デーヴ ★★☆
(Dave)

1993 US
監督:アイバン・ライトマン
出演:ケビン・クライン、シガニー・ウイーバー、フランク・ランジェラ、ベン・キングスレー


<一口プロット解説>
或る日突然アメリカ大統領(ケビン・クライン)がコーマ状態に落ちてしまうが、政界の黒幕フランク・ランジェラは彼のそっくりさん(ケビン・クライン)をダブルにしたてる。
<雷小僧のコメント>
これはいわゆる間違えられたアイデンティティという物語パターンのバリエーションなのでしょうが、このパターンを踏襲してコメディにするとだいたいはずれがないのですね。最近こういうソフトタッチなコメディというのはそれ程多くはないので、この「デーヴ」はそういう点においても非常に貴重な映画ではないでしょうか。まあ監督のアイバン・ライトマンはどちらかというとこのタイプの映画を作るのが得意なようなので、まず極端にはずすということはないということが見る前から予想出来ますね。
さて、私目がこの映画に関して言いたいのは実はそういうことではなくて、この映画は間接民主制というか代議士による政治というか、そういった体制の問題点をうまくついてコメディに仕立て挙げているということです。どういう問題かというと、ある単位の団体がある人数以上になるとそれを運営する管理機構はその団体メンバーの代表者によってなされる必要があり、よって一般のメンバーにとってはその管理機構が抽象化された存在と化してしまうという問題です。大統領というのは、その代表者たる代議士達によって選出されるので一般ピープルにとってはより間接的な存在になってしまうということです。これは何も政治の世界のみに限られるわけではなくて、一般の会社でも同様なわけです。たとえば、町の小さな会社の社長さんは、その会社の社員から見ればより直接的な存在であるはずですが、たとえばビル・ゲイツという天下の悪者がいますが、マイクロソフト社の一般社員にとって彼が間接的な存在であるのは私目のようなマイクロソフト社外の人間にとって彼が間接的な存在であるのとそれ程変わらないはずです。存在が間接化すると、又シンボル(象徴)化が発生するのであって、シンボルというのは実は物の具体的実際的な側面というよりは抽象化された側面のいいなのです。こうしてたとえば、アメリカ大統領は具体的な政策というよりも如何にアメリカ大統領らしいかという観点がクローズアップされてくるわけです。また重要な点は、大統領の発言行動というのはかなり抽象化されたレベルで一般の人々からは捉えられるのが普通であり、あまりにも直接的な発言行動というのは最早大統領の言説としては取られなくなるということです。
実は「デーヴ」はこの点を逆手に取ってそのギャップでコメディに仕立てあげているのですね。たとえば、大統領のふりをしているクラインがあるロボット工場を視察するシーンがありますが、そこでクラインはロボットと戯れるのですが、本物の大統領であればまずそうはしなかったでしょう。またたとえしたとしても、それは庶民派大統領というようなシンボルを維持する為にそうしたはずです。ところが、実際は一般人であるクラインはそういう戦術でそうしているのではないのです。要するに彼の行動はより抽象化されたレベルで行われているのではなく、あまりにも直接的なレベルで行われているのであり、それは大統領としての言動/行動という範疇から完全に逸脱しているという点においてコメディが成立するわけです。こういうシーンが他にもたとえば孤児院訪問シーンであるとか色々あります。特に私目が挙げたいのが、クラインが全ての人々に職を与えるという途方もない政策をぶち挙げるシーンです。これが見ているこっちまでこっ恥ずかしくなるというのは、余りにもその内容が途方もないということもあるでしょうが、大統領の言説としては余りにも直接的過ぎるということから生じるのではないでしょうか。ことの是非はともかく、余りにも現実生活に根差したことを直接的に訴えるというのはシンボルとしての大統領の位置からは大きく逸脱してしまっているのではないかということです。確かに政治とは庶民の為の政治であるべきなのかもしれませんが、アメリカ大統領という1つのシンボルが指し示すものはそういう範疇を越えていると考えるべきではないでしょうか。比較的最近の映画に「アメリカン・プレジデント」(1995)という映画がありましたが、この映画もそういう点をうまく表現していたように思います。まあ、注意して見ているとこの映画はこういうギャップを巧妙に描いていますね。そのあたりが非常に面白いと言えます。
それから、クラインの起用は非常に良かったのではないでしょうか。何せ相手が男も裸足で逃げる女武闘派のシガニー・ウイーバー(ちょっと違うかな)なので、たとえば「アメリカン・プレジデント」(1995)のマイケル・ダグラスのように余りにもテンションの高い俳優を起用していたら、フィルムが摩擦熱で溶けてしまってコメディにならなかったでしょう。確かにこの映画ではウイーバーがあまり目立つシーンはないのですが、ある大統領補佐官がウイーバー演じるファーストレディは今ブレンマー(Bryn Mawr)で演説しているよと言うくだりがありますが、この辺にもウイーバーがバリバリのキャリアウーマンであることが暗示されています。これを理解するには、ブレンマーが何かを説明する必要がありますね(日本語訳ではどうなっていたのでしょうか)。私目は色々なアメリカ映画でブレンマーという言葉が出てくる度にいつも何じゃそりゃと思っていました。だいたい場所の名前であることは文脈から考えて明らかだったのですが、どういう場所かがよく分かりませんでした。最近になってあるアメリカ人に聞いてようやくその素性が分かりました。ブレンマーというのはアメリカの東部にある有名な女子校だそうで、所謂お譲さん学校とは正反対の質実剛健なキャリアウーマンの養成校として有名だということです。要するに鋼鉄の心臓を持つマーガレット・サッチャーのような人物の育成を目指すといったところでしょうかね。従って、ブレンマーという言及がなされた時には質実剛健キャリアウーマンというようなコノテーションが常に含まれると思って間違いないようです。ところでマイケル・ダグラス主演にもかかわらず「アメリカン・プレジデント」が所謂ロマンティック・コメディとして成立し得たのは、ダグラスのお相手のアネット・ベニングという女優さんが非常に女性的なマイルドな人だからであり、これがウイーバーであったらとんでもないことになっていたでしょうね。この点どちらかというとやさ男風でどこか抜けている雰囲気のあるクラインはウイーバーによくマッチしているし、コメディにも合っていると言えます。まあ、いずれにしてもこの「デーヴ」は家族揃って見ることが出来るという近年稀にみる映画であると言えます。

1999/04/10 by 雷小僧
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