サイキンのタケウチ


〔身辺雑記〕

1月19日(木)
 風呂読書で、横内謙介さんの『ホテルカリフォルニア』を読了。ここ数日ちょっとずつ読んでた作品で、田舎の進学校を舞台にした戯曲なので、感覚的にすごくよく分かる要素がいっぱいで楽しかった。あとがきによれば高校時代への後悔をテーマにしてるそうだが、そのわりに不思議と読後感が明るい。
 気になったのは、作中に何度も出てくる、「シーッ」という声。70年代に厚木高校ではやっていたシラケ世代のブーイングだそうだが、このブーイング(というかシーイングというか)って、僕が通った80年代の高崎高校でも行われていた。60年代に高崎高校に通っていたという教師によれば、シラケ世代なんて言葉もなかった学園闘争世代もやってたそうだから、場所を超え時代を超えて存在してたことになる。本格的に調査してみたらもっと広範囲で使用ケースが見つかるのかもしれない。
 もっとも、僕の知ってる3例だけでも意味合いは結構違ってるようだ。60年代の高崎高校の場合、集会などの際に私語でざわついてたりすると、誰からともなく「シーッ」って声があがったそうで、いわば生徒間で自主的に規律を求めるような注意喚起だったらしい。それが70年代厚木高校では、作中で「シラケ鳥の飛ぶ音だという説もある」と説明されている通り、熱い呼びかけなどをする生徒に対する無関心的ブーイングとして使われている。僕が経験した80年代の使用例でも70年代同様のシラケ的ブーイングって要素はあったが、それよりも「自分のプライド保持」とか「誰かを馬鹿にする」とかいう意味合いが強かった気がする。そういう感情から発した表現でありつつも、一人で強く主張するのではなく、匿名的に始めて賛同者を募り、衆を頼んで発言力を得ようとするって傾向もあったと思う。
 たとえば、授業中に教師がしょーもない駄洒落などを言った時に「シーッ」とブーイングを飛ばす。あるいは集会などで何か怒ってる教師が「お前らはしつけがなってねえから」なんて説教してる時に「シーッ」とやり返す。どこか内輪ノリとが強い風習だったが、友人の話によれば、他校の文化祭か何かのイベントでつまらなかった時に「シーッ」とやってた集団もいたそうだ。
 つまり僕の感覚としては、80年代高崎高校の使用例は70年代厚木高校の使用例に個人的ワガママ要素が加わった感じである。自主的規律とか注意喚起とかで使われた例は皆無だったから、60年代高崎高校の使用例との地続き感はまったくない。まあ時代的には70年代の方が近いから当たり前っちゃ当たり前なのかもしれないが、地理的には群馬の高崎と神奈川の厚木は結構離れてるから、不思議といえば不思議だ。どうしてそういうことになったのか、そして90年代やゼロ年代や10年代の使用例はどうなってるのか、なんとなく気になる。どっかの社会学者や民俗学者が研究してないもんだろうか?

 世代間の違いといえば、もういっこ興味深いことがあった。
 『ホテルカリフォルニア』では高校演劇を題材にしていて、その劇中劇ともいえる『山椒魚だぞ!』って戯曲も本の中に収録されている。それを読むと70年代の高校演劇部が垣間見えるわけだけど、ちょっと前に見た映画『行け! 男子高校演劇部』と比べて、高校生の行動原理や悩みの方向性、何より高校演劇のテーマ性がまるで違ってることに気付く。まあ作品のテイストが違えば扱いが変わるのも当然だろうけど、それを承知の上で伝わってくる時代性の違いってのもある。「シーッ」ってブーイングの意味がまるで違うのと同様、演劇の持つ意味合いも時代によって違ってて、それを比較するといろいろ見えてくるものがある。
 関係ないけど、『行け! 男子高校演劇部』の中村蒼さんは、舞台『カレーライフ』でも主役のケンスケを演じてくれた。そしてこのケンスケって名前は、実は横内謙介さんから拝借したんだよね。『カレーライフ』を執筆してた当時、『せりふの時代』っていう戯曲雑誌を読んでた僕は、「ケンスケって名前の響きってなんかいいなー」と思って勝手に使わせてもらったのだ。それがこうやって繋がるのも不思議といえば不思議である。
 繋がりついでにもう一つ。当時すごく好きだった舞台『リレイヤーIII』が載ってるせいで今でもとっといてある『せりふの時代』を開いてみたら、横内謙介さんと故・深作欣二さんの2ショット写真が掲載されてて驚いた。深作欣二監督といえば、舞台『カレーライフ』の演出家である深作健太さんのお父上なのだ。僕の中では「深作監督とケンスケ」っていうのが二重の意味をもつわけで、時の流れと偶然の重なりってのは本当に不思議なもんだなーと思う。

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