サイキンのタケウチ
〔身辺雑記〕
6月1日(水)
えーと、幾人かの方に心配していただいた怪我の具合ですが……さすがに傷口はふさがったものの、指を伸ばした拍子にしびれが走ったり、くろべー散歩で引っ張られると鋭く痛んだりって感じです。キーボードたたく時に違和感あるのが嫌なんだよなあ。
やっぱり左人差し指の神経を傷つけちゃったようで、痺れおよび左側の感覚の鈍さが定着しそう。風呂入ると気持ちいい感じもあるので、昔の武士が温泉で刀傷を癒したってのがちょっと分かる気がします。
あと、何故か傷口からちょいと上下に離れたとこが赤黒くなってて、これが痣みたいに定着しそうで嫌な予感。いずれ消えるもんだったらいいのだけれど……
そんな傷の原因になったチェス駒、昨日よーやく乾燥まで終わったので今日はデジカメで写真撮影。指が痛いせいで仕上げはいつも以上に仕上げが雑なんだけど、ずらっと並べてみるとそれなりに見栄えがするのがチェス駒のいいとこですな。
撮影後、昼から図書館と買物で下山するのにくろべーを同伴し、帰り道でカフェに寄ってネットさせてもらってます。……指の経過報告のためのブログなのに、タイプしてると人差し指がちょいしびれるのが困ったものよ。
〔タケウチDJ〕
舞台『カレーライフ』は東京公演も無事に千秋楽を迎え、今度の週末から大阪公演だそうですが(この文章は6月1日に書いてます)、地方ツアーの成功を祈って、僕に観劇後の感想を寄せてくださった方からのおたよりをご紹介しときます。
まずは常連読者のminoさんから。「ネタバレ感想」ってことでメール二通にわたって詳細にいろんなことを書いていただいたので、まとめてばーんとご紹介。なにしろネタバレ前提なので、予備知識なしで観劇したいって人はご注意ください。僕としては知ってから見ても問題ないと思うけど……まあまっさらで見る快感ってのもあるもんね。
作品をめぐる話題っていろいろ刺激されて勉強になるので個人的に好きなんですが、今回はなるべくたくさん読んでもらえるといいなーと思ってます。舞台関係者がどのくらい見てくれてるかわかんないけども、こういう話から得られる刺激って結構あると思うんだよね。特に役者さんには、こうして僕が聞かせてもらえる褒め言葉を届けておきたいし。
日頃こうして感想メールの褒め言葉を引用してると自画自賛というか自作に陶酔してるみたいかなーって懸念があるんですが、舞台『カレーライフ』の場合は僕の手を離れてる分、遠慮なく褒め言葉を引用できる気がします。(まあ世の中絶賛100%ってことはないわけだけど、批判的なご意見に対しては個人的に読みに行って勉強させてもらってますのでご容赦あれ……)
てなわけで、今回は長くなりそうだけど、いってみよー。
謎の老人という感じで登場したシミズですが、ケンスケに対して物腰がやたらと丁寧で、
カレーを食べ続けるのを躊躇するケンスケに「いやいや、さあどうぞ」と椅子をひいて
すすめるしぐさでもう笑いそうになってしまった。
「笑いそう」って時は遠慮なく笑っていただければ幸いです。まだ序盤だから客席あったまってなかったかな。
あのあたりは脚本としても笑ってほしい気持ちってあったんです。ワタルほど陽気に明るいはっきりとした笑いじゃないけど、くすっときてくれたら嬉しいなと。
ぶっちゃけ、あのシーンでちょっとぎくしゃくする二人の関係がコミカルな印象に繋がらないと、序盤に大量にある説明要素が負担になっちゃって観客の意識導入がしんどいって意識がありました。そのあたり、マジメな顔してなんかおかしいっていう是近さん(シミズ)の芝居ってすごいなーと思ってたし、原作で想定したよりスタイリッシュで品のいい老人になってたのが「やたらと丁寧」って印象にも繋がったのかな。
ワタル役の井上正大さんの身のこなしが飛び跳ねるような感じでとっても軽くて、
マジックタッチと一緒にワタルの性格の明るさや天真爛漫さが伝わりました。
「飛び跳ねるような身のこなし」ってのは、さすが仮面ライダーだよね。それでいて、下手シェイクスピア劇の道化なんかにありがちな飛び跳ねすぎて邪魔くさいってところまではいかないあたりが品のよさ。
あの身体能力ってのは原作時点では全く想定してなかったけど、ワタルのキャラクターを舞台で表現するのにすごく効果的だなーと思って見てました。全体的に原作の筋を踏まえるってコンセプトだったので、どーしても台詞の比重が高い脚本になっちゃった気がするんだけど、その中でしっかり役者の動きを見せることがきてたのなら何よりです。
コジロウの崎本大海さん、声がいいなあと思ってたら音楽活動もしてらっしゃるんですね!
で、コジロウの役作りがとても良かったです。
ケンスケやワタルの「陽」に対しての「陰」な感じを漂わせつつも、じいちゃんの泡盛を
あさってちょっと笑いをとって崩したりするところが抜群にうまいですねぇ。
スタッフに聞いたところでは、崎本さんが一番芸歴ながいらしいです。読み合わせの時、その泡盛あさりの一人芝居で笑いとってねとリクエストしてたら怪訝そーな顔してたけど、ちゃんと結果的にはやってくれてて嬉しかったな。
終演後にそのあたりのことを尋ねてみたら、「最初に笑いを意図しちゃうと崩れちゃうから、まずは芝居をきっちり作ってからなんです」みたいなことをおっしゃってて、なるほどねーと納得。前も日記に書いた気がするけど、ストイックに自分の芝居を追求してる姿がコジロウだよね。
後ろの席で観ていて台詞回しや声が一番きれいに聞こえたし、私が観ていて舞台映え
するなーと思ったのは崎本さんと大口さんでした。
崎本さんの声が気に入ったからには、彼のニューシングルも要チェックですな。おいらは春先にカーラジオで彼の歌声を聞きながらドライブしたけど気持ちよかったよ。
舞台映えって意味では大口さんも負けてなかったんですな。聞けば彼もミュージカルやってたそうなので(青学の手塚!)、歌うまいかもよ。っていうか、今回のキャストの8人の中でいったい何割が歌手だったんだろう? 長谷部優さんは言わずと知れたDRMの元センターだし、井上さん(氷帝の跡部!)もディケイドの歌うたってたって話だし……
ワタルたちが盛り上げて明るく笑わせてくれて、コジロウが要所要所でひきしめる
ことで、お互いの見せ場がよりいっそう引き立ってるように思えました。
コジロウ役って、ほかの従兄弟たちよりも魅力的な人物として役作りしたり演じるのが
難しそうだなーと思うんですけど、崎本さんのコジロウはバッチリ魅力的でしたね。
そうそう、ああいう構成なもんで、他の役者と絡む中で表現するって機会が少なくて、一人芝居比率が凄く高くなっちゃったんだよね。その点むずかしいだろうし申しわけないなーと思ったんだけど、ちゃーんとその逆境で表現した魅力が伝わってたわけですな。
おいらはコジロウと従兄たちが沖縄で合流するシーンがとても好きです。そこから闇市→それを見てる従兄弟たち→ヒカリの語りって畳み掛ける演出が見事だなと思って。僕が観劇したとき、近くの席の女性がそこのシーンで背すじ伸ばして舞台に見入ってすーっと涙ながしてたのが印象的だったなあ。
どのキャストも衣装が役にピッタリ合ってるなぁと思いながら観てました。
ワタルとサトルがなんとなく同じトーンでより双子らしくなってたり、コジロウも
雰囲気出てたし。
へー、ワタルとサトルの衣装って同じトーンだったんだ? それをサトルが着崩してるってことかな。後でパンフの写真で見直してみよう。
関係ないけど、僕は開演前の客席でサトル役の植原さんと雰囲気の似た青年を見かけ、ご兄弟かなーとか同じ事務所の役者さんかなーとか思ってました。
さらに関係ないけど、ヒカリ役の倉科さんの事務所スタッフとおぼしき方が絵に描いたような美少女を連れてて、なんとなく初日に現場見学って雰囲気だったので、こちらも事務所の後輩さんか妹さんかなーとか思ってました。舞台版では出てこないけどヒカリにはメグミって妹がいて、ケンスケのカレー屋構想に影響を与える役どころなんで、メグミ役はこの人に決定だなーと勝手に脳内キャスティングを楽しみながら酒飲んでた原作者。
ヤマカワとチナツさん、エディーとリンダは同一人物が演じているとはまったく
思えず、カーテンコールでやっと気づくありさまでした(笑)
いやあ、そこで気づくお客ってのが一番うれしいお客でありましょう。役者さんもそれを狙ってるんだし。
下手すりゃ気づかないままって可能性もあるわけだけど、カーテンコールでそういうサプライズを味わってもらえてよかったよかった。
舞台映えしてた大口さん、ヤマカワ役がすごくはまってるように思えました。
原作のヤマカワはもうちょっとインテリ兄さんっぽい感じを抱いていましたが、
大口さんのヤマカワはそれより少し気楽なあんちゃんで楽しかったです。
(もし「キャスト全員の中で誰が好きか」って聞かれたらヤマカワとコジロウで
悩むとこだったなぁ)
大口さんのヤマカワ、人懐っこい雰囲気がよかったよね。あれは行間を膨らます役作りってやつもんですな。
個人的には、なんでもありなよーでいて宗教戒律の厳しいインドではビール瓶片手にふらふらしてたらヤバいぞって思ったけど(おいらもインド取材の際はつつしんだ行為なのだ)、まあヤバい兄ちゃんだからいいのかな。
飲み会の後、いい感じに酔った大口さんが地下鉄車内でニコニコしながら見知らぬ酔っぱらいを突っついてたことも、ちょっとヤバいんじゃねえかなーと思った……なんてことをあんまり言っちゃあいけませんな。すいません。
そのヤマカワが他の3役も演じてたということがカーテンコールの時にやっとわかって、
今度はそれを踏まえた上でもう1回最初から観たいなぁなんて思ったりして…。
いいねえ。そういうリピーターさんって役者さんも主催側も嬉しかろうから、是非子育ての合間を縫って地方公演にいってみてください。風の噂じゃ立ち見用のチケットまで出てるらしいよ。
あとケンスケやワタルやサトルも、まだ完成形ではなくてどんどん変わっていきそうな
勢いを感じたので、それこそカレーに味を足していくみたいに千秋楽まで進化するん
だろーなーという予感がしました。
ブログに書かれていたようにサトルとワタルが入れ替わって再演とかあったら絶対観に
いっちゃいますね。
再演あればいいねえ。みんな売れっ子だからスケジュール合わせるの大変そうだけど。
あと僕としては、今回の座組みを踏まえて映画化されないかなーとも思ってます。演出の深作さんも映画界出身なわけだし、キャストも舞台専門じゃなくて映像仕事してる人ばかりだし。深作さん監督でおいらが脚本だったら言うことないのだが。
ていうか、刊行以来『カレーライフ』の映像化オファーって山ほどあったけど、今回の舞台を見てぜひ映像化したいって思った映画人っていないのかなあ。あのストーリーでも2時間程度におさまるってのを実証できたと思うし、映像だからできることってのを意識させる舞台だったと思うんだけど……
そういえばサトルがワタルをはたくシーンとかはサトルの間の取り方がうまくて、
客席を笑わせるというよりは客席が思わず笑っちゃうタイミングを捕らえていたっけなぁ。
植原さんが得意だというダンスを活かして井上さんのワタルとは違うマジックタッチも
楽しめそうだし…。
サトルの植原さんについては、僕も客席の空気というか、笑いたがってる気配をぽんっと笑いに変えてくれるのがうまいなーと思ってまいた。初日乾杯の席で、そういうのって狙ってやってるのか聞いてみたらやっぱりちゃんと意識してるってことだったし。
植原さんがワタル役をやってマジックタッチをやったらどーなるのか……見てみたいですなあ。
ヒカリは、TVドラマでのママ役と舞台でのヒカリ役を同時進行でやってるってだけで
凄いなぁと思っていたんですが、実際舞台に立ってる倉科カナさんを見たら、ケンスケ
たちに感じた勢いとは違う意味の舞台女優としての度胸みたいなものを感じました。
従兄弟たちに対してしっかり者の姉御肌で接するヒカリは原作のまんまだけれど、ずっと
食べないと言ってたカレーをついに一口食べた時の可憐さといったら!強気に
ふるまってるけど実際は不安と悩みをかかえたひとりの女の子、っていうのをカレー
ひとくちで表現した倉科さん、私はすごく好きになりました。
うんうん、分かる分かる……僕の周りにはminoさんはじめ、今回の舞台で女優倉科カナのファンになったって女性が結構います。それだけ女性の共感を呼ぶ演技ってことなのかな。
ていうか、minoさんって文章うまいとは前から思ってましたが、あの舞台のヒカリの魅力をすごく的確にとらえたご感想ですねー。そのまんま新聞の夕刊の劇評とかにのっけたい表現だ。門外漢なもんで演劇にまつわる批評メディアって全然知らないんだけど、今回の劇評とか何かにのったりしてるのかなあ?
倉科さんに話を戻しまして、僕がすごく感心したのは、序盤で感情の振幅をしっかり表現した上で、終盤に再び登場するときには長いモノローグの中で従兄弟みんなを優しく見守る包容力みたいなものを体現してたことでした。それって姉御肌ってのを越えて書くことの効用というか、『カレーライフ』作者としてのヒカリっていう多重構造を暗示してもいるんだよね。
ぶっちゃけ、闇市シーンの終わりから続く長台詞の前半は僕が書いたもんじゃないんだけど、あそこの台詞は自分で書きたかったなーと、妙な悔しささえ感じちゃったよ。
あと、舞台ではチナツが憑依したヨーコさんという感じで観ていたチナツですが、
こちらもさっき出てきたリンダと同じ人とはまったく思えず、これももっかい最初から
観たいー!って気になりました。
でも役名がヨーコさんじゃなくてチナツだったのは原作のファンとしては嬉しかったです。
長谷部さんの3役目の立ち居振る舞いも好きだったな。
僕はもちろん同じ人が4役やると知ってみてましたが、それでも面白かったですよ。演出家の構想では長谷部さんはカレーの妖精ってことだったんで、なるほどここではこういう妖精かーって感じで楽しんでました。
役名チナツってのは、深作さんも「キャラ的にはヨーコなんですけどね」と言ってたっけな。リンダって名前はたしか、唯一僕の命名じゃなくて脚本家の鈴木さんの書いた第一稿に出てきてあれっと思った気がします。
そのリンダの英語セリフが自然に流れてたのも嬉しかったなあ。アメリカ編って読み合わせの時にはみんなカタカナのフリガナを読んでる感じだったんだけど、稽古の間にちゃーんと進化させてるあたりが役者の力。一カ月程度でネイティブスピーカーになれるわけもないってのに、芝居の中で違和感をなくしていくってのが見事なプロの技だなと思ってました。
で、ケンスケ!あんなに出ずっぱりで、台詞も多いし、ケンスケとして舞台の上に
ずーっと居続けて、ケンスケの染まってなさ、素直さ、可能性までもにじみ出すことが
できる中村さんはホントに適役です。できれば前方の席で細かい表情とかも見たかったなー。
稽古場で、演出家はずいぶん丁寧にケンスケを作ってるなーと思ってました。それこそ意識のあり方から細かい動作にいたるまで、要求もすごく多いのにケロっとした顔で応じてる中村さんは大物だーと思えたなあ。
キャラクター的には他の従兄弟に比べて突出したとこも少ないし、原作にあったキレキャラ要素も脚本決定稿までにだいぶ薄れちゃったんだけど、それでも彼の成長と可能性ってのを描いて観客のminoさんに伝えられたんだったら大成功だよねえ。役者と演出のコラボレーションの成果というか。
ちなみに、このメールを書きながら、コジロウ役の崎本さんって『文化祭オクロック』の
DJネガポジ役をやったらすごく合いそうだなーと思いました。そうするとユーリは
倉科さんで探偵コーラは長谷部さんで…とか勝手にキャスティングしだすと楽しいですね。
ほほー、全員高校生役ですか! 役者さんはみんな20代中盤だと思ったけど、結構やっちゃいそうで恐いな。女優は化けるとゆーし、崎本さんも端整なのを抜きにすりゃあ童顔だもんね。
おいらが自作に勝手にキャスティングするなら……崎本さんには『イン・ザ・ルーツ』の進をやってほしいかな。高2で家出から20代中盤までそのままこなせそうだし。
倉科さんは『図書館の水脈』のナズナをやらせたい。ワタル役は自動的に井上さんだから、この二人の掛け合いを違う形で見る楽しみがありますな。ナズナがワタルをどついて突っ込むシーンとかハマりそーだ。いや別にそんなシーンは書いてねーけど。
長谷部さんはパブリックイメージよりずっと優しい印象あるので、『風に桜の舞う道で』の向坂さくら役なんてどーだろう。立ち姿が絵になるからカメラ構えてても決まりそーだし。
『風に桜の舞う道で』は男キャストいっぱいなので、今回の舞台企画をオファーされた時もカレーより桜の方が舞台向きだろうと思ったもんですが……ヨージに植原さん、ゴローに中村さん、リュータに大口さんなんてどーかな。そんで予備校講師に是近さんとかね。
あ、是近さんには是非、『イン・ザ・ルーツ』のサニー多田良の若き日をやってほしいと思ってたんだ。そんで年取ってからのサニーは柳澤愼一さん。今回のキャストじゃないけど、『ザ・マジックアワー』で往年の映画スター役を演じてた名優で、ジャズミュージシャンでもあられる方なので是非サニーじいちゃんをやってほしい&たたずまいがなんとなく是近さんと重なる気がして……
なーんて、役者さんを素材に脳内キャスティングしてるといつまででも遊べちゃいそうなんで、このへんで次のお便りに。
お次は友人の弁護士&大学の先生からいただいたメールでして、彼のもとに届いた感想を中継してくれたのだ。そういうのもありがたいかぎり……っていうか、同い年の友人がそうやって社会的な信用ある地位について学生を教えてるって不思議なもんだなー。
大学で教えているゼミ生が、カレーライフの舞台を見に行ってきたと報告に来ました。
学生がいうには、短い時間の中では、原作の大事な部分は生かされていたのですが、
最後の「カレー屋が母艦になる」という部分が端折られて、みんなばらばらになって
いくんだねという感じになってしまっていたのが、ちょっと残念だそうです。
なるほどねー。そういう見方もあるだろうなーと納得、勉強になります。
まあ原作と舞台は別物だってのが大前提だし、僕が脚本監修する際には「原作通りにしろ」ってのは極力言わないように気をつけてたんですが、それはそれとして、「原作にあった母艦とかベースキャンプとかのイメージを帰着点にする」ってコンセプトで脚本を作ることは可能だよね。そっち方向を期待してくれる読者観客って存在もありがたいです。
でも多分……これは勝手な希望的観測かもしれないけど、今回の舞台を見た上で「みんなばらばら」とは思わなかった人もいるんじゃないかって期待感もあります。「カレー屋が母艦になる」とまで具体的なイメージは提示しなかったけど、ケンスケのセリフに「みんなと一緒に作ってる」ってのがあったと思うし、彼らがゆるやかに連携している未来ってのを予感させる演出にはなってたと思うんだよね。
最終的な演出や演技については僕が言うこっちゃないけれど、参考までに僕が書いた脚本第二稿のト書きを引用しますと、こんな風になってます。
ケンスケとサトル、店に入ってくる。
それはヒカリの書き記した彼らであると同時に、少し前の彼ら。
時間の流れはヒカリの小説の中のものとなる。
その後、ワタルやコジロウの入店の際にはト書きはこうなります。
スーツ姿のワタルが入ってきて、席に座る。
サトルと並んでいるが、別々の時間を生きているようにも見える。
……って、自分で引用するのはちょっと恥ずかしいですな。「具体的に見えることを書く」っていうのがト書きの基本だから、時間の流れについての言及ってのは決して褒められたもんではないですし。
それでもこのト書きは最終的な上演台本まで残ったし、舞台上の演出にも反映されてました。つまり舞台終盤では、「ヒカリの小説の中の時間」と「少し前の彼らの時間」と「別々の時間」っていう三つの流れが共存してることになります。……こうして文章で説明すると面倒くさい話だけど、説明抜きにすっと感覚的に届けられるのが演劇ってメディアのいいところなわけですね。
僕は第三舞台の『リレイヤーV』って作品が大好きなんですが、その演出メモを真似して整理してみましょう。現実の時間の中でケンスケが旅を経て開店に至るまでの流れ、つまり「少し前の彼らの時間」を『カレーライフT』のレベルと定義します。で、それを踏まえてヒカリが書いた小説ってのが『カレーライフU』のレベル。順番的にはTの次にUがくるわけで、本来なら『カレーライフT』のレベルに『カレーライフU』の小説は存在してません。「いとこたちのその後」と「それを書いた小説」と「それを書いたヒカリ」が同時に存在してて、そのヒカリがいとこたちのその後を見てるってのは理屈からいうと変なわけですね。
だけど舞台上では平気な顔してTもUもその後も共存しちゃえます。それが「別々の時間」であり『カレーライフV』のレベルだってのが僕の認識です。つまり『カレーライフV』ってのは、現実に生きてる自分たちの時間も、それを記した小説内の時間も踏まえて、その後を生きてる彼らってことです。
そして彼らは、ケンスケのカレー屋さんを共有空間としていて、それぞれ自分の時間の中で集まってくるわけです。そんな共有空間を何かにたとえるなら……セリフとしては書かなかったけど、母艦やベースキャンプってイメージになるんじゃないでしょうか。
まあそれは僕が勝手に思ってることだし、観客それぞれに違う印象があって当然とも思います。こういう説明をすること自体が野暮ってのもありますが、そういう重層性ってのもやっぱり舞台の醍醐味で、それを味わうってのもありなんじゃないかなー。
何はともあれ、こうして舞台の形になったり観客の反応を聞いたりするのは楽しいし、これをきっかけにいろいろ考えることもできでありがたいですね。大阪や金沢や新潟で、観てくれた方がどんな印象を抱いてくれるのか、今からとても楽しみです。
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