私は死にたくない ★☆☆
(I Want to Live)

1958 US
監督:ロバート・ワイズ
出演:スーザン・ヘイワード、サイモン・オークランド、バージニア・ビンセント、セオドア・バイケル

上:スーザン・ヘイワード

スーザン・ヘイワードがアカデミー主演女優賞に輝いた作品であるとはいえ、テーマが死刑ということもあって、死刑執行が秒読み段階に入る後半は、加速度的に雰囲気が重たくなります。確かに優れたドラマ作品であるかもしれませんが、余りにもテーマが重過ぎ、繰り返し見たくなるかと問われればノーと答えざるを得ないでしょう。殊に、主人公のバーバラ・グラハムが死刑になる直前の最後の10分程は、異常な緊張が強いられ、最初にこの作品を見た際には何たる映画かと思ってしまいました。死刑に至るシーケンスが必要以上にリアルに描かれているのが恐ろしく効果的です。そのようなテーマにも関わらず、重たい音楽ではなくジャズ系の軽い音楽がバックグラウンドに流されているのが、妙に印象的でもあります。重たい音楽が使用されたとすると、作品全体があまりにも沈鬱になり、映画を見ることが楽しみではなく逆に拷問に思われるのを恐れたということか、或いは軽いジャズ系のバックグラウンド音楽と重いストーリーのギャップがむしろ効果的であるということか、いずれにせよそのような組合せがオーディエンスに不思議な印象を与えることは間違いないところです。死刑がテーマとして取り上げられている作品といえば、最近では「グリーン・マイル」(1999)がありました。「私は死にたくない」が実話であるのに対し、「グリーン・マイル」はファンタジー色の濃いフィクションであるという相違がある為、この2作品を厳密に比較してもあまり意味はないかもしれませんが、死刑がテーマとして取り上げられている作品はテーマがテーマだけにそれほど多くはないはずなので、どうしても連想せざるを得ないところです。「私は死にたくない」は、実話が元になっているだけあってリアルさに力点が置かれており、白黒画像によるドキュメンタリータッチが極めて効果的に機能しています。そのことは、同じ死刑がテーマであっても、基本はファンタジー映画であり緊張感の醸成が主な目的ではない「グリーン・マイル」と比べるとより明白になります。ところで、死刑がテーマとして取り上げられているこれら2本の作品を見ていて気が付くことの1つに、死刑が一般公開されていることが挙げられます。我々現代の日本人には、死刑は刑務所のどこか奥深くで誰にも知られずにひっそりと取り行われているはずだという印象があり、また実際、現在では、死刑が廃止されている国も多いことは別としても、独裁者が支配しているような国を除けば、死刑が一般公開されることはまずないはずです。しかしながら、かつては、権力者が自らのパワーを誇示する為にも、死刑は衆人環視の下で行われることが一般的だったのです。ご存知のように、文明国と見なされていたはずのイギリス(イングランド)にすら、タイバーンなどという公開処刑場がありました。ミシェル・フーコーなどに言わせれば、死刑を含めた様々な制度慣習の官僚制度内への囲い込みは、17世紀であったか18世紀であったかに発生した文化パラダイムの変換、すなわち知の組み替えによって既にかなり高度に達成されていたことになりますが、実はそれ以前の時代には、被害者の受けた苦痛と同程度の苦痛が目には目を式に犯罪者に加えられ、衆人環視の下でそれが確認されることが正義であると考えられていたのです。また、観衆に教育的効果を与える為には、犯罪人が苦痛を覚えずにすぐに死んでしまっては意味がないと見なされていたが故に、わざと長引かされた死に至る拷問が白日の下に行われていました。現在の観点からすると、このような見せしめ行為は野蛮で非文化的で非理性的な無知蒙昧のなせるわざであるように見えるかもしれません。が、実はかつてはそのような方法で犯罪者を罰することこそが理性的であると考えられていたのであり、当時の基準からすれば非文化的どころかそれこそが文化的だったのです。「グリーン・マイル」で、憎しみに充ちた被害者の身内が、犯人(実は犯人ではありません)が電気椅子で死刑になる一部始終を見届け、被害者が味わったと同じ苦しみを味わうがよいという主旨の言を述べるのは、かつての文化的なあり方が20世紀になっても残っていることが示唆されているとも考えられます(「グリーン・マイル」の時代設定は1935年です)。「私は死にたくない」の場合には、新聞記者達がガス室を覗き込むようにして死刑執行の様子を「見物」していますが、これは扇情的なジャーナリズムの節操の無さが示唆されているというよりも、むしろ死刑という制度がかつて持っていた本質を表現していると見なすべきかもしれません。というわけで、テーマがテーマだけに話が陰惨にならざるを得ませんが、「私は死にたくない」という作品は、・・・むむむ、やはりこの邦題が示すように恐ろしく陰鬱であると言わざるを得ないでしょう。従って★☆☆の評価です。些細な点ですが、原題の「I Want to Live」と邦題の「私は死にたくない」の間には、結局意味は同じであるとしても、アメリカと日本の文化的見方の相違が少なからず透けて見えるような気がします。というのは、「私は死にたくない」という言い方には生きていることが当然の状態、或いは自然に与えられた権利であり、他がどうであろうが死だけは免れたいというかなり受動的な意味合いがあるのに対し、「I Want to Live(私は生きたい)」という言い方は、まず生きる意志があってこそ生きることに意味があるという能動的なニュアンスが伝ってくるからです。


2003/05/10 by 雷小僧
(2008/10/12 revised by Hiroshi Iruma)
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