わが恋は終りぬ ★☆☆
(Song Without End)

1960 US
監督:チャールズ・ビダー
出演:ダーク・ボガード、キャプシーヌジュヌビエーブ・パージュ、マーチタ・ハント

左:キャプシーヌ、右:ダーク・ボガード

小学校や中学校の音楽室には、バッハやヘンデルから始まってモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ヴァーグナー等を経て20世紀のストラビンスキーやショスタコーヴィチに至るまでの大作曲家の肖像画が壁にずらりと飾ってありました。その中には、勿論「わが恋は終りぬ」の主人公フランツ・リストの肖像画もありました。ところが、よくよく考えて見るとそれらの偉そうな顔をして実際に偉い大作曲家達の中で、フランツ・リストのみは音楽家としてはやや例外的な面を持っています。というのも、この作品を見ても分かるように、彼は少なくとも生存中は作曲家としてよりも演奏家として遥かによく知られていたからであり、確かに「わが恋は終りぬ」でも演奏されるハンガリー狂詩曲やピアノ協奏曲(曲の途中でトライアングルがチンチン鳴るのでトライアングル協奏曲と揶揄されることもある曲です)などの現在に至るまで知られ演奏され続けている曲も少なからずあり、また交響詩などというヌエのようなジャンルに属する曲を本格的に作曲し始めたのも彼であったとはいえ、基本的には他の大作曲家に比べると作曲家としては質量ともにイマイチという印象があります。「わが恋は終りぬ」にも、演奏家としては自信満々で向かうところ敵なしの彼が、ヴァーグナーの曲を聞くや否や彼に滅私奉公するようになるエピソードが挿入されており、それによってもリストという音楽家の当時の作曲家としての位置付けが理解できます。そのフランツ・リストを演じているのが、個人的な贔屓である名優ダーク・ボガードです。彼は、時々いかにも世の中全てを蔑むような表情をすることがありますが、それが自身満々な演奏家であったリストのポートレイトをうまく浮かび上がらせているように思われます。しかしながら、メロドラマ的なストーリーには起伏がなく平板であり、また後述するように当作品を監督中に亡くなるベテランのチャールズ・ビダーが監督していることもあってか、1960年製作の作品であるとしても全体的にかなり古臭い印象を受けます。従って、この映画の半分くらいを占める(これは少しオーバーか)演奏シーンがなければ、極めてだるい作品であったかもしれません。セリフが歌われるミュージカルは個人的に全く好きではありませんが、「わが恋は終りぬ」のように音楽演奏シーンが次から次へと繰り広げられる作品はまんざら悪くはありません。たとえば、「アマデウス」(1984)のような映画が好きな音楽ファンには興味がそそられる作品であることには間違いがないでしょう。また、「アマデウス」同様、衣装やインテリアにも目を見張るものがあり(キャプシーヌやジュヌビエーブ・パージュの着る衣装が目立ちます)、要するに、「わが恋は終りぬ」はストーリーよりも視覚的、聴覚的な効果に注目すべき点の多い作品であるということです。この作品で1つ疑問な点は、少なくともリストが生きていた時代には他の誰にも弾けないと評された超絶技巧ピアノ曲をまさかダーク・ボガード自身が本当に弾いているはずはないのに、顔と手が同時に写る横からのショットでは明らかにダーク・ボガード本人の手が動いていることです。弾く真似をしておいて後から音をダブらせているものと考えられますが、素人の小生には本当に彼が弾いているように見えます。とはいえ、ピアノが弾ける人には、フェイクであることがすぐに分かるのでしょうね。クラシック音楽をアレンジしたバックグラウンド音楽か、或いは演奏シーンかのいずれかにより音楽が常に流れている、まさに音楽を堪能できる作品であることには間違いがありません。尚、監督のチャールズ・ビダーは、フランツ・リストと同じくハンガリー出身であり、この作品の撮影中に亡くなります。作品は、ジョージ・キューカーの手によって完成されたそうです。


2004/11/13 by 雷小僧
(2008/10/15 revised by Hiroshi Iruma)
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