ガープの世界 ★★★
(The World According to Garp)

1982 US
監督:ジョージ・ロイ・ヒル
出演:ロビン・ウイリアムズ、グレン・クロース、メアリー・ベス・ハート、ジョン・リスゴー

前左:ロビン・ウイリアムズ、前右:グレン・クロース、後:ジョン・リスゴー

「ガープの世界」を最初に見たのは、オールナイトの映画館においてでした。終電の時間が過ぎたので、仕方がなく映画館にお泊りすることにしたわけです。深夜から朝にかけて2回見ましたが、あまりにも眠いのと、主演の二人、すなわちロビン・ウイリアムズとグレン・クロースは、当時ほとんど無名だったので「あれは誰かな?」という按配でほとんどの時間をスヤスヤと居眠りしていました。但し、主人公ガープ(ロビン・ウイリアムズ)の生れた海岸沿いの一軒家の周囲を筆頭とする晴れ渡った景色が随分とビューティフルであり、独特な雰囲気を持つ作品であるように半分眠った脳味噌の片隅で思っていました。勿論、ビデオ購入後は繰り返して見ていますが、第一印象は全く変わらず、作品の独特な雰囲気は何度見ても色褪せることがありません。それどころか、個人的には、「ガープの世界」は、監督ジョージ・ロイ・ヒルの集大成であると考えていて、彼の最高傑作いやそれどころか映画史上の最高傑作の中の1つであるとすら考えています。「ガープの世界」の独特な雰囲気はいったい何に由来するのか考えた時にまず頭に浮かぶのは、登場人物の特異性や畸形性、或いは彼らの突然の死などの極めて非日常的でアブノーマルな側面が、ビューティフルでアポロン的な静謐さを持つ舞台を背景として描かれていることです。ジョージ・ロイ・ヒルの持つそのような特質は、有名な「明日に向かって撃て」(1969)でも既に見て取ることができ、そこではビューティフルなビューティフルな舞台を背景として、ポール・ニューマン及びロバート・レッドフォード演ずる二人のアウトローが最後には蜂の巣になります(「俺達に明日はない」(1967)のように、主人公が蜂の巣になるビジュアルシーンは挿入されていませんが)。また、70年代の「華麗なるヒコーキ野郎」(1975)では、コメディ的な展開から突如女曲芸師(スーザン・サランドン)がアクロバット飛行の最中に墜落死し、いかにもアッケラカンと人が死にます。それは、「ガープの世界」でも同様であり、よくよく考えてみるとこの作品は相当に残酷な映画でもあるのです。主人公のガープもその母(グレン・クロース)も共に最後は射殺されます。前者の場合、撃たれてヘリコプターで運ばれるラストシーンでは、まだ奥さん(メアリー・ベス・ハート)と話をしているので必ずしも死んではいませんが、「僕は今空を飛んでいる」という意味の最後の彼のつぶやきは、明らかに赤ん坊の彼が宙を舞う印象的なオープニングシーンと繋がっており、宙を舞う或いは空高く駆け昇るイメージにより、生と死の関係が見事に表現されていると考えられます。元来、知人の予期せぬ死とは、社会に、或いは遺族の感情面に様々な不均衡を刻印するのであり、そのような不均衡を均衡化する為に葬式などの儀式が存在するのです。ところが、「ガープの世界」やジョージ・ロイ・ヒルの他の作品においては、不思議なことに主人公の予期せぬ死が、オーディエンスの心の中に不均衡を生み出すことがありません。かつてミッチャーリヒが、「失われた悲哀」(河出書房)という本の中で、現代における喪の悲哀の喪失がもたらす悲劇的な側面について述べていましたが、「ガープの世界」では、喪の悲哀が、喪失する以前にそもそも存在すらしていないように思われます。にもかかわらず、不思議なことに一種のカタルシスがあるのです。なぜ不思議であるかというと、カタルシスとはそもそも何らかの喪失が先にあって、その喪失が昇華される過程を通して発生するはずだからです。それに対して「ガープの世界」の持つカタルシスは、アポロン的に静謐なバックグラウンドから直に発生しているように思われ、いわばフォアグラウンドで起こる悲劇的なドラマが、アポロン的なバックグラウンドによって見事に昇華されている印象を受けます。作品の独特な雰囲気は、この点に由来するのではないでしょうか。ところで、「ガープの世界」に登場する人物の多くは畸形であると見なせます。校長先生が卒倒するような出生の秘密を持つ主人公ガープ自身やその母もそうですが、性転換したフットボーラー(ジョン・リスゴー)や、自ら舌をかみ切った少女達、或いはラストシーンで何の理由もなくガープを拳銃で撃つ彼の幼なじみなど、ほとんどの登場人物が悲劇的であると同時に喜劇的であり、ノーマルな均衡した人物ではないのです。かくして、登場人物が極めて不均衡であるが故に、本来はどこかにカタルシスがなければ、オーディエンスは喪の悲哀を昇華できないことになるにも関わらず、作品のプロット展開そのものには、それはほとんど組み込まれていません。しかしながら、別の次元でそれは達成されるのです。すなわち、生まれたばかりのガープが宙に舞う冒頭のシーンと、ラストシーンの「僕は今空を飛んでいる」というつぶやきが連結されることにより、生の死への昇華、或いは死の生への昇華が、輪廻の観念のようなものとして示されているのです。加えて、悲愴性/畸形性/非均衡性に彩られたフォアグラウンドに対して、静謐性/均衡性に彩られたバックグラウンドが対置される特異な二重構造がもたらす効果、言い換えるとフォアグラウンドの非均衡性がバックグラウンドの均衡性によって昇華される構造的な特質により得られる効果が、極めて有効に機能しています。本来、悲劇作品のバックグラウンドは心理効果を得る為に暗いイメージによって描かれがちですが、「ガープの世界」ではそれがまったく逆に扱われているということです。まさにそのような点が、「ガープの世界」をかくもユニークで且つ独特な雰囲気を持つ作品たらしめているのです。ジョン・アービングの原作は読んでいませんが、原作との比較がどうであろうと、この作品は映画史上最高傑作の1つと見なしても良いのではないかとすら考えています。


2003/02/01 by 雷小僧
(2008/12/19 revised by Hiroshi Iruma)
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