ポートランド日記 |
8月1日(1日目) ビザがぎりぎり7月31日になってやっと出たり、荷物の梱包と書類作成に思わぬ時間がかかって30日は徹夜になったり、出発前のさまざまな障害については、またあとでまとめて書くとして、とりあえず、8月1日夕方5時45分発のエアカナダ3004便でバンクーバーに向けて出発。 出発までの準備──半年くらい前から徐々に始まり、2か月前から本格的になり、最後の2週間は他の仕事が手につかないくらい、けっこう手間がかかった準備を終えて、ポートランドに向けて出発できるまでこぎつけたということで、何かをやりとげたようなある種の達成感がある。普通の観光や取材のための海外旅行では、こういうことはないかもしれない。 夏休みなので、飛行機は満席状態。早めにチェックインして、通路側の席を確保してバンクーバーへ。フライトは不快な事件もなく順調に進行。バンクーバーはカナダだが、アメリカへの入国審査をバンクーバーで済ませるようになっていて、入国審査はバンクーバーですべて済んでしまった。 ポートランドへ着くと、C(うちの奥さん)の友人の留学生のSさん(女性)が迎えに来てくれていて、レジデンスホール(寮)まで車で連れて行ってもらう。これからここに5か月半暮らすことになる。 レジデンスホールの僕らが暮らす部屋は、一階にある。元々はゲスト用に作られた部屋だそうで、ここだけシャワーとトイレが付属している。大学の学生寮だから、他の階の部屋はバストイレは共用だ。二人用の部屋といっても六畳〜八畳くらいの印象で狭いけど、5か月暮らすにはそれほど悪くない。ビデオ付きのTVもついている。日本なら、ちょっと安めのビジネスホテルのツインルームという感じだ。 寮の中には、7階にコンピュータールームがある。ここは、寮の住人なら、24時間自由にLANでインターネットに接続したパソコンを使うことができる。「とは言っても、日本語の入出力できるわけじゃないから」と思っていたが、この7階のコンピュータールームが、ポートランド到着後数日間、部屋に電話が引けるまで大いに役に立った。 インターネットエクスプローラは日本語表示ができるので、ウェッブなら日本語のメールを読むことが可能だ。「アメリカのWindowsは日本語は駄目」という固定観念があったが、状況はずいぶん変わっている。 もちろん、フォントは入っていても、かな漢字変換はインストールされていないから日本語を書くことはできない。しかし、日本から持っていったノートブックで文章を書いて、それをフロッピーディスクに保存し、それを読み込んで送ることで、日本語のメールも送れるようになった。最初は、ローマ字のメールを書いていたが、これでは満足な情報交換はできない、 Windowsに付属しているワープロソフトのWordpadに読み込んだ段階では文字化けしているが、そこからカット&ペーストでウェッブのメールに張り込むと、きちんと日本語になる。 部屋に台所はついていないが、共同の台所を使うことができて、電子レンジ、食器洗い機などひと通りそろっている。食器や調理器具も共同のものがある。共用の冷蔵庫があって、一部を利用することができる。寮の宿泊料(家賃)は、バス付きの僕たちの部屋の場合、月500ドルだが、電気料金、水道料金などは含まれるので、短い滞在なら、リーズナブルかもしれない。 寮に荷物を置いて、Cがこれから勉強する、「スクール・オブ・ナーシング(看護学部)」に連れて行ってもらった。校内を歩くといろんな人に会って、その都度あいさつ。Cの職場に来る機会はあまりないので、いろいろと観察する。でも、飛行機の中でほとんど寝なかったので、眠気が最大限に達している。 そのあと、スーパーマーケットに当面の買い物に行く。寮で冷蔵庫が使えることがわかったので、食料をいろいろと買い込む。 それから、「安全」というおかしな名前の日本食品店へ。ここには、1年半前初めてポートランドを訪ねたときも何度か来ている。納豆、日本酒、椎茸、米、など購入。ポートランドは日本人が多いので、ここに来ればほとんど何でもそろう。 前回ポートランドに来たときも、使わないというタコの頭(本当はお腹)をわけてもらって、たこ焼きを作った。もう一軒「宇和島屋」というのがあって、そこのほうが品揃えがいいそうだが、まだ行ったことがない。 夕食はI先生(女性)とSさん二人を交えて四人でタイ料理。機内食ばかりだったので、久しぶりにおいしい食事をしたという感じ。トムヤムクン、パイナップルサラダ、生春巻き、カレーを、マイルドと注文したが、けっこう辛くて汗をかいた。 寮に戻ってQWESTに電話したが、七時を廻っていて営業時間は終了。つながらなかった。 |
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