直木賞受賞作『理由』が意外に面白くない理由1999年5月19日 鈴木康之発売の98年5月からは1年がたってしまったが、第120回直木賞を受賞した宮部みゆき氏のベストセラー小説『理由』(朝日新聞社 1800円)を読み終えた。 『理由』は、面白い本を紹介してくれることでは信頼を置いている月刊書評誌『本の雑誌』(98年7月号)で北上次郎氏が、次のように絶賛していた。 物語の骨格は実にシンプルである。マンションの一室で惨殺された四人はいったい何者なのか、なぜ殺されたのか、というだけなのだ。それだけのことなのに、どうしてこれほど色彩感に富む物語になってしまうのか。宮部みゆきの魔術というしかない。 テーマは、家族である。ここにはさまざまな家族が登場する。いろいろな悩みがあり、葛藤があり、対立がある。問題をかかえた家族が次々に登場して、現代の家族の風景を浮き彫りにしていくのだ。これが圧巻。 ディテールのうまさは今さら言うまでもないのだが、しかしこれだけは書いておきたい。宮部みゆきは肉づけに秀でているので、骨格がシンプルであればあるほどその美点が強調される。この著者のもう一つの美点は、何度書いてもいいが、構成が巧みであることで、これも骨格がシンプルであるほうが効果的。つまり、本書は宮部みゆきの美点を最大限に発揮した典型的な見本と言っていい。 宮部みゆき氏の本は以前から好きで、ほとんど読んでいる。北上氏がほめていて面白くなかった本も記憶にないので、早く読みたかったのだが、最近なるべく自宅の本を増やさないように、小説の単行本は極力図書館で借りて読むようにしている。 『理由』は大人気で、そろそろ空いているかなと、近くの図書館に予約を申し込んだが、何と待ち人数が25人。それから数か月待たされて、やっと手に取ることができた。 ●ノンフィクション形式はリアリティを高めるのか 当然ながら、わくわくして読み始めたが、読み進むにつれて「あれっ?」という気持ちになってきた。何だか面白くない。 読み始める前に、作家の大西赤人氏の『理由』関する評論を読んだが、そこには、ノンフィクションの形態をとっているのが、かえってリアリティを薄めている、という主旨のことが書かれていた。 また『本の雑誌』で、これは書評とは直接関係のない座談会で、弁護士の木村晋介氏が、『理由』には「法律家から見て矛盾を感じるところがある」という主旨の発現をしていた。 そのふたつのことが頭にあったので(でも、宮部みゆきの本だから、多少の難点はあっても面白いだろうと思っていた)、いつもより慎重に、前へ戻って読み返したり、事実確認を繰り返しながら、読み進めていった。 しかし、いくら読んでも、首を傾げるばかりだった。 『理由』には、数組の家族が登場する。事件に(発見者などではなく)直接的に関わる家族だけで、片倉家、小糸家、宝井家、石田家、砂川家の5つ。全員フルネームで登場し、行動や性格は、インタビューや、それをまとめた形で詳細に語られる。どの家族の中にも、衝突や誤解や離反があり、崩壊寸前のところ、すでに崩壊しているところもある。 記述はきわめて具体的だ。たとえば、事件の現場は、荒川区栄町三丁目と四丁目にまたがるヴァンダール千住北ニューシティの2025号室と、きわめて詳しく提示される。 僕は、インタビューして原稿をまとめるのを主な仕事にしているが、具体性はノンフィクションに最も重要な要素だ。『理由』は、ノンフィクションという形式を取っているので、この辺りはノンフィクションの原則にきわめて忠実だ。 しかし、記述が詳細であればあるほど、リアリティがなくなっていく気がしてならない。結果、読み終わったあと、何とも言えない違和感が残った。事件と事実関係は詳細に書かれている。 もともと、犯人探しを大きな目的とはしていない小説だから、犯人は三分の二くらい読み進めばたいていの人にはわかるが、それでも、トリックという面では、なるほどという仕掛けが施されている。 ●純然たる小説のほうがずっとリアリティがある でも、面白くない。正確に言えば、現実にあった事件のようにひしひしと迫ってこない。もちろんノンフィクションの形態をとっているからといって、これが、実際にはノンフィクションではないことは百も承知だ。 それでも、優れた小説なら、もしかしたら本当にあった出来事かもしれないと感じ、引き込まれていくものだ。 たとえば、小野不由美の『屍鬼』。詳しく書くと面白くないので書かないが、この小説は絶対にあり得ない話を書いている。しかし、人里離れた山奥の村を、そこに住む人々を数十人のレベルで生き生きと描写し、村の中の様子も正確に描き出していくことで、ひとつの架空の村を、あたかも実在するかのように描き出してしまっている。 この小説はホラー小説に分類されるものだから、好みは分かれるだろうが、ぜひ読んでほしい作品だ。僕は今でも、村のあちこちの情景や人々の暮らしが目に浮かんでくる。今、僕は、村全体の人の構成を書き出して、村の地図も描けないかと、読み返しているところだ。『屍鬼』はそこまでさせる、インパクトのある小説だ。 海外の小説なら、キム・ニューマンの『ドラキュラ紀元』(創元推理文庫)。これは、ブラム・ストーカーの名作『吸血鬼ドラキュラ』で、ドラキュラが滅ぼされず、生き残ってイギリスを征服したその後の話という設定の小説だ。 ロンドンを吸血鬼が闊歩する、もちろんあり得ない話なのだが、実在の人物と出来事、数ある吸血鬼小説の登場人物を縦横に描くことで、1888年のロンドンを見事にリアリスティックに描き出している。 僕は、小説を書かないので、こうした「あり得ない話を、いかにもあるように書く」というテクニックについて、文章や構成のうまさ以上の何かが作用するのかどうかはよくわからないが、『理由』には、そうしたリアリティが決定的に不足しているように思えてならない。 ●犯行の本質が語られないことが構造的な弱点か テーマも現代に即している、文章もうまい、トリックも優れている、それなのに、なぜ僕には面白く読めないのだろう。 98年7月27日の読売新聞朝刊に掲載された座談会形式の書評では、おおむね大絶賛だが、中に次のような感想が気になった。 「あえて温度とテンポを下げたような印象の文章ですね。著者の現代物をいくつか読んだことがありますが、ある登場人物の視点から語られることが多く、スピード感を持って駆け抜ける感じ。それとはまったくこの作品は違っています。新しいチャレンジに成功した作品といえると思います。」(広瀬克哉氏の発言) 「犯行の本質が、特異点のように語られないまま残されている印象を受ける。(中略)『理由』では、犯人の証言をうることができないという具合に、読者に対して閉ざされている。」(橋爪大三郎氏の発言) 「犯人の証言が得られないというのは重要な点だと思います。謎(なぞ)の中心として残したという見方もできれば、構造的な弱点とみることもできます。」(小林恭二氏の発言) 僕が『理由』に馴染めなかったのは、この辺りに理由があるのではないかと思っている。広瀬氏、橋爪氏、小林氏言葉を借りれば、「温度とテンポを下げたような文章がスピード感を失わせ、犯人の本質が語られないことが、構造的な弱点となっている」のではないだろうか。 ●ノンフィクション形式をとった理由がわからない 形式としては、ノンフィクションをとってはいるが、語り口は極めて冷めている。本当のノンフィクションなら、もっと熱く誰かに思い入れをして語るものだ。 ある理由で、結局犯人の証言は登場しないのだが、読んでいくと、犯人には、両親など家族がいるようで、つかまえて話を聞くことは可能なようだ。僕がライターなら少なくとも、犯人の家族とコンタクトは取ろうとする。 しかし、語り手(名前の明かされないノンフィクションライター)は、犯人の家族にはコンタクトを取ろうとはしない。その理由も記されていない(他の話が聞けなかった人については、理由が用意されている)。もし、この小説がノンフィクションという形態で書かれているのなら、これは構造的な欠陥だ。 それに、犯罪についてノンフィクションを書こうとすれば、犯人が犯罪を犯した理由について、ライター自身のつっこんだ分析が必要不可欠だが(ノンフィクションはそのために書くのだろう)、それは全くない。その点で、このノンフィクションを気取ったミステリーは、決定的にリアリティを失っている。 もしこの作品が、本当にノンフィクションであれば、読者は犯罪の大まかな経過、犯人が誰か、マスコミで語られている犯罪の動機などを知った上で、読むはずだ。しかし、これは本当は小説だから、読者は犯人も犯罪の概要もわからないまま、ノンフィクション形式の小説を読み進めていく。 その結果として、途中でいろんな事実が明かされて、それが読者を引っ張っていく構造にはなっている。しかし、そこまでするなら、最後の最後でノンフィクションを使った大どんでん返しをしてほしかった。 ●『理由』をノンフィクションライターに読んでほしい ミステリーの大がかりなトリックには、探偵が犯人とか、関係者が全部犯人とか、これまでに、掟破りのものがあるが、宮部氏の仕掛けた、「ノンフィクション形式でミステリーを書く」というのも、それに近いものがあるように思う。 もしかしたら、ミステリーの歴史に一行書き加えるような、大胆な作品になっていたかもしれないのだ。中途半端になったことで、この小説は面白くなくなっているのではないか、と思えてならない。 僕は宮部みゆきのミステリーが好きだ。この作品も、ノンフィクション形式など取らず、登場人物の誰かが探偵となって、犯罪を解明するような形なら、稀代の名作になったのではないかと思っている。 うちの奥さんは、「殺した理由がよくわかんないのよね」と感想をもらした。その通り、この小説では、犯罪の理由は全くと言っていいほど述べられていない。これはミステリーとしては、大きな欠陥だ。 現代の住宅と金融とバブル崩壊について書きたいとき、もちろんミステリーの形式をとることは全然かまわない。でも、それなら、しっかりしたミステリーの形式をとった上で書いてほしい。 こんなふうに思うのは、僕がノンフィクションライターの端くれで、ノンフィクションという形式を自分でも書いているからだろうか。『理由』に関しては否定的な意見をほとんど聞かない。ノンフィクションを手がけるライターの人に読んでもらって、どう感じたか、意見を聞いてみたいと思う。 でも、それ以上に、次の作品は、あっと驚かせる名作であることを期待しています、宮部さん。今までのでは、『蒲生邸事件』がいちばん好きです。 (MSNジャーナルに掲載) MSNジャーナル掲載コラム/エッセイとインタビュー/表紙 |