地底探検 ★★☆
(Journey to the Center of the Earth)

1959 US
監督:ヘンリー・レビン
出演:ジェームズ・メイスン、パット・ブーン、アーレン・ダールダイアン・ベイカー

左:アーレン・ダール、中:パット・ブーン、右:ジェームズ・メイスン

ガキンチョの頃夢中になって読んだ本の一冊として挙げられるのが、ジュール・ベルヌの一連の冒険小説です。「地底探検」はそのジュール・ベルヌの冒険小説の映画化であり、ガキンチョにはまさにもってこいの映画です。個人的にも、ガキンチョの頃TV放映でこの作品を見てハラハラドキドキしながら見たのを覚えています。但し、心がいじけてクリティックの塊と化した大人になってからこの作品を見ると、いかんせん古臭い印象は免れず、もう一工夫欲しかったなどとシニカルで偉そうな感想を抱いてしまうのは致仕方のないところかもしれません。とはいえ、この作品はベルヌの、というより子供が楽しんで読む冒険小説のエッセンスを少なからず残しており、この手の冒険映画を見た時に覚えるワクワク感がかなり期待できます。1つの理由は、想像力に訴えかけることの重要さが忘れられておらず、冒険小説を読んでいる時に働く想像力の飛翔効果が無碍に妨げられることがないからです。たとえば、地底探検隊一行が地下の大海原に出くわすシーンがあります。地球の内部に海があるなどとは恐らくガキンチョですら思わないはずとはいえ、このようなシーンの挿入は、その意外性によってオーディエンスのイマジネーションを効果的に刺激します。地底にある巨大キノコの林などは(上掲画像参照)、見ていて楽しくなります。注意する必要があるのは、基本的にはビジュアルなメディアである映画は、そうでない小説などと比べるとオーディエンスがイマジネーションを働かせられる余地がかなり限定されていることです。なぜならば、情報量の稠密なビジュアルイメージが、紛れも無く眼前に提示されるからです。ビジュアル偏重の現代の映画に特に欠けている点の1つは、オーディエンスのイマジネーションをいかにしてかきたてることができるかに関する配慮なのです。具体例を挙げてみましょう。「地底探検」と同じように、地球の中心に向かって旅をするストーリーがメイン部分をなす「ザ・コア」(2003)という映画が最近公開されていました。確かに、「ザ・コア」はパニック映画に分類されるべき作品であり、冒険小説が原作の作品ではないので多少割引いて考える必要がありますが、「ザ・コア」のストーリーが急速に失速してしまうのは地球の中心に向かって旅をする後半の肝心要のメインストーリーの部分においてです。なぜ、失速するかというと、一番オーディエンスにワクワク感を与えなければならない、すなわちオーディエンスがイマジネーション溢れる展開をいやでも期待するはずの地球の中心に向かう冒険ストーリーの描写に、想像力に訴えかける要素がほとんど見られないからです。コンピュータグラフィックで描かれる地球の内部の様子は、ほとんどイマジネーション欠乏症の状態にあり、何とかリアリスティックに地球の内部を表現しようとする努力は認めたとしても、リアルどころかそれとは全く正反対の現実感の希薄なビジュアル効果だけの手触りの全く感じられない、またそれ故イマジネーションを飛翔させることが極めて困難なまことに味けない映像と化してしまっているのです。今回同時にレビューした「月世界探検」(1964)のレビューの中で、現在ではテクニック的に色褪せて見えたとしてもレイ・ハリーハウゼンの特殊効果がなぜ有効なのかについて述べましたが、彼が偉大であるのは、オーディエンスのイマジネーションの飛翔を促進させる効果が、彼一流の手法により見事に得られているからです。ということで、冒頭で述べたように全体的にやや古臭さがあることは否めないことと、冒険小説の映画化としてはペースがスローであるという印象があるなどのマイナス面はありますが、ガキンチョの頃の虚心坦懐さを持って見れば必ずや楽しめるであろう、古き良き冒険映画の1つであることには間違いありません。


2004/04/10 by 雷小僧
(2008/10/13 revised by Hiroshi Iruma)
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