Suzuki Media / Horai Tsushin
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No.6 -2000.4.5


第5号から、1か月以上間があいてしまいました。3月15日に引っ越して忙しかったという事情があるのですが、お待ちの方には申し訳ありませんでした。

////////////村上龍『共生虫』のオンデマンド出版////////////

 蓬莱通信の第2号で電子書籍コンソーシアムが進めている「ブックオンデマンドシステム」の実証実験に参加したことを書いた。そこでも書いたように、携帯端末の液晶画面で読む電子書籍は、それなりに「読める」ものだった。
 しかし、3か月半の実験の後半になると、目新しさもなくなる。何となく尻すぼみになってあまり読まなくなってしまった。もちろん実験ではなく、僕自身の興味が、だ。

 電子書籍は、「読めない」ことはないけど、小説もノンフィクションも勉強の本も、本はやっぱり紙で読みたい。それが3か月半の実験を体験してみた最終的な感想だ。
 もちろん、電子書籍が普及して、紙の書籍で手に入りにくい少部数出版物や、需要が少なくて品切れや絶版になってしまう本が、簡単に手に入るのはありがたい。海外に滞在しているときでも、電子出版なら、日本で出版された本を時間差なしに手に入れることができる。

 電子出版のほうが、製本コストや流通コストの面で優位だから、書店で買う紙の本より安くなるはず。それに、ちょっと目を通してみたい本や、一度読めば自宅にストックしておかなくてもいいような小説やノンフィクションには適している。
 電子書籍コンソーシアムの液晶端末は、改良の余地はまだまだあるが、それなりに「読める」レベルのものになっている。あとは、タイトル数が増えて、実際に購入できる書店が全国に広がり、インターネットでも簡単にダウンロードできる仕組みができるのを待つばかりだ。
 「やっぱり紙の本がいい」とは言っているけれど、選択肢は多いほうがいいし、それが、景気の悪い出版界を元気づけることにもなるだろうから、電子書籍にもがんばってほしい。

 しかし、「やっぱり紙の本がいい」のだったら、「少部数出版物や需要が少なくて品切れや絶版になってしまう本」はどうしたらいいのだろうか。そこで注目しているのが、オンデマンド出版だ。
 オンデマンド出版について、僕が持っているイメージは、(近未来の話)近くの書店に行くとオンデマンド印刷・製本機が置いてあって、そこで端末の画面でほしい本を選ぶと、5分くらいでその場で一冊だけ印刷・製本されて、お金を払って購入できるというもの。
 印刷のためのデータは、中央のサーバーに記憶されているから、品切れや絶版の心配はない。少部数の本でも出版できる。単行本だけでなく、雑誌でも可能だ。これが実現すれば、今までのように出版社が印刷・製本して出版する書籍や雑誌は、部数の多いものに限られるようになるだろう。

 大量に印刷・製本され、全国の書店に並びながら、結局返本されて、断裁破棄されるような無駄もなくなる。出版界自体の仕組みが変わるはずだ。自費出版だって、今よりずっと安価で簡単にできるようになる。
 そんな一冊だけ印刷・製本がそんなに早く簡単にできるのと思うかもしれないが、すでに実用化されている。少部数の学術論文のようなものは、オンデマンドで出版されている。

 僕はこのオンデマンド出版というものに、電子書籍以上に期待を寄せている。しかし(やはり紙の本がいいので)、実際にオンデマンド出版された本は、どんな感じなんだろうか。従来の本に比べるとやはり見劣りするのだろうか。
 以前からそんなことを考えていたが、ちょうど僕の好きな作家の一人でもある村上龍がオンデマンド出版で、小説を出すというので、試しに購入してみることにした。

 その情報を得たのは、3月2日の朝日新聞だ。ごく小さく、作家の村上龍が最新作の小説『共生虫』を1000部オンデマンド出版でインターネット上で販売するという記事があった。申し込み受け付けは3月1日から。
 受け付けから1日たっているから、すでに1000部売り尽くしているかもしれない。急いでヤフーでホームページを探した。http://www.bookpark.ne.jp/cogen 向現という会社のページでは、実際にはオンラインデマンド出版を積極的に進めている富士ゼロックスが運営しているようだ。

 住所や氏名やクレジットカードの情報を入力すれば、その場で注文できる。価格は3000円+送料500円と単行本にしては高い。オンデマンド印刷はまだコストがかかるのか、それとも1000部という少部数だからか、先行販売のためプレミアがつくのかわからない。オンデマンド印刷はどんな品質の本なのか、見たことはないのでわからないが、取りあえず頼んでみることにした。

 ホームページ上で注文してから、5日ほどで手元に届いた。製本は簡単なもので、ソフトカバーの本の表紙と帯をとったのと同じ感じ。僕は、本を読むときは帯やカバーはじゃまでしかたがないので、単行本でも文庫でもカバーと帯を外して読む。
 この本はとっておかなくてもいいから古本屋に売ろう、というときに、帯とカバーが見つからなくて困ることもあるから、最初からどちらもついていないのは(最初に手に取ったり書棚に並べるときはちょっと寂しいが)、むしろありがたい。
 印刷も、普通の単行本とほとんど変わらない。今の単行本は、活字や写植ではなく、DTP(デスクトップ・パブリッシング=コンピューターによるレイアウト)で、コンピューターのフォントで文字を作っているものも多いから、ほとんど変わらなくて、当たり前なのかもしれない。

 オンデマンド出版の『共生虫』には、2つの特典がついている。ひとつは、一冊一冊にナンバーが打たれていること。僕の本は269番だった。オンデマンド出版は一冊ずつ印刷・製本するから、ナンバーを付けるのはそれほど難しいことではない。
 受け付けを初めて2日目で1000冊のうち269番目ということは、爆発的な売れ行きではないようだ。受け付け〆切は3月15日なので、その2、3日前に、もう一度向現のホームページにアクセスしてみたが、まだ購入できるようだった。1000部は売り切れていなかったわけだ。
 もっと売れるような気がしていたが、それほどではなかったのはなぜだろう。ひとつには、インターネットにアクセスしている層と、単行本を読む層がそれほど重なっていないことがあるかもしれない。もちろん、一番大きな要素は、送料込み3500円という価格だろう。少し待てば、1500円で書店でハードカバーの本が買えるのだから、やはりちょっと高すぎる。

 もうひとつは、購入者だけに特別のホームページのURLとパスワードが同封されていて、そこにアクセスして、作者の記者会見の模様を画像で見ることができる。画像をダウンロードして見なければならないので時間がかかったのが、僕もせっかくなので見てみた(購入者だけの特典じゃなかったら、見なかったかもしれない)。

 今回『共生虫』を買ってみて、オンデマンド出版なら従来の出版物とそれほどの差はないなと感じた。価格が高いのはある程度普及すれば解消されるだろうし、やはりカバーや帯が欲しいという人にには、カバーや帯を提供するサービスを始めればいい。
 ヨーロッパでも昔は、本は装幀しない状態で売られて、自分で好きな装幀にしていたのだ。もう一度その方式に戻すのも面白いかもしれない。

 オンデマンド出版の将来には大いに期待している。僕や僕が編集した少ない著作のなかにも、いろんな理由ですでに絶版になってしまったものが、少なからずある。これらをオンデマンド出版してみたいと思うが、そうしたニーズにも対応するような仕組みが早くできてほしいものだ。

 オンデマンド出版の品質を、従来の出版と比較するという視点もあるが、僕は、今回『共生虫』を手にして、もう少し違う視点で考えることがあった。

 村上龍の作品は、最初の『限りなく透明に近いブルー』から、初期の頃は欠かさず読んでいた。『コインロッカー・ベイビーズ』や『五分後の世界』は、今でも名作だと思っている。
 村上龍は多作だ。しかも、長編から短編まで、いろんな傾向の作品を、これでもかこれでもかと出してくる。
 ここ数年はさすがについていけなくなって、書店でも手に取る機会が少なくなっていた。だから、今回の『共生虫』は、久しぶりに村上龍を読むいい機会になった。村上龍はオンデマンド出版という形式を試してみることで、少なくとも古い読者を取り戻すことになったわけだ(僕ひとりかもしれないけど)。

 本を読む前に、著者の記者会見の画像を見るのは面白い体験だった。普通、小説を読むときは、著者の存在(肉体を持った実体としての著者ということ)はほとんど意識しない。村上龍なら、TVでも見るからどんな人かはわかっているが、海外の小説だったら、カバーに著者近影でも載っていない限りまるでわからない。巻末の解説を読むまで、どんな経歴の人かもわからないのだ。
 しかし、著者の記者会見の画像を見たことで、著者・村上龍が非常に近いものになった。しかも、本には、「1000分の263」という刻印がある。幻想かもしれないが、大量生産で産み出された書籍を読むのではなく、一冊一冊ナンバリングされた自分だけの本を読むことという、今までにない経験をしたことになる。

 小説というのは、基本的に紙の上に印刷されたもので、その中身がすべてであるといってもいい。しかし、読者としては、読んだ小説が面白ければ面白いほど作者のプロフィールや作品の意図が知りたくなる。
 その手がかりとして、著者のインタビューを探したり、評論家による作品の批評を読んだりする。海外の作品では、巻末の訳者による解説がけっこう重要になる。
 それを映像レベルで深めるものとして、『共生虫』のように、インターネットとリンクして、著者のインタービュー画像が読めるのは面白いと思った。

 音楽なら、新しいCDが発売されるときに、テレビやラジオや街頭イベントなどを多角的に使って、プロモーションが行なわれる。
 しかし、小説やエッセイの場合は、BSに読書専門の番組があるくらいで、プロモーションは、出版社のPR誌や新聞記事や広告がせいぜいだ。テレビCMを打つ必要はないけれど、これからの小説家は、インターネットとリンクしたプロモーションを考えるのも面白いと思った。
 本が売れない小説が売れないというのは、いい本いい作品が少ないということよりも、映像中心の時代に、読者までプロモーションが届いていないことがあるのかもしれない。
 『共生虫』に購買者向けの隠しホームページができたのは、インターネットによるオンデマンド出版から派生的に出てきたものだろうけど、この画像と小説の連携は、面白い効果を上げていると思う。

 こうした試みは、今後も広がっていてほしい。それが、オンデマンド出版の宣伝と普及につながるはずだ。電子出版とオンデマンド出版のすみ分けの中に、読者にとって好ましい出版界の将来があるに違いない。
(文中敬称略)

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●持田美津子さんのサイト「モチダミツコがみたモンゴル」に、
「近況5」と「番外編3」が掲載されました。
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編集と発行:鈴木康之/SUZUKI Yasuyuki
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