武蔵野夫人

  大岡昇平 武蔵野夫人 勉と道子は野川の源流を求めて国分寺市内に入ります。今はすっかり周囲が住宅で埋まっていますが、中世には鎌倉街道の宿場があったという、地域全体が大きな窪地になっている地域に出ます。それを遮るように堤ができて、JR中央線の線路が走っています。

 『地図に水源地とされている鉄道の土手は、遠く流域の涯(はて)を限っていた。しかし右手斜面に近く、土管が大きな口を開けて、そこから白く水の落ちている様が望まれた。勉は、

「何だ。水源は線路の向こうらしいや」・・・』

と、作中に書かれたところです。

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土管はしっかりしたコンクリートのトンネルになっているが
白く水が落ちている。

 主人公の二人は、この土手を登ります。

 『線路の土手を登ると向こう側には意外に広い窪地が横たわり、水田が発達していた。右側を一つの支線の土手に限られた下は萱(萱)や葦の密生した湿地で、水が大きな池を湛えて溢れ、吸い込まれるように土管に向かって動いていた。これが水源であった。』

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残念ながら、現在、線路の向こうは林で、日立中央研究所になっている。
野川の水源はその敷地の中にある。


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多分、源流の水源は湿地で、いつの間にか水がしみ出ているような場所だろう。
それが「はけ」になって「池」になっていたのではないだろうか。
写真の場所は、個人のお宅だが、トンネルのすぐ近くにある。


日立中央研究所の池は人造池に拡張されている。

当時の池の周囲は水田で、景観は大きく開かれていたはずである。

 ここに来て、作者はこれまでのお膳立てを解いて、一挙に山場を作ります。

 『土手を斜めに切った小径を降りて二人は池の傍らに立った。水田で稲の苗床をいじっていた一人
の中年の百姓は、明らかな疑惑と反感を見せて二人を見た。
 「ここはなんてところですか」と勉は訊いた。  
 「恋ヶ窪さ」と相手はぶっきら棒に答えた。  
 道子の膝は力を失った。その名は前に勉から聞いたことがある。「恋」とは宛字らしかったが、
伝説によればここは昔有名な鎌倉武士と傾城の伝説のあるところであり、傾城は西国に戦いに行
った男を慕ってこの池に身を投げている。
 「恋」こそ今まで彼女の避けていた言葉であった。 しかし勉と一緒に遡った一つの川の源がそ
の名を持っていたことは、道々彼女の感じた感情がそれであることを明らかに示しているよう
に思われた。』

 清冽な「はけ」の精が「池」で自分の正体を知り、それを現実の地名と伝説に合わせる目論見に拍手です。
 この後、別の日には、狭山丘陵を訪ね、村山貯水池に来て嵐に出会い、夜ホテルに泊まる羽目になります・・・。
 小説の粗筋や結末を書くのは野暮の骨頂です。  
 
 古風なのか、地の中をくぐり抜けて湧き出すたくましさなのか 、何ともいえぬ独特さで、読むたびに「はけ」の魔力に引き込まれます。「はけ」の清水から生まれ出た精と思わせる女主人公が、あわや瀕死の現実の「はけ」に重なって、世紀末の危なっかしいヒトの姿を思わせるからでしょう。

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「武蔵野夫人」のモデルになった所といわれる 滄浪泉園(そうろうせんえん)の泉
深い武蔵野の色をとどめている(東京都小金井市)。


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