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#麒麟獅子(きりんじし)・国府町鳥取市


とっとり因幡(いなば)の麒麟獅子(きりんじし)

稲葉山ハイク


 

麒麟獅子(きりんじし)

鳥取の因幡(いなば)から兵庫の但馬(たじま)地方に古くから伝わる伝統芸能に麒麟獅子(きりんじし)がある。
鳥取市国府町に位置する稲葉山のふもとの宇部神社では、例年、春の大祭(4月21日)に麒麟獅子の舞が奉納される。
麒麟獅子の構成は三人立で、先導役の猩猩(しょうじょう)一名、舞方は、顔の長い金色の一角獣の頭と連れの舞方の二名で、いづれも赤装束を身にまとう。舞のおはやしは、小太鼓、手打ち鉦(かね)が主で地域によっては横笛が加わることもある。

古来、日本の獅子舞(ししまい)は中国伝来の唐獅子(からじし)が起源とされており、室町時代から江戸時代にかけて各地に広まったとされる。
鳥取因幡の獅子頭は「麒麟」(きりん)が使われる。麒麟(きりん)とは、中国に古くから伝わる伝説上の動物で、麒麟の「麒」(き)は雄を表し、「麟」(りん)はメスを表すとされる。従って「麒麟」は雌雄同体の霊獣とされる。
古来、中国では、龍(りゅう)、鳳凰(ほうおう)、亀(かめ)、麒麟(きりん)を「四聖獣」と呼びあがめられた。

因幡地方の麒麟獅子は、初代鳥取藩主、池田光仲(いけだみつなか)が神社(現、樗谿(おうち)谷神社)の祭礼(1652年)、神幸祭(しんこうさい)に用いたのが始まりとされ、これ以降、鳥取の因幡(いなば)、兵庫の但馬(たじま)地方に広く伝わる。

麒麟獅子舞の特徴として、鈴を使って舞う伝統的な神社の「神楽」(かぐら)ではない。伝統的な「獅子舞」でもない。「能」(のう)に登場する「猩猩」(しょうじょう)が加わり、角を持つ麒麟の頭は長く大きいなど伝統的な「神楽」や「獅子舞」(ししまい)とは一味違う個性的な特徴が見て取れて面白い。

「猩猩」とは、中国から伝わる妖怪の事で、水に住み人と会話ができるお酒の好きな「妖怪」(ようかい)とされる。
「能」(のう)では、五番目物(ごばんめもの)、「猩々」の中に登場し「祝言能」(しゅうげんのう)の一つとされる。
「祝言」(しゅうげん)とは、古来から伝わる言葉の一つで、結婚、結婚式の意味を持ち、祝い事を指す。


参考
中国の四神獣とは、青龍(せいりゅう)方位(東)、朱雀(すざく)方位(南)、白虎(びやっこ)方位(西)、玄武(げんぶ)方位(北)の四方位を指す。奈良時代仏教と共に中国伝来とされる。これらの四神獣は、仏教絵図として寺院などで普及した。
日本の伝統芸能は、奈良時代(7世紀)以降、仏教伝来と共に伎楽(ぎがく)などの大陸文化が移入された。後に、日本独自の伎楽(ぎがく)、神楽(かぐら)、獅子舞(ししまい)、能(のう)などに発展し伝統芸能として受け継がれてきた。

麒麟の起源は、中国、明(みん)の時代(14世紀)頃、西方から持ち込まれた首の長い動物の「キリン」が「麒麟」に変化したものとされる。


能(のう)とは、7世紀頃に中国や南方から移入された「伎楽」(ぎがく)を代表とする舞台芸能の一つとされ、江戸時代までは「猿楽」(さるがく)と呼ばれる民衆芸能を指す。明治以降は「能」(のう)もしくは「能楽」(のうがく)と呼び、日本伝統芸能として発展する。


猿楽(読み)さるがく 日本大百科全書(ニッポニカ)「猿楽」の解説
 室町時代の初め、観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)父子らによって、猿楽は今日の能楽に近い姿に整えられ、能と狂言の交互上演の形式も定まった。
世阿弥は『風姿花伝(ふうしかでん)』に「上宮(じょうぐう)太子、末代のため、神楽(かぐら)なりしを、神といふ文字の偏を除(の)けて、旁(つくり)を残し給ふ。是(これ)、日暦(ひよみ)の申(さる)なるが故に、申楽(さるがく)と名づく。
すなはち、楽しみを申すによりてなり。又は神楽を分くればなり」とその成立を権威づけ「申楽」と表記したが、室町・江戸両時代を通じ一般には伝統的な「猿楽」の表記を用いてきた。しかし、明治期に入って「能楽」と改められた。



稲葉山ハイキング
ふもとの「宇部神社」(うべじんじゃ)から、家族連れでも歩けるなだらかな林道(一部舗装)を行く散策コースがおすすめ。
往復・約150分



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