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T.雨の後の水玉に関する疑問  (実験者・池田  2010年5月10日)

●5月10日、「雨の日の後、クモの網糸に水玉が並ぶのはなぜですか」という質問を受けて、ミニ実験してみました(池田)。
(1)クモの糸に近い成分を持つ絹糸をピンと張って水を垂らしてみました。全然、糸には水玉はつきません。
 水玉自身の重さが重すぎるのです。偶然に小さな水玉が糸にひっかかったのがこの写真です。
 使った絹糸は9号、太さは333μm。
(2)糸の材質を変えてみました。ポリエステルの糸です。
 絹糸より水玉が付きやすいのですが、たいしたことは
ありません。よく見ると絹糸より表面がささくれています。
 製品は50/3で、50番(太さ255μm)の糸が3本撚り
合わさっています。
 
(3)絹糸のところどころに結び目を作ってみました。
 すると、結び目のところに水玉ができました。4個。
 結び目でないところには水玉はできませんでした。

(4)実際のクモの糸を試してみました。天童市の自宅の野外
で探したらオニグモ系の卵のうしか見つかりません。
 卵のうと枯れ茎をつなぐ糸を水でぬらすとたやすく
水玉が並びました。
 写真がはっきりしませんが5個ならんでいます。
 これは粘性のない糸なので水玉は粘球がなくても
保持されるようです。
(5)クモの糸は1本ではなく最低2本はより合わされています。
 そこで絹糸も2本より合わせてみました。
 糸は太くなり水玉もつきやすくなりました。水玉も大きいです。

 雨の日に水玉がクモの網糸に並ぶのは、 糸に構造的な不均一性、つまり凹凸があるからではないでしょうか。
 1本のクモの糸は複数の糸がより合わさってできています。あちらこちらで凹凸ができていると考えられます。
 また、円網の横糸には粘球があります。この粘球も水玉ができるきっかけとなりやすいと考えることができます。
 クモの網や糸に関する論文をいろいろ調べたのですが、網糸上の水玉に関する記述は皆無でした。
 そこで簡単な実験をして考察してみたというわけです。
 なお、調べているうちに、Tillinghast and Townly,1986に大瓶状腺から出る糸(タテ糸でしょう)に「超収縮」という現象が発見されたと書いてありました(Work, 1976による)。
 伸長性と反対の性質ですし、水に濡れるとよく縮むという性質は水玉を支えるには好都合です。超収縮は通常の繊維では高温など化学的に激しい環境で起こるのが普通なのに、クモではおだやかな条件で起こるので「尋常でない」そうです。研究者はタテ糸を「タンパク質のゴム」と表現しています。(池田博明記) 


【クモネットより】5月11日、2010年

 少し違うかもしれません(いやぜんぜんちがうかも),natureにこんなのがありました.
 門外漢なのでお許しくださいますようお願いします.

島野智之 拝 (ダニ類)
http://www.natureasia.com/japan/ndigest/toc_v7_n4.php

きらきら光る「蜘蛛の糸」
Why spider webs glisten with dew
Janet Fang
doi:10.1038/ndigest.2010.100406
Original source:Nature;(2010);doi:10.1038/news.2010.47
ぬれたクモの糸は2種類の力の作用で水を捕らえる。
【クモネットより】5月12日、2010年

 京都大学生態学研究センター博士課程に在籍しております原口と申します。
 最近、natureに以下のような記事が掲載されておりましたので、参考までに申し添えます。記事にあるようなnanoスケールの要因と、池田さんのおっしゃるようなもう少し大きいスケールの原因、 いずれも重要な要因だと思います。
 他の方からの質問に対して実験によって確かめてみようとする、真摯な姿勢に感服いたしました。
http://www.natureasia.com/japan/nature/updates/index.php?i=76383
京都大学生態学研究センター 原口 岳
【クモネットより】5月12日、2010年  島野智之さんより
 早速の訳出,敬服いたしました.拝見したところ,よく理解できます.
 原口様の言われている,マクロ・ミクロはあるように私も思いますが,基本的には同じような仕組みに思えます.
 別の仕組みとして,池田さんは,「超収縮」にも言及されていますが,Natureの記事で,これが引用されてどの様にディスカッションされているかどうか調べようとしたところ......その号が,見つかりませんでした.
 池田さんのわざわざのご回答に再び敬服をして,このメールを終わらせて頂きます.取り急ぎながら.
 なお,ダイジェストの日本語訳(三枝小夜子訳)を,著作権の都合上,個人的に池田さんへお送りします.


 原口さんより原論文を見せていただきました(池田,2010年5月12日)
 Zheng,Y., H.Bai, Z.Huang, X.Tian, F.Nie, Y.Ahao, J.Zhai and L.Jiang, 2010. Directional water collection on wetted spider silk. Nature, 463, 4.Feb.:640-643.
【Natureのこの号の表紙になっているんですね!
日本語訳も出ていますが、Nature購読者でないため論文自体を読むことができませんので
(後で見せていただきました)、コメント(英文)を翻訳しました(池田)。Nature newsの三枝小夜子訳で一部を修正】

   なぜクモの網は露で輝くのか  ジャネット・ファング(評者) 2010年2月3日オンライン掲載

 研究者はクモの糸が朝露をとらえる方法に頭を悩まして来た。その発見は空気中から水を獲得することのできる新素材を開発することにつながるだろうから。
 本日(2月4日号)刊行されたNatureで、タイリクウズグモ Uloborus walckenaerius の渦巻き網の糸が研究されている。「輝く、真珠のような水玉が朝もやのなか、薄いクモの糸につりさがっている」、こう書くのは北京の国家実験所分子科学部門のレイ・ジャングである。「予想外で興味深い。ヒトの髪の毛にはそんなことはできない」。

 乾燥したウズグモの糸はネックレス状の構造を形成する。ふたつの主要な繊維が分割された連なった丸い「パフ」(ふくらみ)を支えている。パフは小さく、ランダムにもつれあったナノフィブリルから出来ている[訳注:このナノフィブリルは篩板糸(以前の用語では絹糸帯)である]。水蒸気がこれらのパフの上で凝縮すると、パフは密なパック状のこぶ(knots)となり、紡錘形になる(あるいは二つの円錐形を基で合わせたような形)。ナノフィブリルの結合ストレッチが薄いほど、こぶが分割し、こぶとこぶの間の「ジョイント(接合部)」と呼ばれる領域が、より明瞭になる;。

 研究者は網を光学顕微鏡と電子顕微鏡で調べた。彼らが注目したのは、水が網上で凝縮すると、水滴が近くの紡錘形のコブに向って動いていき、そこで合体してより大きなしずくになることであった。
 
 紡錘形のコブはざらざらした表面を持つ。なぜなら、その内部のフィブリルはランダムにもつれあっているからだ。しかし、コブの間の接合部は滑らかなテクスチャーを持つ。その理由は、それらの構成要素のフィブリルは互いに平行に走っているからである。粗っぽさの差が水滴を紡錘形のコブに向って滑らせるのに役立っている。水滴が到達すると棒状になる。

 紡錘形のコブの円錐の形は、その中央に向ってしずくを動かす。水滴が円錐形の頂点に触れると、最もカーブの小さい円錐の底に向って押し出される。圧力の差が表面張力によって引きおこされるからだ。

       模造の性質

 これらの発見によって導かれて、チームは独自の人工クモ糸を作った。ナイロン繊維をポリマー溶液に浸し、乾燥し、天然のクモ糸にあるような紡錘形のコブを形成したのである。研究者たちはこの繊維の研究が空気中から水を集める新素材を可能にすると期待している。

 クモの糸の専門家である米国ブラックスバーグのバージニア工科大学のブレント・オペルは、「彼らが観察した性質を備えた濡れたクモ糸と同等品の生産を可能にしたということは、印象深い」と言う。

 しかし、自然淘汰がこのクモの糸の水収集力を直接に進化させたとは思われない、と彼は付け加える。クモの糸は乾燥したときに最良の働きをするように進化したと思われるのだ。

 ジャングと共同研究者はクモ糸が濡れたとき、フィブリルはもつれて寝てしまうことを示した。「クモの観点からみると、これは悪い事態だ。なぜなら、エサを取る網の能力は落ちるのだから」とオペルは言う。

 動物学者でクモ糸の専門家、英国オックスフォード大学のフリッツ・ヴォラスは「この論文の著者らは人工産物を研究している」と言う。「それは興味深いことではあるが、生物学的な機能はない」と。

 参考文献 Zheng, Y. et al. Nature 463, 640-643(2010). 
 Nature Newsの「Making the paper:Lei Jang」の一節(三枝小夜子訳)

 クモの糸は親水性のナノ繊維からできており、乾燥状態では、繊維がゆるくからまり合ってできたふくらみ(パフ)が結合部を隔てて連なっている構造になる。研究チームが試料室を加湿すると、微小な水滴が結合部とパフに集まり始めた。やがて、パフを作っていたナノ繊維は、繊維が固くからまり合った紡錘形の「こぶ」へと変化した。そして、結合部にあった水滴がこぶに向って移動し始め、こぶで合体して大きな水滴となって付着した。
 さらに実験を進めると、水滴がこぶに向って動いて行くのは、2つの力の作用によることが明らかになった、1つは繊維の表面エネルギーの勾配により生じる力で、もう一つはこぶが紡錘形をしていることにより生じる力である。「これまでに報告されているさまざまな物質の表面では、水滴は個々の力のみによって動いています。しかし。このクモの糸の表面は大きく異なっていますとJiangは言う。(中略)
 応用のひとつは、霧から飲料水を集める大型の人工網を設計することだ。「水不足の地域に飲料水を供給するために、水捕獲用材料を開発することは非常に重要です」と彼は言う。もう一つは、化学反応の高速化と効率化が可能な触媒用の材料である。
【池田コメント】ウズグモは篩板類なので、横糸に粘球ではなく、篩板糸というこまかい糸がからみついている。したがって、コガネグモの網の粘球のある横糸とは、ナノ構造にもやや違いがあろう。コガネグモの粘球が乾燥して粘着力を失っても、横糸にJangらの研究の篩板糸の「こぶ」に相当するような粘着物質による凹凸は残っているだろう。夏休みの自由研究として、網の新旧と水玉のつきかたというテーマも面白そうだ。
 水を集める物理的特性、形がポイントだということは篩板類でも無篩板類でも間違いないだろう

 『クモの生態生理学』(1986)所収のKovoorの論文にタイリクウズグモのパフの顕微鏡写真が掲載されていましたので紹介します。
 
 aはタイリクウズグモの成体メスの
キャプチャー・スレッド。

 puがパフ、
 afは2本ある軸繊維のうちの1本、
 lsはparacribellar構造の側面糸(lateral strand)、
 mpはparacribellar substructureの中央のパッチのひとつ。
 




 bはとても若いタイリクウズグモの
キャプチャー・スレッド。

 左側はパフとパフの間の領域、
 右側はパフの始めの部分。

▼2010年6月14日(月)東京新聞8面「暮らし」の欄

「雨の日の顔 探しに」の一部
  (山本哲正 記)
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補足解説(参考資料として記者へ事前に送ったもの)

      クモの糸に水玉がならぶわけ    池田博明

 なぜ網の糸に水玉が並ぶのでしょうか。表面張力で水が玉になるのは当たり前ですが、普通の糸に水玉を並べることはそれほど簡単ではありません。
 試しにクモの糸と同様の材質をもつ絹糸をピンと張って水につける実験をしてみます。水玉はほとんどつきません。けれども、絹糸のところどころに結び目を作ってやると、結び目の箇所に水玉ができます。つまり、糸に水玉が並ぶには凸凹が必要だということになります。
 そういえば、クモの網の横糸には点々と粘球がついています。第一に、この粘球が結び目の役目をして水玉ができると考えられます。2010年2月に「ネイチャー」に掲載された中国の科学者の論文はタイリクウズグモの糸に水玉ができるしくみを5年にわたって研究したものでした。タイリクウズグモの網は粘球を持っていませんが、その代わりにこまかい繊維を横糸にからみつかせています。濡れるとこの繊維が点々と紡錘形のこぶになり、それが結び目と似た効果をして水玉を支える構造となるのです。中国の科学者は人工クモ糸を作り、水不足の地域で霧から水を得る網を作る計画をしているそうです。
 張ってから長い時間が立って古くなった糸にも水玉は並びます。古い糸にはあまり粘球が付いていませんが、たぶん乾燥した粘着物質が原因となって凹凸があるのでしょう。それに1本に見える糸も実は数本の糸がより合わさってできています。試しに絹糸も2本をより合わせるとずっと水玉がつきやすくなります。
 このような糸の構造に水玉が並びやすい秘密が隠されているようです。
 網の新旧と水玉の付き具合といったテーマも夏休みの研究として面白そうです。  


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