映画 日記       池田 博明 


2007年4月〜8月に見た 外 国 映 画 (洋画)
見た日と媒体 作  品        感  想     (池田博明)
2007年8月30日

DVD
黄金の腕

1955年
USA
119分
 オットー・プレミンジャー監督。フランク・シナトラが麻薬中毒のディーラーを演じます。白黒作品。オープニング・タイトルはソウル・バスのアニメーション。
 黄金の腕バスから降りたフランキーは大きなケースを持っています。丸いほうにはドラムが入っています。酒場へ入ると6ケ月ぶりの療養所からの帰りを仲間が祝福。しかし、療養所で覚えた経験を生かしてドラマーになるというフランキーを博打仲間のルイ(ダレン・マッガヴィン)やシュリフカ(ロバート・ストラウス)は元の生活に引き込もうとします。アパートには車椅子の妻ザッシュ(エリノア・パーカー)がいます。3年前にフランキーの起こした交通事故で怪我をして以来、車椅子生活です。本当は歩けるようになっているのですが、ザッシュはそのことを隠しています。面倒見のいい隣人ヴァイに、寂しいときにはホイッスルを吹けと言われたというザッシュは時々、力なくホイッスルを吹きます。ザッシュはドラマーなんか身につきっこないと思っていて、ディーラーで稼いで欲しいと考えているようです。そこで、フランキーのすることなすことに不満を言います。狭い室内でのイライラ感がきわだちます。映画の中心のひとつはこの《車椅子の妻》にあります。もうひとつの中心は、カードとドラムに《黄金の腕》をもつ主人公。
 フランキーには酒場でモーリー(キム・ノヴァク)という親しい女がいますが、モーリーにも男ができていました。けれども、男を激励し、ときには精神的に支える強い女性です。
 フランキーの“黄金の腕”を信頼しているルイは、賭博にひきこもうとヤクを餌に誘惑します。1回だけならと気を許して再びヤクの罠にはまってしまうフランキー。賭博にもドラムのオーディションにも失敗して、おいつめられていくフランキー。ヤクを止めようと決意して禁断症状に苦しむ場面が見せ場になります。ハリウッド映画のタブー、同性愛・麻薬・共産主義賛美のひとつ、麻薬をテーマにタブーに挑戦し、センセーションを巻き起こした映画。
 音楽エルマー・バーンスタインがモダン・ジャズを映画に本格的に取り入れました。原作は麻薬中毒を扱ったネルソン・アルグレンの1949年の作品(原作と映画はだいぶ違うそうです)、脚色ウォルター・ニューマンとルイス・メルツァー。
 麻薬をやめるというフランキーに、ルイが「俺も中毒だったんだ。キャンディーのな。やめようとして、最後に腹いっぱいキャンディーを食って、気持が悪くなった。それ以後そのときのことを思い出す」という話をします。
2007年8月27日

DVD
ビッグ・コンボ

1954年
USA
89分
 日本公開時の題名は『暴力団 The Big Combo』。ビッグ・コンボは大組織を意味します。ジョゼフ・H・ルイス監督,撮影ジョン・オルトン。
 製作・主演コーネル・ワイルドはシチリア出身の暴力団のボス、ブラウン(リチャード・コンティ)逮捕に執念を燃やす警部補ダイアモンドを演じています。踊り子リタという愛人がいますが、ブラウンの情婦スーザン(ジーン・ウォレス)にも惚れています。
 ブラウンの手下たちはマクルーア(ブライアン・ドンレヴィ)、ファンティ(リー・ヴァン・クリーフ)とミンゴ(アール・ホリマン)。
 ブラウンの先妻アリシアを船中で殺害したという推理を裏付けようと、ダイアモンドは奔走します。しかし、アリシアが生存していることが分って、ダイアモンドは推理をやり直すことになります。アリシアに警察への協力を求め、証言を依頼しますが、ブラウン恐怖症の彼女は証言を拒否します。一方、仲間の裏切り行為もあり、ブラウン側の事情も切羽詰ってきます。
 照明の魔術師オルトンの撮影の見事さがラストシーンの煙と影の映像からも理解できます。
 コーネル・ワイルドの警部補が「正義派」らしく一本調子なため、共感を呼びにくいのですが、ラジオの音を補聴器で大きくする拷問や爆弾入りの弁当など、突出した表現が多々あります。
2007年8月26日

DVD
歩道の終わる所

1950年
USA
95分
歩道の終わる所 日本劇場未公開作品「Where the Sidewalk Ends」。オットー・プレミンジャー監督。紀伊国屋書店発売のボックス「フィルム・ノワール傑作選」に収録。他の収録作品は『キッスで殺せ』『ビッグ・コンボ』。脚色はベン・ヘクト。ディナ・アンドルーズ(ダナ・アンドリュース)、ジーン・ティアニー、プレミンジャーは『ローラ殺人事件』(1944)のコンビ。
 ニューヨークの16分署に勤務するマーク・ディクソン刑事(ダナ・アンドリュース)は上司から容疑者への暴行に対する注意を受けます。ギャングの賭場で富豪モリソンが刺殺される事件が起き、賭場でモリソンと喧嘩したペインの家に行き、尋問しようとしたディクソンはペインに殴られます。そこで殴り返すと戦争の古傷が残っていたペインは打ち所が悪くて死んでしまいます。ペインが生きていて逃亡を図ったような偽装工作をしたものの、容疑はペインの別居中の妻モーガン(ジーン・ティアニー)の父親、タクシー運転手のジグス(トム・タリー)にかかってしまいます。
歩道の終わる所 父親が泥棒だったというトラウマを抱えて、仕事一途な刑事役を演ずるディナ・アンドルーズは終始暗い顔をしています。刑事が惚れていくジーン・ティアニーは“崇高で、気高く、魅惑的で”、“犯罪に魅せられた美女と呼びたいところである”(山田宏一)。
 無駄の無い脚本と、美しいジョゼフ・ラシェルの白黒撮影。この時代の映画がきちんと保存されているアメリカの技術が素晴らしい。他のオットー・プレミンジャー監督作品も見てみたいものです。『堕ちた女』『カルメン』等など。
 フィルム・ノワールの傑作で未見の作品がまだまだたくさんあります。
2007年8月25日

ビデオ
深夜の告白

USA
パラマウント
1944年(日本公開1953年)
107分
 原作ジェイムズ・ケイン『倍額保険』、脚色ビリー・ワイルダーとレイモンド・チャンドラー、監督ビリー・ワイルダー。白黒映画。
 深夜、傷ついた保険外交員ネフ(フレッド・マクマレー)が会社に戻って来て、友人の保険調査員キーズ(エドワード・G・ロビンソン)の蝋管カートリッジ式の録音器に告白し始めます。ネフが夫を疎ましく思うフィリス(バーバラ・スタンウィック)に会ったのは5月末のことでした・・・・。
 夫(トム・パワーズ)に傷害保険をかけたうえで、事故死にみせかけて殺す計画を立て、首尾は上々、完全犯罪をやり遂げたと思ったのも束の間、傷害保険に入ったにもかかわらず、脚の骨折で保険を請求しなかったことから疑問が持たれ、調査員キーズの追求が始まります。しかし、キーズはネフを全面的に信頼していて、まさかネフが犯罪にからんでいるとは考えません。女の共犯者は医学生のニノだと推理します。
 夫が殺される間(当時の検閲による制約により、車内での殺人は描写されない)、表情を変えないファム・ファタールを演じたスタンウィックが話題になりました。ウッディ・アレンはこの作品を「史上最高の映画」と評しているそうです。
 倒叙形式にしたことで、最初から観客は女に犯罪者の香りを読み取ることになります。ワイルダーはスタンウィックに前髪つきの金髪のかつらを渡し、金のアンクレットも付けさせました。女は保険外交員の前に最初は半裸で現われ、着替えてからもソファーで脚を組む姿勢で誘惑します。女の仕草のひとつひとつが危険な罠に見えます。夫の最初の妻が病気だったときの看護婦がフィリスだったのですが、娘ローラ(ジーン・ヘザー)の口からその病死の原因を作ったのもフィリスだったという疑惑がネフに告白されます。
 “第17回アカデミー賞では作品賞を含む7部門にノミネートされるが無冠に終わった。この映画は犯罪映画の一つの指標となり、生涯最高の役を手に入れたマクマレイとスタンウィックはこの作品の成功によってスターとしての不動の地位を獲得し、以後、悪女を主人公にしたサスペンス映画が大量に作られ、40年代のフィルム・ノワールに大きな影響を与えた。”

 ワイルダーの証言
 “マクマレーが主人公を演じたおかげで、観客は主人公に感情移入することが可能になった。彼は、女に対する欲望のために彼女の道具となってしまう過程を見事に演じてみせたからである。・・・三度ともエンジンがかからない。二人の表情は凍りついたようになる。・・・観客は、殺人者の男女と一緒になって、車が発進しないのではないかと恐れている自分に気づく。・・・エンディングは・・・全映画史を通じてもっとも美しいラストシーンのひとつであろう。”

 『ビリー・ワイルダー自作自伝』文藝春秋社(1996)
2007年8月5日

WOWOW

12:00〜2:30
ダ・ヴィンチ・コード

2006年
USA
150分
 ダン・ブラウン原作、ロン・ハワード監督の話題作の吹替え版。次々に現われる暗号に対する興味で映画が進んでいきます。暗号が紹介されると少し後では解読されているという超スピードな展開ぶり。殺人の実行犯シラスを最初に明示してしまうことでミステリー性を低めて、サスペンス性を押し出しています。複雑な原作を映画化するために、製作者は見ている人がより分りやすい選択をしたように思えます。ダ・ヴィンチ・コード自体は、あまり詳しく解説されません。
 原作は反証や代替説の紹介が無く、一定の説だけが展開されるため、トンデモ本になっています。また、雑誌『文藝春秋』2006年6月号の竹下節子「『ダ・ヴィンチ・コード』四つの謎」によれば・・・ダ・ヴィンチ・
 “フランスはカトリックの国であり、カトリックでは福音書以外の聖書外伝から伝わったテーマやモティーフが画に描かれることは珍しくなかった。マグダラのマリアもよく描かれていて、特に秘匿するようなモティーフではない。ところが、アメリカのWASPのプロテスタントから見ると、異教的要素や女性原理は異端の暗号のように見えてしまうのだ。小説で、フランス人のヒロインが「聖書についての知識がない」とか「無宗教だ」と語っているのは奇妙な設定なのだ。また、イエスの子孫がヨーロッパの王家のもとになったという説は伝説でしかないし、たとえイエスが結婚していたとしても、イエスは神の子であるとともに人間の子であるとする、カトリックの教義には矛盾しない。したがって、その秘密を守るために殺戮をくり返すという設定は、非現実的であった等など”
 原作を読んだときには原作は映画的だと感じました。映画の方は原作のダイジェストですが、暗殺者たちがどうして殺害にこだわるのかが、よく理解できませんでした。
2007年7月28日
DVD
ダーウィンの悪夢

2004年
フランス=オーストリア=ベルギー映画
1時間45分
 ヴィクトリア湖はカワスズメ科の魚など生物多様性の宝庫で「ダーウィンの箱庭」と呼ばれていました。ところが、1950年代、誰かの手で肉食魚ナイルパーチが導入され、それが増えたことで、ナイルパーチに関係する会社ができ、社会が変化します。フーベルト・ザウパー監督が4年間に渡って密着取材をして撮り上げたノンフィクション映画。生態学や進化学の教材として授業で使えると思ったのですが、人間とその証言を描いている部分が多く、「生物学」の教材としては使用できませんでした。
 映画の前面にナイルパーチが登場するわけではなく、ダーウィンも出て来ません。特典のインタビューで監督はこの映画のテーマは「グローバリゼーション」だと語っていました。弱肉強食の論理が世界じゅうに広まってしまった、それがダーウィンの悪夢です。
 ナイルパーチは2m近くの巨大な魚です。湖の周辺にはヨーロッパが資金提供したナイルパーチの加工工場が栄えています。ヨーロッパの視察者は加工工場が国際規模になったと喜んでいるのですが、工場の労働者は高価な魚を購入することはできません。残骸は村で集められて、貧民の食べ物になっています。頭は揚げ物にして売られています。魚の研究所で夜警をしている男性は前の男が強盗に殺されたので雇われたと話しています。侵入者を弓で射るのが彼の武器で、矢の先端には毒が塗ってあるそうです。戦争の話になると、貧しい者たちは金のために喜んで兵士になる、兵士になったら敵を殺すのが仕事だと言います。雨が続けて降らないと、米が不作になり、飢饉がやってきます。浜辺で炊いたご飯を争う子供たちが弱肉強食の世界を印象づけます。
 貧しい女たちはパイロット相手の売春婦になります。コンピュータの学校で勉強したいと言っていたリンダは、オーストラリア人に殺されてしまいます。親を亡くしたストリート・チルドレンはナイルパーチの梱包材を火で溶かしたドラッグを嗅いで、つらさを一時的に忘れます。極貧の人々が働き口もなく、湖の周辺で暮らしています。
 魚を運ぶ飛行機は武器も運んでいます。アフリカはあちらこちらでずっと戦争をしてきました。
 解説書によりますと、ナイルパーチはEUに次いで日本にも輸出され、白身の魚としてフライ・味噌漬・西京漬に使われているそうです。
 ドキュメンタリー映画として評価の高い作品ですが、ヨーロッパ人好みの一方的な偏見が出た”作品”という批判もあります。
 農村調査の吉田昌夫氏は、現地人は腐った魚肉しか食べられないとされていることに、特に誇りを傷つけられ、怒っていたと報じています。貧困はありますが、雇用を生み出したナイルパーチがその元凶ではありませんと。
 根本利通氏は「ダルエスサラーム便り」で、“映画の中で描かれている事実は、総じて事実であるが、首を傾げるような場面はいくつもある。事実を淡々と並べる手法、それは映像効果を狙った監督の作品なのであって、それを純真に「これがタンザニアの現実だ」と思い込む方がおかしい。ナイルパーチ産業が30万人の雇用を創出したことは事実で、環境汚染の問題はまた別の問題だ”と批判しています。
2007年7月27日
DVD
不都合な真実

USA
1時間36分
 アル・ゴア元副大統領が地球温暖化について解説する映画。監督ディヴィス・グッゲンハイム。特別な360度の円形舞台を設定し、ゴアが講演しながら、巨大なスクリーンにデータをプレゼンテーションして撮影されました。ゴア
 ゴアの直截なメッセージが聴衆の心に訴えかけます。ときどきゴア自身の個人的な経験や体験が語られます。例えば大統領選挙で僅差で落選したことや、たったひとりの姉が両親が栽培していたタバコで喫煙し、肺ガンで亡くなったことなど。
 民主的な国、アメリカでは地球温暖化に関する警告はすぐに政府にも受け入れられるものと思っていたゴアは、そうではなかったことに驚いたと言っています。それでも、彼はアメリカの民主主義を信じて、未来を憂れうる人々がいることを信じて、講演を続けます。
2007年6月8日
録画
ミュンヘン
2005年
USA
2時間43分
 ミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手が人質になり虐殺された「ミュンヘン事件」(1972年)のアラブ側の首謀者11名を暗殺するイスラエル政府の組織モサドの暗殺チームの物語。ミュンヘンアヴナー(エリック・バナ)という架空のリーダーを設定しています。アメリカ合衆国に多いイスラエル寄りの映画かというと、そうではありません。テロリズムが新たなテロを産み、連鎖が終わらないことを訴えています。暗殺者たちの精神も次第に疲弊していきます。大儀を失った仕事にはなんの希望も喜びもありません。暗殺でなくとも同じことです。
 金で情報を売る情報屋だって自分の情報を敵側へ売っているかもしれません。そのことに気が付くと、主人公は安眠することができなくなります。ちょうど『マクベス』のように、「もう眠りはない、マクベスは眠りを殺した Sleep No More! Macbeth does murder sleep.」。 
2007年6月6日

DVD
チャーリーとチョコレート工場
2005年
USA
 『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジョニー・デップ人気でWOWOWで放映されたロアルド・ダールの児童文学の映画化作品。30年前には、ジーン・ワイルダー主演の『夢のチョコレート工場』(1971年)という映画化作品もありました。小学生だった娘はMGMの『オズの魔法使い』とともにこの映画が大好きでビデオで繰り返し見ていました。
 こんどの新作品では、特殊撮影を駆使して原作の世界を再現しています。工場主ウォンカの父親が歯科医で、息子にチョコレートを食べさせなかったという過去が描かれているところが映画のオリジナル。
 ゴールド・チケットを当てて集まってきた子供達は、チャーリー以外は嫌味な性格ですが、因果応報で、それぞれに罰が与えられます。いくら嫌味な子供でも、あんまりだという意見がありましたし、嫌味な子供自体がステレオタイプだという批判もありました。映画を見てみますと、これらの嫌味な子供達は、寓話の登場人物としてわざと読者に嫌われるように造形されていることが分りました。舌きり雀の意地悪なおじいさん・おばあさんのような役どころ、つまり典型的な悪者なんですね。これらの典型が子供だと思うと不快な造形なのですが、見ている子供自身があんな子供にはなりたくないと思うという点ではとても教育的ともいえましょう。では逆にいったい、どんな子供が《良い子》なのでしょうか。人を押しのけてまで勝者になろうとするのは《悪》、親に甘えて欲望をむき出しにするのは《悪》、知恵をひけらかすのは《悪》、依存心と慢心で太っているのは《悪》。兇暴な精神は《悪》。チャーリーはこれらの悪徳を示さない。積極的な美徳を示すのではなく、悪徳を示さないこと、つまり控えめさが美徳だというのはワスプの価値観ではないでしょうか。
2007年5月12日
WOWOW
17:00〜18:57

20:00〜21:54
がんばれ!ベアーズ

1976年
USA
102分

《ニュー・シーズン》
2005年
114分
 ウォルター・マッソーが少年野球チームの監督をし、テイタム・オニールが天才投手アマンダを熱演する『がんばれ!ベアーズ』を見るのは三度目でしょうか。新たな気持ちで見ることができました。子供たちが大人であるマッソーに対して、いっぱしの口をきくのが驚きです。それでも、野球では監督の指示は絶対だという暗黙のルールがあって、ある程度の秩序が保たれている。その辺りのかけひきと、試合でのフェア(公正さ)・プレーの精神と、勝つためには手段を選ばないアンフェアさが交互に表現されています。がんばれ ベアーズ
 ベアーズの面々は運動神経はダメですが、プライドは持っており、勝負だけにこだわってはいないのが不思議な味わいになっています。常勝ヤンキースの監督(ヴィック・モロー)の息子は、暴投を父親にビンボールと誤解されて試合を放棄、マウンドを去ってしまいますが、試合の後、どうなってしまったのか、とっても気になりました。
 ビル・ランカスターの脚本がよく出来ています。音楽ジェリー・フィールディングは『カルメン』の音楽を大変効果的に使っています。その後の野球映画の原点ともなった作品です。
 『がんばれ!ベアーズ 《ニュー・シーズン》』(監督リチャード・リンクレイター)はリメイク作品で、基本的な筋は共通ですが、中心はバターメイカー(ビリー・ボブ・ソーントン)に合っており、アマンダと不良少年ケリーの存在感は小さくなっていて(二人とも本当の野球選手だとか)、子供たちの言葉も汚くなっています。旧作品は吹替えで子供と一緒に見たいという人がいましたが、リメイクの方はチームの連帯感が薄く、バターメイカーが依頼主の婦人と出来てしまったり、ユニフォームの出資者が女性同伴バーでいつも応援にその手の女性たちが駆けつけるという描写があり、子供と一緒に楽しめるかどうか。子供中心のコメディの王道としてリメイクされたのでしょうか。
2007年5月4日

BS2
レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語

2004年12月公開

109分
 監督ブラッド・シルバーリング、脚本ロバート・ゴードン、原作レモニー・スニケット。
 ボードレール家の三人兄弟、発明が趣味の姉ヴァイオレット(エミリー・ブラウニング)、読書家の弟クラウス(リアム・エイケン)、噛むのが得意の4歳の末っ子サニー(カラ&シェルビー・ホフマン。双子の子供を使って、一人に見せている)。自宅が全焼して両親が亡くなり、後見人のオラフ伯爵(ジム・キャリー)に預けられる。しかし、伯爵は莫大な遺産を目当てに彼らを暗殺しようと企てる。ゲスト出演でジョセフィーンおばさん(メリル・ストリープ)、弁護士ポー(ティモシー・スポール)、演劇評論家( ダスティン・ホフマン)など。
 これは徹頭徹尾、不幸な物語であると強調される勢いで見てしまいました。特殊撮影は見ものでした。オラフ伯爵役のジム・キャリーには圧倒されました。鈍感なポー弁護士や、先走って心配ばかりしてしまうおばさんのキャラクターが可笑しい。
 《ハリー・ポッター》や《指環物語》が暗黙の前提としている人間どうしの友情や連帯、それは悪魔や異世界を敵とした場合に強く発揮されるもの。しかし、ファンタジー・ノヴェルが無条件に前提としている同族間の連帯は決して前提となりえるものではない。人間の間には邪悪な謀略や悪意があり、そのような邪悪と闘う技術は《発明》に象徴される科学技術や知恵であり、《読書》に象徴される知識であるというメッセージがこの作品の主旨と思われます。三人の子供達は科学的な論理と合理的な判断によって、困難を脱出していくのですから。ところで、サニーの《噛みつき》は何を象徴しているのでしょうか。

2007年4月〜8月に見た 日 本 映 画 (邦画)
見た日と媒体 作 品        感  想     (池田博明)
2007年8月20日

録画

WOWOWにて8月19日午前11時から放映

Wの悲劇

1984年
角川映画・東映
110分
 澤井信一郎監督作品。脚本は荒井晴彦と澤井信一郎。静香(薬師丸ひろ子)に惚れる世良公則が印象深い。静香にいったん得た主役を奪われる菊地かおり役に当時新人の高木美保。Wの悲劇
 1985年初めにこの作品について書いていた。読み返してみると、私自身の自我論になっていて、ほとんど書き直す必要が無かった。けれども、映画自体の魅力を語る文章とは言えなかった。以下、20年以上前の拙文を再録。
   ++++++++++
 公開初日に『Wの悲劇』を見た(1984年12月15日)。小田原オリオン座のイエローホール(60名収容)で、超満員という悪条件の中で見たのだが、『俺っちのウェディング』を見たときと同じような満足感だった。
 自我の分裂とたたかい、新たな表現を求めて苦しんだ多くの作家。発達したマスコミの中で実生活を演じてニヒリズムに至った作家。日本の近代文学の草創期に、西洋と日本の溝に落ち込んで傷ついた作家。それらの人々の霊を思い出した。
 薬師丸ひろ子(静香)は「もうひとりの自分」と付き合っていくと言った。それを「もうひとりの自分」から逃走したはずの世良公則(明夫)は拍手で祝福する。彼も一歩退いて、もうひとりの自分を生きてみせるのである。
 「もうひとりの自分」に気がつくのはなにも役者ばかりではない。だれもが多かれ少なかれ、「もうひとりの自分」を抱えている。ときには、自分の「仮面」に嫌気がさしてしまう。明夫の長話が私の心にしみてくるのは、それが私自身の姿にそっくりだからである。しかし、映画はまだ半ばだ。
 映画は「もうひとりの私が泣いちゃいけないって。ここは笑うところだって」とばかりに、笑うはずの静香の精一杯の泣き笑いで終わる。そこに人生を見事に演じようとする少女の意志と情熱を見て、私は感動する。
 「役者でしょ!」と元気づけられているのは静香ではないのだ。「芝居するのよ!」とそそのかされているのは私たちなのだ。太宰治は「もうひとりの自分」が「トカトントン」と叩く音に、とうとう呑み込まれてしまった。伊藤整は苦脳のあげくに芸の理論を産み出した。しかし、渡辺一夫は「偽善の勧め」で、人間の普遍的な狂気と付き合って生活することを勧め、中村雄二郎は「仮面」こそが精神の多義性を保証するものだと主張するようになる。演技こそ人生である。素顔よ、仮面を引き受けなさいという主張は生活を多義的にする。
 「演技してしまう自分」を最も魅力的に演じてきたのはショーケン(荻原健一)であった。『約束』(斉藤耕一監督、石森史郎脚本)や『青春の蹉跌』(神代辰巳監督)、そして『もどり川』(神代監督、荒井晴彦脚本)。しかし、そこでは演技は悲劇をよぶものであった。『Wの悲劇』の明夫はこの系譜にある。
 世良公則が薬師丸ひろ子にからんで、自分の経歴を述べたてるところは、『約束』でショーケンが岸恵子にからむところを思い出させた。
 さて、しだいに、演技こそが精神を解放することを示す作品が登場してくる。その萌芽は『蒲田行進曲』(深作欣二監督、つかこうへい脚本)にあった。風間杜夫(銀四郎)は演技が実人生になってしまっていて、そのことをちっとも自覚していないところが魅力だったのだ。しかし、この映画はまだ平田満(ヤス)の演技と実人生との間のヒビ割れに力点を置いて描かれていた。ラストシーンで「すべては芝居でした」と書き割りを取り除いてみせてくれたとしても。ヤスに力点が置かれていたことを悪いというわけではない。だが、演技こそ人生というスタイルで完全に描き切った作品としては、『俺っちのウェディング』を待たねばならないのである。
 『俺っちのウェディング』では、なんと軽やかに登場人物は人生を芝居にしていたことだろう。時任三郎も宮崎美子も伊武雅刀も美保純も、みんながみんな楽しそうに自分の人生を芝居にして演じているのだった。時任三郎が宮崎美子に聞く。「おまえ芝居できるか?」。「え?学芸会でなら、やったことがあるけど」。殺人者の前でふたりが演ずる喧嘩芝居のダサいこと。まさに学芸会であった。いつもフツーに人生を芝居にしている二人にとっては、そんな風に演ずることが真実なのであった。
 時任三郎は当初から芝居をしている。結婚式の当日、「出張先から駆けつける新郎」という役を楽しんで演じようとする。ところが、思いもよらぬ結婚式爆破事件でただならぬ騒ぎに巻き込まれてしまう。それでも彼は演技をやめたりはしない。なにせ芝居が身についているのだ。会社では「ただいま、帰ってまいりました」とふざけてみせる。恋人と「イノキ!」をやる。一人だけの部屋で、新婚夫婦の両方の役を演ずる。
 宮崎美子も同じだ。九州の夫の実家で「感心な嫁」を演じて、みんなを感動させた後、仏壇の前でペロリと舌を出してみせる。たぶん『蒲田行進曲』の感心な嫁・松阪慶子をパロってみせたのであろう。
 伊武雅刀の警官はリアリズムとは無縁である。
 美保純は「あんたもカッペか?」という言葉で時任三郎の演技を祝福する。
 最後に時任三郎の救出に来る宮崎美子はなんとウランちゃんの扮装をしている。エンド・タイトルの後でも二人はウランちゃんとアトムを楽しそうに演じているのであった。
 再度言おう。その軽さゆえ、高く評価されなかったが、『俺っちのウェディング』は大傑作だったのである。
 そして、『Wの悲劇』。芝居の話という構造に組み込まれ、新鮮な映像に支えられて、鮮明に人生は演技であると主張する。
 登場人物が演技を意識している分、『俺っちのウェディング』の軽さがないのが残念だが、実人生と演技の関係は分かりやすい。出会いの後で、静香が二階の窓から明夫に向って、スカートの裾をつまんで挨拶してみせた後で、カーテンを「チャッチャッチャッ」と言いながらしめるシーンは秀逸だった。
 「悲劇がクローズ・アップでとらえられた人生であるとすれば、喜劇はロングでとらえられた人生である」*。
 『俺っちのウェディング』と『Wの悲劇』のキイ・ワードである。

 *ゴダールが伝えるチャップリンの言葉(山田宏一『映画について私が知っている二、三の事柄』ケイブンシャ文庫より)
   (『東風』No.35,1985年1月10日発行) 
****
 澤井監督の証言   日経WAGMAGAより
 「ラストシーンは当初、世良公則さん演じる明夫と結ばれるという設定でした。でも、名作映画「追憶」のラストのように、失敗しても成功しても、自分が好きなことをやり続けていく女の子を描きたかったんです。角川サイドも了承してくれて、2人を別れさせるラストにしました」
 「薬師丸さんは、僕が今まで出会った中では最も優れた演技者の一人でした。表現が的確で素晴らしかったです。僕が演技を押し付けると、全く別のやり方でやってきて、その方が良いことがありましたからね。日常の哲学を持っている人でした」
 「明夫役は、最初は他の俳優さんに申し込んでいたんですが、最終的に世良さんに出演してもらって正解だったと思っています。ぶっきらぼうだけど、男気があって、最後まで軟派になりきれず、どこかで硬派になってしまう青年を好演してくれました」
2007年8月19日

録画
BS2で8月7日に放映
いつでも夢を

1963年
日活

89分
 野村孝監督は最初の10分間で映画の舞台と背景、人間関係と状況を紹介します。その手際は鮮やかでした。脚本は下飯坂菊馬・田坂啓・吉田憲二。1962年の橋幸夫・吉永小百合の大ヒット曲「いつでも夢を」をテーマにした映画。吉永小百合の「寒い朝」の歌詞もテーマに重なります。橋幸夫の「潮来笠」「若いやつなら」も歌われます。1963年1月公開。いつでも夢を
 光(ひかる)、あだ名はピカコ(吉永小百合)は医師の父(信欣三)の養女で診療の手伝いをしている准看護婦で、定時制に通っています。同じ定時制に通う勝利(浜田光夫)は森田精機の工場で旋盤を扱う工員。父親は出奔して家におらず、母(初井言栄)の内職と勝利の稼ぎで中学生の弟と三人が、やっと生活しています。彼らは荒川の河向うに広がる地域に住んでいます。トラック運転手の留次(橋幸夫)は工場の集団検診から帰る途中の光と父の自転車をはねそうになったことから、知り合います。
 次々に起こる不幸、同級生・秋子(松原智恵子)の入院、勝利の一流企業の入社試験での不採用や父親の交通事故による重傷に力を落としそうになりながら、なんとか気を取り直して前向きに生きていこうとする光(ひかる)。けなげな吉永小百合の姿が、前年1962年の『キューポラのある街』にも増して凛々しく見えます。光自身も両親に死別し、その後面倒を見てくれた若い画家も病死、途方にくれていたところを僧侶の助けで医師の養女に引き取ってもらった過去があります。
 この映画は単なる娯楽的な歌謡映画として作られている作品ではありません。観客として想定していた若者たちのことを考えますと、胸が苦しくなります。ブルーカラーの若者がなんとかホワイトカラーに上がろうと勉学に励む姿をみんなが声援しています。
 定時制の教室での生徒たちの会話で、勝利は「何年工場で頑張ってみたってさ、所詮、この町の職工は職工なんだい。どぶ鼠色の空の下から、外へ出る事なんかできゃしないんだよ、オレはねぇ、ピカちゃん、何としてでも一流会社に入って、ここでの暮らしに、ピリオドを打ちたいんだよ」と訴えます。ひかるは「背広着て、きちんとネクタイ締めて、インターホンのある机で事務をとる、そして幹部社員としての腕を磨く」と受けますが、その後で、それぞれの生徒が事情は違っていてもそれなりの夢や希望を持っているから、力を貸し合わせて私たちは前進しなければいけないと一般化してしまい、夜の冬空の下をみんなで「寒い朝」を歌いながら帰る、一見《感動的な》(悪く言えば、キレイゴトの)場面になってしまいます。いつでも夢を“北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 温かくなる”。
 しかし、60年代当時の現実はそう甘くはありませんでした。一流企業は定時制の生徒よりも条件が同じなら全日制の生徒の方が安心という論理で定時制の生徒を採用しない決定をします。
 勝利は学校にも工場にも復帰できないほどの精神的なダメージを経験する訳ですが、彼の挫折は昨今の社会状況に照らし合わせても、大変現実的なものに思えます。最近の日本は、努力した若者が報われる社会になっているのでしょうか。労働状況を見るにつけ、どうも60年代の勝利の訴えが再び現実感をもって響く時代になってしまっているのではないでしょうか。
 不思議なことにこの作品がちっとも古くなったように思えませんでした。
2007年8月18日

録画
機動警察パトレイバー OVA版
二課の一番長い日

1988年
30分×2
 「機動警察パトレイバー」は1985年から構想され、全6話がビデオで発売されたのは1988年4月。27万本を売り上げたヒット作となった。機動戦士ガンダムのような、戦争で活躍するロボットではなく、日常の延長であるようなロボットという設定で、人が死ぬことのないロボット・アニメとして構想された。この作品のために制作集団ヘッドギア(伊藤和典・ゆうきまさみ・高田明美・出渕裕・押井守)が組織され、6話のオリジナル・ビデオ・アニメーション(OVA)として作られた。第5話・第6話は「二課の一番長い日」で、自衛隊の不満分子によるクーデターの物語。BS2「とことん押井守」による特集で8月10日に第1話・第5話・第6話を放映。押井監督は「この6話で終わりだと思ったから、クーデターの話に挑戦した」。劇場版の第2作でも自衛隊の叛乱が描かれる。
 ロボット・アニメといいながら、ほとんどロボットが活躍する場面がない物語。特にこの回では隊員たちが冬期休暇で里帰りをしていて、第二小隊には整備員が残っているだけ。第一小隊の隊長・後藤と第二小隊の隊長・しのぶがクーデターの先を読んで、官邸を守るパトレイバーを配備するものの、叛乱部隊はアメリカ軍から盗んだ核ミサイルを準備していた。
 絶対絶命の状況で、叛乱部隊の指揮官・甲斐とかつて同僚だった後藤が、決定的な判断をする。
 第5話前篇のラストに苫小牧から東京にノアたちが蒸気機関車で帰る場面がある。メカ・デザインの出渕「なぜ蒸気機関車?」、押井「蒸気機関車じゃないとダメなの」、出渕「??」。しばらくして、出渕「戒厳令がしかれた東京に機関車で来る主人公は、映画『けんかえれじい』ですね!」。
 「自作を語る」によると、押井監督はヘッドギアにいちばん最後に参加し、OVAでは主に絵コンテと仕上げを担当したものの、演出には関わっていなかったという。映画化・劇場版の製作に押井が最初乗り気でなかったのは、パトレイバーに自分なりの世界観を発見できなかったから。しかし、主人公の名前から連想して、“ノアの方舟”と“バベルの塔”というキィワードを外挿することで世界観が見えてきて、“東京”を描くことから、背景でテーマを語る技術と、監督の妄想を具体物で実体化する映画の方法を把握したという。
2007年8月14日
NHK総合
22:00〜23:00
パール判事は何を問いかけたのか

NHKスペシャル
60分
 副題「東京裁判 知られざる攻防」というドキュメンタリー。制作統括・岩堀政則、ディレクター・高木徹。パール判事
 インド判事パールは東京裁判で「被告全員無罪」の判決書を書いた。戦争の後でできた法律で戦争時の犯罪を裁くことはできないという主張で一貫していたからだ。インドで非暴力を貫いたガンジーの影響も受け、暴力を認めないパール判事は日本軍の残虐さも過ちも認めてはいなかったが、原子爆弾の行使も認めてはいなかった。裁判当初、少数意見を公表しないという約束を提案したはずのオランダのレーリンク判事は、次第にパール判事の主張に耳を傾けるようになっていく。広島上空を視察したレーリンク判事は衝撃を受ける。何も残っていなかったからだ。レーリンクの肉声が残っている、「あれを見て影響を受けないわけにはいかない」と。レーリンクの判決文は、戦争を禁止する大目的に適う国際法は認めようという立場であって、軍人は極刑、広田ら文官はむしろ戦争を止めようとしたと無罪とするものであった。
 ニュルンベルク裁判でドイツの犯罪を裁いたヨーロッパの威信がかかっており、それを代表する英国の判事の苦悩は深かったが、多数派工作が実を結んで、七人の賛成を得ることができた。
 戦後、来日したパール判事は平和のための戦争という考えは認めない、いまや武力は無意味になったと主張している。ニュルンベルク裁判や東京裁判が提起した「人道に対する罪」は国際的に確立している。しかし、「平和に対する罪」は侵略戦争の定義をめぐっていまだに国際的な一致に達していない。
 久間防衛庁長官の「原爆は仕方が無かった」発言やブッシュ大統領のテロとの戦い宣言を思うと、パール判事たちの戦争観が決して世界に根付いたものではないということが分る。
 パール判事のことは知っていたし、講談社学術文庫の判事の意見書も持っていましたが、オランダのレーリンク判事のことは知らなかったので、番組を見てよかったと思いました。
2007年8月12日
NHK総合
21:00〜22:30
鬼太郎が見た玉砕

NHKスペシャル
90分
鬼太郎が見た玉砕 水木しげる原作『総員玉砕せよ!』をドラマ化した作品。脚本は西岡琢也、演出は柳川強。
 水木しげるを演ずるのは香川照之、その若い妻に田畑智子。ニューブリテン島での隊で、丸山二等兵=水木をしょっちゅう殴る軍曹に塩見三省、玉砕命令に反対する中隊長に石橋蓮司。
 片腕を無くしたマンガ家・水木しげるはマンガを描きながら、食べ物をほおばる。生きる証で食べずにはいられないのでしょう。南洋ではとにかく食べ物が無かった。悲惨な状況で、玉砕せずに生き残った兵隊たちに、ラバウル司令部はメンツが立たないと再度の玉砕命令を出す。
 なんの意味も無い死を受け入れる無念さがきわ立ちます。原作をもう一度読み返す必要があると思いました。
2007年7月17日
WOWOW
直撃地獄拳!大逆転

東映
1974年
 東映のナンセンス・アクション、石井輝男監督作品。
 公開当時、名画座で見た私は、B級活劇の体裁をしているが、ナンセンス・アクションの傑作だと思いこみました。その思い込みが正しかったかどうか、確認したかったのです。まさか、この映画がテレビで見られるとは予想していませんでしたので、今回の放映が楽しみでした。タランティーノ脚本の「トゥルー・ロマンス」(1993年)冒頭に、千葉真一こと「ソニー千葉」の3本立て映画を見るシーンがあり、一躍この映画も有名になりました。
 第1作の『直撃地獄拳』は、あまり面白くなかった記憶があります。
 この第2作の脚本は助監督の橋本新一と監督の石井輝男。主演は千葉真一、佐藤充、郷瑛治、中島ゆたか。
 演技も演出も重々しく、泥臭かったのが意外でした。いま傑作という自信はありません。
2007年6月24日
20:00〜21:55
WOWOW
犯人に告ぐ

2007年
WOWOW
 劇場公開に先立ち、WOWOWで一度だけの先行放送。このような企画は初めてでしょう。今年になっては、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞した河P直美監督の『殯(もがり)の森』(2007年)が劇場公開前にNHKのBShiで受賞記念放送された例があります。『もがりの森』は急な放送だったので、巻頭30分を見損なってしまいました。
 さて、『犯人に告ぐ』は瀧本智行監督、福田靖脚本、雫井脩介原作。2000年の大晦日、6歳の男児が誘拐され、身代金受け渡し場所で張り込み中の捜査員たち。緊迫した雰囲気のなか、身代金を持った母親にいつのまにか犯人は接触し、横浜へ行けというメッセージを伝える。21世紀へのカウント・ダウンで大混雑する群集のなか、捜査員は母親にからんできたナンパ男を犯人と取り違えるという痛恨のミス、巻島(豊川悦史)は目の端で犯人と思しき学生を捕らえていた。
 誘拐された男児が遺体で発見され、非難は捜査主任の巻島へ。記者会見の席上、上司の指示で一切の捜査ミスを認めなかった巻島は会見場から去る途中で携帯電話の連絡に対して「妻が出産で死にかけている」と叫ぶ。それから6年後、いまや足柄警察へ左遷させられた巻島は妻(松田美由紀)と6歳になる長男の一平と一緒だった。
 そんな巻島へ神奈川県警本部長となったかつての上司(石橋稜)が、未解決の児童殺人事件の担当を申し出る。バッドマンと名乗る犯人は自分の手紙を公開する劇場型犯罪者。これに対し、警察側もテレビ番組を使って犯人に呼びかける公開型の捜査に踏み切る。警察方の呼びかけ人に選ばれたのが巻島だった。 
2007年6月22日

23:30〜1:35
WOWOW
フラガール

2006年
 実話の映画化だったことを知りました。昭和40年代、常盤炭鉱の閉山に伴い、炭鉱会社は常盤ハワイアン・センターを立ち上げました。田舎娘たちにフラダンスを教えに東京から女性がやってきます。田舎を軽蔑しきっている東京娘に松雪泰子。少女たちのリーダーに蒼井雄。その母に富司純子、兄に豊川悦司。
 ありがちな物語で展開していきます。根性物語としては幸福な結末。これが昨年の日本映画のキネマ旬報第一位とは・・・。若い女優たちが体を使ってアクション・シーンをこなしていく、そのけなげさには感心しますが。
2007年5月11日〜6月1日

テレビ朝日
23:15〜
帰ってきた時効警察

2007年
 第5話「幽霊を見ても決して目をそらしてはいけないのだ」(脚本・吉田玲子と麻生学、演出・麻生学)。テレビドラマのホラー・クィーン、黒井桃子(鶴田真由)には15年前の事件があった。双子の姉、桜子が殺害され、死体が消失したのだ。当時、桃子には事件の時間にパチンコ屋にいたというアリバイがあった。さらにその日の夜、桃子の友人・五郎がマンションで桃子や桜子に出会っていたことが判明。死んだはずの桜子が出没。桜子や桃子が多すぎる?
 第6話「青春に時効があるか否かは熊本さん次第?!(温泉女将殺人事)」(脚本・演出は園子温)。いつまでも皮膚を艶ややかに保つ化粧水「ドリアン・グレイ」の源泉・青春温泉のおかみ・寺島マユミ(西田尚美)には15年前に隣の老老温泉の初老フケミ殺人の容疑がかけられたことがあった。警察官みんなで青春温泉旅館に泊りがけで出かけ、若返り温泉を満喫するが、霧山(オダギリ・ジョー)は時効事件を調査するうちに女将の娘・寺島裕子の行方不明という奇妙な事実に気が付くのだった。青春時代を懐かしむのではなく、年を取ることは素晴らしいことだという霧山の主張が斬新に響く。
 第7話「(ママさんバレー殺人事件)」(未見)
 第8話「今回三日月が大活躍する理由は深く探らない方がいいのだ!」(脚本・監督オダギリ・ジョー)。豪邸・東吉田家の主人が殺害された事件では妻、母(加藤治子)、家政婦(松田美由紀)にアリバイがあり、犯人が不明だった。調査に入った霧山が階段から落ちて入院してしまい、三日月が看護に熱を入れ、ビデオカメラを持って調査に張り切る。やがて真実があきらかに。俳優が演出したとき、ときどき途方も無い傑作が生まれることがある。勝新の演出作品はもちろん、中村敦夫のTV版「木枯らし紋次郎」が傑作だった。今回のオダギリ・ジョーの作品もビデオ・カメラで撮影した素人映像とプロの画面、グラフィック合成画面など、工夫と見所の多い作品でした。
2007年5月4日

WOWOW
20:30〜22:30
笑の大学

2004年
東宝
120分
 脚本・三谷幸喜、監督・星護。三谷の二人芝居の映画化で、検閲官に役所広司、台本作者に稲垣吾郎。最初はラジオ・ドラマでした。続く舞台では検閲官に西村雅彦、作者に近藤芳正。舞台版もWOWOWで同日に放映されたのだが、うっかり見落としてしまいました。パルコから発売された舞台版DVDは、もはや品切れ状態のようで残念です。映画版より舞台版のほうが笑える場面が多かったのではないかという感じがします。星護は稲垣版金田一シリーズの監督でもあります。
 椿一(稲垣吾郎)のモデルとなったのは実在の人物、喜劇王・榎本健一(エノケン)の座付作家・菊谷栄。作家としてもっとも脂が乗っていた時期に召集され、35歳という若さで戦死したといいます。
 英国版「The Last Laugh」は脚色リチャード・ハリス、演出ボブ・トムソン、検閲官役にロジャー・ロイド・パック、作家役にマーティン・フリーマン。 
 7月20日に再放送され、舞台版『笑の大学』を見ることができました。客の反応の笑いが収録されていて、ツボがよく分る公演となっていました。1996年パルコ公演です。まったく笑わない西村雅彦の無骨さがきわだっています。舞台の演出は山田和也。
2007年4月28日・4月30日〜5月4日

BS2
20:00〜22:30
市川崑監督の横溝正史ミステリー  1970年代に製作された横溝正史原作、市川崑 監督、石坂浩二主演の金田一耕助シリーズ全5作『犬神家の一族』(1976)・『悪魔の手毬唄』(1977)・『獄門島』(1977)・『女王蜂』(1978)・『病院坂の首縊りの家』(1979)がBS2で放映されました。『犬神家の一族』のリメイク版が公開されたのを記念したものです。
 私は公開当時、『女王蜂』『病院坂の首縊りの家』を見ていませんでした。他の作品は石坂金田一を始め、キャストははまり役でした。どの作品も面白く見ることができます。謎解きの場面が丁寧で長いだけに、大げさな感はありますが、因縁が複雑にからむ事件なのでその点は仕方がないでしょう。今回の放映はDVD版同様、撮影されたとおりのスタンダードサイズですので、上下を切って横長で上映された当時の映画館での作品とはかなり印象が違います。
 「市川崑監督の横溝ものは女性が犯人」とPRされていたので、『犬神家の一族』では高峰三枝子始め大女優陣が、『悪魔の手毬唄』では岸恵子が、『獄門島』では原作と異なり司葉子が真犯人らしいということは予想されます。犯人が分かっていながらも面白く見られるというのは女優たちの見せ場が多いからでしょう。『獄門島』の大原麗子(早苗役)、太地喜和子(分鬼頭の巴役)、『悪魔の手毬唄』の渡辺美佐子(別所春江役)等も脇を固めています。
 女王蜂『女王蜂』では、それまでの作品の主演者たちがこぞって出演します。家庭教師(岸惠子、『悪魔の手毬唄』の青池リカ役)、お手伝い(司葉子、『獄門島』のかつえ役:原作には無い)、東小路家(高峰三枝子、『犬神家の一族』の長女役)、能登のチンドン屋(草笛光子、三作に違う役で出演)、銀蔵のおば(白石加代子、『悪魔の手毬唄』の咲江役)ら、それに加えて娘(中井貴恵)、その母(萩尾みどり)、宿の女中(坂口良子、『犬神家の一族』『獄門島』)と女優陣が豪華。
 男優陣も銀蔵(仲代達矢)、心霊研究家(神山繁)、多門(沖雅也)、静岡県警(加藤武・小林昭二、加藤武は名前は違うが同じキャラクターで登場する。小林昭二は『悪魔の手毬唄』の多々羅法庵役)、伊豆の巡査(伴淳三郎)、もと旅回りの役者(三木のり平、『悪魔の手毬唄』活弁の手配師役、『獄門島』宿屋の主人役)と個性あり。
病院坂の 『病院坂の首縊りの家』でも法眼弥生(佐久間良子)と法眼由香利・山内小雪の二役(桜田淳子)を始めとする女優陣が圧巻。弥生の母(入江たか子)、法眼家のお手伝い(三条美紀)、小雪の母(萩尾みどり)、南部風鈴作り(草笛光子)、せい(白石加代子)、薬学部生(中井貴恵)などなど。脇を固める男優陣も渋い。写真館(小沢栄太郎・清水鉱治)、小雪の兄(あおい輝彦)、人力車夫(小林昭二)、監察医(三谷昇)、ビル管理人(常田富士男『悪魔の手毬唄』酔いどれの辰造役)、古本屋(三木のり平)、探偵助手(草刈正雄)、警部(加藤武)、刑事(岡本信人『悪魔の手毬唄』駐在、大滝秀治『悪魔の手毬唄』医師役や『獄門島』分鬼頭の主人役)、バンドマン(ピーター『獄門島』の鵜飼役、林ゆたか)等。
 ミステリー映画には力のあるキャストをそろえることが必須と感じられる作品群でした。
2007年4月16日〜19日

BS2
21:00〜22:22
眠狂四郎殺法帖・女妖剣・炎情剣・無頼剣

大映
82〜85分

1963〜1966
 大映が市川雷蔵主演で製作した眠狂四郎シリーズ12作のうち、BS2では4本を連続放映。

 シリーズ第1作「殺法帖」は脚本・星川清司、監督・田中徳三、撮影・牧浦地志。
 狂四郎は加賀・前田藩の奥女中・千佐(中村玉緒)と唐人・陳孫(城健三郎)の双方から助力を依頼される。前田藩主は豪商・銭屋五兵衛(伊達三郎)と結んで密貿易で巨富を築いたが、公儀への発覚を恐れ銭屋一族を処断したというが・・・。

 シリーズ第4作「女妖剣」。脚本・星川清司、監督・池広一夫、撮影・竹中康和。
 本作で美術を担当した西岡善信は「リアルさよりも頽廃的な異世界の雰囲気を醸しだす」美術を目指したという。
 浜町河岸に女性の裸の死体が上がった。残忍な菊姫(毛利郁子)に麻薬責めにされ殺された大奥女中であった。アヘンを大奥に流しているのは御殿医の医師(浜村純)、医師にアヘンを流すのは備前屋(稲葉義男)だった。狂四郎は隠れキリシタンの鳥蔵(小林勝彦)から、狂四郎と血縁関係にある志摩という女を助けて欲しいと依頼される。鳥蔵の妹・小鈴(藤村志保)は兄を助けたい一心で、切支丹屋敷の座敷牢に幽閉されたバテレンを転向させるために身を投げ出す。バテレンは信仰を捨て、小鈴を抱いた。誓詞に血判を押して仏教徒に鞍替えしたのだ。屋敷から放免されたバテレンを狂四郎は斬った。一方、鳥蔵は磔刑に処せられようとしていた。バテレンが転向すれば兄の生命は助けるという約束が実行されないばかりか、小鈴はならず者たちに輪姦される始末。狂四郎が鳥蔵を助けたものの、既に小鈴は舌をかみ切って自殺していた。処刑を目撃しようとしていた菊姫だったが、不品行のため、岡崎にところ払いになる。鳥蔵は刺殺されて息を引き取る直前に狂四郎に志摩を守ってくれと依頼し、さらに血のつながりを知っていると告げる。狂四郎は志摩が身を潜めているという浜松へ向かう。
 途中で花嫁行列に出会う。花嫁は婚礼の前の晩に他の男に抱かれるという夜這いの儀式があるという。儀式を司る巫女の青蛾(根岸明美)は花嫁が憑依したと狂四郎を誘惑する。青蛾を抱こうとすると天井から刺客(伊達三郎)が襲って来た。一瞬にして巫女と刺客を斬る。川止めの宿で「インフェルノ(地獄)」とつぶやき、狂四郎に体を売りこんできた女、お仙(春川ますみ)があった。酒に混ぜられた薬のせいで、いくぶん朦朧としながらも狂四郎はお仙のひもの男を斬った。
 びるぜん志摩(久保菜穂子)の隠れ場所で、狂四郎は志摩に問うが、すぐには答えが得られない。信徒が集まってくるが役人に捕えられてしまう。役人の手から脱出した志摩は別の男たちに拉致され、舟に乗せられた。追う狂四郎の前に菊姫の部下の侍(中谷一郎)が鎖鎌で立ちふさがる。侍を斬って舟を追った狂四郎。大きな船には備前屋が待ち伏せしていた。志摩を囮に使ったのだ。マストを支えるロープを斬り、備前屋とその子分を斬った狂四郎は陳孫(城健三朗)と対決。狂四郎の剣は陳孫に深傷をあたえた。海に逃げる陳孫。
 舟倉でびるぜん志摩に会った狂四郎は、志摩が備前屋のまわし者で切支丹になりすましては、信徒を売っていたこと、狂四郎を船におびき寄せるため配下にさらわれたことを知った。備前屋はキリシタンの情報を老中に与える代わりに密輸を黙認させていたのだ。志摩は狂四郎が転びバテレンが黒ミサの際に犯した武家の娘から産まれたことを話す。そして自害した母親に代わって狂四郎を育てた乳母が自分も育てたのだ、船に積まれた財宝も自分の体も狂四郎に与えると誘惑する。しかし、狂四郎は志摩を斬った。「誰でも自分と同じように考えると思ったら大間違いだ。俺はただの無頼の徒よ」と狂四郎はつぶやく。
 数日後、街道を江戸に戻る狂四郎の後ろ姿があった。

 シリーズ第5作「炎情剣」。脚本・星川清司、撮影・森田富士郎、監督・三隅研次。展開に緩急のある傑作。1974年に見ましたが、ほとんど忘れていました。
 冬、狂四郎は、夫の仇討ちと称するぬい(中村玉緒)に手を貸した。斬られた浪人(伊達三郎)は“助太刀すればおぬしの恥"という謎の言葉を残した。仇討ちの報告にぬいは狂四郎と共に江戸家老跡目将監(安倍徹)を訪ねる。報酬として狂四郎はぬいの体を抱く。翌日、居酒屋に伝吉と名乗る男が飛び込んでくる。伝吉は捕縛され、処刑される。
 狂四郎のもとに鳴海屋(西村晃)が訪ねてくる。小笹という女に色の道を教えて欲しいというのだ。狂四郎は、小笹が生娘でない事を悟り、江戸家老への手土産にする。
 鳴海屋は藤堂家の江戸家老(安倍徹)に威かされ、幕府に献上すべき海賊の財宝を横領していた。そしてさらに将監は、財宝の秘密を握る海賊の末裔を一人残らず抹殺しようとしていた。その探索役がぬいであった。鳴海屋は、鳥羽水車の総帥の娘で、今は将藍にねらわれるおりょう(中原早苗)の身の上も話して聞かせた。将藍の魔手は海賊の末裔の一人で、今は守田菊弥と名乗る人気役者をも殺し、鳴海屋で働くその娘かよ(姿美千子)をも狙っていた。狂四郎は、まだ世間のきたなさも知らぬ清純な少女までも狙う将藍に激しい憎しみを感じた。狂四郎は将藍が参列する菩提寺の法要の席に乗りこんだ。鳴海屋が将藍の罪状をすっぱ抜いた。

 シリーズ第8作「無頼剣」は脚本・伊藤大輔、監督・三隅研次、撮影・牧浦地志。夜の場面が多い。 
2007年4月8日

DVD
不良少女魔子

1971年
ダイニチ映配

84分
 ロマンポルノに移行する前の、日活映画最後の作品で、夏純子の代表作のひとつ。やっと見ることができます。
 夏純子は若松孝二監督の『犯された白衣』がDVD化されていますが、日活の『女子学園』シリーズや森崎東監督の『喜劇・女売り出します』などはDVD化されていません。『女売り出します』の松竹ビデオ版は、テレビ放映用に無理にスタンダードサイズに切った、短縮版だったので、シネマスコープ完全版を出して欲しいものです。夏純子自身は、もう引退してしまいましたが、森崎さんの『喜劇・女売り出します』の女スリ、うわ子を演じて1972年当時もっとも魅力的なヒロインでした。『女売り出します』を私は10回以上見ました。札幌駅地下のテアトル・ポーという1本立ての名画座で、朝から晩まで何度も繰り返し見たものです。不良少女魔子
 勢い余って映画館から宣材をもらい、当時キネマ旬報の読者の映画評に寄稿していたみなさんから原稿を集めて、写真版頁付きのガリ版の夏純子の映画特集誌《不良少女復興!夏純子》も作りました。このミニコミ誌には『不良少女魔子』について谷川紀子さん「ALL I NEED IS MAKO」、内海陽子さん「藤竜にさわると危いぜ!」、平田泰祥君「魔子の一粒の涙」の中篇傑作論文を掲載しています。そのときから、『不良少女魔子』はどうしても見たい1本でした。それが36年たってようやく見られるようになるとは・・・・。
不良少女夏純子  脚本は藤井鷹史で、これは長谷部安春監督のペンネーム。ボウリング場で賭けに負けた青年を集団でカツアゲする不良少女たち。そのリーダー格が魔子。青年・秀夫(清宮達矢)は翌日、仲間(岡崎二朗・小野寺昭・清水国雄)がさらってきてくれた魔子と再会。魔子は秀夫に優しくされて愛情を感じる。魔子の兄(藤竜也)は安岡組の兄貴分。魔子はマリファナの取引先を秀夫に教えることで安岡組を撹乱する。一方、マリファナ・ルートに邪魔が入った安岡組(宍戸錠、深江章喜ら)は青年狩りを始める。徹(小野寺昭)を抱きこんで裏切らせ、チンピラ・グループを解体しようと図る。潜伏先が洩れ、安岡組の襲撃を受ける女たち。裏切りに耳を貸さない秀夫たち。激しいカー・チェイスの後で事故を起こして秀夫は死ぬ。秀夫を失った魔子は自暴自棄になり、兄のドスを奪い取り、はずみで兄を刺殺。翌日、プールサイドで徹を刺す。
 安岡組とのトラブルの元を何度も作ってしまうのが魔子なのだが、その責任が一度も追求されることが無い不思議な作品。仲間たちも兄貴もチンピラたちも魔子には一目置いてしまうのである。まるで《不良少女》という存在を大事にしているような、そんな奇妙な雰囲気の映画である。
《不良少女復興!夏純子》(1973年)より、内海陽子「藤竜にさわると危いぜ!」、
 平田泰祥「魔子の一粒の涙」、谷川紀子「ALL I NEED IS MAKO」の三論文




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 森崎東監督 全作品データ  


新文芸座  勝新リスペクト   2007年
 6月16日(土)  座頭市物語(1962/角川) 続・座頭市物語(1962/角川)
 6月17 (日)  座頭市千両首(1964/角川) 新・座頭市物語(1963/角川)
 6月18日 (月) 座頭市血笑旅(1964/角川) 座頭市地獄旅(1965/角川)
 6月19日 (火) 座頭市牢破り(1967/東宝) 座頭市血煙り街道(1967/角川)
 6月20日 (水) 座頭市御用旅(1972/東宝) 新座頭市物語 折れた杖(1972/東宝)
 6月21日 (木) 悪名(1961/角川) 続・悪名(1961/角川)
 6月22日 (金) 兵隊やくざ(1965/角川) 続・兵隊やくざ(1965/角川)
 6月23日 (土) 新・兵隊やくざ 火線(1972/東宝) 悪名 縄張〈しま〉荒らし(1974/東宝)
 6月24日 (日) 不知火検校(1960/角川)  やくざ絶唱(1970/角川/16mm)
 6月25日 (月) 鯨神〈くじらがみ〉(1962/角川) 鬼の棲む館(1969/角川)
 6月26日 (火) 燃えつきた地図(1968/東宝) 顔役(1971/東宝)
 6月27日 (水) 破れ傘 長庵(1963/角川) まらそん侍(1956/大映/16mm)
 6月28日 (木) 迷走地図(1983/松竹) ど根性物語 銭の踊り(1964/角川)
 6月29日 (金) 待ち伏せ(1970/東宝) 無宿〈やどなし〉(1974/東宝)