武蔵野夫人

不思議なこと 1

 文学を離れて、かねがね不思議に思っていたことは、これほど舞台背景を正確に描いてあるにも関わらず、作中にこんな場面が出てきます。貫井神社に立ち寄ったところです。

『立ち止まってじっと水の湧くさまを眺めている勉に、道子は
「何をそんなに感心してんの」と訊かずにはいられなかった。
道子も水に対する興味に感染していた。彼女は神社の左手の崖の上から聞こえる一つの水音に注意していた。音はしゅるしゅるという滑るような音で、明らかに拝殿の後ろの湧水より高い位置から始まっていた。それと重なって下の方へ別に轟くような激しい音があった。』

 として、調べると、
 『一尺ほどの幅のコンクリート溝が林の縁の人家に沿ってあり、・・・
 溝は明らかに線路向こうの玉川上水につながっており、すなわち野川に不自然に豊かな水量の印象を与える過剰の水が、結局多摩の本流の水であることを意味する。』

 というところです。即物的にいえば、玉川上水と貫井神社までは1.5キロは十分あります。そんなに簡単に溝をたどれるような距離ではありません。また、江戸時代は玉川分水を引いて新田開発をし、近くに水車場を設置したこともありますが、武蔵野夫人が書かれた頃、どうなっていたのかの疑問です。

 何となく、玉川上水と野川をつなげる文学的所作があったのでしょうか?

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貫井神社には、今も、こんこんと水が湧いている。

不思議なこと 2

 国木田独歩は「武蔵野」や「鎌倉夫人」を書きました。大岡昇平の「武蔵野夫人」は当初「武蔵野」として書かれ、後に「武蔵野夫人」になったそうです。

 前田 愛さんが、小学館「群像日本の作家 19 大岡昇平 武蔵野夫人」で玉川上水と野川の脈略と合わせ、『独歩の「武蔵野」へのひそかな対抗意識にあったのではないか p162』と書いていますが、どうなのでしょう。

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はけの道の住宅は日毎のように変わる。独歩や大岡昇平はどんな風に見ているのだろう。

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