血を吸うカメラ ★★☆
(Peeping Tom)

1960 UK
監督:マイケル・パウエル
出演:カール・ベーム、アンナ・マッセー、モイラ・シアラー、マクシン・オードリー

左:カール・ベーム、右:モイラ・シアラー

恐ろしく強烈なインパクトのある作品です。「血を吸うカメラ」という邦題からは、低予算五流ホラー映画であるかのような印象を受けますが、それは全く違います。原題は「Peeping Tom」であり、要するに覗き魔が主人公なのです。などと言うと、やはり五流ではないかと疑われるかもしれません。しかし、この作品に登場する覗き魔は単なる出刃亀ではなく、好青年の顔を持つウルトラモンスターであり、チンケな性犯罪者などではないのです。いずれにしろ、低予算であるかどうかは別として、この作品は通常の意味におけるホラー映画でもなければ五流でもありません。それどころか、当時の、というよりも現代のモラルスタンダードですら逆撫でするかのようなモラル的にグロテスクな内容により、公開当時大きな物議を醸し徹底的に批判され、70年代の後半に入りマーティン・スコセッシらにより再評価され、それ以来いわゆるカルトクラシックと見なされるようになった経緯を持ついわくつきの作品なのです。精神異常の主人公(カール・ベーム)が、一人また一人と女性を殺害しますが、ただ殺害するだけではなく殺害の瞬間をフイルムに収め、尚且つカメラの前方に取り付けられた鏡によって死んでいく姿を被害者当人に見せながら殺害するのです。エグイと云えばこれ以上ないほどエグイ映画で、現在のバイオレンス映画に見飽きたオーディエンスであっても、このようなグロテスクな提示のされ方で見せられると、必ずや強烈なインパクトを受けること請け合いです。しかしながら、この作品の先見性は単に精神異常を扱っているという点にのみあるのではなく、そのような異常な犯罪が普段はいかにも温厚そうな普通の人間によっても実行され得ることが暗示されている点にもあります。この点に関しては、カール・ベームという役者さんの起用に負うところが大きいと考えられます。ご存知の通り、彼は同名の大指揮者カール・ベームの息子さんでドイツ出身であり、故意か否かは別として英語の発音が舌足らずなところがあり、いかにも朴訥でシャイな青年に見えます。また、父親譲りの柔和な丸顔はどう見ても精神異常者のそれではなく、世間一般にどこにでもいるまともすぎる程まともな好青年という印象があります。たとえば、「血を吸うカメラ」と同年に公開されたヒッチコックの「サイコ」(1960)でも主人公のノーマン・ベイツは精神異常者ですが、両作品が製作されてから40年以上経った現在から見た場合、「サイコ」がいかにも映画的なドラマツルギーとショーマンシップに溢れた作品であったのに対し、「血を吸うカメラ」の方は映画的なドラマツルギーを越えた未来予見的でリアルな社会性(と云うより非社会性)を持っていたことに思い当たります。日本でも70年代以後、外見は普通に見えるオタク青年による異常な犯罪が散見されるようになりますが、異常犯罪を犯す人間とは必ずしも外見や普段の素行から直ぐに異常であることが分かる人間であるとは限らないということが、その後の世の中の推移からも証明されています。60年代初頭に製作された作品の内容から、そのような傾向が読み取れるのは少なからず驚きであると言えば大袈裟でしょうか。また主人公が片時もカメラを手放さない点も実に興味深いものがあります。彼は常にカメラを通した視点から世の中を見ており、カメラが本人とリアルな外界との間のスクリーン機能を果たしているのです。ここでは、カメラは単に外界を写す為の道具ではなくなり、外界を写す行為の主体であるはずの人間が持つ認識様式を逆に支配し歪曲し狭量化し固定化しているのです。「メディアはメッセージである」という有名なマーシャル・マクルーハンの命題が、ここでも見事に当て嵌まります。というわけで、誰にでもお薦め出来る映画では全くありませんが、良い意味にしろ悪い意味にしろ強烈なインパクトのある作品であることに間違いはありません。


2002/09/22 by 雷小僧
(2008/10/14 revised by Hiroshi Iruma)
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