スモーク ★★☆
(Smoke)

1995 US
監督:ウエイン・ウオン
出演:ハーベイ・カイテル、ウイリアム・ハート、フォレスト・ウイテカー、ストッカード・チャニング



<一口プロット解説>
オーギ(ハーベイ・カイテル)が経営する角のたばこ屋にやって来る人々達のかかわりを描く。
<雷小僧のコメント>
正直に言えば、私目は煙草を吸わないので煙草の煙があがると逃出す方なのですが、タイトルが「スモーク」であるにも係わらずこの映画はなかなか感心して見ることが出来ました。それは、最近の映画にしては珍しく中景的な描写が大変素晴らしいからです。この中景的という言葉の意味を説明する必要があるように思いますが、これは日野啓三氏か誰かが何かの本で書かれていた言葉で、要するに共同体的なコノテーションが機能するレベルということであり、「スモーク」ではこのレベルがうまく表現されているのですね。別のレビューでも書いたことなのですが、氏によれば、現代という時代は非常に遠景的抽象的な側面が強くなるか、逆にあまりにも個人的な側面が強くなるかの両極端に傾くきらいがあり、その中間レベルがごっそり抜けてしまう傾向があるということです。たとえば、この映画の舞台となっているニューヨークを例にとれば、そそり立つ摩天楼という巨大な構築物や巨大企業が我が世を謳歌しているような側面と、それとは全く逆の個人的レベルでの消費生活だとかそういった側面にスポットライトがあたりがちになり、共同体的な中間的側面がきれいに抜け落ちてしまうわけです。この映画は、このごっそり抜け落ちた中間的側面にうまくスポットライトを当てているのですね。この映画が何か妙になつかしい感じがするのは、ニューヨークにもまだこういう類の生活が存在しているのかということに改めて気がつかせてくれるからだと思います。それでは、どういう生活かというのを次に説明してみましょう。
コンピュータソフトウエアのオブジェクト指向技術に多大な影響を与えたと言われる人に、建築家のクリストファー・アレクサンダーという人がいて、「パタン・ランゲージ」(鹿島出版会:平田訳)という著書があります。彼は、この著書の中で、都市或いは個人宅を住み易くするためにはどうしたらいいかについて253のパターンを挙げています。個々のパターンは実際は複雑に関連し合うのですが、アレクサンダーのこの考え方については機会があれば別のスペースで書きたいのでここでは詳しくは述べません。その253のパターンの中の1つに「かどの雑貨店(Corner Grocery)」というのがあります。一言で言えば、かどの雑貨店は近隣の共同体の絆のような位置を占めるものであり重要な共同体的役割を果たすということです。同書から引用すると(尚、これは私目雷小僧自身による訳です。日本語版は持っていませんので)、「最近、人々は地元のローカルストアへ足を運びたいとは思ってはいないように考えられています。けれども、この仮定は誤っています。実際、人々はローカルなかどの雑貨店に足を運びたいばかりでなく、かどの雑貨店は健康な近隣共同体を形成する上で重要な役割を果たしています。何故なら、かどの雑貨店は近郊に住む個人にとって便利であるばかりでなく、近隣を全体的な1つの共同体として構成するための潤滑油として機能するからです。以下省略」と述べられており、かどの雑貨店(煙草屋)が果たしている共同体的な役割が強調されています。「スモーク」が描写しているオーギが経営する煙草屋というのがまさにこれなのですね。
ところで、エドワード・ホール等の文化人類学者によれば、特にアメリカという国は、近隣共同体などというようなコンテクスト度の高いものに対してあまり高い評価を下してはこなかった国であるわけです。ホールがアメリカと正反対の高コンテクスト社会であるとして頻繁に例を挙げる日本にしたところで、最近はそういう傾向が強くなって、隣の人はなにする人ぞというような社会に変わっているわけであり、ある意味でそういう傾向が都市生活の荒廃化を一層進めているわけですが、アレクサンダー程の洞察力のある人がそういうことを見逃すわけはなく、かどの雑貨店などといった小さな存在が近隣共同体の成立にとっていかに重要な役割を果たしているかを「パタン・ランゲージ」の中で喝破しているわけです。「スモーク」という映画は、オーギ(ハーベイ・カイテル)が経営するかどのたばこ屋を中心にしてとりとめもない小さなドラマがその周囲で進展していくのを描いているだけのように見えますが、繰返しになりますがこの映画の一番素晴らしい点はこのアレクサンダー等が述べているような意味でこういう雑貨店が近隣共同体内で果たす役割をさりげなく且つ見事に描写している所にあると思います。画一的な都会のなかにあって、オーギの店の周囲だけがある意味を帯びて立ち現れてくる様子がよく分かるからです。又、くる日もくる日も同じ時間に同じ場所で、写真をとり続けるオーギの行為は、毎日のように変化していく都会の様相の中に普遍な何かを取り出そう或は残そうとする行為であり、まさにかどの雑貨店という特徴を見事に体現している行為であると言えるのではないでしょうか。逆の言い方をすれば、現代の都会にいかにこういう要素が欠如しているかを感じさせてくれる映画であると言うことが出来るように思います。配色をセピア色(ちょっと違うか)に統一しているのもなかなかいいですね。あ、それから全然関係ないのですが、アイパッチをしたストッカード・チャニングに注目しましょう。

2000/05/04 by 雷小僧
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