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昭和館は不幸な過去を知る手助けになるか

1999年9月29日  鈴木康之


 6月2日付で掲載された『「全米日系人博物館」と「昭和館」の恥ずかしい格差』には、いつにもまして、たくさんのメールをいただいた。
 その内容は、大まかに言って、反対半分、賛成半分だった。反対意見の多くは、第二次世界大戦について「侵略戦争」と記した部分への意見だったが、ここでは、それについては触れない。また、機会があれば僕なりの考えを述べてみたいと思っている。

 もうひとつ、反対意見の中に、「昭和館は自分の目で見ていないのに、全米日系人博物館と比較して、批判するのはズルイ」、というものがあった。『「全米日系人博物館」と「昭和館」の恥ずかしい格差』を書き始めた段階では、「昭和館」はまだオープンする前で、比較して批判するつもりではなく、最後のところで少しだけ触れておこうというつもりだった。しかし、書き始めたら、つい筆がすべって、批判めいたことを書いてしまった。

 見もしないものを、新聞の記事だけで論ずるのは、やはり物書きとしては避けなければならないことだ。遅ればせながら昭和館を見学してきたので、今一度、昭和館について論じてみたいと思う。

 昭和館は、九段下の地下鉄の駅からすぐ、武道館に向かう途中にある。ロックコンサートで武道館へ行く人は、この建物何かな? と思っているかもしれない。建物の1階に切符売り場があるが、実際に展示が行なわれているのは、6階と7階。見学者は、エレベータで7階に上がることになる。

 7階は戦時中の展示、6階は戦後の展示と分けられている。6階の入り口にまず展示されているのは、「千人針」、武運長久を祈って、千人の女の人が一針ずつ縫って、徴兵された人に贈ったというものだ。

 話には聞いているが、実物を見るのは初めてである。もしかしたら、広島、長崎の原爆資料館で見ているかもしれないが、広島や長崎では、他の展示物の衝撃が強かったので、千人針については記憶が確かではない。

 いきなり千人針というのは、けっこうインパクトが強かった。ごく普通の人々が、いろんな思いはあったろうが、徴兵で戦争に駆り出されたことを、如実に示す歴史的な証拠品だ。これを身につけて、戦地で実際に戦った人がいるんだと思うと、胸に迫るものがある。

 千人針について、どういう意味のものなのか、どんなふうに作られたのか、などの詳しい説明がないのが、不親切だが、現物で見せる博物館の意義はここにあると思った。

 しかし、8月6日付の毎日新聞ニュース速報(僕は、ニフティサーブのクリッピングサービスで読んだ)によれば、この千人針の展示には、複雑な事情もあるようだ。

 記事によれば、「国が123億円をかけた昭和館は今年(99年)3月に開館した。20年前、日本遺族会が戦没者遺児を慰める事業を政府に求めたのがきっかけだ。しかし、戦争のとらえ方をめぐり、大学教授や厚生省OBらの議論は揺れた。戦争を客観的に展示するのは困難との理由で<生活の労苦を収集・保存・陳列する>ことに落ち着いた。死を推測させ、直接戦争にかかわるものは陳列してはならない。マニュアルがある。
陳列していいもの=防空ずきん、慰問袋、衣・食・住にかかわるもの
悪いもの=武器、軍用品、赤紙、戦死公報、原爆投下・爆撃行為にかかわるもの
昭和館のある職員は「物足りないという声は『右』からも『左』からもある。このままでいいのか考えることはある」と漏らす。」
 記事の続きを読むと、遺族会から依頼されて、戦死した夫の遺品として届いた千人針を、陳列のために手放した80代の女性が、自分の千人針を見に行こうと「昭和館」を訪れたところ、陳列されていなかった。聞いてみると、戦死した人の遺品は陳列できないというので、倉庫にしまわれているという。

 「死を推測させ、直接戦争にかかわるものは陳列してはならない」という陳列方針が決定する前に、提供されたので、返すに返せないのだそうだ。
 そう言われて思い出してみると、7階の戦時中の展示には、確かに死に関わるもの、直接戦争に関わるものは皆無だった。防空壕の堀り方の解説は、断面図が書かれていて、もっとしっかりした作りだと思っていた僕は、「これじゃあ、爆風で埋まって死ぬこともあるだろう」、と認識を改めることができた。物資の不足で代用の竹で編まれたランドセルやヘルメットやメガホンは、当時の切迫した状況が伝わってくる。

 しかし、広島や長崎の原爆資料館のように、焼けただれた衣服とか、焼け野原になった写真とか、「死を推測させるもの」は一切展示されていない。これは、遺族の人たちに当時の悲しみを新たにしてほしくないという配慮と言えば筋が通っているようだが、僕がもった感じは違うものだった。

 7階にはビデオモニターがいくつか設置されていて、ボタンを押すと戦争当時のニュース映画を見ることができる。これが流れると、どんなことになるだろう。当時のニュース映画だから戦意発揚のためのものばかり。戦争が大変だった、苦しかった、日本は負けそうだというようなものはない。当たり前である。

 しかし、死を推測されるものの全くない中で、当時の戦意発揚ニュース映画を見ているのは、嫌な感じのするものだった。大げさかもしれないが、昭和館の7階では戦時中の情報操作され日本は戦争に勝つと思っていた世界が再現されているのである。

 当時の状況が再現されているのは、悪いことではない。リアリティを求めた結果、それが成功していると捉えることもできる。しかし、昭和館は、「生活の労苦を収集・保存・陳列する」ことを目的としている。「戦争はしてはいけないことです、このような戦争を日本が二度と起こさないようにこの展示をします」といった説明はないから、展示の意味は曖昧になり、もしかしたら、戦争賛美しているのではという気にもなってくる。

 何しろ、館の入り口にハトの像を展示しようとしたら、平和の象徴であるハトは対立する戦争をイメージするからいけないというので、取りやめになったのだそうだ。

 たとえば、小学生を引率して「昭和館」に来たとしたら、先生は何と解説すればいいのだろうか。「戦争は二度としてはいけないことです」の一言の説明がなければ、子供たちは展示からどんなメッセージを受け取るだろう。何か一つのことのために国民が団結することはいいことだと、思うかもしれない。

 1階下りて、6階は戦後の展示。ここは、進駐軍がもたらしたチョコレートやタバコなどの舶来品や、当時の雑誌、映画のポスター、玩具など、要するに「開運! なんでも鑑定団」の世界である。これなら、各県各地にある歴史資料館にも展示されているもので、ことさら東京で展示する意義は感じない。他になり質と量というのなら意義があるだろうが、展示スペースの制約もあるだめか、質、量的にも大したことはない。

 ただ、最後に、湯川秀樹博士のノーベル物理学賞のメダルが展示されていた。本物かレプリカかわからないが、これは、小学生の頃、湯川博士の伝記を読んで、僕も物理学者になろうと気持ちを高ぶらせたことを思い出した。博物館には、本物の迫力で、見学者にいろんなインパクトを与えるという効用がある。これを見るだけでも、「昭和館」に行く意義はあると思った。

 僕は、決して「昭和館」を否定するわけではない。「戦争は二度としてはいけないこと」をきちんと説明すること、そのためには、戦争の悲惨さを伝えるものも展示することだけをしてくれれば、「昭和館」は、規模は小さいが、世界に対して胸を張って紹介できるものになる可能性は持っている。それなら、侵略戦争云々については、言及することなくできるのではないだろうか。東京にある博物館・資料館なのだから、東京空襲の実態はやはり伝えてほしいと思う。

 戦争の悲惨さについては、多くの本が出版され、テレビでも8月になれば特集番組が放送される。僕の母は、「思い出すから……」と言って、戦争中の話はほとんどしなかった。母は昭和20年に16歳の女学生で、軍需工場に働きに行っていた、すぐ下の弟を空襲でなくしたから、具体的な話はしたくなかったのだろう。聞いた話は、「戦後の食糧事情の悪かったときでも、母の母が闇物資の買い出しで頑張ってくれたから、お腹の空いた思いはそれほどしたことがない」という話くらいだ。

 その母の母、祖母が、こっそりという感じで、「ラジオでは日本が勝ってるって言ってるけど、こんな空襲がひどいして、わしは本当は絶対負けると思ってた」と話してくれたのを覚えている。本などで得た知識だと、一億火の玉で、みんな洗脳されていたような気がするけど、実際はそうでもなかったんだなと思った。

 また、南方の戦場に行った大叔父から聞いたのは、戦地の過酷さよりも、「南方は果物が豊富で、もいで食べ放題だった。日本に戻ってからのほうが大変だった」という話だった。

 こんなふうに戦争一色だった昭和20年の頃は、「悲惨」のひとことだけではかたずけられない要素を持っている。僕は、それをひっくるめて、僕らの親やその親たちが苦労した戦争の頃の話を知りたいと思う。

 たとえば、荒俣宏さんの『決戦下のユートピア』(文春文庫)は、第二次大戦下でも、日本人はけっこうしたたかに日々の生活を楽しんでいたという話を、博覧強記の著者が、当時の雑誌や新聞、本から、集めてきた話だ。

 あらゆる面で徹底的な蒐集家である荒俣さんならではの著作だが、徴兵された人も「戦争死亡障害保険」をかけていたという話とか、国家のために貯蓄が必要だというので、国民をそろって貯蓄に務めた話とか(そう言えば、昭和館にも「貯蓄報国週間」のポスターが陳列されていた)、へえ、そんなこと知らなかったという話が載っている。

 荒俣さんの本は決して戦争は楽しいものと描こうとしているわけではない。それは、荒俣さんのまえがきを読めば誰にでもわかる。こんなふうに、昭和20年の頃にあったことを、いいことも悪いことも、そのままに伝えていくことも、大切なことだと、僕は思う。「戦争はいけないことだ」という意識はそこから自ずとわき出てくるはずだ。そうでなければ、書き方や筆者の意識に問題があるということになる。

 昭和館の展示、いろんな意見が出て、にっちもさっちも行かなくなって、今の中途半端で意味のないどころか、悪い影響を持つものに落ち着いたのなら、こんな方法はどうだろう。全国から、戦中戦後の物品を募集する、そして、それぞれの物品には、その人なりの解説をつけてもらう。集まったものから100点を選考委員会がセレクトして、時系列に従って並べて展示する。

 これなら、問題が起きないように起きないようにと気を遣ううちに、なんだかわからない無個性、無主張の展示になってしまったということになる心配はない。その展示を見終えたときに、どんな感想が残るかは、今の日本人の第二次世界大戦に対する意識を反映したものになるだろう。実は、どんな物品と文章が集まるかはちょっと心配なところもあるが、これはこれで、面白い試みになるのではないだろうか。

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