「草野球の窓」
日 韓 草 野 球 交 流
遠 征 後 記

監督・伊藤満治  背番号13
 草窓全日本(韓国遠征チーム)監督の伊藤です。

 始めに、韓国の方々に想像を遙かに超える歓迎を受け、只々恐縮し、そして感動しました。ここに、韓国の方々、そして橋渡し役をしていただいた岡本氏と比嘉氏、そして、通訳をしていただいた韓 祐氏iウシル)さん、李 銀美さんに、この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。
 本当に有り難う(カムサムニダ)。

 午後3時より、ソウル市内の高校のグラウンドで、試合開始でしたが、試合の直前より降り始めた雷雨の中、2回の裏、韓国チームHUCKERSの攻撃途中でノーゲームとなりました。高校のグラウンドと言っても、日本でいう「甲子園常連校」のグラウンドと変わらない場所であり、試合をするには充分でした。

 全日本チームが1回に1点、2回に先発根本氏の2点ランニングホームランによって3点を先行しましたが、その裏、逆転を許したところで、雨が激しくなり、30分経過を見たが止む気配もなく、そのまま降雨ノーゲームとなりました。
 30分間の中断中は、お互いに片言か、通訳の人を通し、チーム全体だけでなく、個人個人のコミュニケーションやプレゼント交換、サインを交換し合うなどして、大変楽しい時間を過ごせました。
 翌日も韓国全域で降雨との予報と、もし天候が回復しても、グラウンドの状態が使用に耐えないことが予想されましたので、翌日の試合は全てキャンセルとなってしまいました。残念な結果となってしまいましたが、この続きは、是非来年あたりに再度韓国遠征を行うか、日本でやりたいと思っています。

 今回の遠征の話があったとき、報道等で頻繁にとりだたされる「反日感情」に対して、少なからずも心理的に抵抗がありました。しかし、実際に行ってみると、期待をしていなかったウェルカムパーティーを催して頂き、その中で韓国の方々と垣根のない言葉でお互いを語り合ったり、普通の観光では行かないような所や、楽しい場所とかも案内をして頂いたりと、ここには書き尽くせないほど、親切な対応をして頂きました。
 今回の遠征は、例え試合が出来なかったとはいえども、親善ということでは成功したように思います。そのことを実感できたのが、帰りの空港へのバスを待っているときに、見送りに来てくれた方が名残惜しそうにしてくれたこと、同じように通訳で付いていてくれた女性が、「本当に寂しい」と言って涙してくれたこと。

 私たちは本当に韓国の方々と、たった数日ではあるけども、心を通わせることが出来たのだと実感できた瞬間でした。今回も、言葉や国は違っても、同じように野球を愛し、野球の魅力にとりつかれた、素敵な「野球馬鹿」会うことが出来、至福の時を迎えられたことを感謝しつつ、報告させていただきます。

(2002年10月17日)

松山博昭 「草野球の窓」幹事  背番号2
   日豪草野球交流に続く第二弾は、今回参加されている岡本選手の仲介により、日韓草野球交流となりました。あとで知ったのですが、今年は日韓国民交流年なのだそうです。我々の交流のすぐあとから、日本各地で日韓縦断リレーイベント「JAPAN-KOREA市民交流フェスティバル2002」が開催されています。外務省・地方自治体・新聞社・放送局などが主催に名を列ねているこのイベントと同時期に、草野球人による草野球人のための草野球日韓交流が独自で行なえましたことを喜ばしく感じます。

 韓国にはプロ野球リーグがあり、国際大会でも上位進出の常連国です。私は当初、野球先進国である韓国では、庶民の野球「草野球」が日本と同じように草スポーツで最もポピュラーであろうと想像していました。しかし、実際に韓国で目にする草スポーツはサッカーばかり。先のワールドカップも手伝って、草スポーツといえば文句なしにサッカーであり、大衆娯楽としての草野球が日本ほど浸透していないことを知りました。日本よりはるかに物価の安いこの国で、野球用品の値段が日本とほとんど変わらないという事実が、いかに草野球人口が少ないかを示しています。
 しかし、我々は確かに韓国草野球人と交流をしました。髪に白いものが混じってもなお野球がやめられない愛すべき韓国草野球人がたしかにいました。そして彼らは日本草野球人を暖かく迎えてくれました。今回は試合が完全に実施できませんでしたが、企画の意義を十分に果たせた内容であったと思っています。

 韓国での草野球は、サッカーに押されているとは言え、韓国全土で20ほどのリーグが存在し、それぞれ50〜70チームほどの規模があるそうです。すべてリーグとしての活動で、日本のようなチーム単位での活動はないと聞きました。これはオーストラリアでもほぼ同様です。複数の国の草野球事情を比較すると、日本の草野球界がいかに巨大であるかを思い知らされます。そして連盟や私設リーグ、単独活動と、形態も様々で、かつ、助っ人としてチームを渡り歩いたり、複数のチームに所属したりと、日本では全く自由奔放な草野球活動が展開されています。それぞれの国の草野球環境には長所も短所もあることでしょう。二回の海外草野球交流を通じて最も認識させられたもの、それは自分の国、ニッポンがいかに草野球大国であるかということでした。

 余談になりますが、釜山アジア大会野球、日本−韓国戦を日韓の草野球チームどおしで観戦しました。結果はご存知の通り、0−9で日本の完敗。プロ野球の日程を中断しオールスターで臨んだ韓国と、そうしなかった日本。我々は韓国草野球人たちの前でその歴然とした差を見ることになりました。草野球とはいえ、我々も立派なニッポン野球人。とても悲しいひとときを過ごさねばならなかったことを書き添えておきます。

 最後に、監督業に徹したがゆえに今回一度もグランドに出ることなく遠征を終わってしまった伊藤監督、その思慮深いチーム運営に心から感謝申し上げます。

 「草野球の窓」では今後も海外遠征を企画してまいります。次回の遠征企画の際にも多くのニッポン草野球人のご参加をお待ちしております。

 (2002年10月20日)


特別寄稿 「草野球の国際親善について考える」
草窓All Japan 韓国遠征メンバー 徳永 圭

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日韓交流、その後

 2003年1月、草窓オールジャパン・岡本選手が韓国を再度訪れ、韓国草野球人と再会しました。その際、草窓オールジャパン特製日本手拭いを韓国チームの皆さんに渡していただきました。

右端:岡本選手
中央:野球チーム・ビボン(bibung)マネージャー、奈利さん
左端:コンキュラー(征服者:チョン・ボク・チャン)の幹事、ツェ・スヒョ氏


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