神田陽司さんインタビュー その1


 1999年7月22日・祖師谷大蔵のファミレスにて  神田陽司さんは、神田山陽門下の講釈師さん。いわゆる講談って感じの古典はもち ろん、新作も数多く作っておられ、新作の会も精力的に開いてらした方である。  僕はインタ−ネットで陽司さんのホ−ムペ−ジを見つけ、そこに公開されていた新 作講談を読んでファンになった。実際の高座にも何度か足を運び、ライブ芸としての 語りの凄さに圧倒されたもんである。  先日、ちょっとしたきっかけで個人的にお会いする機会があり、そのついでにとイ ンタビュ−を申し込んだ。ご飯を奢ってもらった上にさらにいろいろ教えてもらうっ てんだから図々しい話なのだが、陽司さんは快く引き受けて下さってこのインタビュ −とあいなった次第。  会話の最中、陽司さんの持ちネタについての話題が出てくるけれど、詳細について は公開されている陽司さんのネタ帳のページをご参照ください。 神田陽司持ちネタ・リスト
◎講談までの道のり 竹内「まずは講釈師になられたきっかけを……編集者から転身されたんですよね?」 陽司「基本的には、やっぱり舞台をやりたいっていうのが子供の時からあったんです   よ。幼稚園の時もお芝居やってたし、小学校5年6年の時の全校クラブも演劇だ   ったし、中学には演劇部は無かったんですけど、高校は演劇部があったんで入っ   て……えーと、つまんない記録ですけど県大会で3位くらいまでいって」 竹内「へーっ」 陽司「関西だからやっぱり吉本とか松竹見てたけど、基本的には高校あたりで演出家   になりたいなと思ったんですよ。──演出っていう言葉を覚えたきっかけが面白   いんすよ。    テレビ見てても演出という言葉は度々出てきてたけど、本当に演出っていう言   葉が分かったのは『未来少年コナン』の宮崎駿。あ、面白い漫画だなあと思って   て、原作読んだら全然違うんですよ。何だろこりゃあと思ったら、これが演出家、   監督が変えてるんだと。    でも監督ってテロップ出てないじゃん、んで監督っていうのはテレビでは演出   って書くんだって聞いて、監督っていうのは素材をこんな風にいじくり回してい   いんだってのが分かったんで、ああそうかとか思って演出家になりたいなと。    で、そうやってみたら、お芝居も──その頃はまだ高校生で地方ですから新劇   しか見ないんで、ああなるほどシェイクスピアはこうやってやんのかとか、面白   いなと思ってたんで、一番理想が役者兼演出家。っていうのは子供の頃からチャ   ップリン見てましたから。ところがね、映画監督になりいと思ったことは一回も   ないんですよ」 竹内「へーっ」 陽司「これが何か変なんですけど、今も芝居の演出とかはやってみたいなと思うけど、   映画は監督したいとはどうしても思えない──なんでか不思議なんですけど」 竹内「枠よりはその内側に興味があったってことですかね」 陽司「そうでしょうね。別にライブにこだわってるってわけじゃないんですけどね。   何だか知らないけど映画ってすごく手間がかかりそう。自分のやりたいこと以外   のこと、余計なことがありそうで。もっと肉体的というか直接的なことが好きだ   ったみたいですね 竹内「僕、自主映画作ってましたけど、余計な苦労が7〜8割ですよ」 陽司「それも友達が自主映画とか撮ってたこともあってね、面倒くさいなってのは分   かってたんですよ。で、高校を出てまあ浪人を1.5浪したんですけどね。大学   に一遍いって途中でやめて、だから2浪っちゃ2浪なんですけど。    とにかく大学で演劇の勉強だ、日大……学費も高いし、まあ一応将来のことを   考えると広い方がいいかと思って、早稲田の文芸に行くつもりだったのが、結局   入ると飽きちゃった。なんかね、指向が文芸じゃないっていうのがあったのか、   将来もしデモシカで先生になる場合でも国語よりも社会の免状を持ってたいって   思ってるうちに、いつの間にやら人文科に入ってたんですけどね。    ただ、早稲田に行ったらもう芝居はやるつもりだったんですよ。ところが、そ   のへんがやっぱり選択の甘いところでね、専攻に行きたいと。1年から芝居やっ   ちゃうと絶対専攻はとれないっていう早稲田のシステムがあるんで」 竹内「ははは、システムですか」 陽司「結局1年はねえ、芝居は観て過ごしちゃったんですよ。2年から、いわゆる演   劇研究会ですね、第三舞台とかが出てる。入ったんですけど、1年学生生活をし   ちゃったから、全部を捨てて芝居に打ち込むっていう決意にならなかったという。   もう一つはやっぱり、まあ練習がきつかったから逃げたっていえばそれまでなん   ですけど、すごいアナーキーというか、それこそ資材が無いから盗んで来いみた   いなところで。そういうもんだろうとは思ったけど──」 竹内「第三舞台の昔の話で凄いなと思うのは、入って最初にやらされたことが便座を   盗みに行かされたことだとか、学生証出せっていわれて学生ローンで制作費を借   金させられたことだとか……」 陽司「それは知らんなあ。まあそれくらいはあるかもしれない。ただ、学生ローンは   ちょっと話半分かなと思いますけど。──一応ね、入る時には授業には出る方針   ですよとは言われるんですよ。公演の時は無理でも、授業には出て卒業する方針   ですよとは。でも入れ込んじゃうと出れないってのはあって。    その辺はねえ、やっぱ高校演劇から入ったから、高校演劇って先生の言うこと   を聞く世界じゃないですか。元々あんまりアナーキーな傾向が無かったんで、そ   ういうギャップもあって、極端に言ってすぐ辞めちゃったんです。ところがこの   短い劇研生活が後々物凄い影響をもってくるんですけどね。    で、2年になって、3年になってやっぱ芝居だなと思って、青年座の夜間部と   か、外でWスクールとかあったんですけどね。やっぱりアングラを観ちゃうと新   劇だと詰まらないっていうのはあったんで、結局それでも頑張ったんだけど、や   っぱり手足が長くないと主役になれないみたいな、そういうのがあって、役者だ   けでやるのは無理かなとか、結局まあケツ割っちゃったわけですけど。    だから、東京来て3年は一応役者の勉強してたんですよ。それから、役者だと   あれだと思ったんで、脚本。シナリオを書き始めて、最初のうちはフジのヤング   シナリオ大賞とかにガンガン出してたんですけど、それやってるうちに卒業の時   期が来ちゃって。で1年自主留年して、小山タカオのアニメシナリオハウスに行   ったんですよ。だから今でも同期の奴はみんな凄いですよ。同期じゃないけど、   一緒に行ってた、あかほりさとるとかね」 竹内「長者番付にのってる人ですね」 陽司「そうそうそうそう。もうそういう人ばっかりでね。私もそこで、やるかどうか   の選択がまた、5年生の時だったんでね。どうしよう、このままやるかどうかっ   て。まあとりあえず……そのへんが良くないんですけどね、逃げというか、安定   指向なんかしてる場合じゃないのにそんなことやってる自体が。やっぱり一応就   職もとか考えちゃったんで、結局シティーロードが受かったんで入っちゃって。   だから、わざとらしく言うと、3年間は役者の勉強、3年間は脚本の勉強して、   そのあと3年間はシティーロードでジャーナリズムみたいなことやって、それが   全部活かせるのが講談だと」 竹内「きれいな流れですね(笑)」 陽司「完全に後付けなんですけど(笑)」       ◎講談との出会い    竹内「講談に出会ったきっかけっていうのはどんなことだったんですか?」 陽司「これはねえ……どこでも正確に言ってませんから、ここで初めて独占で正確に   言いましょう」 竹内「お、やったあ」 陽司「何故かというと、姉弟子とかに聞かれると恐いから(笑)。──まず一番のき   っかけは、シティーロードにいろんな情報が来る中で、『はだしのゲン』っての   が来たんですよ。何これ芝居? とか思ってたら、講談だと。女流講釈師が『は   だしのゲン』を語る、へーっこんなもんやるんだと。講談って、その時点まで、   あることは知ってても具体的には何も浮かばなかったんですよ。一般名詞として   しか考えてなくて、いま現存してることもそんなに知らなかったんですけど。    へーっ、『はだしのゲン』とかも講談でやるんだと。漫画とか好きなんで頭に   残ってて──その内に招待券が来たんですよ、いろんな。中に講談が入ってて、   そん時に行ったのがえーと、『小森和子物語』」 竹内「はあ! おばちゃまですね」 陽司「そうそう。まあ題材が面白そうだと思ってね。……こっからが完全に他では喋   ってないことなんですけど、『小森和子物語』はそうでもなかったんですよ。ま   あこんなもんかっていう感じだったんですけど、うちの姉弟子の話ですけど。と   ころが、もう一本やった、阿部定の講談を見て──」 竹内「小森和子と阿部定っていう取り合わせが凄いですね」 陽司「うちの姉弟子が演ってたんですけど、正面切ってばーっと喋るわけですよ。で、   シティーロード時代は年間120本くらい芝居を見てたんですけど、これだけ正   面にアピールできる芸を持った女優って、いないとは言いませんけど、凄く少な   い。普通だったらこれだけのもんが出せる人は……その辺が微妙なんですけど、   女優では有名になりつつあったんですけど。とにかく俺が知らないところにこん   な人がいたと。    で、やっぱりねえ、芝居仕立てだったんで横向いて芝居もするんですよ。物凄   く弱いんです。ところが正面切って演らせると──それはもちろん台詞の構成も   あるんでしょうけど、物凄いアピール力がある。それはやっぱり芸の力、伝統の   力ってのにはこんなものがあるんだと。    だからきっかけとしては、その『はだしのゲン』から『阿部定』のラインです   ね。──で、それから講談とか見だして。ちょうどね、その頃から劇研の経験と   かが効いてくるんですけど、芝居の取材対象にかつて一緒にやってた人達が出て   きたんですよ。池田成志っていう」 竹内「あ、それこそ元第三舞台の人ですね」 陽司「そうそう。大河ドラマにも出てたでしょ。あの人の取材とかもやるようになっ   てきて、そうか俺は昔やってた仲間をこうやって取材──仲間じゃないんですけ   どね、池田さんは先輩だったんですけど。──取材を引き受けんのかっていうの   もあり、会社の中も不況のせいもあってかなり斜陽になってきたこともあり、い   ろんなものがあってね。    どうしようか、やろうか辞めようか、或いは芸人……まだ、講談というのは頭   にあるんですけど講釈師になろうとは思ってないんですよ。芸人っていうのはあ   るなと。関西ですから、どっかに将来は落語家になりたいってのがあったんです   よ。ただ関東の落語は関西の人間としてはちょっと遠いし、慣れないっていう感   じがあったんですが、講談ってのがあるんだと。    でね、講談か浪曲かも迷ったりとかしてたんですが、そん時に──これは本筋   にないエピソードですけど、そん時に28歳だったんですよ」 竹内「今の僕の歳ですよ(笑)」 陽司「はーっ……28歳。ここで、安定はしてないけど、せっかく編集者という職業   は確立したから、仮に会社潰れてもこの仕事はちゃんとやってけばやれるだろう   し、しかもそんなに自分では嫌いじゃないし、自由度も高い、人から見りゃあい   い職業──本当は大変なんですけどね──だろうし、これ辞めてゼロから? 芸   人? それはできんのか、おいとか思っていって結構葛藤はあったんですよ。か   といってこのまま編集者としてステップを上げていこうっていう思考も出来ない   し、特に演劇ジャーナリートになったら、昔の自分がもしかしたらやってるかも   しれないっていう取材をやるわけだし……。    で、鬱々としてね、忘れもしない水戸は芸術館をね、夜の芝居だったのを昼行   っちゃって、4時間ぐらいぐるぐる歩いてそれを考えてたんですよ。周りの水戸   の郊外の風景を見ながらぐるぐると。    そん時に思ったのが──28かあ。遅いなあ。18だったらなあ。っていうの   があったんですよ。18だったら、芸人の世界にぱっと飛び込んだら、まさにそ   っから叩き上げで修行すりゃあ早い方だしいいなと。でも28かあ、もう駄目だ   よなあと思ってたんです。で、いやいや、18になったつもりでやっちゃあどう   だというのも頭をもたげて来たけど、すぐにやっぱり28の小賢しい知恵が否定   するわけですよ。18に戻ったつもりったってお前、そんな体力ないぞって。   どう考えたって使いっ走りとかあって芸人ってのも修行とか大変だろうし。18   の体力はないよなあ、やっぱ18の時に考えるべきだったんだと思った時に!」  (ベンベン! ってな感じで陽司さんの手がテーブルを叩き、張り扇のリズムを刻む) 陽司「(笑)叩かなくたっていいんですけど」 竹内「ははははは」 陽司「これはね、一生忘れないアイデアがぱっと浮かぶんですよ。──そうか、今さ   ら自分の18には戻れないけど、体力の無い18には戻れるだろうと」 竹内「なるほど」 陽司「ね? 世の中にはハンディキャップのある人もいるし、そこまで行かなくても   本当に虚弱体質で18だったら、今の28の体力とそんなに変わらないだろうと。   そうか、体力のない18だったら戻れるんだ。そのつもりに完全に戻れれば、1   8からやってるんだから年齢も気にする必要ないし、しかも10年分の知識はあ   るわけだから、そこから18で講談っていう知識力もいりそうなことをやったら   いけるんじゃないかと。そこからまるでドミノ倒しのように思考が本気に傾いて   いくんですよ」 竹内「じゃあ今は、その8年後で26歳ってことですね」 陽司「実を言うと、もう1回ジャンプしたんですよ。──あのー、10年ジャンプは   人に話すと、いい話だ俺もやってみようってことになるんだけど、20年ジャン   プはもう馬鹿扱いされちゃうんだけど。何故かっていうとね、エヴァが流行った   時にね……(笑)」 竹内「なるほど(笑)」 陽司「シンジ君は14だったでしょ。私は34だったんですね、きっと。もうその時   点で24だから、でもまだ収入も安定してないし、でも24じゃ社会人……とか   ぶつぶつ考えないで、もう10年戻って、もう二度と戻らない決意をしようって   いうことで20年戻ったんですよ。そうすると自然に何のてらいもなく『ときメ   モ』ができる……馬鹿なこと言ってんじゃねえって」 ◎講談界の身分制度 竹内「今の御身分はちなみに、二ツ目ですか?」 陽司「そうです」 竹内「昇進のシステムって落語界と一緒なんですか?」 陽司「あのねえ、元々は講談には、前読みと真打ちしかなかったらしいんですけど、   うちの師匠の山陽が面倒だから落語界と一緒にしようっていうんで、前座・二ツ   目・真打ちになったんですよ。今でもカライタっていう言葉を使うんですけど、   これはもう何となくを指しちゃって、少なくとも関東の講談は、派を問わず前座   ・二ツ目・真打ちのシステムですね」 竹内「年数とかで決まるんですか、それは?」 陽司「ま、一応これは協会の理事にかけるみたいのはあるんでしょうけど、うちは師   匠が一人、あの格の人は一人しかいませんから、師匠の一存ですね。だいたいま   あ3年10年って感じですかね。3年で二ツ目、10年で真打ち」 竹内「じゃあ(陽司さんは)あと2年ですか。──そうすっとあれですね、18歳の   真打ち誕生(笑)」 陽司「そういうことですけど──いやでもね、私は二ツ目は一回断ったから4年やっ   てんですよ。だから真打ちもまあ10年じゃなくて11年から考えようかなとは   考えてんですけど」 竹内「え、二ツ目を断ったというのは?」 陽司「まああの、一つには二ツ目になると高座が減るっていうのがあって。もう一つ   には当時前座も少なかったし、それで例えば誰もいなければ上がれないっていう   システムはあるんで、もう少し体制固め、前座仕事の固めというか後継者づくり   みたいな感じで──必ずしもね、なれたらすぐなりますっていう世界じゃないん   ですよ。だって、普通の会社の昇進と違って手当てがつくわけじゃないし。まあ   一応ランク的にはアップするんですけど、アップしたからあいつは呼ぶのやめよ   うっていうのもあって」 竹内「人数限られてると前座仕事やる人も必要ですもんね」 陽司「よく言われる話ですけど、前座仕事だったら前座のついでに高座でしょ。とこ   ろが二ツ目になると前座の仕事ってのはさせられないから、別に必ず前座を雇わ   ないとならない。となると、二ツ目なんていらないっちゃいらないわけなんです   よ」 竹内「収入は減るわ支出は増えるわって感じですか?」 陽司「普通は減りますね。これは講談に限らず、落語芸術協会でも二ツ目地獄って言   葉があるくらいで、ガタッと減る。逆に付き合いは、前座の時だったら全部奢り   で行ってるのが人並みに出したりもしなきゃいけなくなるし、収入は最初は減る   のが普通ぐらいですね」 竹内「大変なんですねー。──ちなみに、今日本の講釈師って数はどれくらいなんで   すか?」 陽司「もう正確に把握すんのも面倒になっちゃったんで……協会も二つあるし。まあ、   大阪も合わせて60人から70人っていう理解でいんじゃないすかね」 竹内「前座さんはどれくらいいるんですか?」 陽司「前座は向こう、っていうか講談協会に4〜5人かな。でこっちに新しく入った   んで2人だから、まあ日本じゅう合わせても10人くらいって感じですね。だか   らどっちかというと真打ちの方が多くて、逆ピラミッドみたいになってんですね。   だから本当に、こういうのって普通はピラミッド型で入ってきてだんだん少なく   なっていく形が健康なんでしょうけどね、もうそういうもんじゃないでしょうか   ら。だいたいそのピラミッド型がきれいに維持されてた時代なんて架空のもんだ   と思いますよ。そんなに無かったと思います」 ◎講談というメディア 竹内「そういう意味で、講談で個人で売れることと同時に、メディアそのものを売っ   ていくことを考えなきゃいけない状況じゃないですか?」 陽司「うーんと、講談は別にメディアに出てなくても、凄く稼いでる人は稼いでるん   ですよ。ただ、そういう仕事ってのはちょっと、講演とか講談からは外れちゃう   ような。まあ同じ喋る仕事だから業種の一種といえば一種といえると。──んで、   かく言う私もはとバスのガイドやったりとか、物語りのご案内シリーズをやって   る方が収入にはなってますからね」 竹内「あ、今僕がメディアっていったのは、マスメディアって意味じゃなくて、講談   っていう表現メディアっていう意味で……メディア自体が売れる売れないってあ   りますよね? 僕は小説書きとして小説メディアの衰退というのは結構意識して   たりしてまして、前に談志師匠の『現代落語論』を読んでですね、落語全盛の頃   だってのに落語は能と同じように伝統芸能への道を歩むだろうみたいなことが言   われてて、感銘を受けたんですよ。そこで述べられてたことは小説にもそっくり   あてはまるような気がして。──で、ある意味、失礼ながら講談もそういう路線   ではないかと……」 陽司「路線というかね、もう少なくとも江戸が終わってからは何度も衰退して、もう   滅亡だと言われたことが何遍もあったんですよ。例えば大正時代ってのは東京の   講釈ってのは何十件何百軒と釈場があって、今の映画館並にあって全盛だったん   ですよ。ところが関東大震災でみんな燃えちゃって、再建されなかったんです。   だからジャンルというか物理的な問題で滅亡に瀕してたりとか。    でまあ、戦前から戦中あたりだとそれで滅亡しかけてて、うちの師匠がお金出   して小屋を建てたりとか、師匠がまだ素人の時代に。今だと例えば永谷商事がバ   ックアップしたりとしかしてるんですけど。    あのねえ……ちょっと言い過ぎちゃって言うと、講談っていうジャンルにはそ   んなにはこだわらないっていうか。ただ、話して物語るっていうジャンルは、全   部のメディアが無くなっても残る、最初から最後、アルファでありオメガである   っていう自負というか、変な自信があるんで、それに関してはそんなには心配し   てないわけですね」 竹内「そういう意味じゃ、視点を変えると、フィールドが拡大してるというか、何に   でも対応がきくってのがあるわけですね。(陽司さんは)ゲームであるとか書籍   であるとか、いろいろやってらっしゃいますけど」 陽司「ただ、それを実際にやってる人がそんなにいるわけじゃないから。フィールド   を広げようとしてる人達が。──もう引退しちゃってるんですけど、一龍斎貞鳳   って先生がいて、その人が30年くらい前に『講釈師ただいま24人』っていう   本を書いてるんです。その中で、ちょうどアポロが話題になった頃だったんでし   ょうね、“月旅行にも講釈師が解説員として乗り込むだろう”みたいなことを書   いてるんですよ。これ読んですごいなと思ってたんですよ。    ただ、なんていうのかな、例えばジャンルとして持ってきた財産みたいなもの、   物語りは全部テレビの時代劇とか、或いはそれこそ漫画やアニメにもばーっとい   っちゃって、根本にあんまり残ってないというか、演ってみせるとああそれ時代   劇で見たなんて言われちゃうわけですね」 竹内「そうか、時代劇って講談とダイレクトだったんですね。考えてみると」 陽司「いやもう完全にダイレクトですよ。本当に講談のネタから。──で、それが実   際、まあアニメとはいいませんけど、他のジャンルにも流れてるから、講談の財   産っていうのは今でも流通してるわけですよ。そういう意味では。    ただ一つ特殊なものといえば、音調。講釈の日本語のリズムの使い方自体は、   ちょっとないですねえ、じゃあフリートーカーになっていいかと言われると、や   っぱり高座と釈台が残ってて欲しいというのはあるわけですね。まあ(張り扇で)   パンパン叩くのは形あんて変わっても別にいいと私なんかは思ってんですけど。    じゃシラバ的なね。『頃はゲンキ三年』なんてのは、それを洋服でフリートー   クで演るとなるときついものはあるかなと。やっぱり基本的なところ、ランニン   グする、つまり科学トレーニングでもいいけど、基本的にランニングのできる場   所みたいな所がないといけないんで、確かに講談・講釈・講釈場・寄席みたいな   場所が衰退するとジャンルとしては残らないだろうと。    もう一つでかいこと言えば、基本的な語りのジャンルの衰退は間違いなく全ジ   ャンルの衰退になるという風に思うわけで。ただ、今の現状で講釈師が全員、ど   っかで大会があって、そこに地震か何か起きてみんな死んじゃっても、困る人は   ないと思うんですよ」 竹内「(笑)いやあ、好きな人は困っちゃいますよ」 陽司「いや、好きな人は困るにしても、日本国として、世界として困ることはないか   もしれないけど、それはね、結構大きな損失だと思うし」 竹内「うんうんうん。僕なんかも他メディア、他ジャンルにいながら講談に学ぼうと   思ってこうやってうかがってるわけですし」 陽司「それに応えられる土壌はあっても、機会とか、演者っていうとまずいんですけ   ど、自分も含めて努力が足りないというか。あとはやっぱり客層が狭まってきち   ゃうとどうしても守りに入るでしょ。お馴染みさんがやってきてお馴染みのを演   ってくれって言われたら、その場所に直接いるわけだから、そこで実験作という   のはできなくなるし。    というのもあって、一番先端を走ってる新作派、私だけじゃありませんけど、   そういう人間がどれだけ頑張るかっていうのは結構この後ずいぶん長い影響には   なると思いますよ」 ◎アニメと講談 竹内「新作でアニメ関係とかを取り上げてらっしゃるのが非常に面白いなあと思った   んですけど、昔であれば時代劇でやるような史実ネタとか歴史ネタとかがみんな   の共通認識、共通物語であったと思うんですよ。今それが若い世代にはそれが全   くなくなっていて、じゃあ何が共通物語なのかっていうと、ナウシカであったり   ガンダムであったりエヴァであったり、そういう意味での新作の位置づけってい   うのも一つあるのかなと思うんですけど」 陽司「そこはねえ、正直な話を言っちゃうと、講釈師が言っちゃいけませんけど、赤   穂浪士とか宮本武蔵よりは、宇宙戦艦ヤマトとかエヴァとかウテナとかの方が好   きなわけですよ。正直言ってね。    ただ、少なくとも自分がアニメーターでない以上は、自分の仕事と好きなもの   を合致させるような思考をするしかないわけで、その場合にやっぱり、後付けの   理屈かもしれないけど、共通認識の物語りっていうのは昔は講談だったのが今は   漫画であるってのは、これは宮崎駿さんも書いてるから間違いないと思ってんで   すけど。    ところが一つ非常に難しいことがあってね。昔は宮本武蔵っていうと、まあ小   説の挿絵はあったにしても、各自のイメージの宮本武蔵っていうのが存在したん   です。ところが古代進っていったら、やっぱりあの髪形の、松本零士のキャラデ   ザインの、あの声優のっていう風に、画像もみんなにあるわけですよ。そこを例   えば、私が古代進ですってやってやれるかっていうと物凄くきつい。ここをどう   突破できるかなんです。    『講談ナウシカ』にしたって何にしたって、全部そういう突破の試みの一つな   んですね。だからはっきりいって、『講談ナウシカ』はあんまり評価は芳しくな   かったんです。突破しきれなかったんでしょうね。ナウシカの声をやったらどう   せ違和感があるだろうからサブキャラを使って、非常に苦労したんだけどまだ突   破できてない」 竹内「はー。僕なんかは、インターネットで陽司さんの新作リストを見て、ナウシカ   で講談でってのを見ただけで、そうか、そういうことなのかって、瞬間的に物語   のビジョンが見えて凄いなあって思った記憶があるんですけども」 陽司「ただ、宮崎駿って作家は凄く講談的っていうか、古い教養がちゃんとあるから、   わらわらわらと兵が襲ってきたりとか──講談ではばらばらばらなんですけど。   そういうリズムが近いからできなくはないと思ってたんです。    ただね、キャラが自分には見えすぎても、来ている人にはキャラは見えないっ   て前提でやんなきゃいけない。全員ナウシカを読んだ人が来てればすごく楽なん   だけど、そうもいかない。ここが一番難しいんですよね。でその、ナウシカの島   本さんの声色ができればいいけど、男じゃそれもできないでしょ? これが難し   い問題なんです。    と思ってたら麻上洋子(『宇宙戦艦ヤマト』の森雪役の声優さん)が講釈師に   なったからもう、時代は混乱を極めたっていう。私の中ではあれは大混乱でした   ね」 竹内「ヤマトの声はできないぞっていう(笑)」 陽司「ただね、じゃあ彼女が『森雪物語』をやってるかっていうと、まあ『講談宇宙   戦艦ヤマト』をやってるようですけど、それもじゃあ、本気でやったらいいかっ   ていうと、そんなことしたら声優と同じになっちゃうでしょ。声優大会になっち   ゃうじゃないですか。それは難しい問題ですね」 ◎オリジナル講談 竹内「全くのオリジナルストーリーの新作もありますよね。それもまた、史実もので   あったり架空のフィクションであったりっていうのはあると思うんですけど」 陽司「ちょっとねえ、この新作リスト(陽司さんのホームページに公開されている新   作講談のリスト)を見てみても──これなんかはリンクしとくといいかもしれま   せんけどね」 竹内「ある意味、『ハラダマサヒコ物語』というのも史実物というか、そういう類の   ものではありますよね」 陽司「そうですね。オリジナルという点では『ハラダマサヒコ』はかなりオリジナリ   ティ高いですね。史実に基づいてとはいっても、彼が内面的に思ったこととかは   想像でやってますから、つまり元になるストーリーが無いという点では、『バラ   ダマサヒコ』なんかはかなりオリジナルでしょう。つまり現実にあったことをま   とめてる、しかも──ただね、『ハラダマサヒコ』が最高に演りやすかったのが、   ここ十何年来なかったような国民的な物語り、日本人の好きな話じゃないですか。   4年前に失敗して、捲土重来で──」 竹内「パパは泣いて──」 陽司「そうそう。母も父も頑張って、子供のためにも。しかも一回目失敗して、二度   目に奇跡の成功でしょ。もうこれを講談にせずして何をするかっていうのがあっ   たわけです」 竹内「新作のネタ選びって、そういうこれぞ講談っていう取っかかりが──」 陽司「まずは私が泣いたかどうかが基準ですね。例えばチャップリンなんかでも、こ   れは淀長さんの語りで有名な『独裁者』、『独裁者』のヒロインは、ハンナって   のはお母さんの名前だっていう泣きの語りがある。私は浜村淳先生から聞いたん   ですけど、あれは絶対いつかやりたいと。正直言って浜村淳先生の語りはね、た   まに映画の好きな奴がいるとやってさんざん泣かしてきたわけですよ。んでそれ   の決定版としてやったんですけど。だから例の(『独裁者』ラストの)6分間の   演説も、自分なりに訳してやったんですけどね、きつかったなこれもね。    だからまず、一番最初は講談になるかどうかじゃなくて自分が感動した話です   よね。その意味じゃ一番笑えるのがこの『犬殿様』ですね。原作は山科けいすけ   の4ページの漫画なんですよ。発想としては犬が殿様になるって発想だけをお借   りしたんですけどね、それをいろいろ、保科正之を出したり、明歴の大火に絡め   たり肉付けしたっていうのがあって、少なくとも著作権で訴えられることがない   くらいにはオリジナルになったけど──うーん、だからその、これで見てるとま   だ試行錯誤段階ですね。つまり話を江戸時代にもってくるか、逆に現実を普通に   語るとか。例えば『危険な講談2』なんてのはストーリーらしいストーリーがな   くて」 竹内「あ、でも僕はとても物語的なものを感じましたけど──」 陽司「原作は『アインシュタイン・ロマン』ですか。あのー」 竹内「なんで広島長崎に原爆を落としたんだーっていう、あの時のドーンというとこ   ろに僕はストーリーとして打たれたんですね」 陽司「あれはねえ、確か、原爆告発的な本の中にあの科学者の話があって。基本的に   は事実なんですけど、少しセリフ的に膨らませる程度であんなになると。調べて   みて、ストーリー的にいいものが掘り出されるといいですね。『ビル・ゲイツ物   語』なんかもそうですね。本当は最初はビル・ゲイツ批判のつもりだったのが、   一つだけいい話っぽいものがあったんでそれを思い切り膨らましてサクセススト   ーリーにしたっていうのは。まあちょっとあれは講談じゃないかもしれないけど、   まあ調べれば出てくるっていう例はそうですね。『危険な講談2』と『ビル・ゲ   イツ』なんかはそうでしょう。『大阪弁の王子』なんかは、もう純粋にオスカー   ・ワイルドの『幸せな王子』でしょう。これは普通に語っても泣ける話じゃない   ですか。ただ、ただ泣かすっていう作業はすごく簡単っていうんじゃないけど、   形式化しやすいんで、なんか相対化を入れないと駄目で。んで相対化を入れて笑   わすってみたいな話があったんですけど。    結局ねえ、一番理想形は、ボロボロ泣くんじゃなくて、ギャグを交えながらっ   ていうかね。泣きながら笑っちゃうっていう、これ結構アングラ演劇の発想です   よね。つまり、純粋に泣かすようにすると──」 竹内「ベタにじめじめしてしまうってことですか?」 陽司「あのね、もっと理屈でいうと……うーんと、蓮見重彦とかロランバルトとかが   やってた物語批判的な、要するに物語が人を縛るんだっていう発想になっちゃう   んですよ。つまり、あんまり論に出したくないけど、赤穂浪士の話をね、あんな   頑張ったって話でやってんのに、いつの間にか忠臣の話になって、あれは要する   に主君のための話だったのが、いつの間にか国家の話にすり替えられちゃったと   かが簡単にできちゃうんですよ。だからその、人を縛る物語を相対化するために   笑いとかアンチロマンとかあのへんのところが出てきたわけだから、一応そうい   うところはふまえてやりたいなってのがあるんで。    別に、ぼろぼろ泣かすもんだったら泣かすでいいと思うんです。ただ自分でや   っててもね、どっか相対化できないんでいけないんです。つまりこの人は命懸け   でこんなことしてて可哀相でしたねえ、ぼろぼろ泣きましょうってのをやってて   も、どっかに何かが残らないとやっててできないっていうところがあってね。    だから例えば、古典の話ですけど、大高源五ってのが私、得意ネタっていう   と絶対怒られちゃうわなあ、赤穂義士伝は要するに、もう何十年の人がやるもん   だっていう頭があるんで。えーっとね、忠臣蔵銘々伝で大高源五。これは本当に   純粋に泣かすようなもっていきかたなんですけど、大事なところで俳句を詠むん   ですよ。『我が物と思えば軽し傘の雪』なんて。それに宝井其角っていう芭蕉の   弟子が返したりして。この辺でね、既に相対化が効いてるって気がして、私はこ   れは茶化しなしでできるんですよ。──っていうのは、変でしょ何か。討ち入り   寸前に俳句詠んでる場合かって思うんですけど、それが形式の中にぴたっとはま   っちゃって、結構リアリティを持ったまま、変なことやってんだけど美学になっ   ちゃう。これが最終的に目指すとこじゃないかなと思うんですよ。これは特に5   75使ってるから、言葉のリズムを使ってるし、その侘び寂的なもの、それから   心情的なもの、ついでに赤穂義士だしみたいな、全部入ってるとこあるんです。   だから新作として理想的にできるとしたらこういうもんができればなみたいな、   例えばヤマトでもいいんですけど、決まり文句がパロディになってるんだけど凄   く泣けるみたいな」


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