MSNジャーナル                                   The Pigeon Post

「全米日系人博物館」と「昭和館」の恥ずかしい格差

1999年6月2日  鈴木康之


 3月に取材でロサンゼルスに行く機会があったので、1月22日に新館がオープンした「全米日系人博物館」を見学してきた。
 全米日系人博物館は、ロサンゼルスのリトル・トウキョウに、7年前に旧西本願寺だったお寺を改造して開館した、日系アメリカ人に関する全米で唯一の博物館だ。趣のある建物だが、収集した資料を展示するには狭く、97年から隣に新館の建設を進めていて、それがようやく完成した。

 新館は、ガラス張りの落ち着いたデザインで、中に入るのが楽しそうな建物だ。入館料は、大人が6ドル。月曜は休館で、平日は10時から5時まで、木曜日のみ午後8時まで開いている。

 受付で、「日本からですか?」と英語で声をかけられる。係りの人はみんな日本人風の顔をしている(つまり日系人)だから、彼ら彼女らの口から、なめらかな英語が出てくると、少し不思議な感じがする。

 しかし、日系人というのは日本人ではない、日系アメリカ人なのだ。その認識を確固たるものにして、第二次世界大戦のことなど考える場なのだと心して、常設展示場へ入る。

●日系人の歴史をじっくり勉強する

 入ったところにあるのは、第二次世界大戦当時の収容所をそのまま移してきたもの。ワイオミング州に建てられた木造バラックの強制収容所の一部を、そのまま持ってきたもので、40人のボランティアが現地で解体して、ロサンゼルスまで運び組み立てたのだそうだ。

 その過程も、写真で詳しく紹介されている。みんなで協力して、展示物を運び込んで、その過程をしっかり写真で紹介しているというのが、いかにもアメリカらしいと思った。

 19世紀後半に、日本人が初めてアメリカに移民を始めたころの、ある日系一世が仕事に使っていた、荷車と荷箱も展示されている。しかも、「どれだけ使い込まれているかわかるようさわって汚れを感じてください」という主旨のことが書かれていて、自由に触れていいようになっている。

 さわってみると、確かに指が真っ黒になった。展示場には、このように、当時を知る資料が多数、時間の流れに沿って展示されている。僕らが見ても懐かしいような、看板や商品、飲食品のパッケージなども多い。

 当時の記録ビデオも、いろんなところで見られるようになっている。そして、中でも印象的なのは、いたるところに貼られている、日系人たちの写真だ。どの人も懐かしい日本人の顔をしている。僕らの両親や祖父母のアルバムに貼ってありそうな写真だ。

 僕らの祖父母や曾祖父母と同じような人たちが、いろいろな動機でアメリカに渡った。そして、貧しい中でさまざまな差別や、日本人排斥を目的とした「外国人土地法」法律の壁の前に苦しみながら、アメリカ人として生きる道を選んでいった。しかし、1952年まで、日本人移民は法的に「帰化不能外国人」として、アメリカ市民になることはできなかった。

 日本とアメリカは戦争になり、日系人は収容所に入れられる。多くの日系人は、アメリカへの忠誠を示すために、軍に志願して日本と戦った。この辺の話は、大ざっぱな知識としては持っていたが、写真と資料と解説で、じっくりと勉強することができた。

 この博物館に貫かれているのは、日系アメリカ人のアイデンティティとは何か、強いてはアメリカとは何か、アメリカ人とは何かを考える姿勢だ。ビデオや写真や本物の資料を通して、この博物館の語りたいことが迫ってくる。

 こうした日系アメリカ人の姿勢は、博物館だけに留まらず、アメリカ政府に戦時中の強制収容所政策は間違っていたと認めさせてもいる。アメリカ政府は1988年に市民自由法を制定し、戦時中に強制収容した日系人に謝罪し、1人2万ドルの補償金を支払っている。

●日系人の笑顔の示すもの

 そして最後には、たくさんの日系アメリカ人の笑顔の写真。それは日系アメリカ人の未来、アメリカの未来を示しているようで、感動を呼ぶものだった。
 博物館で一番印象に残ったのは、この日系の人たちの笑顔だった。収容所の一コマ、戦地での一コマで、彼ら、彼女らはくったくのない笑顔を見せている。日本人なら、そうした厳しい、緊張感ただよう状況に置かれれば、もっと暗い表情をするに違いない。少なくとも、歯を見せて笑うことはないはずだ。

 アメリカの白人がそうした笑顔を見せている写真は何度も見たことがあるが、日系人、外見的には日本人と同じ顔つきの人たちが、そうした笑顔を見せているのは、何だか不思議な感覚だった。そうなのだ。彼らは日系ではあるけれど、まぎれもなくアメリカ人なのだ。そして、日本とアメリカが戦争になったために、いわれのない差別を受けた。

 展示の解説は英文だが、一部日本語で書かれている部分もあるので、英語の駄目な人でも、けっこう楽しめる。質問したいことがあれば、日本語で応対してくれるはずだ。館内には図書室もあり、資料がデータベース化されていて、パソコンで検索することができる。また、ビデオも視聴できるようになっている。歴史に興味のある人に限らず、有意義な時間が過ごせるだろう。

●奇妙なポリシーの「昭和館」

 全米日系人博物館に感慨を覚えて帰ってきたら、日本で、「戦中・戦後の国民生活の労苦を後世に伝える」ことを目的とした東京・千代田区の「昭和館」が3月28日から一般公開が始まったというニュースを読んだ。

 「昭和館」という名称の建物は、日本遺族会が建設を要望してできたもので、厚生省によれば、「戦争資料館でも、博物館でもない。戦争を伝えるものではない。汗水のしみ込んでいる展示物を見てもらって、戦中・戦後の国民生活の労苦を考えてもらいたい」のだそうだ(朝日新聞ニュース速報より)。

 設立をめぐっては、市民団体の反対運動が現在も続いていて、建物自体も、九段周辺の美観を損なうということで、工事差し止め訴訟が起こされている。
 「戦争の歴史認識に相違があり、事実を客観的に伝えるのは困難」ということで、歴史認識抜きの展示ということになったそうだが、博物館(ではないと厚生省は言っているが、実態はやはり博物館だろう)というのは、展示するだけでなく、研究機関であり、訪れた人の学習の場でもあるべきものだ。

 ただ昔懐かしいものを展示するだけの施設を、税金をつぎ込んではたしていいものだろうか。日本にはそうした、役に立たない、目的のない博物館や美術館が多いように思えてならない。

 日本は侵略戦争を引き起こし、それについては謝罪もしている。あの戦争は侵略ではないと思っている政治家もいるだろうが、少なくとも公式には侵略戦争ということになっている。そうではないという失言をして、近隣諸国の非難を受けては、何人も大臣が辞めてきたはずだ。

 全米日系人博物館は、そうした日本の第二次世界大戦について、海の向こうの日系アメリカ人の視点から捉えたものでもある。それに応えられるような、ああしたことは二度と起こさないという視点に立った博物館はなぜできないのだろう。

 「事実を客観的に伝えることが困難」なら、文部省の学習指導要領に基づいた教育では、何を教えればいいのだろう。もし、政府要人が中国や韓国に行って、第二次大戦について聞かれ、「戦争の歴史認識には相違があるので、お答えできません」と言ったら、大問題になるはすだ。「戦中・戦後の国民生活の労苦を考えてもらいたい」というが、「その『労苦』の原因は何ですか?」と聞かれたら、どう答えますか。

 「昭和館」を外国人が見学したら、何と思うのだろう。日系アメリカ人の人には見てほしくない、そんな気がしてしまうが、どうだろうか。
MSNジャーナルに掲載)

MSNジャーナル掲載コラムエッセイとインタビュー表紙