「熟年留学」のすすめ II

英語を学ぶとは「発想法・思考法」を理解すること

古野 操

英語学校でのスタート

プレイスメントテストの結果は初級レベルの103だった。もうすこし実力があると思っていたという気持ちと、1年間の英語の再履修という方針からすれば期間として、丁度良いかなという想いとが混ざり合っていた。

ともあれ学校はスタートした。初日の授業で感じたことは、103で良かったということ。なにしろ教師の話がほとんど分からない。ヨーロッパから来ている人たちは完全に理解している様子だった。

最初の1年間について

英語学校での1年間は、基本的には語学の勉強をするつもりだった。ところがその英語の勉強というのが予想外に難物であった。前回は「熟年留学」に至るまでの経過を中心に語ったが、今回はその英語の再履修の模様をくわしく書こうと思う。さらにアメリカ生活を続けるための基盤作りのことを時折り触れることにする。

基盤作りとは、たとえば車を購入するとか、アメリカの自動車免許をとるとか、健康で充実した生活のための道具・環境を、自分の気に入ったように取り揃えることである。学校の食事はしつこくて胃の負担が大きいこと、ドライスキンと呼んでいるが、乾燥度が強いため、皮膚がかゆくなること、従来から続けている菜食ができる環境がないことなどが、すぐ課題として意識された。それらを解決しながら生活基盤を作って行くのだろう。その外、娯楽の確保、瞑想のグループ探し、さらにスポーツ、旅行、友人を持つことなども大切なことだった。

ともあれ、最初の1年間は結果的に、アメリカ式「発想法・思考法」とは何か? という問題を見つけただけの年であり、その答えを見つけるには大学生活の4年間が必要になる。

ホームステイ先

英語の勉強とは?

1日の授業はストラクチャー/スピーキング、リーディング、ライティング、会話、ラボの5クラス。朝9時から4時まで1時間の昼休みをはさんで130時間。加えて特別ラボが火曜から木曜日まで1時間づつ。明けても暮れても英語の勉強三昧でいられる時間割だった。

2ヶ月ほど経ったが、依然、教師の話は十分に聞き取れない。クラス参加も思うようにゆかない。歯がゆい毎日が続いていたが、いったい英語の勉強とは何かという疑問がふと出てきて、そのことを考え続ける日が続いた。

毎日同じ時間割では飽きがくると学校の授業方針に疑問を持ったりしながら、文法を体系的に再勉強してみようとか、語彙を増やすには丸暗記しかないだろうかとか、乱読でもよいから読書量を増やさなくてはとか、いろいろと思い悩む日々だった。

アドバイザーに尋ねると、文法書は分からないとき読むだけでよい、語彙はシステマティックに作り上げろと接頭語、接尾語、語根の分析を薦められた。読書量については、今は気にすることないとだけ言われて、なぜだろうと思ったことを覚えている。ただ、教師の読書スピードが速いことだけは分かった。

学習方針が決まってくる

9月に入って、混迷状態の理由を勉強方法の混乱、未確定と考えたら、少しばかり余裕が出てきた。余程困っていたのだろう、英語の学習とは何かと、大袈裟に問題を立ててかえって苦しんでいたようだ。

リーディングではテキストを読んで、何について書いてあるのかということと、読後の感想を教師に伝える時に、それらを自分の言葉で語ることが指導され、批判的に文章を読むことと、端的なひとつの文章で内容をまとめることが大切なことが分かった。

ライティングではトピックスの見つけ方、一般論に陥ることを避けながら、焦点を合わせていくこと、読書メモの取り方、編集作業の大切さ、さらにライティングの楽しさを実感することを教わった。

会話のクラスでは、話せないのは話しが無いからと、ディベートでは人格と発言内容とは別のものと言われた。全体に戸惑うことばかりだったが、納得できることなので、その指導を進んで身につけようと思った。

個別教科の方針

そこで各教科での勉強方法を個別に作ることにした。

ストラクチャー/スピーキングは宿題を丁寧にやろう。忘れている文法に馴染むことは勿論だが、むしろヒアリングの時間として教師の話す言葉を聞き取ることに努めよう。リーディングは量をこなすためにレベル101のテキストから読み直すこと。会話では話題の選択が決め手なので、新聞、雑誌のヘッドラインだけを読むこと。ラボはディクテーションと呼ばれる書き取りを、とことんやってみようと決めた。

授業外の生活

学校のガードマンのラルフ・ジョージと話すようになった。といっても最初は聞いて、短い相づちを打つだけだった。朝食と昼食を一緒にしながら、話を聞くのが日課になった。

政治・文化・人種・宗教・ライフスタイル・彼の経歴・家族・日本についてなど、彼の話題は豊富だった。或る時はあまりに聞き取れないので逃げ出したり、日本のことについて上手く伝えられた時は自信を取戻したりした。彼のタウンのお祭りに行って踊ったり、夕方のセイリングに誘われて、ヨットの操縦をほめられたりする頃になると、少しづつ周辺を見回す余裕が出てきた。

自転車を購入したのもこの頃だった。ダウンタウンまで徒歩で30分以上かかる。土日にはバス便がぐっと少なくなるので、自動車を持たない身にとっては、週末の気晴らしの必需品だった。ダウンタウンの美術館をたずねたり、近所の山道を乗り回したり、エクササイズも兼ねて2時間以上も走って海に行ったり、この自転車のお陰で、ライティングのトピックスがかなり入手できたと思う。

楽になってきた

10月にもなると、さすがに集中学習の効果が出始めてきた。すべてのクラスで楽に聞けるし、書けるし、考えられるようになってきた。どうしてだろうと思うと、やはり英語の勉強とは言葉の学習だけではないということだろう。

たとえば、日本とアメリカの文化を比較するエッセイを書かねばならぬ時に、日米の思考法の違いを考えることにして、仏教の因果律とアメリカの因果関係の考え方の違いを日常の生活の中に見出して書くことにしたが、それにはアメリカ人の行動や生活を日頃からよく見ていることが必要になる。言葉の学習だけでは歯が立たない。

105セッションでの作文“With Birds”ではニューヘイブン バードクラブのメンバーになって参加したワークショップの様子を書いたが、ライティングが楽しくなってきたし、アイディアがどんどん増えて削るのに苦労したことを思い出す。

ライス・エステスとの出会い

中級最後の106レベルの中頃だった。ある日学校のプールの更衣室で出会った、ひとりのアメリカ老人が何気なく夕食に招待してくれた。

ライス・エステスと呼び、サウス・カロライナの出身で、現在、このカレッジの図書館館長とのこと。道理で見たことがあると思った。 ニューヨークのプラット大学の図書館情報学の元教授。亡くなった夫人が童話作家エレノア・エステス。日本でも「モファット」シリーズで知られている。

更衣室で裸のまま話をしているうちに、ディナーにどうぞということになった。アメリカの生活習慣を体験することは英語の勉強の一部ですよと、ゆっくりと分かりやすい発音と言い回しで誘ってくれた。

ディナーといっても彼が作ったローストチキンとサラダとワインだけ。年を聞くと1907年生まれという。84歳とは思えない。2階の住人のジョンも加わって楽しいひとときとなった。ジョンはイエールの大学院生。ギターを弾いてくれたし、日本にも来たことがあるとか。

ライスは控えめに二人の会話に参加したり、食器、家具、絵画の来歴を語ったりした。彼の質素な生活状況が垣間見えて好感をもった。

ライスの家にホームステイするようになったのは、年が明けてからだった。キッチンと冷蔵庫を使ってよいというので、菜食ができる環境を作るという懸案がやっと解決した。

英語の勉強はアメリカ式「発想法・思考法」の理解

11月に中級レベルの106が無事終わり、上級への進級が決まったところで一時帰国した。若者とは違って息が続かない。日本食・温泉のことをしきりに考えるようになって、これではノイローゼになってしまうと弱音をはき、休暇をとることにした。

だが、久しぶりの日本でも英語の勉強方法のことを考え続けていた。ふと書店で見た「アメリカ人の思考法」という本の表題が1つのヒントを与えてくれた。英語の勉強とはアメリカ式「発想法・思考法」(Way of Thinking)を理解し、使えるようになることと、ひと先ず、答えを出した。それは日本人としての「発想法・思考法」の再確認をも含むことでもあった。

上級レベルへ進級

日本から戻って、いよいよ上級レベルの107クラスが始まった。格段に難しくなってきた。特にライティングとストラクチャー/スピーキングのクラスが苦しかった。

ライティングのは、大学でのリサーチペーパーとか、タームペーパーを書くための準備段階だった。トピックスのリストアップ、選択、フォーカスのやり方では、「発想法」を十分に教えられた。続いて、そのトピックに関する素材なりアイディアをどう料理するか、論理的に破綻なく繋げるための「思考法」が説明される。アウトラインの作り方とか、Pro and Conと呼ぶ賛成、反対の立場からの見解をリストアップしたり、文中で使えそうな表現をメモしたり、キーワードを整理したり、要するに、ペーパーを書くための部品とその組立て方、さらにその検査まで、編集、校正と呼ばれる工程を含めて徹底的に教え込まれる。文章を製造するといった感覚を持った。このクラスにはイエールの日本人の大学院生も参加していた。

トピックスの選択は新聞・雑誌のデータベースをコンピュータで利用した。ひとつのヒントが出てくれば、それに関するできるだけ広い情報を、すばやく入手することが肝要となる。データベースとか、コンピュータの使い方を知っていることが、有利に働いた。他の学生に比べると圧倒的にひろい情報源を調べることができる。図書館の書籍のみの人に比べると大変な差になってしまう。結果としては、エッセイの質の違いになる。

ストラクチャー/スピーキングのクラスでは、教師から要求される読書量が圧倒的に増えた。大学レベルでのリーディングを前提としている。ここでも「発想法・思考法」を学ぶ局面が次々と出てきた。

授業はリーディングアサイメントを宿題として読んで、翌日それについての議論・ディベートをするというもの。ただしこの107レベルでは、どういう風に読めばよいかを学んだ。テキストの理解、スキャニング、スキーミング、キーワードのリストアップ、語彙の整理、メインアイディアの獲得、文章構造の把握、ディベート、ディスカッションというのが授業の流れで、それぞれのやり方を教えてくれる。ひとつのテーマにつき23日でこの流れを終わるので、かなりのスピード授業だった。

One Paragraph, One Ideaの大原則

授業についてゆくコツのひとつにOne Paragraph, One Ideaの理解というのがある。ひとつのパラグラフにはひとつのアイディアしかないという大原則である。これが基本になる。どうしてそうなるかということは大学の教育を受けてみてはじめてその答えが見つかった。とりあえず、多様性の中のコミュニケーションの方法だと言っておく。ともかく読むときも、書くときも、話すときもこの大原則をはずさないことだ。難しいことはない。ライティングのなかで体験するのが早道である。

前に教師の読書スピードが速いことを記したが、彼はこの大原則を応用していたのが今では分かる。大学のリーディング アサイメント、ペーパー、ディスカッションをこなすには、アメリカ社会に徹底しているこの大原則を身につける必要がある。大統領の演説から教会の説教までこの原則は徹底している。

英語学校の最終段階

ゆとりが出てきて、卒業後の準備が始まりだした。大学の選択である。最初はニューヘイブンのコミュニティカレッジへの進学を予定したが、ライスとクラス担任のジョンの薦めもあって、Southern Connecticut State UniversitySCSU)で図書館情報学を学ぶことにした。ジョンもそのマスターディグリーを持っていた。

108109の授業は実習が主だった。108のライティングのクラスでは"Right or Wrong for Commercial Whaling"を書いたし、109ではペーパーのかわりにスピーチで、"The Human Genome Project"を発表した。会話も新聞、雑誌のヘッドラインだけでなく内容の速読をやるようになって、話題が豊富になったし、リーディングでも、例の大原則が分かってから、まったく苦にならなくなって、少なくとも学校のキャンパスにいる限り、英語で困ることはまずなくなってきた。

英語学校を卒業して次のステップへ

1992228日に無事109を修了し、英語学校を卒業することになった。

そしてその後の予定では、3月は休暇で一時帰国、4月にはアメリカで国内旅行とマクロバイオティックのセミナー出席、5月にはライスとのスペイン、フランス旅行を考えていた。さらに6、7月はイエール大学での英語のサマースクールを受講することにして、大学生活に備えることにした。

次回の連載は若者のために「大学サバイバルマニュアル」を語ることにする。 つづく