悪い種子 ★☆☆
(The Bad Seed)

1956 US
監督:マービン・ルロイ
出演:ナンシー・ケリー、パティ・マコーマック、ヘンリー・ジョーンズ、アイリーン・ヘッカート
左から:ナンシー・ケリー、アイリーン・ヘッカート、パティ・マコーマック、
イヴリン・バーデン

8才の少女ローダ(とはいえ、ローダを演じているパティ・マコーマックは、DVDの音声解説で自身で述べているように劇場バージョンに出演していた頃はそのくらいの年齢だったとしても、映画版が製作される頃までには既に10才を越えていました)が殺人を犯しまくるという世にも恐ろしい作品です。とはいえその程度のバイオレンスやアンモラルなストーリー展開ならば、何でもありの現在のハリウッド映画を見慣れた目にはどうということもなく映るかも知れませんが、しかしながら当時のオーディエンスに対する影響は遥かに強烈なものがあったことでしょう。その証拠にこの作品は、基本的に暴力シーンやセクシャルなシーンが存在しないにも関わらず検閲にかかっています。まずこれについては、1950年代から1960年代にかけてのハリウッド映画が収録されたDVDプロダクトの音声解説などでしばしばお目(耳?)にかかるドルー・キャスパー(Drew Casper)氏の「Postwar Hollywood 1946-1962」(Blackwell Publishing、今年出版されたばかりなので、邦訳はないはずです。400頁ほどありますが様々な面で変化が著しかった戦後15年間のハリウッドやハリウッド映画に関する包括的な解説書としては最適で、文化的背景に関連させて述べられているところなども私めの趣味にピタリと合っており、それは翻訳権が取られていなければ個人的に翻訳してみたい程です)からそれについて書かれた部分を引用してみましょう。尚、いつもは洋書からの引用時は原文も併記するようにしていますが、やや長くなるので今回は訳文のみを記します。

ウイリアム・マーチの小説「悪い種子」(1954)を基にしたマックスウェル・アンダーソンによる1955年の劇場バージョンに基くジョン・リー・メイヒンの脚本には、同性愛やフロイト流のコンプレックス概念に関する言及などの削除箇所や変更箇所(劇場バージョンのエンディングにおいては、睡眠薬を盛る母親の試みを8才の殺人少女が皮肉にも切り抜けてしまうのに対し、映画では少女は雷に打たれる)が含まれる。とはいえ、映画「悪い種子」は、自分の母親の自殺未遂行為の引き金役とすらなる不道徳な殺人少女の背筋も凍るようなポートレイトを描いた作品としての地位を確保した。「未成年が関与する犯罪行為を取扱う作品は、それらが若者達の反道徳的な模倣を誘発するようであるならば認可されるべきではない」とするコード規制や、悔恨の情も罪の意識も持たない人物像は、影響を受けやすい子供達に極めて強い効果を及ぼし得るのではないかという規制委員会の恐れにも関わらず、「悪い種子」はシール(※1)を獲得した。ワーナー・ブラザースは、宣伝キャンペーンにおいて当作品は成人にのみ推奨されることを明示する旨を約束した。Legion(※2)は、神の存在と神の正義の鉄槌の徴としてフィナーレで空から稲妻が降ってくるのを見て、この作品のレーティングをA-IIとした。


※1 Production Code Administration(PCA)が発行する一種の合格証のような印のことと思われる
※2 カトリック系の表現規制団体=Legion of Decency

勿論アメリカは現在でも宗教性が濃厚に存在する国ですが、HUAC(非米活動委員会)やマッカーシーの赤狩りを始めとして保守反動傾向が著しく高かった1950年代は、保守的なモラルが全国を覆い尽くしていた頃でもありました。そのような時代にあって、8才の少女が殺人をしまくるというストーリーは、そのままで見過ごされることはなかったということです。ただどうやら検閲の程度は、メディアによっても異なっていたようであり、演劇バージョンの場合には、そのような検閲が入ったわけではないようです。前出のドルー・キャスパー氏によれば、たとえば1947年のHUACの活動の焦点は「アメリカ映画産業への共産主義者の浸透」にあったそうであり、要するに影響力の広範な映画というメディアは検閲のターゲットになりやすかったということです。前文中のLegionとは注にも記したようにカトリック系の団体ですが、神にご奉仕する彼らにしてみれば犯人が8才の少女であるか否かは別としても、そもそも犯罪が最後に罰せられないこと自体が大きな問題であり、故に映画バージョンでは因果応報勧善懲悪的な結末が付加されたのを見て安心したという次第なのですね。映画の中では銀行強盗が必ず成功してしまう現在とは隔世の感があります。しかし、このようにして付け加えられた勧善懲悪的なラストシーンは、美的センスから云えばやはり余計に見えてしまうことも確かで(ボードレールやオスカー・ワイルドなどの世紀末的な美的感覚からすれば余計にそうでしょう)、現在の目でこのラストシーンを見るとストーリー自体よりもむしろ当時のそのような保守的な風潮の方が際立って見えてしまうのは避けられないところです。この映画の最後で、「May we ask that you do not divulge the unusual climax of this story.(この作品の普通ではないクライマックスを口外しないように)」と表示されます。ここで云うところの普通ではないクライマックスとは、ナンシー・ケリー演ずる母親がローダに睡眠薬を飲ませピストル自殺を計るシーンのことを指しているのか、或いはローダが雷で打たれるラストシーンを指しているのかいまいち不明ですが、いずれにせよ当時の観客の目で見たならば恐らく口外するか否かが問題になる程驚くべき展開では全くなく、従ってunusualなどでは決してなくusualなのではないかと思われます。むしろ現在の観客の目から見た方が、ローダが雷で打たれるラストシーンなどは驚き(というよりもあまりにも取ってつけたようなunusual且つ余分な印象)があるのではないかと思われます。クライマックスよりは、むしろ8才の少女が殺人を犯すという前提そのものの方が当時としてはunusualであったはずであり、映画の最後の文句も「May we ask that you do not divulge the story.」とすべきだったように思われます。まあしかし、このあたりは映画の内容そのものの問題であるというよりは、当時の政治的な権力関係の問題もあり、むしろそのようなマクロ的側面が透けて見えるところが興味深いとも云えるかもしれません。では実際に内容の方はどうであるかと云うと、さすがに現在でも8才の少女が殺人をしまくるという設定は滅多にお目にかかれるものではなく(もう少し上の年齢であれば「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(1994)のジュリエット・ルイスのようにあるかもしれませんが)、その点では結構面白い作品ではあります。但し、取ってつけたようなラストシーンは当時の事情を考えれば仕方がないとしても、それ以外にこの映画で1つだけどうしても気になる点があります。それは、もともとこの作品は舞台作品であり、主要メンバーもほぼ舞台から映画にスライドしてきたこともあってか、どうにも舞台舞台したパフォーマンスが目につくことです。それは殊に主演のナンシー・ケリーに当て嵌まり、たとえばほとんど舞台のモノローグでもあるかの如く朗々とセリフを口にする箇所もあり、また舞台では奨励されてもジークフリート・クラカウアーが述べるように映画では映画の本質的要素の1つである自然性が損なわれる結果になりがちなオーバーアクション、オーバーリアクションもしばしば目に付きます(クラカウアーの本を読んだ影響で余計にこのような傾向が気になるようになってしまったのも確かですが、クラカウアーの見方については「ジュリアス・シーザー」(1953)のレビューでかなり詳しく取り上げましたのでそちらを参考にして下さい)。気のせいか考え過ぎか、上掲画像で彼女一人だけ体はカメラの方向に向けたまま、顔だけでマコーマックの方を見ているのは、確かに彼女がアイリーン・ヘッカート演ずる酔っ払いのおばちゃんに好意を抱いていないという設定から監督の指示でそうしている可能性もありますが、舞台(映画館)の観客を意識しているようにも見え何やらスクリーン上では不自然に見えます。ローダを演じたパティ・マコーマックは、DVDの音声解説の中で舞台的なオーバーアクション、オーバーリアクションが自分の演技の中に影響を与えないように努めたと述べていますが、10才そこそこでそのようなことを考えていたとしたならば彼女は天才であったかもしれませんね。ポール・フィックス、ヘンリー・ジョーンズ、アイリーン・ヘッカートの三人は、彼ら彼女らの特徴が良く出ていて素晴らしく、そもそも個人的には主演二人よりも彼らの方が馴染みの俳優さん達であり見慣れてもいます。殊にアイリーン・ヘッカートはデビュー仕立ての頃であったはずであり、それにしては独特な声を含め既に彼女の特徴が満開になっています。DVDの音声解説の司会者は、彼女は全ての女優さんの中でも最もお気に入りの内の一人だと述べていますが、見てくれはともかく性格女優としては彼女は稀有の存在であったことは間違いのないところでしょう。監督のマービン・ルロイは、ロバート・ワイズと同様にジャンルを限らず様々な方面に手を出す人ですが、この作品では当事としては極めて変わった題材を扱っておりその意味でも面目躍如といったところでしょうか。国内でも690円という超廉価バージョンDVDが出ているので、その値段ならば見て決して損はないでしょう。


2007/11/07 by Hiroshi Iruma
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