Michihiro Fujiwara
鳥取県生まれ・・いて座。
私の写真歴は、20歳の頃から始まる。最初に手にしたカメラは オリンパスのペン35mm。現像タンクを入手し自前でフィルム現像した記憶がある。1950年後半の頃から1980年代頃にかけて高度成長と共に、世の中は登山ブ−ム絶頂期。登山スタイルは、ニッカズボンにキスリングザックが大流行し人気のファッションとなる。1960年代の大山(だいせん・鳥取県)は、頂上小屋のある弥山(みせん)山頂から東西に伸びる稜線を縦走し、ユートピアから「砂すべり」を下り元谷(もとだに)経由で大山寺(だいせんじ)に至るコースが一般的でした。観光客などはサンダル姿も普通。当時の夏山登山は、民宿、宿坊、キャンプ場で一泊するのが一般的でした。当時はマイカーもない時代、大山寺は大勢の登山客で賑わっていた。危険箇所は、1980年代の後半に入り、尾根筋の崩落が激しくなり縦走路も危険な状態になる。
大山は、約200万年前の火山とされている。したがって、山肌は火山灰と砂礫で形成されており、風化がすすみ崩落の激しいことでも知られています。元谷上部の通称「砂滑り」は、近年の大雨などで急峻な沢に変貌し登山禁止となる。
近年、弥山(みせん)山頂からから尾根道をたどる縦走路は登山禁止区域となっています。
個人的な執筆関係では、初期のモノクロ時代(1970年代)から山岳雑誌「山と渓谷」(山と渓谷社)の日帰りガイドを執筆し、長年にわたり山陰地方の山々を紹介してきた。中でも、日帰りハイク(ワンデ−ハイク)などは、今で言う低山歩きの元祖とも言えるもの。このワンデイハイクは、その後の分県登山ガイドえと続いている。
還暦を期に大山写真集(全カラ−・ポジフィルム使用)・「伯耆大山の四季」を自費出版(全カラー)する。ちなみに 大山(だいせん)は 中国地方の最高峰(1729m)で知られる。別名・伯耆大山(ほおきだいせん)・伯耆富士(ほおきふじ)とも呼ばれています。大山隠岐(だいせんおき)国立公園の中心地でもあり、最近は内外からの登山客も多い。。
Michihiro Fujiwara
Seeing my name Michihiro Fujiwara straw.
It was born to Tottori Prefecture in Japan.
The photograph was begun from the time of 20 years old.
The landscape photography of the sea or a mountain is taken still now.
Thenk you.
関連図書・その他
中国四国ワンデイハイク(1983年)
中国・四国の山(1989年)
中国の山(2000年)
中国百名山(2003年)
以上共著・山と渓谷社刊
分県登山ガイド・鳥取県の山(1996年)
新分県登山ガイド・鳥取県の山(2006年)
新分県登山ガイド改定版・鳥取県の山(2010年)
以上・藤原道弘著・山と渓谷社刊
伯耆大山の四季・藤原道弘写真集(2008年)
モノクロ写真展・大山の四季・鳥取市(1981年)
講演会・とっとり県民カレッジ主催講座・鳥取県の山旅(自然・環境)90分
倉吉未来中心(2005年)
山岳図書 山と渓谷社
山と渓谷社・鳥取県の山
新・分県登山ガイド「鳥取県の山」改定版30(藤原道弘著)・山と渓谷社(2010/05/10発刊)/1900円+税・全国書店