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 作成者・池田博明


    「四季ユートピアノ」放映バージョン差について

     茨木 千尋     2001年10月24日

    池田宛ての電子メール私信より 
    放映日 2001年10月22日(月)NHKアーカイブス 午前0:30〜2:05 90分版

 唯々、放映されるということの嬉しさのために、何を考えることもなしに見始めていたら、見慣れている1996年4月放映版(BS放送)、或いはそれと全く同じ(?)NHKビデオ版(これが「国際版」なのか?) と違う所が、殆ど冒頭からあるのに気付き、急いで用意したメモ用紙にあれこれ書き込みながら観ていて、 終わってみると90分しか経っておらず、これが「国内版」なのかと納得しましたが、それでも、おそらく音声がデジタルに変換されていて、その変換後に差し替えた(?1980年放映の「国内版」は勿論観ていないので 真偽のほどはわかりませんが)と思われるところ、他の音声と若干音質が異なる音声が多くあり、驚きました。

 全体としては、当然にも画像が10分少ないため、画像のようにはカットできない音楽がその分、 100分版には音声が入っていなかった所にまで掛かっていて、しかも台詞と台詞の合間が短くされていて、静寂感が100分版と比較してやや少ない印象を受けます。

 しかしながら、『創るということ』所収のシナリオに見られ、100分版になかった台詞が聞けたのは 興味深いことでした。(そのシナリオにもない台詞、例えばピアノが燃える中を廊下を兄妹が走る時の 「光の速度で走った」というナレーションが聞かれました。)

 特に後半部では、ナレーション形式での榮子の声が100分版より多数入っており、 劇中の台詞に被さって、その台詞が聞こえなくなっている所(例えばオペラ歌手の奥さんが榮子の調律をやり直させる所)などもありました。

 また、100分版と同じ台詞でも、別テークが用いられれている箇所が数多くあって、それらの殆どには、 どこか慌ただしく発声したという印象があります。高校の体育館でバレーシューズの中に入っていた ガラスの破片で怪我をする時の「痛い」という声が大きくなっていたり、その直後の乗合船のシーンに ピアノの曲が流れたり、ケンと再会するトンネルのシーンに蝉の声が被せられたりしていて、 100分版での趣が減じている気がします(蝉の声に趣を強く感じる人もあるかも知れませんが)。

 トンネルの中で榮子が打つ手の響きもデジタルでは(或いはデジタル音声に慣れたくない者の耳には)、前面に出過ぎてしまいます。

 全体に、デジタル化を度外視しても、音の量が増しているのです。

 他方、「主よ、人の望みの喜びよ」が、榮子が愛子の鳩時計を降ろすシーンで、100分版ではオルガンによる演奏であったのに、90分版ではオーケストラ版に替えられているのも気になります。

 多くの示唆的な画像がカットされている(『夢の島少女』を想起させてくれるようなものはとりわけ惜しい!)こととは別に、画像の相違点としては、トンネルのシーンの直後の砂浜の短いカットの中で、 100分版では二人の人物が比較的アップになっているのに、この90分版では遠景に退いている、 というのが唯一気付いた箇所であり、ここはこの遠景の方にも独自の美しさがあるように思えます。

 「国内版」であるからには仕方のないことかも知れませんが、調律に行った船の中でパーサーが 榮子に話し掛ける時の英語に日本語字幕が付されているのも、大きな違いの一つでしょう。それも、テレビ用であるからか、画面に占める割合の異様に大きな字幕です。 残念ながら、この大きな字幕は、映像の美しさと、映像を観る者の意識の流れとを乱してしまうような気がします。この箇所の台詞の意味の概要が日本語字幕で提示されるよりも、 映像を恰も必死に辿り追って行く方に集中できた方がこのシーンを観る喜びは大きいのではないでしょうか。 

 (私は、エリセの『エル・スール』を何度目にか観た時に字幕が映像の美を極めて損なっていることを実感して以来、字幕を警戒するようになりました。意味の面でも的はずれな翻訳は多いという点も含めて。)

 "Qui va piano va sano." という句の中で、pianoを元来の意味で示し、 楽器としての PIANOと二重に響かせて、その静かな響きの渦に作品全体をも見る者をもとらまえてしまう作品であることを思えば、100分版の静謐さがどうしても私には懐かしく感じられてしまうのです。

 そうは言うものの、死と生とを、孤独と(上手く言えませんが)共生とを、それに愛と憎悪とを、 美として一つにし、且つ同時に、統一してしまうことなどない、手法の偉大さに、 観る回数を重ねるたび毎に、より大きく圧倒されます。

 (今回は何故か、数枚のSPレコード盤を蓄音機のハンドルで叩き割る兄の「憎悪」と、「川さん」が 帰った後の「宮さん」のちょっと異様な憎悪の言葉との複雑な連続性を強く感じてしまいました。)

 とにかく、まだまだ何度も観なくてはと感じさせられながら、思い付くままに記してみました。


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