日曜日にはTVを消せ 目録


OFF&ON 連載第2回 
続・現代歌情★ТV版 時計じかけの青い果実  (藤田真男)
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「日曜日にはТVを消せ」第3号 1975年1月12日発行
 "継ぐのは俺だ! ルパン三世:アニメ「ルパン三世」特集" 
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続・現代歌情★ТV版 時計じかけの青い果実  (藤田真男)

  「昼間であったならどんなことにでも非情な態度を装えるのだが,夜はやはり別の世界だった」
 「暗いからといって,明るい時と違ったものの考え方をしなければならないという理由はない。いったいこれはなんということなのだろう」(ヘミングウェイ『陽はまた昇る』
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  ぼくが,これを書き始めているいまも,外は夜である。陽はまだ昇らない。この前の,あと書きにも云ったように,ぼくが何かを書こうとするのは,きまって夜なのだ。人間の身体は明るい時に活動するように出来てるはずなんだし,じっさい,ぼくだって夜は疲れやすい。けれど何か考えごとをしたり,ものを書いたりなんてことは,おてんとうさまの下じゃ,白々しくって。かといって,ぼくは,昼間はハードボイルドに生きてるかというと,そうでもない。

 どうも,はじめっから脱線していては話にならない。前回の拙文を読み返してみると,脱線に加えて,やたら< >で括ったコトバが目につき,しかもひどくいいかげんな用い方をしているようだ。自分がうまくコトバを選び出せないことを棚に上げて,カッコでゴマ化してるみたいな部分が多いことはたしかだろうけど,それ以上に,ТVというやつが,そもそも昼だか夜だか判然としない奇妙な器械だからこそ,そのТVについて語るとなると,コトバも宙に迷ってしまうように思える。

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  映画の方は,かなりはっきりと非日常の世界といえるだろう。もっとも,日常=非日常といっても,ТVの場合の日常とはこれまたカッコ付きになるのだろうけど。
 映画館のスクリーンと客席の間を,いちいちカーテンで仕切るのは,日常と非日常を確認するためにちがいないと,ぼくはかねてより信じ込んでいる。 ジュウタンが敷きつめてあるにせよ,コーラの空きビンが転がっているにせよ,とにかく最近の映画館にはほとんどみられないようだが,昔は天井の照明が☆型になっているコヤが多くあった。
 小さい頃,映画をみに行って,大人たちの背中しかみえなかったり(なにしろ昔は,いつでもどこでも超満員だった)タイクツしたり,休憩時間をもてあましたりすると,この原色に彩られた☆を眺めていた。 なんでまた,わざわざこんなヘンなライトをつけるのかな − と小さい頃のぼくは思ったりした。というより,むしろ気にかけなかった。
 大きくなって,コヤからコヤへ飛び回るようになって,ぼくは,この☆が今はどこにもないことに気付いた。そして,その時はじめて,どこの誰だか知らないけど,何を思ってこんなチャチなプラネタリウムまがいの照明をとり付けたのかが,わかったような気がした。
 つまり,この☆は,いわゆる<アメリカの夜>にだけ輝くものなのだ。 念のため付け加えれば,この☆は,日本のコヤだけのものではないようだ。
 ある洋画(ヨーロッパ)をみていたら,映画館内のシーンで天井に☆がいっぱい輝いているのを発見して,ちょっとばかりうれしくなってしまったことがある。 それから,つい先日,帰省した際に日活封切『あばよダチ公』をみに行ったら,休憩時間にふと天井に目をやると,まだ☆がいくつか残っていて,またちょっとばかり感動したりした。  

  シーン24 星空 その下に横たわり,眠っている星。
   パッチリ眼をさます。 星空を見上げ,
    星「凄え… あんなにいっぱい… (クスッと)俺がいる」

 これは,大和屋竺脚本『処女ゲバゲバ』のワン・シーン。主人公の名が星という。やたら空間にこだわる映画で,なぜか青空を流れるカットだけがパート・カラーになったりする。

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  光る波。桟橋。潮風をうけて女が桟橋の端に立ちつくしている。男が駆け寄ろうとする。女と男の位置は逆だったかもしれないが。

 これは,ぼくの記憶に残っている,もっとも古いТV画像の断片である。『白い桟橋』というドラマだった。
 それよりも,NHKのテストパターンと放送開始時の,バラが開くタイトル,そしてアニメの「ポーキー・ピッグ」の方が古いかもしれない。十数年以上も前のことである。

 わが国初のТV・CFというやつを,ぼくはみているのだ。といっても,20年昔のことを覚えているわけはないし,その頃はТVセットもなかった。そのCFをみたのは,つい一年ほど前,NHKの『ドキュメンタリー・夢を創る人々』という番組の中でのことだ。日本のТV・CFがドンドン流される。あわや!というところで商品名だけはカットされる。非常にスリリングな番組でありました。おまけに,CMソングではなく画の中に商品名・会社名が現れそうになると,ポルノ映画みたいに,その部分だけ黒くぬりつぶされたりして,『時計じかけのオレンジ』のコマ落しのシーンより,おかしかった。きっとNHKにとっては,資本はワイセツなのね,サスガァー!

 ある売れっ子のCFディレクターが自殺した。遺書のような書き置きには,リッチでないのにリッチなフィルムは作れません,夢もないのにありもしない夢を描けません…というようなことが書かれていたそうだ。 そのディレクターの作ったCFも「ドキュメンタリー」の中で流した。資生堂のCFだった。とてもみずみずしいリリカルなフィルムだったが,自殺した人のТV・CFをみるなんて(しかも商品名だけカットされてというのが皮肉だ)めったにあることじゃないから,実に奇妙な感じだった。
 番組の最後に,これからCFのロケでアメリカへ行くという大林宣彦が,「CFって…恐いですネ…」と,ポツリとつぶやいた。

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  ぼくの記憶にある,いちばん古いТVのCMソングは,
  ♪ひとつぶで二度おいしい〜のグリコ。『日真名氏飛び出す』のスポンサーが,たしかグリコじゃなかったかな?
 ТVのCMソングや主題歌は,バカみたいによく覚えている。『おトラさん』は「ノーシン」。『スーパーマン』は「サンスター」。『月光仮面』は「タケダ」。

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  わが国初のショウ番組は,NHKの『光子の窓』。
 NHKの『夢で逢いましょう』や,NТV『シャボン玉ホリデー』は,もう少し遅い。
 わが国初の中継放送もNТVがやった。こちらは,なんと開局の翌日,すなわち,昭和28年8月29日の巨人×阪神戦の中継がそれであった。以後も,NТVはスポーツ中継とショウ番組に力を入れ,「プロレスとミュージカルのNТV」などとバカにされたりした。ということは『ウェストサイド物語』以前はわが国でのミュージカル(MGMミュージカル=当時はミュージカル・コメディという呼称が一般的だった)は,プロレスなみに考えられていたともいえるわけだ。
  『光子の窓』をプロデユースしたのは,井原忠高。いまは『11PM』『うわさのチャンネル』などを作っている人です。

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  『月光仮面』とか,ТVウェスタンとかをみていた頃,夜のシーンの撮影は,本当は昼間,レンズにフィルターをかけてやっているのだ,と兄から教えられて,少なからずシラケてしまった。それは「インチキだ」と思った。真っ暗で何も撮らなくてもいいから,本当に夜の闇の中でやるべきだと思った。その頃は,映画なんてぜんぜんみなかったし,みたとしてもそんな「インチキ」には気付かなかったのだろう。ぼくは,ТVだからインチキなんだ,映画はホンモノにちがいない,と信じていたようだ。
 とにかく,♪月の光を背にうけて〜という唄をバックに,陽光の下で芝居をしてるというのは,幼ゴコロにもシラジラしく思えたのであった。

  この「インチキの夜」のことを,フランス人は「アメリカの夜」と呼ぶのだ,ということ知ったのは,もちろんトリュフォーの『アメリカの夜』が公開されたからである。映画はまだみてないけどね。「アメリカの夜」か! ナルホド,さすがフランスの人はうまいことを云うもんだ,と感心してしまった。

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  今では,「アメリカの夜」を嫌いではない。☆の照明を考えた人に敬意さえ抱いている。たとえインチキでも夢が通い得る。それに比べて,ТV・CFの創る夢は,実にТVらしい本物にみえる。コワイですネ…。

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  今回は百恵ちゃんのことを書く予定でしたが,歌謡曲というのはТV以上につかみどころがなく,おまけにぼくも目下カゼをこじらせて不調なので,スポンサーの御好意により昔話でお茶をにごしておきますのだ。(つづく)
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   連載  第3回  第4号より