「草野球の窓」
特別寄稿

草野球の国際親善について考える
〜儒教の国から我々が持ち帰ったもの〜
 
草窓All Japan 韓国遠征メンバー 徳永 圭


海外遠征への思い

 その日もいつものように「ゴルフ」というスポーツが、いかに不経済でストレスのたまるモノであるかについて考えさせられていた。そんな矢先、会社の野球部でいつも一緒にプレーをしている先輩から草窓オールジャパンの話を聞いた。一足先に草窓オールジャパンに参加していた彼は、豪遠征を体験して帰国、その興奮も冷めやらぬままに、草野球の「国際親善」について語ってくれた。とにかく三度のメシより野球が好きということと、一度くらい海外で野球してみたいという単純な考えからだが、自分自身が参加を決意するまでには、そんなに時間は必要ではなかった。その決意からの半年間は、いかに海外で“いいプレー”をするか、そればかりを考えてしまっていた。このことを今思い返すと、非常に幼稚で恥ずかしささえ覚えてしまうのだが・・。
 それからというもの、すっかりクラブも握らなくなり、会社野球部の試合にフル出場・フル回転で調整をすすめた。草窓オールジャパンの合宿練習や千葉マリンスタジアムで行った硬式球での練習試合にも参加し、遠征日程が近づくにつれ、その思いは強くなっていった。思えば千葉マリンで握った硬球は、なんと20年ぶりの感触であったのだ。
 思いの外、出発当日の成田空港のロビーにおいて、その幼稚な思いはもう頂点を極めた。どうしてもグラウンドで考えると「野球をしに行くのだ!」という思いが強くなりがちで、本来の目的である「国際親善」が二の次になってしまっていたのである。国際空港という場所で、海外へ出発するという実感が湧いてきたのか、自分の中での「いいプレー」と、役割としての「国際親善」とのバランスが取れてきたのがわかった。それにより徐々に緊張が解れ始めたのを覚えている。
 機内では日本人らしく(?) 缶ビールのプルトップを次々と開け放ち、「はじめての海外での野球」「国際親善」そして「骨付きカルビ」に「プルコギ」・・様々な期待が胸を大きく膨らませてくれた。搭乗したアシアナ航空の客室乗務員もとうとう「ええ加減にせい!」と言わんばかりの表情で追加オーダーに応じなくなってきた頃、我々の大きな夢を乗せた飛行機は仁川国際空港への着陸準備に入っていた。


そして韓国に降り立つ

 噂には聞いていたが、空港自体にいままで嗅いだことのない匂いが漂っていた。これはキムチの匂いなのだろうか・・・、しかし、この匂いを感じたのもこの瞬間だけで、数時間後には全く気にならなくなっていた。鼻が慣れたのか・・・。(これは帰り際に思い出した)
 新空港の大きくキレイな窓から見える韓国の風景は、想像以上に日本のそれに近くフライト時間の短さも手伝ってか、全く「海外」に到着した気などはしなかった。
 到着後、軽く珍道中を乗り越えた上で、ようやくホテルに辿り着いた。そしてひと安心したのも束の間、うたた寝する間も、ホテルの設備を確認するまもなく、我々を待つ韓国チームの手厚い接待を受けるべく、一路東大門へ。驚くことに地下鉄はほとんどどこへ行っても600ウォン(約60円)。途中立ち寄った野球用品店では、日本とそう変わらないクオリティ、そして価格に驚いた。どうやら需要が少ない分、単価がつり上がっているらしい。また、その商品のほとんどが、日本製品をアレンジして作っているようなタイプに見えたが、一部には、日本ではあまりお目にかかれない色やデザインのものもあった。アメリカではそんなことは感じなかったのだが・・・。アメリカ人が日本の野球用品店に来たら同じ印象を受けるのだろうな、などと勝手な妄想にふけっていた。話は変わるが、韓国の人々はタイトスケジュールがあまりお好きではないらしいとの事。「ルーズ」とまでは行かないまでも「ケンチャナヨ」(気にするな)の精神が深く根付いているらしい。人を大きく包み込むような優しさ、寛大さはそのあたりから培われているものなのだろうか。
 待ち合わせまでの空き時間にビアホールでビールを飲んで、まずその安さに驚いた。テーブルには、日本でいう「中生」あたりとほとんど変わらない値段で「ピッチャー」がドンッと音を立てて運ばれてきた。この後に食べさせてもらう予定になっていた「サムギョプサル」(豚の三枚肉の焼肉)に備えて、胃袋を空けておくためにポップコーンをつまみながら、僕達はジョッキを交わし談笑した。味や色もさっぱりと薄く、バドワイザーやハイネケン、クアーズあたりに割りと近い、淡白な味だったように記憶している。


韓国草野球人との会話に花が咲く

 やっと待ち合わせの時間になり、予定通り「サムギョプサル」をご馳走になりながら韓国チームのメンバー達との談笑に花を咲かせた。飲みたかった「真露チャミスル」もこれでもかというぐらい飲んだ。正直なところ、予想していた以上に韓国チームの面々は積極的で開放的、そして情熱的だった。とにかく楽しかった。野球の話だけではなく、仕事の話や家族の話、「日本」そして「韓国」の話、そこから「マナー、習慣」などの話へ。互いの「世界観」「人生観」はたまた「将来像」まで話はどんどん弾み、時が経つのも忘れて会話を続けた。通訳をしてくれた大学生の二人の女の子を通して、自分の意見も伝えてもらうことができた。このことには、本当に心から感謝している。こんな経験は個人旅行のレベルでは決してできないからだ。会話の途中、窓ガラスに映る自分の姿を見て、自分が「貴重な体験をしている最中」であることに何度も感動したりした。  しかし、途中で何かが引っかかっていることに気付いた。こんなに楽しい場を提供してもらって、こんなにおいしい料理をご馳走してくれて、楽しい会話をさせてもらっているのにもかかわらず、である。また会話が弾むとしばしその「魚の小骨」も姿を消していたのだが、同席してくださっていたソウル野球連盟役員の方の一言で、今まで心の奥底に引っかかっていた「小骨」の正体がはっきりした。それと同時に取れて腹に落ちた。役員の方は、

俺達は政治家じゃない。野球選手同士だ。政治は政治家に任せて俺達は野球をしよう

と挨拶の冒頭で述べてくれた。腹にズシッと重たく響いた言葉だった。役員の方の人となりを示す素晴らしい表現だったと思う。
 そして帰り際、僕は今回の遠征に誘ってくれた先輩とこんな話をした。

「昔の話は、俺達にはどうすることもできないもんな・・・。」
「俺達が新しい国際関係を作っていくしかないですよね。」
「なんか俺達ってすごい事してるよね。」
「国際問題にならない程度にしましょうね」(二人笑)

 やはり彼にも同じような「小骨」が引っかかっていたようだ。そして僕も、怒涛の初体験ラッシュに疲れたのか、ホテルに戻るとすぐに眠りについた。


漢江河川敷での初練習

 翌朝、我々は、午後からの試合に備えるべく河川敷の公園で軽く練習をすることにした。見渡す限り「野球」などを楽しんでいる風景は、どこにも見当たらない。だいたいが、先日のワールドカップで全面的に市民権を得たと思われる「サッカー」、もしくは「テニス」と「バレーボール」を掛け合わせて生まれたような不思議なスポーツ「サークル」。これについては、ワイシャツにスラックスで参加する熱心な愛好家の微笑ましい姿も見受けられた。
 我々は、各々でストレッチの後、軽くキャッチボールをしてトスバッティング。硬球の鋭く重たい感触が手のひらに響く。甲高い金属音があたりに広がっていく。広い河川敷で、その甲高い音が跳ね返らずにずっと遠くまで伸びていくのを実感した。見上げると、片側4車線のバイパスには、車がびっしりと列をなし、ソウルを南北に切り裂く漢江は水位も高く、幅も広くて色も濃く、今にも我々を吸い込まんとばかりに威嚇していた。その大河と渋滞のクラクションとエンジン音を掻き分けながら、「高い金属音」は響き渡っていった。河川敷の公園と言うこともあり足場が悪く、ノックをしてもイレギュラーが怖くて前に出ることができない。それでも容赦なく監督はノックバットに「硬球」を乗せて運んでくる。昨晩の暴飲暴食のツケがちょうどこのころに回ってきていた。


いよいよ韓国遠征初戦へ

 一度ホテルまで戻り、昨晩「仲間」になった韓国チームのみなさんと合流した。後でわかったことだが、彼らの中には僕たちの滞在しているホテルまで1時間半もかけてクルマで来てくれていたメンバーが数名いたらしい。彼らの心はどこまでも熱く、深い。試合場所に設定されていた微文高校のグラウンド(一番遠くからいやな顔一つせず、我々の所までやってきてくれたチェ氏の母校だそうだ)に到着すると、何やら雲行きが怪しくなってきた。前日からの天気予報でも「夕方からは雨」との予想だったのだが・・・。長方形に伸びたそのグラウンドには、野球部の少年達が練習をしていた。彼らのユニフォーム(白い練習着)、その着こなし、練習方法、すべてにおいて日本と同様の風景であった。厳粛なムードの中で、キピキビとした彼らの動きは、非常に見ていて気持ちが正されたのを覚えている。我々も同調して襟を正した上で、グラウンドへと降りていった。

 10月のあたまに雨の日が続くということは、ソウルでは珍しいらしい。予定時刻をやや過ぎたところでのプレイボール。しかし降り出した雨は、その勢いを衰えようともせず、容赦なく我々の頭上に落ちてきた。雨雲が勢力を拡大し、みるみる辺りは暗くなった。いつしかフライの捕球もままならない状況まで陥ってしまった。そしてその結果、草窓オールジャパンの韓国での初戦は降雨ノーゲーム。残念ながら、二回の裏、ツーアウトで終わってしまった。空には分厚い雨雲がびっしりと広がり、グラウンドの空から光を奪ってしまっていた。あわよくば・・の期待を込めた中断中の30分間、今度はバックネット裏で「国際交流」が始まった。ひとつのボールにチームの全員がサインを書いて交換した。物心のついた頃から、ずっと野球をしてきたのだが、この時、生まれて初めてボールに自分のサインをした。照れくさいついでに「韓国最高!」とおまけまでつけてしまった。こんなことなら自分のサインぐらい考えておけばよかったと痛感した。今、思い返してみると、このボールの交換も現地のメンバーが最初に言い出したことだったし、試合開始の整列のときも用意されていたプレゼントをいただいたりもした。我々「日本代表」は彼らの深い配慮、そしてピュアな心に改めて敬服せざるを得なかった。

 その日の夜のうちに翌日の試合もグラウンドコンディション不良のために中止となった。すべて順調に行けば、3試合を消化して帰ってくる予定だった今回の遠征は、神の思し召しにより、たった2イニングだけで終わってしまったのだった。ただいま海外での通算打率は .000、無安打。1度しかバッターボックスに立っていない。しかもランナーを二塁において、タイムリーのチャンスに凡退したのだった。
 結果的にはセカンドゴロだったのだが、その感触、打った後のセカンドの守備、ファーストでアウトになった瞬間、すべて鮮明に脳裏に焼き付いている。試合開始の整列のときにプレゼントをもらったその選手にさばかれようとは・・・、何という運命のめぐり合わせか。

 本格的などしゃぶりになり、視界さえも奪われる勢いで雨は降り続き、やまなかった。落胆した我々は、またここまで送ってくれたクルマに乗り込み、グラウンドを後にした。付け加えておくが、この時我々を送迎してくれたのは、この試合の対戦チームではなく、翌日に対戦が控えていたチームのみなさん、昨晩手厚い歓迎をしてくれた彼らなのである。自分達は試合も無いのに、我々を気遣って送迎までしてくれたのであった。


夜は本場の焼肉で・・

 その夜、ホテルから程近い、焼き肉屋に行くことになった。今度のお目当ては当然「プルコギ」&「骨付きカルビ」である。野球以外の楽しみはすべてここに集約されていた。草窓オールジャパンのメンバーと昨晩の「最高殊勲者」、通訳の女子大生ウシルちゃんとウンミちゃん。彼女達の目に「久しぶりに見る日本人の団体」はどのように映ったのだろうか・・・。バクバクと目の前の料理を平らげながら、その合間にビールを飲む。飲む。大声で笑う。儒教の国、韓国のしきたり等全く無視。日本の店にいるのと全く同じように楽しむ我々。彼女達には、久しぶりに日本文化を垣間見て懐かしく思って笑ってくれていればいいのだが・・・などと思ってしまった。我々を「恥ずかしい」なんて思いはしなかっただろうか・・・。やんごとなき、よもやま話をこの夜も続けて、また二日目の夜もふけていった。


そしてホテルで考えたこと

 ホテルの部屋に戻り、全く汚れていない「日の丸のユニフォーム」と、まったく汗を吸い込んでいないアンダーシャツをバッグの中に押し込んだ。ベッドに寝転びながら、荒天中止となった親善試合について考えていた。荒れたであろうグラウンドの状態も確認することなく我々に重く冷たくのしかかった「中止」というショックを改めて噛み締めてみた。韓国へ到着した日の夜からずっと「数え切れないほど、言葉に言い表せないほど」配慮をしていただいた韓国チームのみんなと本来の目的であった「野球という球技を通じての国際親善」ができなかったことが本当に悔やまれた。「中止」を言い渡された瞬間よりもその思いが強くこみ上げた。「野球」を通じてであれば、何か恩返しをすることも可能だったのではないか? もっと我々のことをわかってくれたのではないか? 次回につながる強い絆をもっと築き上げることができたのではないか・・・。考えても無駄であることはわかっているのに考えてしまう自分が、ただいつものポジションで、いつものプレーをするという「日常」から脱皮し、少し成長したようにも思えた。人との出会いの大切さ、人の温かさ、大事にしなければならないものを本当に大事にする気持ち、今回の遠征を通じて、彼らと話をして感じ取った「優しさ」「配慮」、数え切れない感動の数々。
 当然だが、我々は「草野球人」である以前に「一人間」である。その「一人間」同志が集まって“野球”という手段を使って「国際親善」を図る。これが我々草窓オールジャパンの大命題であることを改めて痛感させられた。なぜなら「野球をしたい」その一心で、雨の中、もしくは荒れ果てたグラウンドでプレーをしたならば、ケガをする確率、風邪などを引く確率は格段に上がってしまうわけで、彼らはそれらを見越して「中止」を決定したということが、我々にしっかりと伝わったからである。ここまで我々は「配慮」されたのだ。恐らく我々は雨の中でプレーをして多少ケガをしたり、風邪を引いたりしたとしても日本に帰ってからの自分の仕事に影響が出るほどのケガや病気をしないだろうと勝手に決め付けていただけなのである。考えれば考えるほど「愚かな行為」であったということを自分自身が確認しなければならなかった。また同時に、その幼稚さを恥じなければならなかった。心の奥底で気付かないうちに形成されていた「歴史的背景」への弱々しく頼りない考え。 何代も前の世代たちの争いが終わり、お互いの国民が隣国として「近くて遠い国」として、ただ見つめ合うだけであった。その争いの産物が何だったのかなどという問題は、全くもって我々の議論すべき問題ではないし、そういう議論こそ何の意味も持たない。

 とにかく、玄海灘の向うに住む、定期便で往来できるような隣国の、彼らのその手のひらはとても温かく、我々を包み込むようにとても大きかったのだ。ただ単に「感動しました」だけでは、決して終わらせることのできない新たな課題が、その姿形を変え、我々の新しい世代間で産まれていることを、感じずにはいられなかった。我々草窓オールジャパンが、今回お世話になった「征服者」というチームとの対戦のために、また、これから出会うであろう、その他の全世界の「草野球愛好家の方々」も含めて、「次の試合」という名目の交流会を企画し、それをひとつひとつ実現させていくということが、我々の使命になるだろう。「進歩」という新たな一歩を互いに並んで踏み出すためにも。

(2002年11月5日)


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