「奇子」と下山事件

佐藤和美

 上野駅から常磐線に乗ると、北千住を過ぎ、荒川を越えたあたりで、東武伊勢崎線と交差する。そのあたりが初代国鉄総裁下山定則の轢死体が発見された現場である。

 下山総裁の死体が発見されたのは昭和24年7月6日午前0時半頃である。
 前日の下山総裁の足取りは奇妙なものだった。午前8時20分頃、自動車で上池上の自宅を出ると、何回も行き先を変更した。千代田銀行本店(現三菱銀行)から、三越についたのは、午前9時37分頃である。下山が店内に入った後、運転手は待ち続けた。運転手が異変に気がついたのは、午後5時のラジオの放送でであった。

 下山総裁の死は公的には自殺だったのか、他殺だったのか不明のままである。

 昭和24年には下山事件、三鷹事件、松川事件などの鉄道関係の事件が起こり、労働運動は大打撃を受けたのだった。

 「奇子」には下山事件が取り入れられた。「下山定則」は「霜川則之」と変更されている。

(参考 松本清張「日本の黒い霧」)

(1998・10・21)


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