最後の勝利者 ★★☆
(The Best Man)

1964 US
監督:フランクリン・J・シャフナー
出演:ヘンリー・フォンダ、クリフ・ロバートソン、イーディ・アダムスマーガレット・レイトン

左:クリフ・ロバートソン、右:ヘンリー・フォンダ

 「最後の勝利者」ではアメリカ大統領予備選がテーマとなっている。同様にシリアスな60年代の政治ドラマであった「野望の系列」(1962)でも国務長官候補としてキーパーソンの一人を演じていたヘンリー・フォンダがこの映画でもアメリカ大統領予備選の候補者として主演している。ライバル候補を演ずるのがクリフ・ロバートソンであり、同一政党内での予備選とはいえイメージ的には1960年当時のケネディ VS. ニクソンのキャンペーンを彷彿とさせる。ヘンリー・フォンダがケネディに相当するリベラルで温厚な候補ウイリアム・ラッセルを、クリフ・ロバートソンがニクソンに相当するタカ派候補ジョー・キャントウェルを演じている。面白いことに、似ているということでケネディの若い頃の伝記映画「魚雷艇109」(1963)に主演したクリフ・ロバートソンが、ここではケネディではなくニクソン的イメージで出演していることである。ところで、この映画を見ていると、アメリカ大統領に必要とされるのは政策の良し悪しよりもむしろまず第1にイメージであることがよく分かる。確かにタカ派のジョー・キャントウェルに関しては、自らの政策をタカ派丸出しのイメージで演説するシーンがあるが、減税を主張しながら軍備増強を主張する矛盾を記者に指摘されたところ、それに対する回答は全くせずに平然とアメリカ礼賛発言をして聴衆の大喝采を浴びる。要するに、強いアメリカを標榜するパーソナリティとしての自らのイメージを強調する為に政策の主張があるかのごとくであり、一種の本末転倒がここにはある。またウイリアム・ラッセルの方は、穏健でモラリスティックであるという点以外はどのような信条、政策を持っているかがあまりはっきりしない。そもそも現職大統領(リー・トレイシー)がベテランのウイリアム・ラッセルではなく若手のジョー・キャントウェルを最初は支持しようとする理由は、ウイリアム・ラッセルの優柔不断な性格が大統領候補としてふさわしくないと考えているからである。すなわち、弱さのイメージは大統領候補としては決定的なマイナスであると考えられているわけである。また、それぞれの陣営が相手候補を蹴落とそうとするのが、相手のイメージを損なう個人的な中傷誹謗によってである。ジョー・キャントウェル陣営は、ウイリアム・ラッセルには神経衰弱を患った経歴があるという証拠文書を配布して彼の大統領としての資質に関する疑問を掻き立てようとするのに対し、ウイリアム・ラッセル陣営は、かつての朝鮮戦争の同僚(シェリー・バーマン)にジョー・キャントウェルがホモセクシャルであったという証言をさせようとする。すなわち、ここでは相手のイメージを潰すことが最大の選挙キャンペーンタクティクスになっている。

 イメージで思い出したが、大統領選に関するイメージの重要性に関連して、マスメディア論のマーシャル・マクルーハンがケネディ VS. ニクソンキャンペーンに関して面白いことを述べている。彼によれば、ニクソンが最終的にケネディに敗れたのは、TVという新しいメディアが登場し普及しようとしていた時代において、自らの主張或いはイメージを強引且つシャープに前面に押し出した為に聴衆のイマジネーションを投射する余地がほとんど残されていなかったニクソンよりも、イメージ的にはむしろ曖昧さを残していたケネディの方がTVという新しいメディアにうまくフィットしていたからだそうである。このことは一見するとイメージが重要な役割を果たしたわけではないことが示唆されているように思われるかもしれないが、実はまったく逆である。ケネディのイメージはオーディエンス自身が持つイメージと重ね合わせが容易で親和性があったが故にオーディエンスの大きな支持が得られたということであり、TVというメディアを通じて伝達されるイメージが大きな影響力を持っていたことに変わりはない。勿論、マクルーハンの論点は選挙戦ではなくTVという新しいメディアの方にあるが、いずれにしてもTVのようなマスメディアが支配する新しい時代にあっては、大統領選の結果は候補者の持つ政策よりも遥かにその人の持つイメージに大きく左右されるということが理解出来る。「最後の勝利者」という邦題が示す最後の勝利者には、ウイリアム・ラッセルでもジョー・キャントウェルでもない無名の候補者がなるのが実に象徴的で、イメージの潰し合いという泥試合の果てに最後の勝利者として残ったのは、少なくとも公的には全く自らのイメージを持っていないイメージ度ゼロの第三者であったというところが大きな皮肉であり、このような皮肉が語られるようになったのも、逆にイメージが大きくものを言う新しい時代が到来したからに他ならない。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。


2002/08/25 by 雷小僧
(2008/10/20 revised by Hiroshi Iruma)
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