映画 日記   (2001年3月28日から)     池田 博明 


2006年12月以降に見た 外 国 映 画 (洋画)
見た日と媒体 作  品        感  想     (池田博明)
2007年4月2日

ビデオ
主任警部モース「ジェリコ街の女」

1986年

イギリス
 コリン・デクスター原作の主任警部モースのテレビ化第1作で、パイロット・フィルムとして製作されました。いまや日本では品切れ絶版となっているビデオですが、最初に試しに1本だけ購入した作品です。大変面白かったので他の作品もそろえようと思っているうちにビデオは発売中止になってしまいました。購入した1本も家の中で行方不明。このたび安価で中古を再入手できました。中古市場にもビデオがなかなか出ませんので貴重品です。
 教会の聖歌隊でモースはひとりの女性と知り合いになります。その女性アン(ジェマ・ジョーンズ)はジェリコ街のアパートでピアノを教えていました。モースはアンに魅かれていましたが、アンはときどき暗い表情を見せます。アパートにはアンの部屋をのぞく趣味のある左官屋ジャクソンや、アンの食客のような青年ネッドがいました。ジェリコ街の女
 突然アンの縊死死体が発見されます。その日、モースは部屋を訪ねたのに返事が無かったのでそれ以上踏み込まなかったのです。アンの死は自殺でしょうか。検死の結果、アンは約妊娠5週めだったことも分ります。胎児の父親はいったい誰でしょうか。アンと親しかった人が捜査線上に浮かぶなか、モース自身もリストにのぼってきます。モースには自分と会っているときに楽しそうだったアンが自殺するとは考えられません。そんななかで、アンのかつての恋人で社長のアラン・リチャーズに脅迫状が送られ、金が払われた後、脅迫者のジャクソンが殺されます。
 薬物中毒のネッドが病院で自分の目を傷つけます。モースはソフォクレスの悲劇「エディプス」を連想します。息子エディプスは父親を殺し、母親と関係するのですが、それと事件がアナロジーだというわけです。しかし、モースの推理は見当ちがいの方向に向っていました。
2007年4月2日

BS2

21:00〜22:25
現金に体を張れ

1956年
USA

83分
 スタンリー・キューブリック製作・脚色・監督の犯罪映画で原題は「The Killing」。競馬場で一番人気の馬を射殺して起こした混乱に乗じて、20万ドルの売上金を強奪しようと計画する男にスターリング・ヘイドン。撮影ルシエン・バラードの白黒作品。
 犯罪に加担する男たちの犯罪当日の行動が同じ時間をくり返してひとりひとり描かれます。最後にそれらがまとまって、現金強奪犯罪が完成する様子が分ります。
 馬券売り場の気弱な男ジョージ(エリシャ・クック)が、美貌の妻(マリー・ウィンザー、ミス・ユタ州だったとか)に強盗の秘密をついもらしてしまったことがきっかけで、横槍が入ってしまいます。
2007年3月24日

DVD
ロイヤル・ウェディング

1951年
USA
92分
 フレッド・アステアとジェーン・パウエルの兄妹のダンシング・チームが、エリザベス王女ご成婚を機に自分たちも気の合う結婚相手にめぐり合うというお伽話。監督はスタンリー・ドーネン。脚本はアラン・J・ラーナー。royal wedding
 二人の息の合ったダンスが長回しで捉えられる。アステアが洋服掛けと踊る場面や、壁を登って天井でタップする場面は特に有名。兄アステアが惚れるイギリス人女性アニーはやや動きの固いダンサー、妹エレンが惚れられる男は金持ちの遊び人と先行き不安な要素がある人物だが、目くじらをたてるほどのことではない。アステアとパウエルのダンスを見るだけでも幸福な気持ちになることのできる作品です。
2007年2月12日

ビデオ1
主任警部モース「ケルビムとセラフィム」

1992年
104分
 モース・シリーズの第25作「Cherubim and Seraphim」は開発中の興奮剤の名前。脚本ジュリアン・ミッチェル、監督ダニー・ボイル。ボイル監督は第15話「魔笛」に次いでの担当。
 若者がディスコ・パーティで踊っています。早朝に帰宅する二人の少女、マリリンとヴィッキーはすっかり興奮。マリリンが野外で錠剤を飲んでいる様子がロングでとらえられます。
 モースの義理の妹ジョイス(ソーチャ・キューザック)から娘のマリリンが自殺したことが知らされます。彼女が薬で自殺する心あたりはまったくありませんでした。モースは休暇を取って個人的に調べ始めます。友人のヴィッキー(ライザ・ウォーカー)にも尋ねますが分りません。捜索願いが出された別の十代の少年も鉄道自殺をしていたことが分りました。胃袋から未消化の錠剤が出てきました。しかし、その成分がどう機能するのかは不明でした。一帯で三人の若者の自殺。共通項はなんでしょうか。
 成分秘密の薬物を開発していたのはコリアー博士(ジェイソン・アイザックス)。マウスの協調的・平和的行動を解発する薬物を合成したようです。土曜日に研究室に鍵をかけ忘れたので錠剤が盗られたかもしれないと言います。翌週の土曜日、懸命の捜査でパーティ会場をつきとめた捜査官たちは強烈な音楽で踊る若者の大集団を目にします。彼らが飲んでいるものは水のようです。いや、何人かはなにか錠剤を飲んでいます。
 飲むと至福の昂揚感を与えてくれる薬物、しかし、それは現実に対する失望を大きくする薬でもあったのです。これで入手できたモース・シリーズはすべて見ました。
 見られなかった作品は第4話「ウィルバーコートの留め具」、第10話「欺かれた過去」、第12話「邪悪の蛇」、第24話「有罪判決」の4作品。
2007年2月10日

WOWOW
20:00〜
フライトプラン

USA
2005年
98分
 ジョディ・フォスター主演、監督ロバート・シュヴェンケ。変わった設定の飛行機パニック・ムービー。ジョディ・フォスター演ずるカイルは航空機の設計担当者で乗り込む航空機の構造を熟知しています。夫が転落死して6歳の娘ジュリアとニューヨークへ向うはずが、居眠りの間に娘が行方不明になってしまいます。ところが誰も娘を見ていないし、乗客名簿に載っていない、霊安室の責任者は娘も内臓破裂で死んだと答えるなど、謎だらけ。孤立する母親役を演ずるジョディが見もの。保安官(ピーター・サースガード)は彼女の敵なのか、味方なのか。
 爆破犯の計画があまりにも面倒な方法なので唖然とさせられます。
2007年2月10日

ビデオ
主任警部モース「イタリアの事件」

1992年
102分
 モース・シリーズの第23作「The Death of the Self」、脚本アルマ・カリン、監督コリン・グレッグ。「自己の死」の「自己」とはセラピーのクラブの金持ちの会員のこと。
 「過去を焼き捨てよ」との合言葉で数人の男女がそれぞれの思い出の品を焚き火に投げ込んでいます。サイコ・セラピーのクラブの儀式のようです。儀式を終えて一人の女性ジュディス・ヘインズ(ジェイン・ワイナム)が夫を探しに来ました。その老女は木に串刺しになっている女性の死体を発見します。第23話
 事故死とされたその事件の死んだ女性メイの夫ケネス・ロレンス(ピーター・ブライス)がオックスフォードで「脅されていた」と証言して再捜査が必要となります。ケネスはその後ヴェンチェンツィアに行ってしまったため、モースとルイスは照会のため、イタリアへの出張を命ぜられることになります。事件のあったクラブを経営していたのは、以前モースが逮捕したことのある詐欺師ラッセル・クラーク(マイケル・キッチェン)でした。
 会員には元オペラ歌手のニコール(フランセス・バーバー、写真左)や大学教授アリステア・ヘインズ(アラン・ロウ)、金持ちのパティなどがいます。モースたちは事故死で決着した地元のバッティスティ刑事(ジョルジュ・コッラファース)に迷惑がられながらも、少しずつ真相を明らかにしていきます。復活をかけるソプラノ歌手ニコールのメイクはマリア・カラス風で、ラストのコンサート会場は野外のアレナ・デ・ヴェローナ劇場。
2007年2月10日

ビデオ
主任警部モース「ハッピー・ファミリー」

1992年
104分
 モース・シリーズの第22作「Happy Families」、日本語題名は家族が単数ですが、英題名では複数形。ということは幸福な(むろん逆説である)家族が複数あるということです。脚本ダニエル・ボイル、監督エイドリアン・シェアゴールド。監督は第16話「メアリー・ラプスレイに起こったこと」に次ぐ2度目の登板。
 富豪サー・ジョン・バルコム(ジョージ・レイストリック)の館では妻エミリー(アンナ・マッセイ,写真下)の誕生日を祝っていました。息子のハリー(ジョナサン・コイ)とジェームズ(マーティン・クルーンズ)や、友人のマーガレット(グウェン・テイラー,写真上)とアルフレード(アンドリュウ・レイ)も同席しています。友人たちは先に帰宅し、家族だけになりましたが、険悪な会話が交わされます。エミリーは友人に夫と子供を「あの三人の悪魔」と表現していました。
 その後、エミリーは夫ジョンが殺されているのを発見します。捜査に駆けつけたモースとルイスは家族が悲嘆を見せていないのを奇異に感じます。
 富豪の死はマスコミの関心を呼び、ストレンジ警視正が出張中のため、捜査の指揮をとったホルズビー警視(アルン・アームストロング)は自分の昇進に傷がつかないよう、モースに全力での捜査を命じます。記者会見で新聞記者に尊大な態度を取るモースは、オックスフォード大学中退の屈折した記者の関心を引き、この記者はカメラマンと二人でモース個人を尾行し、モースに焦点を当てた記事を書きつづけます。
 ジョンの凶器は石工が使う石斧でした。凶器と一緒にモントリオール製のペンも発見されました。家族のうちでカナダに行ったことがあるのはハリーだけ。しかし、ハリーは仕事でトロントに行っただけと主張します。一方、マーガレットの15歳の養女ジェシカ(シャーロット・コールマン)が突然「自分は潔白だ」と主張しに警察に出頭します。心理学博士のマーガレットの患者だった彼女は生みの親にも里親にも捨てられて自暴自棄になっていたところをマーガレットのカウンセリングで救われて落ち着いた状態だったのですが、異常事態でパニックになってしまったようです。
 捜査に進展のないまま、長男のハリーが溝で首の骨を折られて発見される事件が起こります。ハリーの胸には「S.M.」のナイフが突き立てられていました。家族には心当たりがないということですが、どうやら何か隠しているようです。やがて会社の相続人となった次男も庭にスコップを持って出たところを何者かに銃撃されて殺害されます。エミリーは会社を手放す決意をしました。夫や息子との愛のない生活も終わってかえって安らぎを得たようです。
 モースは捜査員に庭を掘らせます。あてのない捜査でしたが古い人骨が出て来ます。20年前に殺害された男の骨でした。今回の事件の背後には復讐がからんでいるようです。20年前の被害者はバルコム家で仕事をしていた石工でした。突然失踪したというのです。その兄ももう亡くなっていました。捜査は再び行き詰まってしまい、モースは捜査から外されます。しかし、ちょうど警察官が市民とふれあう警察祭で、ふと古本を手にとったモースは真犯人に気が付きます。真犯人に話を聞くなかで、モースはもうひとつの重大な悲劇を予想します。
2007年2月3日

ビデオ
主任警部モース「デッド・オン・タイム」

1992年
104分
 主任警部モース・シリーズ第21作「デッド・オン・タイム」とは“まさに死にどき”というような意味でしょうか。脚本ダニエル・ボイル、監督ジョン・マッデン。
 「約束の地」が結婚の悲劇だったのに続いて、夫婦の悲劇です。
 車椅子の老人のいる家で電話器の修理が行われています。電話はすぐに直って老人はロンドンの妻に電話をかけています。通いの看護婦が帰宅するのと同時に一台の車がやって来ました。しばらくすると、老人は机につっぷしていました。頭の近くにピストルが置いてあります。傍で男が一人泣いています。
 検死審問で老人ヘンリーの死は自殺と判定されました。手に硝煙反応もありました。不治の病にかかっていたのです。モースは若い頃の婚約者スーザン(ジョアンナ・ディヴィッド,写真)と再会することになります。オックスフォード大学時代の法学の教官ヘンリーの妻がスーザンだったのです。ヘンリーのかかりつけの医師マリオットが重要な証言を伝えてきました。ヘンリーは手足が不自由で自分では銃の引き金を引く力は無かったというのです。第一発見者であるピーター(デヴィッド・ヘイグ)が殺人容疑者となりました。ピーターはスーザンの娘の夫ですが、十年前に娘と孫は交通事故で死亡していました。ピーターの骨董店の経営は行き詰まっていましたので、融資を当てにした殺人でしょうか。
 証言をした医師は尊厳死のスポークスマンで、医師の美人妻ヘレン(サマンサ・ボンド)はピーターと恋人関係にあるようです。ヘンリーの遺言が開示されるとその内容は驚くべきものでした。スーザンの兄ウィリアム(リリャード・バスコ)に一部を遺し、残りはすべて尊厳死協会に寄付するというのです。妻には一銭も遺されていません。
 ヘンリーはやはり自殺したのでしょうか。自殺幇助者がいたとしたら、それは一体誰なのでしょう。ルイス部長刑事は独自の捜査から真相に近づいていきます。スーザンに恋するモースの目はやや曇っているようです。ほとんど活劇場面の無い、淡々とした人間関係の劇で、この物語も救いのない結末を迎えます。
2007年1月27日

ビデオ
主任警部モース「約束の地」

1991年
104分
 BBCのコリン・デクスターの原案の主任警部モース・シリーズ第20作「約束の地 Promised Land」、脚本ジュリアン・ミッチェル、監督は『恋に落ちたシェイクスピア』のジョン・マッデン。
 黒の葬儀車が墓地に入る。遠巻きに監視する警察官。ギャングのファミリーのひとりピーター・マシューズの葬儀ですが、死因は刑務所内での感染によるエイズで病死。さらに問題なのはピーターが有罪となった銀行襲撃事件が実は冤罪だったのではないかという情報でした。
 十年前の密告者ケニー・スコットは名前をマイク・ハーディングと変えてオーストラリアに移住していました。葬儀に参列したメンバーにギャングの大物の部下がいたことから、新たな情報を求めて、銀行襲撃事件の捜査担当だったモースは、マイク探しに行くことになります。
 ヘレフォードという田舎町に着いてみると、マイクは家を出て不在でした。マイクの妻アン(ロンダ・フィンドルトン,写真右)は何かを隠している様子。老人ホームに入居していたアンの母は突然の訪問者に脅迫されます。アンの娘カレンが誘拐され、誘拐犯からは「父の所在を教えろ」というメッセージが来ます。地元の警察はスコット刑事(ジョン・ジャラット)をはじめ、部外者のモースに協力的ではありません。刻々と時間が無くなっていくなかで、モースとルイス部長刑事は努力するものの、事態は悪化していきます。証言の嘘やその原因も明らかになります。
 冤罪の犠牲者はもちろん、死者を増やしたくないというモースの懸命の努力も水の泡になり、「約束の地」が決して幸福をもたらしていなかったという暗い結末に終わります。シドニーを去る前の日にかねてからの予定通り、歌劇『ばらの騎士』を鑑賞に向うモースの足取りはいつにもまして重いものでした。
 ジョン・マッデン監督は最後の銃撃戦までは、ほとんどアクションも殺人もない淡々とした展開を丁寧に見せていきます。マッデンはモース・シリーズでは『森を抜ける道』も担当していて、これも佳篇でした。第21話『デッド・オン・タイム』もマッデンです。
2007年1月7日

DVD
ガルシアの首

1974年
USA
112分
 サム・ペキンパー監督の異色作ということで、公開当時1975年に見たものの、奇妙な映画だという印象でした。ロバート・ウェッバーとギグ・ヤングの殺し屋二人組の活躍を期待して見た割には、二人が一度の銃撃戦で死んでしまうので、物足りなく感じた記憶があります。傑作と言うには理解を超えたところがありました。
 30年ぶりに見直してみると、物語は分っているのに銃撃戦だけでなく、暴力の感覚が満ちており、画面から目を離すことができませんでした。例えば、酒場で隣に身を寄せて誘惑しに来た女を、一瞬のひじ打ちで殴り殺してしまうロバート・ウェッバーの暴力などは印象的でした。ガルシアの首 ケース裏
 フレンチ兄弟の『カルト映画』(2000年,Billboard books)でも、ペキンパー監督作品からはこの『ガルシアの首』が選ばれています。以下は『カルト映画』より、
 “ペキンパー作品中、もっとも複雑で、個人的で、賛否両論のある映画で、大衆が理解することはないし、批評家もこの作品を嫌う多数派と愛する少数派に分れる野蛮な寓話である。
 キイになる台詞(すべてベニー=ウォーレン・オーツの言葉である)、
 「さあ行くぜアル、家に帰ろう(袋の中の首に向って)」
 「(エリータに)弁当を作ってくれ、ピクニックに行こうというんだからな。俺たちは金の羊毛を見つけに行くんだよ」
 「いいか、教会だって足や指だのなんだのを、切り取るのさ、死んだ聖人から。地獄がなんだ。アルフレッドは俺たちの聖人だ、やつは金の聖人さ、ちょいと借りるつもりだ」
 「(恋人を殺した男を殺して銃をもちながら)なぜかって?クソ気分が晴れるからさ」
 「誰も時間を失うことはない」
 「(ガルシアの写真入りのロケットをテレサに渡しながら)いいか、これを取れ、あんたはこの子の面倒をみるんだ、俺は父親の始末をつけるぜ」”(『カルト映画』p.49)
2007年1月8日

DVD
ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯
(2005年特別版)

1973年
USA
115分
 サム・ペキンパー監督がワーナー・ブラザーズ社、実際にはMGMで製作したものの、製作者とのトラブルで不満足な形で公開されたと言われる作品の2005年特別版。この作品には1973年の95分の劇場版(ラスベガスでのホテル経営の経理の都合で公開を急がされた)、1988年のZチャンネルで公開時の122分の試写版(ディレクターズ・カット版)、2005年の115分の特別版の3つのバージョンがあるそうです。評論家たち(顔ぶれは『砂漠の流れ者』と同じ)は特別版は劇場版と試写版のよいところを取ったものと解説しています。
 また、特別版の編集にも関係した映画編集者でもあるポール・セイダーは一般に「ディレクターズ・カット版」は撮影終了10週間後に会社に見せるために作ったもので、公開作品はそれからスタッフが練り上げて作るものなので、ディレクターズ・カットが監督の意図が出た完成品とは言えない、このペキンパー作品でも、ペキンパー亡き後4年の試写版は冗長な場面やカットしたほうが良くなるのにせっかく撮影したからと残されている場面があり、編集の不備等からだらだらした印象になっている、95分の劇場版では編集者たちの努力もあって優れた点が多いと力説しています。
 例えば、試写版からカットしたのは、冒頭のパット・ギャレット(ジェイムス・コバーン)が去った後のビリー(クリス・クリストファーソン)の説明、交易所の場面、農夫パコ(エミリオ・フェルナンデス)の遺言場面、最後のパット暗殺場面のリプレイ。試写版から特別版に採用されたのは冒頭のパット暗殺場面、パットが実業家たちと話す場面、パットと牧場主チザムが会う場面、パットと売春婦たちの場面。劇場版からはパットと妻の場面を取った。DVDの特典としてニック・レッドマン監督の「Deconstructing Pat & Billy」(ペキンパーのアシスタントだったケティ・ヘイバーと研究者で編集者のポール・セイダーへのインタビュー。ケィティは撮影地の環境も悪く、みんなが病気になった。コバーンも撮影した場面を覚えていないほどだったと回想している)と「One Foot in the Groove」(主演のクリス・クリストファーソンとドニー・フリッツへのインタビュー)、試写版を収録。
 冒頭にパット・ギャレット暗殺の場面があること、最後にビリーを射殺した後、パットが暗闇で自分に銃を向けている男を撃ちますが、それは鏡に写った自分自身だったこと。これらの場面が象徴するのは、実業者たちから雇われて保安官になったものの、無法者だったパット・ギャレットが、ビリー・ザ・キッドと同じように時代に取り残された、いわば「心の死んだ」人間であったという挽歌です。パットにもビリーにも保安官たちにも英雄的なところがまるで無く、大義名分もなく、死刑執行人が命じられた死刑を仕方なく執行するかのような暗く哀しい物語が綴られます。全編にわたって、カタルシスのない暴力と殺伐とした死があります。ビリーの馴染みを襲撃する保安官(スリム・ピケンズ)の死や、いやいやながらの決闘でビリーに撃たれるアロンゾの死もほとんど無意味です。パットもビリーも、そして「死んだら名前が新聞に載るよな」というならず者あがりの保安官や助手たち、みんな死神にとりつかれた人間のように見えましたし、ひと殺しを目撃する人々も感情をほとんど出さずに、動きも少なくて、まるでギリシャ悲劇のコロス、無言のコロスのようです。ビリーの仲間に加わるとはいうものの、エインズリー(ボブ・ディラン)も常に目撃者の立場にいます。希望をもって生きている人間はひとりも出て来ない不思議な映画です。
 ペキンパーのアシスタントだったケイティは、映画会社はペキンパーに「第2のワイルドバンチ」を作って欲しかったが、ペキンパーは「パラードや詩情」のある映画を作ろうとしたと発言しています。
2006年1月7日

DVD
砂漠の流れ者

1970年
USA
121分
 サム・ペキンパー監督が『ワイルド・バンチ』の次に作った作品で、原題は『ケーブル・ホーグのバラード』、興業的に惨敗してペキンパーは自分の作りたい作品が作れなくなったと言われています。しかし、1970年当時から『モンテ・ウォルシュ』のような黄昏の西部劇に共感していた映画ファンからは高く評価されていました。映画館ではほとんど上映されなかったので、見る機会を無くしていた私はようやくDVD化された作品を見ました。
 DVDには特典として、ステラ・スティーヴンスへのインタビュー作品である『The Ladiest Damn'd Lady』(ニック・レッドマン監督,2005年)やペキンパー評論家による音声解説などの特典が付いていて、複合的に作品を楽しめるようになっています。ペキンパー評論家はポール・セイダー Paul Seydor『Pekinpah;The Western Films』、ガーナー・シモンズ、ディヴィッド・ウェドル David Weddle の三人。 
 ステラは「サムはコメディと言っていたけれども、この作品はシリアスなラヴ・ストーリーよ」と言います。彼女は尊敬しているジェイソン・ロバーズやディヴィッド・ワーナーと共演できて嬉しかった、サムは映画の70%はキャスティングだと言う、サムはサングラスでいつも目を隠していた、ウソを見抜かれないようにしていたのね、サムは皮肉や傷つける言葉を吐くので、彼に指導された男優はみな彼を憎んだ、と。ステラが歌う「バタフライ・モーニング」は、カフェで歌っていたリチャード・ギリスの作品を聞いたペキンパーが気に入って使うことを決めたもので、アカペラで一回歌っただけで後からジェリー・ゴールドスミスが伴奏を付けたそうです。
 ステラが演ずるヒルディは《聖娼婦》で、砂漠で水を発見し、そこに休憩所を建てたケーブルの物語は《アメリカの夢》を体現した男。しかし、砂漠で自分から水筒を奪い取った二人のならず者(L.Q.ジョーンズとストローサー・マーティン)への復讐のため、その場に留まります。  
2006年12月17日

DVD
テキサスの4人

115分
USA
1963年
 未見だったアルドリッチ監督作品。アルドリッチは製作・脚本も兼ねています。おおがかりな娯楽作品で、脚本はテディ・シャーマンとアルドリッチ。
 駅馬車が強盗一味に襲撃されている。馬車には銀行の10万ドルが積まれていた。馬車で防戦するのはザック(フランク・シナトラ)と客として乗っていたジョー(ディーン・マーティン)だった。スピード感あふれる疾走場面の末に逃げ切ったと思われたが、曲がり角で横転。金は駆け引きの末にジョーが独り占めしてしまう。
シナトラとアニタ・エクバーグ 2万5千ドルをジョーは孤児院に寄付していました。残りは町の銀行に預けたものの、銀行家のバーンズ(ビクター・ブオノ)はザックとともに強盗一味をも雇っていました。強盗のリーダーはマットソン(チャールズ・ブロンソン)。ジョーは金をもとでにマックス(ウルスラ・アンドレス)の船を改装し、酒場を開店します。テキサスの4人
 良きライヴァルとしてザックとジョーは対峙していきます。ザックの恋人イリヤ役にアニタ・エクバーグ。船での争いの場面には、町の顔役フランク・シナトラとディーン・マーティンの子分たちなど大人数の出演者たち。これほど多くの人々を演出するのはさぞかし大変だったろうと推察されます。
 アルドリッチ監督作品としては女性たちのお色気がサービスされる珍しいもの。主役4名を見るための映画。

2006年12月以降に見た 日 本 映 画 (邦画)
見た日と媒体 作 品        感  想     (池田博明)
2007年4月7日

ビデオ
座頭市

松竹
120分
 北野武主演・脚本・監督・編集のたけし版座頭市。R15指定(15歳未満は禁止)は斬られた腕が飛んだり、血しぶきが出たりする残酷描写以上に、「めくら」などの放送禁止用語が原因でしょう。テレビ放映されたときにはこれらの用語はすべてカットされていたそうです。
 感情移入したり主観的な視点というのはなく、乾いた描写が淡々と続きます。座頭市(たけし)
 たけしの座頭市がほとんど動かないのに滅法強く、ひと太刀で敵を殺してしまいます。浅野忠信の浪人も強すぎるので、活劇場面も静かな印象がします。第60回ベネチア国際映画祭“監督賞”受賞作品。
2007年4月7日

NTV
21:00〜23:15
ロミオとジュリエット

2007年
110分
 シェイクスピア・スペシャルの第二夜。脚本・井上由美子、演出・大谷太郎。
 木平樹里(長澤まさみ)は警察の捜査課長(三浦友和)を父にもつ女子大生で、英文学(教授役は竹中直人)でちょうど『ロミオとジュリエット』を教わっている。一方の森田広道(滝沢秀明)はリサイクル業、父親(山下真司)は医師だが手術ミスで失踪中、母親・時枝(田中美佐子)は病気で入院中。広道が高校を中退した原因は父親の裁判・失踪にあった。父親は医療ミスの被害者の妻をマンションから突き落として死亡させた容疑で新たに指名手配されてしまう。
 容疑者の息子と捜査官の娘。これではまるでロミオとジュリエットのアナロジー。二人はロミオとジュリエットの物語を知りつつも、その世界に流されまいとする。実は樹里の父と広道の母はかつての恋人どうし。その思い出の場所であるイチョウ並木が若い二人の出会いの場所にもなった。登場人物の間で因果の糸がからみ合う。原作を下敷きにして見てしまうので、無理のある状況設定も納得してしまうところがあります。ただし、若い二人の会話は現代風にアレンジされており、直接愛情を表現するような大時代的なセリフはありません。ちょっと斜に構えて、自分の気持は自己批評的に、他人の気持はわざとそらすような会話が中心に置かれています。
 このドラマの公式ホームページには滝沢秀明と長澤まさみの写真は掲載されていない。
2007年4月6日

NTV
21:00〜23:00
王様の心臓

2007年
100分
 シェイクスピア・スペシャルの第一夜で下敷きになった戯曲は「リア王」。脚本・井上由美子、演出・雨宮望。「ハジメ屋」スーパーを興した社長・刈谷一(西田敏行)は還暦で狭心症の発作にみまわれる。医師(村田雄作)からは引退を薦められるし、専務の黒田(佐野史郎)からも放漫経営を咎められる。一には小さな青果店を共にした妻(坂口良子)は先に亡くなり、男手で育てあげてきた三人の娘がいた。長女ゆり(若村麻由美)は独身でレストランの店長だが仕事に身が入っておらず、ホストクラブで知り合った男と遊んでいる。次女あやめ(中島知子)は歯科医(吹越満)と見合い結婚、生意気な男の児をかかえる主婦、三女さくら(井上真央)は大学を中退して、芝居の世界に飛び込み、演出家志望の大道具係。王様の心臓
 権利書をチラつかせて娘の愛情を測ろうとする父の姿とうわべだけは丁寧に扱おうとする姉達の姿は、さくらが上演しようとしている舞台「リア王」の世界と重なってくる。さくらは父と長女・次女の三人を初日の舞台に招待する。舞台が終わった後、四人は言い争う。そこで・・・二回目の発作を起こして倒れ、意識がもうろうとしてきた父は病院で枕もとに娘たちを呼び、自立するようにと助言する。病室に残った三女は父の芝居を見抜く。しかし、実は娘たちの涙も演技だったし、そのことは父親自身も感づいていた。元気を取り戻した父親は新宿のはじめ屋スーパー1号店で一介の社員としてなんでも10円セールを呼びかける。再び心臓の発作が来て、メガホンが取り落とされる。舞台で役者が勢ぞろいして挨拶・・・
 道化師、大勢の兵士、エドガーとエドマンドの物語は省略されていた。
2007年4月1日

NHK総合TV
21:00〜22:00
激流中国・冨人と農民工

60分
 NHKのドキュメンタリー。ディレクターは高山仁と山岸?。
 劉小平の開放政策により、中国で生まれた株式投資ビジネスや広告会社の社長など一日に数億円を稼ぐような大富豪。それに対して内モンゴル自治区の人口2千人の村から天津へ出稼ぎに出て、木枠を1枚運んでは65円といった日雇い労働で年収10万円程度の賃金を得る「農民工」の実態。農民工の労働
 年の出稼ぎ農民の数は増えていて、仕事がないままの人も決して少なくありません。農民工の貧しい現実が否応なく描かれます。機械に腕をはさまれて腕が曲がったままの七歳の息子の手術費30万円が稼ぎ出せない夫婦、娘の高校の学費を出そうとしても、その半年分を出し切れない父親と長男。旧正月に故郷に帰省してみると、前者の張さんは母親が高血圧だと分っても、医療費の85%が自己負担なため、精密検査を受けさせられないし、後者の杜さんは仕方なく長男の嫁を出稼ぎに連れて行く事態になります。やっとの思いで、都会に出てもなかなか日雇い仕事はありません。
 一方では、知人の情報を毎日集めて、マネー・ゲームで儲ける人もいるというのに、なんと格差の大きい社会なのでしょうか。内モンゴル自治区の小学生は「我的希望(将来の希望)」に、“出世して大学に行き、両親に恩返しをしたい”と書いて泣きます。高校生の「成績優秀」の娘も“出世する唯一の道は大学に行くこと、そして父親に恩返しをしたい”と言います。まるで戦前・戦中の日本のようです。北京オリンピックも間近い昨今、開放政策によって、このような格差の実態は、ますます見えやすくなっているのでしょうか。
2007年4月1日

ビデオ
座頭市

1989年
松竹

116分
 勝新が製作・脚本・監督・主演を務めた『座頭市』最終作。勝新演出に手放しで賛辞を送って来た私でしたが、この最終作の物語には乗り切れませんでした。それは18年ぶりに再見しても同じでした。撮影は松竹の名手・長沼六男ですが、大規模なセットと大勢の人々を見せるロング・ショットが多く、カメラは客観的な視点になっています。座頭市1989
 悪役が多すぎるのは、脚本の欠陥だと思います。関八州(陣内孝則)は赤兵衛(内田裕也)に宿場を仕切らせているものの、不満を抱えて、五郎兵衛(奥村雄大)に乗り換えようと思っている。赤兵衛は座頭市を抱き込んで縄張り争いを優位に進めようと思っている。五郎兵衛は赤兵衛の企みに先んじて手を打つつもりでいる。三人とも仁義に関心がなく、先手必勝の暴力で方をつける考えなので、意表を衝いて気にいらない者たちを殺していく。悪人に対比される善人が登場しないので、ドラマが盛り上がらず、一方的な感じが残ってしまいます。例えば勝新監督の『新座頭市物語・折れた杖』は失敗作でしょうが、イノセンスな登場人物が悲劇を際立たせていました。
 関八州は、赤兵衛の代貸(江幡高志)をみせしめに斬り捨て、おうめを強姦しようとして市に斬られる。五郎兵衛は宿場を仕切る親方衆を粛清し、赤兵衛のもとへ殴り込む。赤兵衛は五郎兵衛の仲間の装束を着て隠れ、味方を斬ってまで誤魔化そうとするが、見破られて、斬られる。大樽の中に入って登場した市は五郎兵衛一家を全滅させる。市の手ですべてが片付いた後、宿場の町民たちが喜んで広場に飛び出してくる。町民たちが浮かれている背後を市は去っていく。
 超人、つまりスーパーマンがひとりいて町を救ってくれるという話になっています。
 どうしてこんな筋書きになってしまうのか、テレビシリーズ『座頭市物語』や『新・座頭市』では、市が仕込みを抜くには、やむにやまれぬ事情があったはず。そのあたりの理不尽な設定がありません。
2007年3月29日

テレビ
お母さんが学校に「教育再生!」直談判SP

フジテレビ
19:00〜20:50
教育再生 母親 母親の声をもとにした再現ドラマと百人の母親が中心となって討論して進めるスペシャル番組。「指導力不足の教員」「いじめ問題」「教育委員会の問題点」などについて色々な意見が出ていました。出席者どうしが言い争いになる場面も多く、母親だけでなく、現場の教師や有識者、芸能人などから本音の発言も多く聞けました。小学校や中学校の事例でしたが、高校でも同根の事例はあります。
 すぐ自習にする、中身のない独りよがりの授業をする、生徒に責任転嫁して授業放棄する、ビデオやCDにお任せの授業など、アキレタ教員の例があげられましたが、なんらかの基準で授業を断罪しても事態は悪化するでしょう。むしろ、良い授業の例をみんなで共有するほうがいいと思います。
 過去の経験では、「いじめ問題」の困難さはいじめの被害者が声を挙げない事にあります。状況証拠でいじめに気付いて、被害者に確認しても、特に男子の場合にはいじめられたことを認めない場合があり、指導できない事例があったのです。男子は自分の不甲斐なさを認めたくないのです。
 『いじめ対策マニュアル』にはいじめられたらまず“みんなの前で、イジメっ子にカバンを投げつけ、死んでやると叫んで学校から飛び出せ”とありました。つまり、苛め被害を衆知の事実にしてしまえというのです。このような行動ができるなら、いじめられて黙っていることもないでしょうけれども。被害者と加害者が明確なら、教員は厳しい指導に入ることが出来ます。加害者が単なるからかいで、いじめではないと認識している場合も多いのですが、そこは被害者の立場に立って教員は加害者とその罪を断定する必要があります。「お前がイジメではないと言っても、オレがイジメと思ったらイジメなんだ」と。そしてオレがイジメと認めたら、お前を停学にしてしまうぞ!と、はっきり決めつけないと、加害者が被害者と関わる事態を阻止できません。また、いじめは教員の見ている前で起こることはほとんどありませんから、加害者には、今度被害者になにかあったら、証拠がなくてもお前がやったとオレは思って調べるからな!と、いわば偏見を持つことを宣言しなければなりません。加害者の保護者から見たら、そんな無茶なと思うでしょうが、そのぐらいのことが許されてできるようでなければ、イジメを減らすことはできないと思います。
 いじめられた子の母親が子供になり代わって談判するのは子供自身の力を弱めてしまうことがあります。親が前に出て子供が後退してしまうのです。長い目で見た場合、子供自身の対抗する力を育てるように支援できるとよいと思います。
 そして、大抵の教育委員会は機能不全に陥っています。本来、学校のなかの問題を発見し、その問題点を明確にして修正しようとする校長は顕彰されるべきでしょうが、現代では逆にそのような校長は管理職として指導力不足と査定されてしまいます。つまり、校長は事ナカレ主義になりやすいのです。
2007年3月26日

DVD
日本人のへそ

1977年
日本ATG

101分
 井上ひさしの最初の戯曲を東宝の須川栄三監督がATGで映画化した異色作。日本人のへそ
 キャストは、緑魔子、佐藤蛾次郎、草野大悟、山西道広、なべおさみ、三谷昇、小松方正、東てる美、熊倉一雄、ハナ肇、美輪明宏など。吃音の治療法として患者が劇を演ずる試み。岩手出身のストリッパー・ヘレン天津(緑魔子)の半生を演じてみるというのだが・・・。
 舞台では<ドンデン返し>の連続ですが、映画にとってはもともと<飛躍>は普通の表現なので、かえって物語が複雑化して理解困難になっているという印象です。もとが言葉中心の戯曲なのでセリフに頼った場面も多く、展開が悪いのが残念です。 
2007年3月24日

DVD
國語元年

1985年6月〜7月
NHK総合TV

45分×5回
 井上ひさしの戯曲で、中央公論社の講座「日本語の世界」第10巻“日本語を生きる”に収録されて出版され、NHKでドラマ化された作品(1985年6月8日から1985年7月6日までNHK総合テレビのドラマ人間模様のわくで放送、全5回)。その後、改変された舞台版はこまつ座制作で1986年に紀伊國屋ホールにて初演。
国語元年 NHK制作の初放送当時も見ていますが、第一印象はドラマのテンポが遅いというものでした。
 舞台化作品の方が清之輔が統一話し言葉の制定前に取り組んだという「小学唱歌」と、記念撮影を区切りとして、テンポ良く進みます。舞台版は最初の方で大阪弁のもと女郎ちよが怒鳴り込んで来るといった設定ですし、太吉はピアノ弾きで、書生が語り手でした。
 テレビ版では、ちよはふみの先輩女中ですし、太吉は下男、石田えり扮する米沢出身の女中が両親に出した手紙が毎回の語りとなります。テレビ版の脚本は絶版の「日本語の世界」でしか読むことのできない貴重なもの。テレビ版は、絶え間なく字幕が出る過激さですが、方言の迷宮解説に精を出した挙句にドラマの進行を犠牲にしてしまった感がありました。舞台版は、聞いてわかるように手直しされていますし、「小学唱歌集」(清之輔が歌詞を付けたという架空の唱歌集)が重要なアクセントになっています。
 さて、今回のDVD。テンポが遅いという印象は変わらないのですが、南郷家に暮らす人々の言葉の違いを楽しむ心の余裕ができたため、遅さはあまり気になりませんでした。南郷清之輔(川谷拓三)は官吏には見えませんが、入り婿という家での屈折した立場は体格や表情によく現われています。その妻・ちあきなおみのスローテンポの薩摩弁と義父・浜村純の攻撃的な薩摩弁は無類におかしい。石田えりの米沢弁、女中頭・山岡久乃の江戸山の手言葉、下女・賀原夏子の浅草弁を始め、いろいろな言葉が飛びかうおかしさ(第1回)。島田歌穂の下町言葉、下男・松熊信義の津軽弁、車夫・名古屋章の遠野弁、書生・大橋吾郎の名古屋弁、公卿・すまけいの京言葉、強盗・佐藤慶の会津弁。
 清之輔の案は迷走を繰り返します。訛りを矯正する口形練習を基本にした(第2回)かと思えば、統一辞書を作るために使用人から言葉の言い換えを募集する(第4回)、オイラン言葉を参考にして文明開化語を創設する(第5回)などなど。物語の核となるエピソードは舞台版と変わりません。お国訛りや違いのために話し言葉が通じない不便さよりも、その人によって異なる話し言葉の豊さの方が印象的に感じられるようになっていて、それが井上ひさしの意図だと思われます。
 そして、言葉を無理に統一したり、操作したりしようとする空しさが次第に浮き彫りになってきます。 
2007年3月18日

DVD
座頭市物語

1974年〜1975年

フジテレビ
 1974年10月3日から翌年の4月17日までフジテレビで放映されたテレビ版「座頭市物語」全26話がDVDボックスで発売されました(2007年1月)。貴重な勝新監督作品が見られます。あらためて見直してやはりカツシン監督は素晴らしいと思わされました。なかでも植木等・浜木綿子の「二人座頭市」、辰巳柳太郎・清水将夫の「赤城おろし」が傑作。(2007年3月27日に肺気腫がもとで植木等が亡くなった。合掌)
 そして、放映時に見逃した作品もすべて見ることができました。勝新監督6作品、黒田義之監督5作品、森一生監督4作品、田中徳三監督3作品、井上昭監督3作品、安田公義監督2作品、三隅研次監督2作品、倉田準二監督1作品。撮影は牧浦地志と森田富士郎がほぼ半分ずつ担当。
 それらのなかでは、放映当時見損なってしまっていた黒田義之監督の力量に驚きました。「子守唄に散った女郎花」「木曽路のつむじ風」「すっとび道中」「父と子の詩」「渡世人」。暗い闇と明るい表情のコントラスト、狭い場所での迫力のある殺陣、多彩な人間描写などなど、黒田監督作はどの回も陰影の深い、興味深い演出でした。
2007年3月11日
(日)

21:00〜21:50
NHK総合
介護の人材が逃げていく

50分
 NHKスペシャルのドキュメンタリー。介護施設で働く職員の4人に1人が辞めている。東京都では1年間に10万人の高齢者が増えると目されているにもかかわらず、介護福祉士の有資格者でも一定の賃金に据え置かれて、過酷な労働をこなさなければならない実態は問題である。職員の賃金は介護施設に支払われる介護報酬から支出されるが、国の歳出削減の見直しにより、二度の抑制がされ、労働に見合った額に達していない。経験をつんだからと言って昇給するわけでもなく、月給18万円程度、年収200万円以下では暮らしていけない。給料が安いから人が来ない、人が来ないから夜勤などの労働がきつくなるという悪循環に陥ってしまう。
 2年間で600人のフィリピン人の介護者養成計画も始まったものの、日本の示した条件はかなりきびしく(4年制大学を卒業し、6ケ月間専門学校で介護のトレーニングを受けたもの、来日して4年以内に介護福祉士の資格を取る)、日本に来てくれる介護士を確保できない見込みである。2年で永住権がもらえるカナダが人気だ。
 現況では介護者は減る一方である。介護福祉士の有資格者54万人のうち、30万人が仕事についていない。すぐれた人材を確保できないまま、高齢者は増えている。
 取材・高木優、ディレクターは川添竹也ほか1名。
2007年2月23日

21:05〜23:39
日本テレビ
隠し剣 鬼の爪

松竹
2004年
140分
隠し剣 鬼の爪 山田洋次監督の藤沢周平原作の映画化第2作。
 雪がふりしきる町や主人公の家など日常の描写に凝りに凝ったところが見られました(美術は西岡善信、照明は中岡源権という大映の名スタッフ)。物語の構造は、『たそがれ清兵衛』と似ていても、また違った人物像に魅力があって面白く見ることができました。
 この作品に対しては、けっこう批判が多いのですが、永瀬雅敏演ずる武士らしくない武士には、山田洋次監督らしい視点がはっきり出ていて、私には興味深いものでした。片桐家で女中奉公するきえ役の松たか子も、ういういしくて、松たか子嫌いの私の妻も好感を持っていました。
2007年1月21日

21:00〜21:45
NHK総合TV
“グーグル革命”の衝撃

45分
 NHKスペシャルの一篇。風間朋敏ディレクター。ネットの検索システムgoogleはいまや世界中の情報を集積しようとしている。
 グーグルの検索で上位に入ることが企業の営業成績に反映してくるのだ。企業が客を見つけるというよりも、客が企業を見つけるのである。グーグルの検索ランキング技術は非公開だが、どうも張られたページランクが多い方が上位に来るようだ。違法スレスレで検索語をページにたくさん埋め込むことをしている会社もあった。
 グーグルが理由を明かさず検索結果を操作していると判断される例もあった。グーグルのランキングから除外され、倒産寸前の企業もある。この企業は不当な扱いだとしてグーグルを裁判で訴えている。
 グーグル中毒の青年がグーグルの広告を貼り付けた携帯電話紹介ホームページをつくり、その広告料で生活している例も紹介された。これは虚業ということになりそうだが。 
2007年1月12日

DVD
女番長・野良猫ロック

1970年
81分
 野良猫ロック第1作、『ハレンチ学園』との併映でホリプロ企画の和田アキ子主演作品。池袋文芸座のオールナイト“野良猫ロック”5本立てで一度見たことがある。ルーティンの平凡な作品だったという印象を持った。再見しても、その印象は変わらなかった。
 新宿にやってきた和田アキ子のナナハンの後席にガソリン・スタンドで乗ってきたメイ(梶芽衣子)は西口の空き地で別の不良少女グループと勝負をする。メイの側には久万里由香や范分雀など美人ぞろい。リーダーどうしのナイフ勝負で始まったが、すぐに全員入り乱れての肉弾戦に。ナイフと二枚剃刀の戦いもある凄惨な勝負。相手方に黒シャツ隊が加勢して劣勢になったところで、和田に救われる。行きつけの喫茶はゴー・ゴー喫茶だった。黒シャツ隊を率いる青勇会に入会しようと道雄(和田浩治)はボクシングの八百長試合を持ちかける。道雄の馴染みのケン(ケン・サンダース)の試合だったが・・・。
 ナイフだけでなく、溶接器での火あぶりの拷問や、ショット・ガンを撃つ若頭(睦五郎)など、危険がいっぱい。こんな喧嘩では命がいくつあっても足りない。《対立・抗争の象徴としての激闘》という場面が日本映画で成立していたのは1970年代なかばまでだろう。《赤軍リンチ事件》の《総括》の現実が虚構を上回って以降、ひとつの時代が終わったのだ。
 黒シャツ隊や女たちは青勇会に利用されている。八百長試合の失敗でリンチを受け、若頭の顔を切った和田浩治は追い詰められて撃たれる。顔を切られた復讐で仲間を動かした責任を問われて会長(中丸忠雄)に見捨てられた若頭(睦五郎)を笑ったカツヤ(藤竜也)も撃たれる。道雄の怨みをはらそうと若頭を刺したメイ(梶芽衣子)も撃たれてしまう。みんな都会の片隅の小さな内紛で死んでしまう。自滅への憧れと不安がないまぜになっている。
 副都心完成前の新宿が背景になっていて、夜の場面が多い。『野良猫ロック セックス・ハンター』のカットの方が数が多いし、カット割りにリズム感があり、意外さもある。
2007年1月8日

DVD
野良猫ロック
シリーズ

1970〜1971年
日活
 昨年暮れ、『野良猫ロック』シリーズ5作品がDVDで出た。第3作『セックスハンター』をシネスコ・サイズで見たい、藤田敏八監督の第2作『ワイルド・ジャンボ』と第5作『暴走集団’71』を再見したいという思いと、ボックスの付録の『時代をつくったアウトローたちの証言集』(長谷部安春・藤竜也・原田芳雄)に興味があったので、購入。
 まず証言集から見ました。「撮影日数は21日間と決まっていた。映画は後々でDVDで見るようなものだとは思っていなかった」(長谷部)、「撮影中に役者どうしで映画論や演技論などはいっさいしたことがない」(藤)、「藤田組(第5作め)では、脚本はあったが、台詞が決まっていない場面もあったし、その日や前の晩の成り行きや話で変わってしまうこともあった」(原田)など、撮影所での映画作りの最後の世代の発言と、70年代という時代のアナーキーなエネルギーが作る方にもあったことが分る発言でした。
 日活ニューアクションには確実に70年という「現代」が描かれています。今年の4月にはDVDで『反逆のメロディー』『流血の抗争』『不良少女魔子』が出るそうで、これも楽しみです。『野獣を消せ』『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』や、澤田幸弘監督の『斬り込み』『関東幹部会』もぜひ出して欲しいものです。
 (2007年4月のDVDに同梱の宣材によれば、『無頼』シリーズや、『野獣を消せ』『斬り込み』『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』も今後出るようです)
2007年1月5日

フジテレビ
21:00〜23:22
悪魔が来たりて笛を吹く

2007年
フジテレビ
 稲垣吾郎が金田一耕助役を演ずるTVシリーズ第4作。第2作『八つ墓村』を見ています。佐藤嗣麻子脚本、星護演出。『悪魔が来たりて笛を吹く』は角川春樹製作・東映映画で斎藤光正監督で映画化されたことがあります(1979年)。金田一役は西田敏行で、石坂浩ニのような知的なところがなく、似合っていませんでした。暗く重苦しい映画だったという記憶があります。あまり良い出来ではありませんでした。それに比べると今回の稲垣吾郎の金田一は、雰囲気がよく出ていました。
 帝銀事件の再現映像は森崎東監督のテレビ『帝銀事件死刑囚』を連想させる衣装や構図でした。デジタル合成の風景も雰囲気を出していたのですが、最後の謎解きの場面が長すぎたと思います。1時間もあったのですから。しかも因縁のドロドロとした家族関係の話ですから気持が滅入ってしまいます。
 一から十まで丁寧に説明してくれなくても、途中でだいたい分ってしまうのですから、もっと物語を刈り込んでも良かったように思います。書き込み過ぎの脚本をもっと工夫するところが見たかったですね。
2006年12月24日

ビデオ
続・男はつらいよ
1969年
松竹
 TSUTAYAの中古ビデオ売り場では一巻200円で男はつらいよシリーズのレンタル・ビデオを販売していました。第2作と第5作を購入。このへんの作品では渥美清がまだまだ流れ者風情だったような気がしますし、山田洋次監督もシリーズがずっと続くとは思っていなかったと思われます。続・男はつらいよ
 第2作は寅さんが瞼の母と再会する物語。母親役がミヤコ蝶々。連れ込みホテルの女将になっていた母は金の無心に来たのかと寅を追い返します。意気消沈した寅は東京へ戻って、恩師・坪内先生(東野英次郎)の愛娘・夏子(佐藤オリエ)への恋で元気を取り戻すのですが・・・・。
 本作品では寅さんの啖呵売が三種も聞けます。金もないのに弟分(津坂匡章)におごってしまい、無銭飲食をとがめた朝鮮人の店の主人(江幡高志)を突き飛ばしてしまったり、胃けいれんで入院した病院で入院患者相手に啖呵売で笑いをとったり、夏子と親しく会話を交わした源公(佐藤蛾次郎)に嫉妬して物陰で殴って追い返すなど、寅の傍若無人ぶりも健在な一篇。森川信演ずるおいちゃんの「(寅のせいで)頭が痛くなってきた」という嘆きも懐かしく響きます。
 ミヤコ蝶々が主人公の瞼の母ではないかという設定は、山田洋次・森崎東脚本の映画『吹けば飛ぶよな男でも』にもありました。ミヤコ蝶々はほとんど口うつしのセリフとアドリブで演じていたようですが、見事なもの。
 中古品のビデオ・テープは新品同様で、まったく痛んでいませんでした。
 この後、第3作は森崎東監督の『フーテンの寅』、第4作は小林俊一監督の『新・男はつらいよ』と他の監督がメガホンを取りますが、最近の読売新聞の連載で、自分の世界とはやや違和感を感じていたと言う山田監督は第5作め『望郷篇』で監督に復帰します。
2006年12月22日

日本テレビ
金曜ロードショー
たそがれ清兵衛

2003年
松竹
たそがれ清兵衛(切手) 山田洋次監督、藤沢周平原作の時代劇。以前にもテレビ放映で見ているのですが、見逃した場面があったような気がして二度目。
 清兵衛だけが武士の世界の周縁にいるのではなく、清兵衛の勤めている小蔵番(蔵の整理役)という仕事も周縁だし、清兵衛に討たれる善衛門の方も跡目争いの結果、周縁になってしまった者、海坂(うなさか)藩自体が明治維新以降は佐幕派で図らずも周縁でした。映画で描かれる世界が武家の周縁に焦点を当てているのでした。山田監督の視線は光の当たらなかったほう、当たらなかったほうへと注目している感じでした。
 撮影は長沼六男など松竹スタッフだが、美術に大映の西岡善信、音楽に富田勲、主題歌に井上陽水。
2006年12月16日

DVD
狼の紋章

1973年

78分
東宝
 二度と見られないだろうと思っていた松本正志監督の奇作がDVDで登場しました。松田優作作品リバイバルの一環です。これが優作の映画初出演作ですから。また、志垣太郎唯一の映画主演作品でもあります。狼の紋章
 1970年代前半の東宝映画としては異色で、まるで日活60年代末のニューアクションのような暴力に溢れた映像が続きます。ナイフを使うほど過激な高校生どうしの暴力沙汰。チンピラによる女教師のレイプと狼による殺戮。校内で起こる同級生によるレイプ。無抵抗で殴られるままになる犬神明。ヘルメットをつけ、バットをふりまわして乱闘する高校生たち。教師も殴られます。
 学校内で暴力が絶えないにもかかわらず、美人教師に学級を任せ、警察を呼ぶこともしない校長。警察の介入があれば、人間どうしの関係性から動いていた物語は急に止まってしまうので、介入しないのは当然ですが、それにしても異常な事態です。けれども、70年代には警察が学校に介入することは、学校の自治を危うくするという意識がありました。それほどに高校生は政治意識が強かったのです。そんな意識が新鮮に見えてきます。いやひょっとすると時代錯誤なのかもしれませんが。
 新月になってパワーが弱体化した状態で、犬神明は青鹿晶子の救出に向います。犬神明は繰り返し「俺にかまわないでほしい。(ひとりで)ほうっておいてほしかった」とつぶやくのに、母親そっくりの青鹿先生に深く関わってしまうのでした。
2006年12月10日

21:15〜22:30
NHK総合テレビ
ワーキングプアU  副題は「努力すれば抜け出せますか」。今年7月に放送されて反響があった番組の追加取材。
 今度は働く女性に焦点をあてて紹介します。(1)福島県の30歳の女性、高校卒業後、結婚して二人の子供を産んだ後に離婚。その後パートをしながら子育てをしてきた。昼は建築会社の事務、夜はコンビニ弁当会社の事務で毎日の睡眠時間は4時間、一家の食費は一ヶ月2万3千円、児童福祉手当て4万円の支給でなんとか生活できていたが、2年後には児童福祉手当が半額に減る、自立就労しようにも資格を取る時間がない。(2)北海道の23歳の女性、高校卒業後、父親のうつ病で進学を断念、病院の食事つくりのパートで670円/時の低賃金、調理師免許を取ったが時給が10円上がっただけ。(3)繊維業界の不振が続く岐阜県では、中国の安い労働力の流入で中小企業が倒産、プレスの仕事は50円/着になった、高齢者施設の朝食係りのパートで息づく中年女性。(4)京都府で朝空き缶(ひとつ2円)を拾う老人夫婦、厚生年金未払い期間があったため、年金をもらえない。
 ワーキングプアは社会の問題である。いま生活できていることが奇跡のように思えてくる。
2006年12月4日・12月11日・12月18日・12月25日
 
21:00〜21:50
テレビ
のだめカンタービ

TBS
 第7回はR★Sオーケストラ公演が大成功をおさめる話で、演奏曲目はモーツアルトの「オーボエ協奏曲」とブラームスの「交響曲第一番」。千秋の飛行機のトラウマの原因が明らかになり、のだめのにわか催眠術が功を奏す。
 『のだめカンタービレ』特集雑誌も出版されてテレビ番組も結構ブームになっているようである。まんがに描かれた『読んでおきたいクラシック』というムックも出版された。描かれた名曲の数々を思うと、あらためて原作の力を再認識することになる。
 第8回、千秋は飛行機に乗って北海道へ旅行ができた。R★Sオケの再演も決まる。一方、のだめはマラドーナ国際ピアノコンクールに出場、一次予選のシューベルトでは見事な演奏を披露するが、二次予選ではライバルの幼馴染とのトラウマが出て支離滅裂な演奏になってしまう。
 第9回、のだめは本選に出場できました。本選で弾く曲はシューマンのソナタとストラビンンスキーのペトルーシュカ。集中しすぎて熱を出してしまい、準備不足ののだめはペトルーシュカの暗譜中に「今日の料理」のテーマに邪魔されます。本番で見事なシューマンを弾いた後、ペトルーシュカも途中までは完璧なリズムだったのですが、突然止まってしまった後はなんと「今日の料理」のテーマが・・・。コンクールは選外でしたが目利きの審査員には印象が残ったようです。このコンクールは1位無しでした。千秋はのだめに一緒にヨーロッパへ行こうと提案しますが、なぜか、のだめは拒否。千秋はR★Sオケのためにベト七(交響曲第七番)を選びます。
 第10回、福岡県の実家に帰ったのだめを千秋は訪ねます。のだめの家族の奔放さに千秋は仰天。のだめの母役を映画『俺っちのウェデイング』のノリで宮崎美子が演じています。千秋の日本で最後の指揮をサラサーテのカルメン幻想曲とベートーベンの交響曲第七番が盛り上げます。最終回は時間を延長しての60分。
 2007年5月にTVドラマのDVDボックスが発売になりますが・・・発売前からAmazon.comには絶賛の評価が押し寄せています。みんな毎週月曜日を楽しみにしていたんですね。高校生の間でも「のだめ、見た?」という会話が毎週交わされていました。
[参考文献]
 青柳いづみこ『ボクたちクラシックつながり』(文春新書、2008年)
2006年12月1日

21:03〜23:30
テレビ
ALWAYS
三丁目の夕日


日本テレビ
2005年
 東京タワーが完成間近な東京の下町を舞台に描かれる昭和33年のエピソード集。
 集団就職で小さな自動車修理工場「鈴木オート」に青森県から来た六子(掘北真希)、鈴木オートの怒りっぽい主人(堤真一)、その妻(薬師丸ひろ子)、息子・一平。もと踊り子で飲み屋を営むヒロミ(小雪)、少年誌に冒険小説を書く茶川(吉岡秀隆)、親に捨てられた小学生・淳之介、空襲で妻子を亡くした医師(三浦友和)。
 昭和33年の懐かしい品物が登場します。建設中の東京タワー、氷冷蔵庫から電気冷蔵庫への変化、洗濯機、テレビ、フラフープなど。
 なんといってもいちばん懐かしいのは、小学生の男の子がツギをあてた服を着させられていることで、もちろん少年はそんなボロ服をいやがっている。けれども、そのツギの下にはお守りが縫い込まれている。困ったときに少年がそのお守りを開いてみると、母の気配りのお金が入っている。

シェイクスピア作品の映画化やその関連の映画は除く。
それらは別ファイルになっている。→ 『シェイクスピアの劇と映画


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