、上下水道完備と1960年代当時としてはかなり高級であったこの住宅地。ここを作った京王の資料を見ると、霞ヶ関橋から先、丘の上に行くにはトンネルでまっすぐ抜こうという考えもあったとか。霞ヶ関橋は住宅地建設にあわせて作られました。

聖蹟桜ヶ丘駅のショッピングセンターや、月島家の住む団地のモデルの多摩ニュータウン愛宕団地。さらには京王線の引退した5000系電車や関戸橋まで、どれもが村から町へ、そして市へと変わる多摩を支えた建築物ばかりです。

「耳をすませば」って実は多摩市が作らせた宣伝用映画じゃないの?そうも思えてくるわけです。冗談はさておき、私の実家も団地です。二段ベッドも使っていました。(だから、汐と雫の部屋は何畳あるんだ?団地で二段ベッドで部屋を二つに仕切れるのか! といったことも思ったりするわけですが。)

私の親世代が漫画「三丁目の夕日」に胸がじいんとなってしまうように、私もきっと「耳をすませば」に、じいんとなってしまうことでしょう。時の流れは確かに早い。今私が住んでいる、大学のある市の図書館も近いうちにバーコード処理化されるようです。母校の中学校ですら、そうなっているのにはびっくりしました。

「耳をすませば」の風景が完全に過去のものになるのも、案外早いことかもしれません。それでも、聖蹟桜ヶ丘の丘から見る夕景や(少し離れた都立桜ヶ丘公園の施設の一部にも《夕日の見える丘》があって、立川などが見えます)、おそらく稲城市の向陽台団地近辺から見える都心の朝焼けの風景は、いつまでも大事にしていきたいものですね。

「耳をすませば」で、多摩市という街が大好きになりました。

2002/02/06






僕にとっての耳をすませば by 英人

 この映画は僕が大学1年生の夏に公開された。CMに流れるカントリーロードを聴いたときに、この映画は必ず観なければならないと思った。大学帰りの平日の夕方の映画館はひともまばらで、僕の前のほうに20代中頃ぐらいの女性のふたりづれと、左のほうに30代くらいのサラリーマン風の男性がいたことをよく覚えている。

 当時の僕は大学生活にもなじめず、振り返って自分が経験してきた中学、高校と続く受験生活とはいったいなんだったのかという問いと、自分が本当にやりたいことは何なのかという問いの前で立ち止まっていた。

 僕たちの世代が思春期にかけて吸収してきたものとは、バブル時代を反映するものだったのだろうと思う。学校の先生には大学へ行けば4年間遊べて、それから就職しても遅くはないというようなことを言われていた。僕らの世代が大学を卒業する頃にはとっくに不況になって就職も難しい時代になっていたのだけれど。

 あの「受験」とはいったいなんだったのかとの問いは、文脈的に早計すぎるのだけどあの戦争とはいったいなんだったのかとの問いにいきつく。例えば太平洋戦争に大動員された世代と、受験に大動員された世代というのは共通するものがある。それは今も昔もかわらぬ同じ仕組み、システムのなかに生きているということである。かつての人々が失わされていったのと同じように、僕たちもまた失わされていったということである。

 いまや学級崩壊が話題になる時勢だが、僕には日本の社会そのものが転換しなければならないときを迎えているように思う。そのイメージは風の谷のナウシカの終盤に登場してくる巨神兵が、「撃て!撃て!」との連呼のもとにビームを撃とうとするのだけれど、体は腐ってドロドロと溶け出しているというものに似ている。かつて日本軍の進撃と、戦後の経済発展を支えてきたシステムが、それを構成する個々の細胞レベル=人間から溶解しはじめてしまっているということだと思う。

 撃ち続けるために、構成員に対する締め付けは強化されていくのだろうが、いかんせん、溶けているものを締め付けていくことはできない。これは、これまでと同じやり方でビームを撃ち続けられなくなったということである。溶解を防ぐためには、あるいは核となる精神を注入するというやりかたがとられるかもしれない。

 耳をすませばには、この現代の日本においていかに生きるかというテーマが、思春期を舞台にしたメルヘンチックな装いのなかに含まれている。かつての戦争は、西司郎の存在によって見据えられ、現在の経済社会は、物語の背景そのものである。月島雫が初めてムンに出会うシーンは京王線の中であるが、窓の外には様々な企業の看板が流れては消えてゆく。雫はそのような社会のなかの電車=あらかじめさだめられたレールの中にいるのである。彼女がその枠を飛び出していくのは、ひとえにムンの導きがあってのことといえる。

 ムンとはなにを象徴しているのだろうか。あの猫は様々な人々に様々な名前で呼ばれる猫である。直訳すれば月であるが、それでは月の象徴するものとムンのそれとは同じであろうか。・・・あえて踏み込んでいえば、人智を超えたおおいなるものを象徴しているといえる。月島雫と天沢聖司は、人智を超えたおおいなるものによって引き合わされたといえるかもしれない。それではなんのために?

 西司郎は、ルイーゼと引き離されてしまった時点で、人生の最も大切な部分を永久に失わされてしまった人である。彼は年老い、余生も残り少なく、もはやルイーゼの迎え=死を待つにまかせる段階にきている。追憶の中のルイーゼから、薪の割れる音で目を覚まし、雫が静かにドアを開けるシーンには、彼が自分の人生を託すべき相手にめぐりあったことを意味しているといえる。単純にいえば、希望をたくすかのような。

 雫や聖司の行為は、あるいは牢屋のなかでバイオリンを作るかのようなものかもしれない。けれども彼らには、その試みを見守ってくれる西司郎や、月島靖也といった大人たちがいる。「戦士の休息だな」などという台詞をはく雫の父は、かつては学生運動の中にいたかもしれないし、この人は宮崎駿の投影なのではというふうにも思える部分がある。それは、この映画が次の世代へ向けられた宮崎駿からのメッセージという意味をもつのだろう。

 さて僕は、中学三年生のときから10年を過ぎ、自分のやりたいことなんかさっぱりわからないまま時を過ごし、流れ流れて今の場所に辿り着き、それでもようやく、自分はこういうふうに生きればいいのかなというものがおぼろげに見えてきたところ、といえるかもしれない(遅い)。

 今度の日曜日は、千と千尋の神隠しを見に行くつもりです。

2001/09/06






耳をすませば by 葉月

耳をすませば、は私にとって最も身近にある作品だと思いました。
私は今、中2なのでもうすぐ雫と同じ年頃になる。
私の学校は、幼稚園から高校までのエスカレーター式なので進路について深く考える機会があまりないけれど、この狭い世界の中で、雫がいうように何も考えず一日を過ごす・・・・・。
それはすごいむなしい気がすることもあって・・・・。
でもそういうときに私は、むしょうに「耳をすませば」を見たくなるのです。
雫は、聖司は、夢に向かって突き進む力がある。
それがとてもうらやましいです。
私にもそんな力があるのか・・、とても不安になります。
でも、これは私自身の物語だから、変えようとおもえば変えられるんですよね。
この物語のように、よく耳をすまして、いろんな声を聞いて。
一歩一歩、明日へ踏み出して生きたい。
そう思わせるような、すばらしい作品だと思います。

2001/08/18






耳すまの影響 by エデン

初めて「耳をすませば(以下耳すま)」を見た時は、僕は小学5年か6年くらいでした。
あの時僕は、まだこの映画には興味をもっていませんでした。
時が流れて中学3年生。
11月のちょっぴり寒い日、テレビをつけると、偶然耳すまが放送されていました。
「以前見たことがあった」という記憶があったので、
見てみようと思いました。しかし、それは終わりの方だったのです。
少し残念に思った僕は、家のビデオをあさりまくりました。
しかし、見つける事ができなかったのです。
僕はさらに二度がっかりしました。
その為、僕は耳すま関連のサイトを探しに探して、ここを見つけることができました。
そして2ヶ月後、そのころ僕は塾で受験勉強に励んでいました。
だけど、僕は「僕の夢はなんだろう、どう進めばいいのだろう?」という思いでいっぱいでした。
そこで、僕は「耳すまを借りてみよう!」と思い、ビデオ屋へ行きました。
そして、耳すまを見ることができました。
雫の「自分の能力を試してみる」ということに僕は心を打たれました。
しかし、耳すまを見たあとに僕は、
「遅すぎた、遅すぎたのかもしれない。」と悲観的な思いが巡りました。
巡った瞬間、「まだ、まだだ、僕にはまだ時間がある。試す時間はある」
という別の思いが胸の奥から発せられました。
だから、今は余裕がないけど、高校生になったら、試してみたいと思う。
自分の可能性を信じて。

2001/03/04






「耳をすませば論」−今の十代って子供だと考える−by ちひろ

3年前の冬、「もののけ姫」で感化されレンタル屋で「耳をすませば」を借りて観た。

それが「耳をすませば」最初の出会いだった。作品を観て私も雫のように物語を描いて見たいと思ったが結局描けなかった。結局は挫折している自分がいる。映画のようにうまくはいかない部分も当然あった。あの頃は本当に心の底から苦しくて仕方が無かった。映画では希望や夢を込めるから描かれる事は無いけれど思春期は喧嘩もまた多いのだ。

率直に思う。今の十代って子供だなっと…、ここ数年色々な事件や騒動で世の中振回しているけれど、「耳をすませば」に出てくる雫と聖司はある意味大人の十代だと思える。今の子供は塾に行くのが当り前で私が中学生だった頃よりも学力本位かもしれない。けれど雫は塾に行かなかった。聖司は高校へは行かず目標を見定めていた。それって今だと考えられないくらい凄い「−挑戦−」なんじゃないかな。私はもう少しで10代終るけれど、まだ進路も分らない。ちゃんと決めていない。たぶん現代人の象徴かもしれない。はっきりと意見が言えない、考える事ができない。流されている。だから就職難なのだろう。周りが進路が決まって焦っている大学の先輩を見た。他人事だと思っていた、けれどそれは甘い考えにしか過ぎないと痛感した。そんなんじゃ、聖司に怒られちゃうよ。それが久々にこの間の金曜ロードショーを観て行きついた今の結論である。

昔は「普通」という言葉に憧れていた。普通に学生やって、普通に受験して…。でも今普通は通用しない。人と違う事を求められる。私も好きな事があってそれをやっているけれど、やるならやっぱり貫かなければいけないんだと改めて思った。学生の頃の挫折を思い出すようではまだまだなのだと…。雫は『毎日何となく過ぎるだけ』と漏らしているけれど、それは誰もが言う台詞なのだ。私も中学・高校時代はいつも面白い事を探していた。友達にもいつも『なんか面白い事無いかなぁ〜。』そう漏らしていた。

けれど、面白い事って待っていても来ないんだよね。

皆さんの感想読んで、共感した。痛くなるくらい共感した。挫折していた自分、悔しい思い出、けれどその中には夢も希望もあった。だからそれを乗り越えて私も「−挑戦−」できる人にならなければならない。「耳をすませば」は3年前よりも今回の方が私の中では強く印象に残る作品になった。私も頑張るよ。昨日には戻れない。けれど、時代と別れるのも大事なのかもしれない。「カントリー・ロード」も故郷には帰れないと歌っている。だから私も高校時代には戻れない。進むしかないだから、頑張るのだと心に言い聞かせて生きて行けたら、と考えた。

2001/06/19






耳をすましてみて。 by 雫ちゃんの心へ

私は、宮崎監督作品の中で、「となりのトトロ」の次に
この「耳をすませば」が好きなので、今でも何回か
ビデオを取り出して、見ています。

私は、まだ中学1年で、雫ちゃんより、年下☆
それに、女子校なので、恋とか、そういうのは、
まだまだ遠くにあると思う。
でも、いつか、雫ちゃんみたいな、優しく可愛い子になってみたい。
これは、私の夢であり、願い・・・・。

2001/01/04






「耳をすませば」を見て by 承太

涙が出た。純粋に泣いた。

まぶしかった。自分の中学時代を思い出した。

「ものを創る」ということへの気持ち。自分の中から溢れてくる想い。

現実は物語と違う。

でも、泣いてる最中は、そんな事は思わないと思う。

見てる最中、そして終わった時は、その後のことなんか考えない。

多分、何で泣いてるのかも分からない。ただ、心が揺れたんだと思う。

時がたてば、その後はどうなったんだろう、だとかいろいろ考えてしまうのではないだろうか。

いけないことなんだろうか。俗物的な考え。

雫と、聖司と、聖司のおじいさん、その友達二人による「カントリーロード」は素晴らしかった。

そして、エメラルドとその原石の話。一生懸命なことはカッコ悪いことじゃない。

でも、がむしゃらに生きるだけ、気持ちだけでは命は続かない。頭を使わなくちゃ。

2000/10/10






夢がなくても by ナオキ

僕がこの映画を初めて観たのはテレビでだった。この映画の設定が現代ということもあって、あまり期待もせずに観ていた。期待もせずに観ていた映画が予想に反して良い映画であると、感動は大きくなるものだ。この時もそうだった。何気なく観ていたのがだんだんと映画に引き込まれていった。

確か、これを観たのは大学受験を目前にしていた高校三年の時だったと思う。自分が何をしたいかも分からずに、とりあえず大学に進もうと考えていた。僕には雫と聖司が夢に向かって進んでいる姿がうらやましかった。

そう、僕にはその夢が無かった。まず、自分の中で何がやりたいかを考えてみる。・・・無い。じゃあ、好きなことは?これと言って無い・・・。いつも、やりたいことを考えてもこれの繰り返し。大学に入ってもう四年になるが、未だに自分の夢が見つからない。
最近、またこの映画を観て思うことがある。雫や聖司のように生きたい!と。

僕の人生こんなはずじゃないと思いながら、時間だけが進んでいく。自分のやりたいことを見つけられた人は幸せだと思う。僕には一生懸命にがんばるものが見つからない。本当に真剣に探したのかと言われるとそうではなかった。心のどこかで誰かが与えてくれるとか手を差し伸べて導いてくれるんじゃないかと甘えていたのかもしれない。

夢っていうのは自分で見つけないといけないよね。他人から与えられるものじゃない。恋愛もそうだ。待ってるだけじゃだめなんだよ。
自分が行動して相手を振り向かせるぐらい積極的に行かないと。今度好きになれる人が現われたら、がんばろう!

なんか、映画の感想というか、自分の話になっちゃいましたね。これを読んでくれている人は「耳をすませば」をもう観た人で、それなりに前向きになってるから僕に共感する人は少ないかな。でも、みんながみんな本当の夢を見つけられるわけじゃなし、中にはあきらめて妥協しながら生きている人もいると思う。

もし、そうなっても小さな幸せなんかがあればいい人生はきっと送れると思う。

2000/09/14






私は私の映画をつくる。 by 衛藤

私がはじめて耳をすませばを見たのは、小6の時でした。
最初の感動を、今でも覚えています。
見た後も、ワクワクして、ドキドキして、
なんていうか、窓を開けたくなる、そんな気分でした。

あのときから、ずっと期待してた。
『私が雫の年になったら、いったいどんなことがあるんだろう。』
そして、3年が経って、私も中3、しかも物語が始まる夏休み前。
"運命の時"がやってきたのです。

少し緊張しながら、耳をすませばのビデオをひきだしから取り出しました。
今回は、あのころの感動とは少し、ちがっていました。

雫の言葉と重なります。
『心の中で、こんなうまくいくはずないって、思っちゃう。かわいくないよね』

リアルさが、減った、というか、、
だけど、感動は姿を変えても、やっぱり『耳をすませば』は良い映画でした。
あのころは、どこか遠くから『耳をすませば』を眺めている、というかんじでした。

でも今は、『耳をすませば』の中を走っているのです。
本当に、リアルタイムに耳をすませばを見ています。
何年かしてまた『耳をすませば』を見るときは、後ろを振り返るようなのでしょうか。

耳をすませばの世界は、ありそうでない、幻想的な風景。
だけど、私の周りも、耳をすませばに負けないくらいすばらしいと思う。
最近はそういう見方ができるようになりました。

この舞台で、私は私の映画をつくる。今しか出来ない映画を・・・
そう思って、一年間、がんばりたいと思います。

2000/07/31






大事なひとことをいえる生き方 by MAMWITCH

 私は現在,32歳で,小学校2年生の男の子の母親です。中2から高2まで,聖蹟桜ヶ丘駅近く,多摩市一ノ宮に住んでいました(小野神社は目と鼻の先でした)。今は,東京から離れ,地方の山村(生まれ故郷)の住民です(本当にトトロやコダマに逢えそうなところです!)。

 宮崎監督作品の大ファン(未来少年コナン以来)だった私は,「耳をすませば」が劇場公開される事は知っていましたが,当時は一緒に映画を楽しむにはまだ息子が幼すぎたためTV放映を待つことにしました。待ちに待ったTV放映。オリビア・ニュートン・ジョンの懐かしい歌(夕子ちゃんと同じ合唱部でした)。そして,何より私をTV画面にくぎ付けにしたのは,雫の暮らしている街の風景でした。かつて最も多感な時期を過ごした,忘れられない街に瓜二つだったのですから。聖蹟桜ヶ丘駅,京王百貨店,私がいた頃にできたばかりだった駅ビル、旧友の住まいのある桜ヶ丘の高級住宅街,団地,いろは坂,京王線からの眺め…放映が始まって数分というのに,懐かしさがこみ上げ涙が止まらず,一緒に見ていた息子は,怪訝な顔をして私を見上げていました。

 宮崎監督の作品はほとんど拝見しています。どの作品も大好きで,それぞれに思い入れがあります。でも、なんと表現すればいいのか言葉が思い浮かびませんが、こんなに強く気持ちの残る作品に出会えるとは思いませんでした。郷愁とは少し違う思い。あの時,確かにあの場所で,雫ちゃんや聖司君と同じ思春期を自分もすごしたんだ,でも,今は遠くはなれて,時も過ぎて,あの時とはきっと街も変わってしまったんだろう…ノスタルジーと一言で言ってしまえばそれまでですが,何にも代えがたいそれこそ,真剣に悩み,真摯に人生に思い悩んだ,苦しかった,でも心から楽しかった3年半が蘇ってくるのです。

 かつての旧友たちの中にも,多摩を離れて,この作品を見た人がいると思います。きっと,彼女,彼らも同じ思いで見たのではないかな,と心をめぐらせました。ビデオやTV放映で,何度も見ていますが,この思いもストーリーに対する感動も薄れることがありません。宮崎監督作品のすごさだと思います。

 ところで,息子もこの作品が大好きです。猫好きもさることながら,保育園の英語の授業で,カントリーロードをやったこと,バイオリンが出てくること(保育園にバイオリンの授業があり,現在も彼の強い希望で続けている),何より,バロンの出てくるところが全部大好き!かっこいい!!なのだそうです。聖司君のように意志の強い子になれるかわかりませんし,雫ちゃんのような子と出会えるかもわかりません。なにより、彼は,自分の才能を確かめるため,歯を食いしばる努力のできる人間に成長できるでしょうか?

 私は母として,自身の人生が,聖司君のおじいさん,西司郎さんや,雫ちゃんのご両親のように,子供の成長をじっと見守り,肝心な時に大事なひとことをいえる生き方でありたいと思います。若い方々や,多摩市在住の方,多摩市に住まわれたことのない方とは,ちょっと違った感じ方かも知れませんが,これからもこの作品を愛していきたいと思っています。

 なお,蛇足ではありますが,三十の手習いとばかり,昨年から息子と一緒にバイオリンを習っています。(息子は,保育園で2年やっていますから,大先輩です) この作品に影響されたことは,いうまでもありません。

 カントリーロードが弾けるようになるのは,いつのことでしょう…

2000/07/31






真実 by 哲也

私が初めて見たのは、TV初登場の時。その時は思ったより悪く無いなと。だが、録ったビデオをふと手にし、もう一度見てみたら驚いた。こんなにワクワクした映画はインディ・ジョーンズ以来だってね。この映画は過去を振り返る映画じゃないのだよ。心の奥底にある眠っていた感情を引き出してくれる映画なのだ。あの、猫を真剣に追いかけ未知の世界を旅する探求心、これこそが我々が忘れていたことなのだ。

でも、何度も見ると何に感動したのか分らなくなる。そしてそれを探しだす。ここがいい、あのシーンがいいとか。私は15歳だが、150回以上見てるからよく分る。いろんなシーンで泣いたし感動した。あのシーンの意図、製作者側の考えはなんであろうか・・・。

そして、結論に達した。どのシーンも無くてはならないし、どのシーンが欠けても耳をすませばは成り立たない。だからどのシーンも同じだけ大切であり、好きであるべきなんだと。耳をすませばは恋愛ものではないし、青春ものでもない、一つの物語である。どれにも属さない、素敵な物語なのです。思考は愚か、感受が賢慮であろう。耳をすませばにすがっちゃう人もいるようですが、人生は生きる意味の答えを探す旅なんだから、すがっても駄目でしょ。自分で考えなければ!

話が逸れたが以上です。最後に一言、「行こう、恐れずに。午後の気流が乱れる時、星にも手が届こう」。

2000/05/19






真の自分を見て by あき

 僕はいつのまにか社会に将来を決めてもらっていたような気がします。そして決めてもらうためにがんばって勉強してきていたように思います。けど本当に、「耳をすませば」を見て変わりました。僕の針路が180度まではいかないにしても90度は変わりました。

 雫ちゃんのあの悩み、もだえ、一生懸命がんばる姿には共感という言葉では表せないほどの感動がありました。そして聖司君のあの晴れ晴れとした姿、とても真似できません。けど目指しがいのある姿です。この映画を見て以来僕は毎日何か重いものをしょっている気分になりました。全然何もできていない自分への不甲斐なさ、しかも人生事勿れ主義で行こうとする情けなさでしょう。今はしあわせです。そんなあほな自分を顧みれているのですから。

 この自分に気がついたのは2回目にビデオで見たときでした。物語はもちろんですが「カントリーロード」の詩です。鈴木麻実子さん*のその詩で僕の心は洗われました。どうぞ皆さん聞いてください。僕の目のレンズのくもりはやっと消えました。この詩にかかれている人はまさに自分そのものではないかと思いました。自分自身を鈴木さんに書いてもらってやっと自分というものがわかりました。だからどんなことにもめげずガンバろうと思うように慣れました。素直に。

 最後に、ここにこれからの自分難関を書くことで改めてそれを認識し逃げるなと自分に言い聞かせようと思います。

 それは親に自分の夢を追うのを了解してもらうことです。僕の家は開業医です。そして父親は100%それを聞き、怒り狂うでしょう。でもがんばります。
*鈴木敏夫プロデューサーのお嬢さんで、劇中に出てきた「カントリーロード」を訳しました。

2000/04/02






憧れを追いかけたい!! by Yuuki

この作品をみるたびに、胸が苦しくて、うれしくて・・。言葉では言い表せない。
映画の中で、一番雫がすき。前半では、大人になっていない雫。
後半では、恋をして大人へち近づいていく雫。

ぼくは、ずっと大人になりたくなかった。
ぼくも本が大好きで、本の世界で、子どものままでいたかった。

でも、「耳をすませば」をみて、−「夢をかなえるために大人にならなくちゃ。
大人になっていくっておもしろい。雫みたくカッコよくいきたい、好きな人と出会いたい」−
そう思うようになった。

今、ぼくの夢は雫とおなじ作家だよ!児童小説をかく!
それと、雫の背中を追いかけたい。かっこいい、ぼくの憧れを追いかけたい!

ぼくの夢と、憧れと、大好きな自分を・・・。
カントリー・ロードを口ずさみながら・・・。

今、ぼくはあの頃の雫とおなじ年になった。
ずっと、ずっと、ぼくは君をおいかけて、いつかきっと追い越すから!!
ぼくは、この映画をみて「大人になる」ということを知った。
がんばろう!夢を追いかけるその背中、大好きだから。

ありがとう 夢をくれて わたしの大好きな雫へ

2000/02/27






鮮やかな風景、好きな場面 by SZA

 私がこの物語を見たのは、おそらく映画公開後の最初のテレビ放映だったと思います。この感想を書く前に他の方々の感想を読ませていただいたのですが、その多くの方と同じように私も、ジブリの作品が好きで、かつ、「耳をすませば」にはあまり期待していませんでした。

 ああしかししかし、やられてしまいました。何にやられてしまったかというと一番は物語の中の街の風景です。私はそれを初めてみたとき、ああこれは絶対に横浜のどこかの風景だ。絶対に見たことある。と思いました。私は横浜市南部の方に住んでいるのですが、実際は別の街だとわかって少しがっかりしたのと同時に、実在するということにはうれしく思いました。

 その鮮やかな風景と同時に、印象に残ったのは、雫をとりまく家族でした。この「耳をすませば」という物語は、基本的に日常生活を細かく描写していて、家族関係もリアルに描かれています。物語中に、雫が家族との夕食を拒否して、自分の部屋でカロリーメイトを食べる場面がありましたが、あれには思わずニヤリとしてしまいました。あと、雫の成績が落ちて、家族で一悶着ありましたが、すばらしい家族だなと思いました。

 ああ、ずいぶんと長くなってしまいましたが、私が一番好きな場面は、やはり雫ができあがった物語を西老人に読んでもらい、泣き出してしまう場面ですね。何がどういいのかはうまく説明できないのですが、じーんときました。もちろん雫と聖司もよかったですが、私としてはどうしても杉村に感情移入してしまうのでちょっとせつなかったですね。雫が杉村に告白されて心を痛めてしまうシーンや屋上でクラスメートにはやしたてられた後、涙ぐんでしまうところなども、妙にリアルでよかったです。

 最後に、この「耳をすませば」というジブリブランドの中ではどちらかというとマイナーな作品にたくさんの人が感動を受けているというのを知って、私は感動いたしました。本当に近藤喜史監督の早逝が惜しまれます。

2000/02/25






純真な気持ち by 雄太

 僕は、『耳をすませば』を見たとき、ちょうど子の物語の主人公の雫と同じ中学3年生で、高校受験を控えていました。15歳というと、初めて自分の人生を大きく左右するいわば人生の分岐点ともいえ、精神的にもすごく不安定でありました。当時の僕は、何かといらついて物などにあたり、親にも反抗をしていました。今思えば、受験を理由に甘えていたのです。

 雫や他の登場人物の気持ちは、いたいほどわかり、また共感できる面もたくさんありました。(学校のテスト、異性への意識など)そんな中、僕にも、聖司くんは大きく見えました。というのも、15歳という年齢ですでに自分の進路へ突き進む聖司くんは本当にすごいなぁと思えたのです。僕は、ただ高校という次のステップに逃げることしか出来ませんでした。今でも、大学に通ってはいるものの自分のはっきりとした進路や将来のことについては、はっきりと見えてこないで、ただバイトや遊びに費やす毎日が過ぎ、無駄な時間を浪費してしまっています。

 話がそれてしまいましたが、当時の僕にとってこの映画はとても刺激的なものでした。この映画を観終わってあとなぜか、僕もがんばらないと、と思ってしまいました。こうおもったのは僕だけでしょうか?少なくとも僕らの世代の人は、この映画をみて、何かしら考えさせられることがあったのではないのでしょうか??なんだか雫の焦っている様子は、僕をそのまま写し出したようで、同じ気持ちになってしまいました。

 僕は、この映画を次に見たときは、高校3年の時の授業のときでした。このときの感想、胸に沸いてきた感情は、遠い昔の(そんな昔ではありませんが、なんだかとても昔のことのように感じました)懐かしい思い出や、淡い感情を抱きました。

 それは、忘れていたものです。そう、子供のころの素直で純真な気持ちです。だんだんと年を重ねることによって、昔の夢や社会に対する理想というものを忘れ、なくしてしまうのです。恋愛に対する感情もそうではないでしょうか?おとなになることにつれ、ほんとうにたいせつな・烽フをわすれてしまうのではないのでしょうか?ただ、社会の秩序に従い、一般社会の固定観念に縛られていくのではないのでしょうか?そういうこともこの作品にこめられているのではないのでしょうか?長々と自分のしゃべりたいことや、思ったことを書きなぐってしまって読みにくかったのではないでしょうか?すみません!!

2000/02/21






世界で一番好きな映画 by あくあ

2000年...。もう、「耳をすませば」も5周年を迎えようとしていますね。私がはじめてこの映画を見たのが、1996.1.18 私が高校1年のときでした。テレビCMの、「すきなひとができました。」のフレ−ズで、宮崎駿さんの新しいなにかの世界を感じ取ることができ、前々から劇場で見たいと思っていたのですが、映画を見ること自体、あまり興味を示さない私は、「なんとなくみようみようとおもってた」の心のまま公開が終わってしまいました。

それから、季節は過ぎ、春にも似た明るい光が差し込んだ冬の日、冬休みが終わろうとしていたその日に(北海道の冬休みは12/25〜1/19)レンタルショップに行って、このビデオを手にしたのです。明るい日差しが差し込む小さな部屋で、スタ−トボタンを押しました。そして、光が赤く変わって部屋に差し込むころ、泣きながらストップボタンを押したのを覚えています。

何で泣けるんだろ。

とても、見たことのない美しい景色がそこにはありました。
丘の上からのぞく雄大な街並み、それに重なる野見さんのカノン。朝から、夜まで表情の違う空模様...すべてが...なんて説明していいんだろ...。そして、雫のほんの少しの表情の変化も逃さないフィルムは、セリフでは言いきれない憂いを私たちに克明に刻んで、痛いほどやさしさを与えてくれました。

そんな景色のなかで、雫が向き合う、「恋と夢の物語」。そんな簡単なことばでは説明できないですが、誰かを愛するために、まず自分が相手に勝るような夢を持つ。愛の度合いを自分の持てる力で表現する。雫ちゃんの一生懸命な姿にほれちゃいました。それから、地球屋の主人が言った「原石を見つけて時間をかけて磨くこと」という言葉がどれほどの勇気をくれたことか...。

...支離滅裂な文章ですが、よすぎて、表現のしようがなくて、どうしようもなくなって泣けてきます。
...たぶん、自分がとても叶わぬ夢や恋にうつむきながら過ぎてきた時間を、やっと振り返ることが出来て、どうしようもなくて泣いてしまうんでしょうね。そんな状態で、なにか明日から起こりそうな学校生活に期待したものです。

ほんとに世界で一番好きな映画です。
それから好きで、何回となく繰り返し見てました。

 あれから、高校を卒業し、夢をかなえるため専門学校へ行きたかったのですが、家庭の問題で行けず、就職することになりました。でも、やっぱり夢は捨てきれず、思いきって仕事を辞めました。

 ...少しだけ、おっきな世界で活躍する好きな子がいました。
その子に思いが届くようにしたらどうしたらいいか。

そしてこの結論です。

そのときは、全く「耳をすませば」をイメ−ジしてませんでしたが、なんとなく、そうしなければならない気持ちでいっぱいでした。そして会社を辞めてから、夢のため、独学で歌ってますが、早く曲を作らなきゃ、早く詞を書かなくちゃと、あせる日々を過ごしながら、今日になりました。

いつものように、詞と向かい合いましたが、やっぱりだめです。どうしようもなくなった時、ふと、脳裏に雫ちゃんが浮かびました。そして、なにかにとりつかれる様に、もう一度久しぶりに、スタ−トボタンを押したんです。

.......泣けました。
懐かしい美しい忘れかけていた景色に。
...そして雫は、今の私じゃないかと。

全てはつながってるんだという気持ちにさせてくれました。
今ここにいる意味。雫ちゃんに教わりました。

いまだに、詞は書けずに詰まっている。けど、雫を信じてやってくつもりです。
そして、私は、その子を乗せて、いつか自転車で、急な坂を、駆け上っいきます。

2000/02/10






あの頃をもう一度 by Itou

 初めてみた当時、私は就職戦線の只中にいました。今自分がしたいこと、しなくてはいけないこと、それぞれが山のようで、少々現実逃避気味でした。そんなときこの作品を見て、(聖司君は既に道を決めているし、雫ちゃんはすべき事、したい事を見つけた。中学生という若さで!なのに、自分は何をしているんだ!!自分も頑張らなくては!!!)という気持ちになり、今では某電気店に約3年、勤務しております。

 この作品は、見るたびに違う衝撃を受ける作品だと思います。何故なら、見る世代、見る世代、受ける衝撃の内容が、全然違うだろうから。初めて見たのが大学4年の夏。そして今は社会人3年生。少しだけ社会というものを知り、人に揉まれながら大人になっていく自分。もう、戻れないあの頃。帰りたい、帰れない、さよなら、マイロ−ド(人生)。

たぶん、これからも、見る度に受ける衝撃は全く違うんだろうなあ、と思います。ただ変わらないのは、どうせなら、こういう恋がしたい!ということかな?ただ純粋で、新鮮で、なつかしい恋がしたい。書いているうちに、また、耳をすませば、が見たくなってきました。

では、不朽の名作に栄光あれ!!

2000/01/01






やりたいだけじゃダメなんだって気づいて by ゼノ

 自分は大学一年の男性です。『耳をすませば』は自分にとって生涯忘れることのできない作品だと思います。そして皆さんの感想を読ませてもらい自分と言う人間の小ささを痛感しました。

 率直に言って『耳をすませば』を見て1番心に残った言葉は、雫の「やりたいだけじゃダメだって分かったの」というあの一言でした。自分にも夢はあります。そのための努力もしているつもりでした。でも、心のどこかに逃げ道を作ったり、自分に言い訳をして努力を怠ったりしている自分がここにいることに気づきました。雫や聖司を見ていると自分の努力があまりに小さく儚いものに見えてしまうのです。やりたいと思うことはあるのになぜかそこから逃げてしまう自分がいるのです。なぜなんだろう、といつも考えるフリをしていました。

 でもホントはその理由を自分は知っていることもまた知っていました。いつも他人に話を合わせたり、話を誇張したり、自分の外見を飾ってみたり…高橋広明さんの感想を見て同じ自分がここにいることを実感させられました。そう、いつも自分は他人の目ばかり気にして、ホントにやりたいことを見失っていたのだと思います。これからはもっと強く生きようと決心しました。

 余談になりますが、人には大きく分けて2種類のタイプがあるのだと思います。ひとつはいるだけでその場を明るくできる人、人を魅きつけてやまない太陽のような人、そしてもう一方はどんなに頑張っても決して主役になることができない人。自分は今思うと明らかに後者なのです。今まで自分は前者になろうと必死で無理して自分を偽ってきた、とそう思うのです。

 でももうそんなことはしないと決意しました。他人の目なんか気にして自分を偽るなんてもうまっぴらです。「他人と違う人生はそれなりにきついぞ」と雫のお父さんは言ってましたね。それでもいい。本当の意味で他人の目なんかうかがうことなく胸を張ってい生きていたいから。

 なんだか言いたいことがあり過ぎて全然まとまってません。でも自分が言いたいことは、やりたいだけじゃない、夢を見るだけじゃない、それを実現させるためのあくなき努力が大切なんだと言うことです。もう逃げたりしない、そして雫や聖司のようにホントの意味でカッコよく生きていきたいと思います。

1999/11/15






私と「耳をすませば」  by ASAMI

 「耳をすませば」が公開されてはや4年、当時小学校6年生だった私も高校生になりました。時はたってもあの感動は少しも忘れていません。宮崎駿さんの作品はもともと大好きで、全部ビデオorレーザーディスクでもっています。その中でも「耳をすませば」ほど、私を魅了させたものはありません。大げさかもしれないけど、本当にそうです。

 雫みたいになれたらなと何度も私をそう思わせました。残念ながらなれませんでしたけど・・・。でも私を何度も勇気づけてくれました。試合に負けてとても悔しくて涙が出そうになったとき、文化祭の合唱でみんながまとまらなくてもう止めたいと思ったとき、「カントリー・ロード」の「どんな挫けそうな時だって決して涙は見せないで」という歌詞にいつも励まされました。辛いことや、悲しいことがあった日は、必ず「耳をすませば」を見ます。

 一番印象に残っているシーンは、最後の聖司君が雫のうちの前で待っていて偶然雫が顔を出すところです。二人で見た朝日、聖司君の「雫、大好きだ!」とてもくすぐったいような、うれしいような、そんな気がします。今までいろいろな映画を見たけれど、「耳をすませば」ほど私を魅了させたものはありません。

 あれから二人はどうなったんだろう?いつもそればかり考えています。私も雫のように素直に、聖司君のように夢をいつまでも追いつづけれる人になりたいと思います。幾多の苦難を乗り越えて・・・。

 「耳をすませば」は、私の原点です。もちろんこれからも。

1999/06/27






感慨深い映画  by 大塚

 一言では言い表せない程感慨深い映画でした。見たときの当時私は就職活動を必死になってしており、全然結果が出ず、四苦八苦している毎日でした。

 私がこの映画を見たきっかけは、その当時付き合っていた彼女に連れられて「絶対に面白いよ」といわれて行ったのを未だ覚えています。この映画のオープニングの「カントリーロード」は、実は私の高校時代の恩師の英語の先生が授業の最後に必ず歌っていた歌でした。ところが、その先生は35歳の若さでなくなってしまいました。ですから、二重の出来事があり見た瞬間から虜になってしまったのです。

 一番思い出にあるシーンは「雫!俺と結婚してくれ!」と「おまえを乗せてこの坂のぼるって決めたんだ!」とみんなでカントリーロードを大合唱する所に尽きます。見ていてラストのシーンでは勝手に男ながら泣いていたのを覚えています。なんだか純粋で、でも目標に向かってまっしぐら。 そんな聖司が好きでした。 そして、がむしゃらに物語を書く雫も然りです。

1999/06/05






すごくうれしい  by 寛子

 耳をすませば。あれは確かまだ「りぼん」を買っていたのだから小学生のだったのでしょう。本誌の方で「耳をすませば」を読んで、虜になり発売日に本屋に走って買いに行ったほどでした。

 何ていうんですかね、あの独特の世界観がすごく好きで「地球屋」が好きで、黒猫の「ルナ」と「ムーン」が好きで、バロンが好きで、聖司君の絵(あの「地球屋」に飾ってあったヤツです)が好きで…。とにかく全てがすごく好きになった作品。小学生の私が初めて「単行本」なるものを買ったのがこの作品でした。

 そして映画化。それも私の大好きな宮崎駿さん。感激でした。だいたい、漫画や小説をドラマ化・映画化すると気に入らないものになるのが落ちだったのに、やっぱり駿先生はなるほどと思わせるものにしてくれました。すごくうれしかったです。

 原作とはまた別の世界のようで、ちゃんと原作と合う。なんとも表現力の乏しい私の精一杯の表現「すごくうれしい」は本当この作品に当てたいと思います。

1998/12/03






自分の可能性について  by 月島ゆうこ

 「耳をすませば」---私は、宮崎監督の作品の中で、この映画が一番好きです。

 この映画が公開された頃、私はとてもショックを受けました。なぜなら、私は宮崎先生のナウシカやラピュタの世界が大好きだったからです。「何で、こんな現代を舞台にした映画を作ったんだろう。」少なからず、私は不満でした。ところが、たまたまバイト先からこの映画チケットをもらい、暇つぶしをかねて見に行くことにしました。

 この映画に、なんの期待もしてなかった私でした。不意打ちとはこのことでしょう。何に自分がこんなに感動しているのか分からないのに、胸が熱くなって、涙がぽろぽろこぼれてきました。なんだか、非常に懐かしい気持ちがしました。自分の中学校の頃を思い出しました。中学校の時、男の子を好きになった時、私は雫ちゃんの気持ちがとっても分かりました。懐かしい、忘れていた気持ち、これが私が始めてこの映画を見たときに感じたものでした。

 今回、再びこの映画を見て、不覚にもまた涙してしまいました。でも、今回は前とは違った意味で雫に共感したのです。それは、自分の将来についてです。私は自分の将来について悩んでいました。映画の立場的には、あれほどしっかりはしてませんが雫のお姉さんと同じです。将来の夢を見つけるための大学生です。お姉さんとの喧嘩の中で、「高校に行かない」、「勉強することがそんなに偉いの」といった雫。「雫のはただの現実逃避だよ」といった姉。私の目の前にちらつく“就職”という現実に一致しました。

私の周囲で、皆が就職活動に没頭している中、雫と同様、私は自分の可能性について悩んでいました。「就職はしない、働くことがそんなに偉いの?」私は、ただ何となくでは、就職をしたくなくて、聖二君のように目標を持って生きたかったのです。雫の両親は言いました。「人と違ったことをするのは大変なことなんだ、失敗しても誰のせいにもすることは出来ない」その通りだと思います。

これは、当然のことなんですが、私の心に重くのしかかりました。おそらく、雫にも。自分の切り開きたい道への思いと、それに襲いかかる不安。誰かに話したくても、それは結局は自分自身の問題で、他人にはどうすることもできない。本を読んでもらった後の雫の涙は、そうした不安が頂点に達したんではないでしょうか。いわば、自分の決心に対する不安です。

 この映画を見て、そして雫に出会って、映画の中で私は雫と同じように悩みました。映画を見終わって、私もがんばろうと思いました。現在、私は大学院進学のために勉強をしています。自分の今行っていることが、決して、ただの現実逃避じゃなく、将来に通じるものになると信じています。そして、不安になったときは、またこの映画を観ようと思います。あと、私に必要なのは聖二君みたいな、将来のはっきりとした夢をもっている人です。そんな人に、はやく出会いたいものです。

長くなりましたが、以上です。

1998/10/31






無邪気な心を忘れずに  by みお

はじめまして
私は大学1年の女です

私も23日に初めて『耳をすませば』を見ました
話の進み方や登場人物の性格などやはり宮崎映画だと思うところがありました

内容は…
自分が中学生だった頃を思い出してみていたのですが
何か「ほっ」っとするような
今の生活にかけているものを見たような気がしました
それと同時に私にとって苦痛でしかなかった中学校生活を
雫のように悩みながらも生きて行けたらと思いました

自分の初めての作品を聖司のおじいさんに読んでもらったとき
泣き出してしまったその気持ちがなぜか痛いほどわかって
テレビの前で一緒になって泣いていました

あんなにステキな人を見つけられて雫がちょっと羨ましいです
夢に向かって進んでいく人っていいですよね
でも実際自分の好きな人がバイオリン作りに成りたいって言って
遠くに行ってしまったらやっぱり耐えられないかも…

2人乗りをしたり朝焼けを見たり
若くなければできないことを若いうちに体験して
その感動をずーーーっと胸にしまっておくことが大切ですよね
あの2人があの無邪気な気持ちをずっと忘れないでいてくれたらな
そう思いました

1998/10/27






私の探している場所   by 樹

私は今16歳です。半年前に中学を卒業したばっかりで、雫ちゃんを見ていて共感できたり感心したり、とても身近に「耳をすませば」が感じられました。聖司君はかっこいいですね。雫ちゃんが羨ましいかぎりです。純真で優しくって、まじめで一生懸命で。

私も受験勉強は図書館でしていました。家からバスで、バス停からは徒歩で、函館だったので坂道を雪を踏みしめて、せっせと通っていました。古くて威厳のある建物で、窓なんかも和洋折衷のステキな木枠で、ふと手をとめて絶え間なく、静かに降る雪を眺めていると、自分が今故郷にいるんだな、とうれしいさみしい気持ちになりました。

雫ちゃんの住んでいる街や地球屋のある坂の上、そこから図書館への道などをみていても、このようなノスタルジックな気持ちにおそわれました。たぶん、私は懐かしい景色をみて、戻れない昔の時間を惜しんでるのだと思います。

心にどうしようもなく浮かんでくる、過去の景色、過去の時間。

私は毎日毎日いつもいつもそれを求め、探して、それの事を考えています。だから常に悲しく、なにかつらいです。いつか自分の求めている場所を、見つけられたらいいなと思っています。長いことさがさなければいけないかもしれないし、そうじゃないかも。今なんとなく予感しているのは、私の探している場所っていうのは、好きな人、愛する人のいる場所じゃないのかなってこと。そうである気がします。

まだ若いし、全然何もわかっていないんで、ゆっくり、いろいろ考えたいです。

1998/10/26





素敵な出会い  by よし

 「耳をすませば」を昨日はじめてみたのですが、なんとも表現しがたい余韻が今だ続いている状態です。この映画を見たことで、今現在の自分がいかにだらだらと何の意味もなく時間を浪費しているかということを再確認させられました。月島雫が一心不乱に小説を書く様はなんともうらやましかった。

 ここしばらく我武者羅に何かに打ち込むということがなかったから、映画を見終わった直後から半ば必死になって自分はいったい何をしたいのだろうと幾度も幾度も自分に問いかけました。しかし、はじめから(というか,現在は)持ってもいない目標は何だと自問してもその答えが在る筈もなくちょっとふさぎこんでいます。まあ、急に答えが見つかるわけもないからゆっくりと時間をかけてこれだ!って確信が持てるものを一生懸命探すつもりでいますけど。

 なんだか自分のことばかり書いてしまってすみません。最後に多くの人がそうであったと思いますが「耳をすませば」に出会えたことは私にとって見逃すことのできない大きな出来事となるでしょう。こういう素敵な出会いが連続して起きてくれれば途方もなく凄い事ができそうな気がする。あるいは他力本願なうちは何も成し得ないかな!?

1998/10/25






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