バウンティフルへの旅 ★★☆
(The Trip to Bountiful)

1985 US
監督:ピーター・マスターソン
出演:ジェラルディン・ペイジ、ジョン・ハード、レベッカ・デモーネイ、カーリン・グリン
左:ジェラルディン・ペイジ、右:レベッカ・デモーネイ

名女優ジェラルディン・ペイジの最晩年の出演作ですが、この作品で見事にオスカー(主演女優賞)を受賞します。それまで3回主演女優賞に、4回助演女優賞にノミネートされていますが、これが最初で最後の受賞ということになります。まあそのペイジの好演が光る映画ではありますが、興味深いのはやはりその内容であり、いかにも80年代というストーリー展開を持つ作品です。というのも、よく他のレビューでも書いていることですが、殊にロバート・レッドフォードが監督した「普通の人々」(1980)が現れたあたりから、映画で扱われるドラマとは核家族的な設定が多くなり、この映画もそのバリエーションとして捉えることが出来るからです。但しこの映画では、両親と息子、娘の関係に焦点があるわけではなく、嫁姑の関係に焦点が当ります。普通に考えると、嫁姑の関係とは現代的な核家族に関する問題などでは全くなく、いにしえより存在する伝統的な問題ということになりますが、面白いことにこの映画では、その古来より存在する嫁姑の関係が、現代的な核家族問題というバックグラウンドの中で捉えられていることであり、それ故極めて80年代的だと言えるわけです。たとえば、この映画でお荷物とされているのは姑の方であり、昔であれば嫁と姑の仲が悪ければ「私、里へ帰らせてもらいます」と言わなければならないのは嫁の方であったのに対し、現代ではそのように言わなければならないのは姑の方なのですね。何故ならばこの映画が製作された80年代を皮切りとした現代においては「家」という考え方が希薄になった為に核家族化がとめどなく進行しているわけですが、その核家族という枠組みからはみ出すのは嫁ではなく姑の方だからです(それに対してかつては、「家」という考え方からはみ出すのは姑ではなく嫁の方であったことになります)。そういうわけで、この映画ではジェラルディン・ペイジ演ずる姑が、文字通り「里に帰る」ストーリーが展開されますが、明らかに1970年代以前であればこのような設定はほとんど考えられなかったはずです。それから1970年代と言えば、この映画は1970年代のロードムービーに影響されたような展開によってストーリーが語られているようにも一見すると見えますが、1970年代のロードムービーとこの映画には決定的な違いがあります。すなわち、前者では若者か或いはせいぜい中年の主人公が自己のアイデンティティを求めてすなわち何か新しいものを求めてさすらうというのがメインテーマであったのに対し、この「バウンティフルの旅」では老女が人生の最後に自分の過去をもう一度確認する為に現在では人々の忘却の彼方に沈んでしまった自分の生まれ故郷を目指して旅するのであり、いわば前者ではそれがポジティブなものであろうがネガティブなものであろうが未来に焦点があるのに対し、この映画では過去に焦点が当たります。従って、この映画はたった2日間の老女の「冒険」が描かれているだけであり、またその「冒険」の中で主人公が出会うレベッカ・デモーネイ演ずる娘やシェリフとの出会いも、極めてアンイベントフルで非ドラマチックなハンドリングが施されています。これはむしろ当然のことであり、人生の最後の安らぎを見出そうとしている老女に、ドラマチックなイベントはtoo muchであるということです。この映画の魅力は、冒頭の嫁姑の見苦しい言い争いから逃れて旅に出たジェラルディン・ペイジ演ずる主人公が、そのような何でもない出会いを通じて一種の心の平安を取り戻していく様子が描かれているところにあり、その絶妙且つ微細なタッチはむしろ一昔前であれば映画の題材にすらならなかったであろうと思われます。というわけで、映画にドラマティックな内容を求めるオーディエンスからすると一体何が描かれているのか不思議に思われる作品かもしれませんが、確実に言えることは70年代以前には決して存在し得なかったようなタイプの極めて80年代的な作品であるということです。そうそう、やはりブルーの瞳のレベッカ・デモーネイは良いですね。最近見かけませんが、どこへ行ってしまったのでしょうか。私目とほぼ同年齢のはずであり、まだ引退には早すぎますが・・・・。


2005/09/11 by 雷小僧
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