ニューヨークの恋人 ★★★
(Kate & Leopold)

2001 US
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:メグ・ライアン、ヒュー・ジャックマン、リーヴ・シュレイバー、ナターシャ・リオン

左:メグ・ライアン、右:ヒュー・ジャックマン

この作品は、メグ・ライアンという女優さんの持つクオリティがどこに存在するかを明瞭に示している一編であると言えるでしょう。彼女には或る意味で無邪気で非常に子供っぽい雰囲気がいくつになってもありますが、そのような彼女の特質がこの作品ではうまく引き出されているように思われます。所謂ロマンティックコメディの系譜に属する作品ですが、タイムスリップというSF的要素も程よく加味されていて(程よくとはそのようなSF的要素が大きく誇張されることはないというような意味です)、バランスが非常に良い映画に仕上がっていると言えるでしょう。ゴージャスブロンドであるにも関わらずメグ・ライアンには人を寄せ付けないというようなイメージが全くなく言わば親しみ易い雰囲気がありますが、ロマンティックコメディという関連で言えば彼女を見ているとどうしても同じようなクオリティを持っていたドリス・デイを彷彿とさせてしまうのですね。ドリス・デイという女優さんは、相手がケーリー・グラントであろうが、クラーク・ゲーブルであろうが、はたまたロック・ハドソンであろうが、彼らのカリスマ的威光の背後にエクリプスされてしまうということがなかった希有の女優さんですが、それは何故かというと彼女自体彼らに匹敵するカリスマを持っていたということではなく、むしろ彼女の依って立つ基盤が人を寄せ付けないような所謂伝統的な意味におけるスター性(殊に女優さんに対してこれが当て嵌まり、たとえばケーリー・グラントやジェームズ・スチュワートが持っていたスター性は人を寄せ付けないようなスター性であるとはとても言えないので男優さんの場合は事情は若干異なるかもしれませんね)という領域にあったわけではないという点にあるように思われます。彼女のこのような特質に関しては「スリルのすべて」(1963)のレビューに書きましたのでここでは繰り返しませんが、もし彼女の依って立つ基盤が伝統的な意味におけるスター性にあったとしたならばやはりケーリー・グラントやクラーク・ゲーブルが相手では歯が立たなかったであろうことは明白です。要するにドリス・デイという女優さんは演ずる相手が誰であろうが、自分の特徴を活かせるような特徴(むむ!同語反復的ですねこの言い方は)を兼ね備えていたと言え、その特徴というのはカリスマ性に対してカリスマ性を持ってガチンコ対抗させるといったような性質に由来するのではなく、それとは別の次元で自分のパーソナリティを引き出せるような特質に由来するわけです。さて、翻ってメグ・ライアンはどうであるかと言うと、勿論現在の映画界にはケーリー・グラントやクラーク・ゲーブル、或いはロック・ハドソンにすら匹敵するようなカリスマ的スター性を持つ男優さんは存在しなくなっているので実地検証は不可能ですが、少なくともロマンティックコメディというテリトリーの中ではドリス・デイと同様なことが言えるのではないかと思われます。彼女の人気故に彼女には古典的な意味におけるスター性が備わっていると考えるとすると実は必ずしもそうではなく、メグ・ライアンの魅力はむしろ古典的な意味におけるスター性という観点では勝負しようとはしていないという点にあるように思われ、それがドリス・デイと非常に似た印象を与えるのですね。この「ニューヨークの恋人」を見ても分かる通り、相手役のヒュー・ジャックマンが貴族的出で立ちで現れるのとは対照的に、いかにもその辺のどこにでもいそうな普通の女の子(いや彼女の年齢を考えればむしろ普通のオバサンと言うべきか)というような雰囲気で登場します。しかし間違ってはならないのは、それならばその辺の街中を闊歩している普通の女の子が誰でも彼女の代りになるかというと、そうは絶対にならないのですね。それは何故かというと、その辺の街中の普通の女の子が演技など出来るはずはないではないかという点はひとまず置いておいたとしても、スクリーン上に登場する普通の女の子らしく見える女の子というのは、街中にいる普通の女の子とは出現するコンテクストが全く異なる為コノテーションが全く違うからです。たとえば、もしドキュメンタリー映画以外の映画の中で街中の普通の女の子がそのまま映画中に役を持ったアクターとして出現したならば、彼女はその映画のコンテクスト内においては普通の女の子として扱われるどころか、奇怪な存在と化すことは必定なのですね。すなわち、映画というコンテクストの中で普通の女の子を演ずることは、引退したキャンディーズが願っていたような実生活上で普通の女の子たることとは全く意味が違うわけであり、前者は極めて困難なのですね。それをあたかも当然のこととして演ずることが出来るだけではなく、それを1つの魅力にしてしまうメグ・ライアンは、やはりただものではないのです。その点を考えて見ると、そのようなイメージから抜けようという意図が明白に見える最近の彼女のあがきには、どうしても「うーーん少しそれは難しいのではないかな」という気がしてしまうのですね。だからこそ、この「ニューヨークの恋人」のようなまさに彼女向けの映画に出演して水を得た魚のようであるのを見るのは嬉しいところです。確かに年齢が気にはなりますが、ロマコメに主演する女優さんは伝統的に言っても若い女優さんではなく、キャサリン・ヘプバーンなどは50になっても「Desk Set」(1957)のような素晴らしいロマンティックコメディに出演しているわけでありあと10年は大丈夫でしょう。え!その後はどうすれば良いのかって?その後はセルマ・リッターになるという手があります。最後に共演のヒュー・ジャックマンについて一言言及しておきます。私目はアクション映画は好んで見ないので現在のところまでアクション映画への出演がメインである彼はこの「ニューヨークの恋人」でしか見たことがないのですが、確かにこの映画ではメグ・ライアンの相手役として型にはまったキャラクターを演じているだけであるとは言えどもそれなりの独自性をそれでも持っているように思われ、「世界一セクシーな男」とか何とかいう宣伝文句に乗って受けの良いアクション映画にばかり出演しているのは勿体ないような気がしますね。一作のみしか見ていないので本来の実力は良く分かりませんが、是非アクション映画以外の作品にも出演して本来どの程度の実力があるかを見せて欲しいものです。


2004/09/12 by 雷小僧
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