MSNジャーナル                                   The Pigeon Post

情報公開とインターネットの効用

1999年4月13日  鈴木康之

 少し前になるが、2月17日のNHK総合テレビ「クローズアップ現代」で、「最善の治療を求めてインターネットで名医探し」という番組が放送された。内容は、ガンの患者さんが、インターネットで自分が納得できる病院や医師を探したり、また同じ病で闘っている人々とコミュニケーションするという話。

 MSNジャーナルの読者の方なら、インターネットでそういうことが行なわれているのは周知の事実、それほど珍しいと思う話題ではないだろう。僕も、それほど集中せずに、何となくテレビをつけて眺めていたという感じだった。

 しかし、インターネットと癌という、話題性のランキングの高いものを、ふたつうまく組み合わせたので、特にインターネットにそれほど詳しくない人の間では非常に話題になったようだ。僕も何人かに、「あのテレビ番組見た?」と、いろんなところで問いかけられた。

 今日も、某雑誌の編集者と話していて、この番組の話になった。「インターネットの特集をやろうと思うんですけど、切り口が難しいんですよね。こんなに便利だ、他では手に入らない情報が手に入るってやっても、今さらですし」

 そこで、NHKの番組をヒントに考えたのだそうだ。「セカンド・オピニオンっていうんですか。自分の癌について、ひとりのお医者さんだけじゃなくて、他のお医者さんの意見も聞いて、治療方針について患者が納得した上で決めるというの。今まで日本だったら、他のお医者さんの話を聞くのは難しかったと思うんだけど、インターネットのお陰でそういうことができるようになるみたいですね。そういうセカンドオピニオン的な切り口で、インターネットを紹介できないかと思っているんです」

 なるほど、弁護士のホームページとか、税金の相談のページとか、それに近いものはありそうだ。セカンド・オピニオンという言葉は、普通は医療についてしか使わないようだが、拡大解釈すれば、その切り口は面白いかもしれない。

●情報を自分だけのものにしておくことは許されない

 「インターネットのおかげで、遅れている日本の医療の場でもセカンドオピニオンを求めることができるようになった」 このフレーズが面白いなと思った。インターネットの効用というものを、うまく言い表わしている。

 インターネットは、これまで手に入れにくかった情報を、いとも簡単に手にすることのできるメディアだ。これはけっこう大きな意味を持っている。これまでの日本で医者にかかっていたら、どんな深刻な宣告をされても、他の医者にも相談をしたいとはなかなか言い出せないだろう。しかし、インターネットというものがあることで、ある程度それが可能になる。

 アメリカでは、セカンド・オピニオンについて知らない人がいないほどで、医師が診察の終わりに「セカンド・オピニオンをとりますか」と、たずねるのは当たり前のことだそうだ。

 日本では、インフォームド・コンセントという言葉がぎくしゃくと使われ始めたばかりで、セカンド・オピニオンを求めるのが当たり前になるのはずいぶん先だろう。しかし、この動きをインターネットが加速することになるのは、間違いない。現に、セカンド・オピニオンに関するペ日本語ページも、すでにいろいろとある。

 これは、「専門家が情報を自分だけのものにしておくことができなくなった」ということだ。日本の医者は、「医学の知識のない患者には、正しい判断はできない」という言い方をして、患者への説明を渋る傾向があるようが、セカンド・オピニオンはそれを解決することができる。

 「他の医者の判断を聞く」というと、自分の権威が侵されるように思って顔をしかめる、前世紀の遺物的な医者の顔が目に浮かぶが、セカンド・オピニオンの仕組みが現状で最善であるのは、誰しも納得するところだろう。

●ドラッジ・レポートというインターネット上のゴシップページ

 こうした現象はインターネットによっていろいろなところで起きている。クリントン大統領の不倫疑惑にしても、独立検察官が疑惑の調査を始めたという情報と女性の会話テープは、まずニューズウィークが入手した。

 同誌は証言の信頼性が少ないと、記事の掲載を見送ったが、ドラッジ・レポートというインターネット上のゴシップページが掲載したことから、新聞各紙が翌日の紙面に掲載。結局ニューズウィークの掲載見送りは、意味がなくなってしまった。

 今まで、大統領にまつわるニュース報道は、大手のテレビ局や新聞社が独占的に担ってきた。ある種フィルターを通した情報が流されてきた部分があると思うが、インターネットの存在は、その構造を根本から変えつつあるように見える。

 大統領の品位を汚す、しいてはアメリカ合衆国全体の品位を汚すということで、報道されず、独立検察官も事実が明確になるまで発表を控えていたとしたら、今回の事件の様相はずいぶん変わっていただろう。しかし、それは正しいことだろうか。

 クリントン大統領の不倫疑惑については、赤裸々な事情聴取の内容などが、インターネット上で公式に公開され、「そこまでしなくても」という声も多かった。しかし、僕はあれでよかったのだと思っている。

 アメリカは情報公開という点では、日本よりずっと先を行っている。あそこまで大統領の行状が公開されているからこそ、隠蔽していることはないだろうと信じることができる。

 結論を言えば、誹謗中傷や差別的内容やプライバシーの侵害(この程度が問題ではある。日本では拡大解釈されて、全ての情報が隠蔽されてしまう)がなく、未成年者にふさわしくない情報はアクセスができないようにガードされていれば、情報はすべて公開されるべきだ。

●テレビ朝日のダイオキシン報道で責任を取るべき人

 日本で情報公開が遅れていることは、テレビ朝日の所沢のダイオキシン報道を見てもわかる。政府・農水省は、テレビ朝日に「謝罪しろ、賠償しろ」と盛んに圧力をかけているが、「ニュース・ステーション」の報道がなく、所沢のダイオキシン問題が明確にならなければ、問題はなかったのだろうか。

 JAや自治体は、発表を控えていたダイオキシンの数値を、世論の高まりによって、発表せざるを得なくなった。結局は、それによって騒動はおさまった。では、「許容範囲に関する明確なコンセンサスがないところで発表するのは、いたずらに不安を高めるだけ」というような理由で発表を控えていたのは、正しい対応だったのだろうか。

 テレビ朝日の責任を問う前に、自分たちが情報を隠蔽していたことで、問題を大きくした責任を取る必要があるだろう。もちろん、その前にダイオキシン汚染を放置してきたという、大きな責任があることは言うまでもない。

 政府の許認可を受けているテレビというメディアが舞台だったために、問題がややこしくなっているが、日本にもインターネット上に、ある程度の影響力を持ったメディアが存在すれば、報道の仕方を問題にしたり、情報をねつ造して報道しているなどと指摘する、政府の圧力は機能しなくなる。

●情報公開は、物事を単純にわかりやすくする手段

 「情報を野放しにしてしまっては、国民は正しい判断ができない」と、多くの政治家や役人は考えているだろうが、国民はそんなに頭が悪いのだろうか。振り返ってみて、情報を隠蔽してきて、いい結果を生んだ顕著な例があるのだろうか。

 原子力発電についても、ようやく「小さな事故でもきちんと情報公開して、それによって住民の理解を得、安全性を高める」というのが常識になってきた。少し前までは、「安全性は専門家が気をつけているのだから、小さな事故をいちいち発表して、住民の不安をあおることはない」という考えが大勢だったはずだ。

 もっと話を下世話にして、夫婦の間で不必要な隠し事をしなければ、もめ事も起きないことは、多くの人が経験則として承知しているはずだ。テレビドラマだって、登場人物が、何でもあけすけに情報を公開してしまえば、ストーリーは成り立たないし、山場の作りようもない。情報公開は、物事を単純にわかりやすくする手段といえる。

 自分に都合の悪いことは隠そうとしても、情報公開法はあるし(でも、日本の場合、都道府県・市町村レベルでは法制化が進んでいるが、国会ではまだだ)、インターネットという、いつでもどこからでも誰でもアクセスできるメディアが存在しているから、情報を隠蔽することはますます難しくなってきている。

 インターネットは単なる情報収集が便利にできるツールではない。「すべての情報は公開しなければならない」という新しいパラダイムを実現するための強力な武器だ。歴史をさかのぼっても、「すべての情報が公開」されていれば、起こらなかった悲惨な事件は多いはずだ。僕は、その意味でも関わるすべての人が、心してインターネットを育てていかなければならないと思っている。
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