グーグルで旅に行こう!

第2回 「英国ドライブ紀行」 2006-4-25〜5-9

「片雲の風にさそはれて」、英国をドライブ旅行をすることになった。 イングランド、ウェールズ、スコットランドを訪ねた。日程が少なく、アイルランドは別の機会にせざるをえなかった。

というのも、「グーグルで旅に行こう! おくのほそ道」をスタートし、原本を読んでいるうちに、芭蕉の思いが乗り移ったのか、姪の結婚式出席をかねて2週間のイギリス周遊の旅に出ることになった。 異国の地に死すともという大げさな気分になったことも確か。

周りからは無理をしない方が良い、若くないからと心配されたが、芭蕉に負けじと決行とあいなった。

旅行の印象としては、カントリーロードは一見美しいが、牧草しかできない、畑がない、樹木がない、という貧しい英国の土壌は産業革命で無意識に行われた環境破壊の結果に違いないと思われた。

日本の姿に思いを寄せれば、水田のある風景、木々が豊か、水が豊富、黒い土、と人々が作り上げてきた土地が、いま、かたちを変えつつあることに深い憂慮を持たざるを得ない。子孫のために環境を守るという強い意志が希薄になりつつある。そこまで考えない人たちがあまりに多くなってきている。

帰国後、風邪におそわれ、めずらしく嘔吐、下痢になやまされた。とはいえ、漂白の思いに火がついたようで、次はオランダ、ドイツ、東欧への旅を考え始めた。

●旅程のなかの地名をコメント・感想・情報とともに地図上に表示します。

イングランド・ウェールズ・スコットランド紀行の旅程

 25
April
Tue Dept VS901 1100
Arr 1530
*LDN B&B #1
by taxi
Ossian Guest House
26 Wed Rent a car
Windsor
*Stapleford
Pelican Inn
27 Thur Stonehenge
Bath
*Cardiff
Big Sleep Hotel
28 Fri Museum of Welish
Life
*Gloucester
Ramada Bowden Hall
29 Sat Dinner w/Bravo
*Oxford
Cotswold Lodge Classic Hotel 
30 Sun Boat Party
*Oxford
Cotswold Lodge Classic Hotel 
1
May
Mon Oxford Mayday
Stoke-on-Trent
*Liverpool
Regent Maritime Hotel
2 Tue Blackpool
Wordswarth Potter
*Windermere
St Johns Lodge
3 Wed Hadrians wall
*Glasgow
Dalmeny Park Country House Hotel
4 Thur *Edinburgh Thistle Edinburgh
5 Fri *York The Steer Inn
6 Sat Haworth
*Birmingham
Thistle Birmingham
7 Sun Stratford-Upon-avon
Poo World w/Aya
*Heathrow
Thistle London 
8 Mon Dept VS900 1300
Arr TKY 5/9 900
 

楽しみ方はMap機能のドラッグや拡大・縮小を使って、私のドライブした道を推測しながら、グーグル英国紀行を楽しんでください。 衛星写真(サテライト)も役立ちます。

GoogleのMapを使っています。
使い方は「Google マップ ヘルプの閲覧」へどうぞ。

・リンク:Google Map UK

情報、ご意見、コメントをお待ちしています。Phone&Fax:0466-37-0937(古野)

 

全行程

・ 地図:Map of UK

 

旅程

1日目 2006年4月25日

成田出発 1100 VS901便
London Heathrow Airport 到着 同日 1530


・ 地図:London Heathrow Airport

・リンク:空港案内(BAA Heathrow

先ずスーツケースを預ける。(Left Luggage) 空港スタッフの雰囲気が張り詰めている。テロ警戒か。1週間に一度くらい全てを置いての避難が発生すると聞いた。

タクシーで市内へ。渋滞税がなるほどと思わせる混雑。1995年以来のロンドンだが、相変わらず雑然としている。 再開発が進んでいるということだが、目の前の姿は変わらない。

ロンドンは多様性をやむなく残したまま、雑然と生きている。パリの統一感は全くない。勝手気ままに、自分の好きな方向に歩みだしている。

渋滞税は不人気だが、市民はこれほどの混雑でも気にかけていないように見える。クラクションがあまり聞こえないせいか。市民本位の街は行政の立ち入りをそっけなく流している。監視カメラも多数設置されていると聞く。

広場のない、まっすぐな大通りのないロンドンはパリとは異質。

市民社会成立のなぞが隠れているロンドン。

 

・リンク:Excess Bagage

London市内FinsburyのGuest Houseで友人に会う。時差ボケ調整をかねての1泊。

宿泊:Ossian Guest House 「Ossian」の由来を聞かなかったことが悔やまれる。

斜倫
陽敦

倫敦斜陽
Londonにて:ロンドンはあがいている。権威が似合わない街。西洋合理主義と戦う街。だから、アーティストには魅力があるのだろう。斜陽倫敦の回生の一手は?

 

2日目 2006年4月26日

早朝、宿の周辺を散歩したが、殺伐としている。都会とはこういうものだろう。

駅まで徒歩で行くが、通勤の人達の疲れた様子が気にかかる。日本でもこんな朝の風景を見たことを思い出した。Finsburyより地下鉄でHeathrow Airport Terminal3へ。

・リンク:London Underground

途中、Security Alarmが発生。しばし停車。そのまま、運天で行く。

Terminal駅からTerminal3まで結構歩く。

スーツケースを受け取り、空港内のHertzデスクへ。

日本で契約を済ませておくことをすすめる。今回はカーナビを使うことにした。殆どがマニュアル車でオートマは少ない。

契約後、シャトルバスでCar poolへ。10分ぐらい。

・地図:Hertz Rent a Car (Car pool)

Car poolを出て、すぐに、M4でWindsorに向かう。CastleとEton Collegeが目的。

お城は周回道路でひとまわりするだけで終わり。Etonへ。

・地図:Eton College

生徒がエンビ服様の征服を着ている。おどろき!エリートとその他大勢の落差は大きい。13-18才の男子のみ。寄宿制。「Oppidans」と呼ばれる通学生もいる。日本で言う中高一貫校。Public Schoolというが、公立ではなく、私立。寄宿生の年間費用は24,990 GBP。


能貴

富貴全能
Etonにて:疑問湧出。初日、Ossian Guest Houseで同宿の人との会話:「Public School」が諸悪の根源と。

宿泊地Salisburyへ向かう。地方道を選んだが、迷って、結局M4、M25とM3を使った大回り。ナビへの指示が高速使用となっていたため。

日本に帰ってから、Hertzの請求書として、交通当局からスピード違反の罰金支払いを求められた。(35GBP)迷った際、道路際の違反カメラへの注意が足りなかった。Motorwayにはいたるところにカメラがある。だが、いちどもカメラ自体を見ることができなかった。

・宿の地図:Pelican Inn

Salisburyの近郊。レストランの経営するInn。小川のほとり。 都会を離れれば緊張感が緩む。だが、風景は牧草だけで貧しい。料金 GBP52。

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食前にSalisburyへ行く。聖堂を外から見ただけ。市内をひとまわりして、帰る。

夕食にイギリス料理のジャケットポテトをとる。簡便な質素な料理。

 

3日目 2006年4月27日

朝食はFull English Breakfastということだが、田舎風。野菜が大きくて、大盛。ハギスも入っていた。

ハギスとは?

・地図:Stonehenge

かってイングランドは森に覆われていた。その森の中にあるストーンサークルを想像すると、やはり祭祀の場所かなと思われる。森といっても土壌が貧弱だから、密な森ではなく、粗い森、むしろ林というべきだろう。

もうひとつのAveburyストーンサークル経由でBathに向かう。

Avebury:田舎道を使ってたどり着いたところは村の中のストーンサークル。

・地図:StonhengeからAveburyへのDirection

Google Directionのサンプル:

Distance: 30.6 mi (about 1 hour 9 mins)

1. Head east from Bradford-on-Avon to Stonehenge - go 0.4 mi
2. Bear left at A303 - go 1.7 mi
3. At Countess Road/Bradford-on-Avon to Stonehenge, take the 2nd exit onto A303 - go 4.8 mi
4. Take the exit - go 0.2 mi
5. Turn left at Salisbury Road - go 2.6 mi
6. Continue on Park Road - go 0.5 mi
7. Continue on Pennings Road - go 1.2 mi
8. Continue on A338 - go 1.7 mi
9. Continue on Tidworth Road - go 0.2 mi
10. Turn right at Church Street - go 0.2 mi
11. Turn left at High Street - go 0.2 mi
12. Continue on Marlborough Road - go 0.5 mi
13. Continue on A338 - go 4.0 mi
14. At A338/A346/B3087, take the 2nd exit onto A346 - go 1.4 mi
15. Continue on Marlborough Road - go 0.3 mi
16. Continue on A346 - go 3.5 mi
17. Bear left at Salisbury Hill - go 0.3 mi
18. Bear right at Salisbury Road - go 0.4 mi
19. Turn left at George Lane - go 0.4 mi
20. Turn right at Pewsey Road - go 0.1 mi
21. At A4, take the 1st exit onto Bridewell Street - go 0.1 mi
22. Bear left at Bath Road - go 2.5 mi
23. Continue on A4 - go 2.2 mi
24. Turn right - go 1.0 mi

Directionについて:米国でも同じだが、道案内には地図よりもDirectionをつかうことが多い。Google Dictionは文字情報と地図が連動している。

Bearとはある方向に向かうこと。分岐点で右ルートをとるときは、Bear Right。Turn Rightは曲がり角を右に曲がること。

・地図:AveburyよりBathへのDirection Bathにはローマ人のつくった世界遺産の大浴場が残っている。

ローマ人の侵攻はイギリスを富ませたのか、収奪の術を教えたのか。貧しい土壌での農業は最初からあきらめ、産業革命のある程度の成功を土台に、原料獲得、労働力の確保、やがては海外殖民に向かったのか。

没文
落明

文明没落
Bathにて:盛者必衰の理由は変化の法則:陽きわまって陰を知らぬこと。

・地図:BathよりCardiffへのDirection CardiffはWalesの首都。

大橋を渡ってWalesに入ると、道路サインにゲール語が現れる。Cardiff城のそばを通って、中心地のBig Sleep Hotelへ。ビジネスホテルだった。料金 58GBP。

Walesといっても、今ではEnglandとほとんど変わりないように見える。文化的相違(言語)のほかには、外部のものには違いが見えない。

夜はやはり物騒な雰囲気。

 

4日目 2006年4月28日

Cardiff (日本語) Cardiff (English)では若者が 目立った。都市再生中であることと関係があるかもしれない。若者は都会を目指す。都市よりは田舎を好む。都会のウソに愛想が尽きたからだろう。

・お薦めの案内人:ウェールズにようこそ! :吉賀憲夫

ウェールズ民族博物館(Museum of Welsh Life) Cardiff CF5 6XB, Wales

英国の先住民ケルト人の歴史、文化に関心があるので訪ねた。イングランドから見れば、異文化。 赤い家はイングランドにはないセンス。わらぶき屋根と木骨造りの家は日本を思い出す。

コックピット 闘鶏場


ウェールズの家  左 わらぶき屋根 木骨造り 右 赤い家

摩文
擦化

文化摩擦
Walesにて:国民国家に代わるものは?

Gloucesterに向かう。1時間半のドライブ

途中、CotswoldsのCastle Combe、Bibury、Bourton on the Waterに立ち寄る。

日本人好みのCotswolds風景だが、牧畜だけがやたらに目立つ。土壌が悪いのか、その改良をあきらめたのか、もともと岩だらけの国なのか。畑がない。

Cotswoldsの風景

宿泊:郊外のRamada Bowden Hall 料金53.5GBP

夕食はGloucesterへ。ハリーポッターの撮影が行われた大聖堂と仕立て屋を見学。

夜はやはり物騒。貧しい街の中に入り込んだ。貧富の格差は大きい。

 

5日目 2006年4月29日


Sudeley Castle 廃城 結婚式場になっていた。
ヘンリー8世の最後の妻であったKatherine Parrの家。


昼食にスープを摂ったInn

Cotswoldsドライブ

Google Mapでコース計画を作ってみてください。ちなみに私のコースは、Cheltenham-Winchcombe-Stow on the Wold-Broadway-Moreton in Marsh-Oxford。

ホテルにチェックイン後、Oxford郊外で姪の結婚パーティ。内輪なもの。婿さんの祖母はケルト人。

英国風でない庭景色。

宿泊:Cotswold Lodge Classic Hotel
66a Banbury Road, Oxford, Oxfordshire, OX2 6JP, England

無大
用学
あるいは 改教
革育

大学無用 教育改革
Oxfordにて:どうする?

リンク:University of Oxford

脳化社会ならぬ脳化大学というより、さらに脳化社会の仕掛け人といった印象。頭でっかちのコミュニティ。

 

6日目 2006年4月30日

テムズ川でのボートパーティ。寒い日だった。みんな陽気にはしゃいでいる。

融差
合異

差異融合
Boat Partyにて:

 

7日目 2006年5月1日

Oxford Mayday 朝5時半起床。市の中心地でのメーデイ祭りを見学。Oxfordは養老孟司のいう「脳化社会」である。だから、祭りに人々は憂さを晴らしている。

Stoke-on-Trent経由でLiverpoolへ向かう。

Wedgwoodの工場へ。まず昼食。製造工程を見学。手作業が案外残っているので驚く。Wedge Woodとは異なる窯元。

Liverpoolは斜陽の街、必死に回生への道を歩んでいる。英国国教大聖堂とカトリック大聖堂が競い合っている様は、滑稽。それにしてもカトリック聖堂のモダンなことよ。

早いチェックインのためホテルへ。夕食のために、街に向かう。

・リンク:MATHEW STREETとその周辺

Mathew通りにあるビートルズのゆかりの酒場(CAVERN CLUB)を探して、ようやく見つける。だが、車持ちでは入る気になれない。レストランを探してうろうろ。結局、ホテルに戻る。だが、ホテルの夕食は酷だった。 料金47GBP

宿の地図:Regent Maritime Hotel Reviewを見ると評価が分かれている。予約したときにはReviewをよく読まなかった。予約失敗の事例。

かってイングランドの交易港として栄えていたころにできたであろう建物と経営者。ホテルの窓から見ると、目の前にカーギルの埠頭があった。トラック運転手の仮の宿といったところ。予約方法はReviewを良く見ることが大切。

 

終繁
焉栄
固格
定差

繁栄終焉 格差固定
Liverpoolにて:その繁栄が問い直されていない。Water Front開発の前にやること。

 

8日目 2006年5月2日

チェックアウトするとき、ホテルのマネジャーは埠頭の繁盛が過ぎ去り、もはや戻ってこないことを嘆いた。衰退の見本がここにもあった。

リバプールの郊外にはこの見本がいたるところで重なり合っていた。貧しさが街にへばりついている。

シャワーが不具合だったことを告げると、彼は素直に謝った。閑散の話を聞いてしまったので、クレームだけで、違約のディスカウントは要求しなかった。

ブラックプールへ向かう。ダンス選手権がよく行われると聞いていたので、どんな街かみることにした。

海辺の娯楽街といった風情。夏には大勢の人が群がるのか、オーシャンビューのホテルが多い。一回りして、湖水地方に向かう。

途中のサービスエリアでお昼の弁当を購入。雨が降り出したが、日本を出るときの予報では雪混じりとも聞いていたので、一安心。

いよいよウィンダミア。箱根といった風情。予約した湖畔のB&Bホテルを確かめてから、対岸に渡ることにした。小さな渡しフェリーで対岸へ。

リンク:Windermere

ピーター・ラビットのポターが住んだという家を見てから、

次はワーズワースのダヴコテッジへ。
 

帰り道のアンブルサイドで、土地代を払いたくないというひとが建てた川の上の家を拝見。日本にはこういう人がいない。

宿泊:St. John's Lodge 料金 60 GBP

インターネットを使ってもかまわないというので翌日のGlasgowのホテルを探した。オーナーのお薦めサイトLate Roomsを試みる。Dalmeny Park Country House Hotelを廉価で予約成功。

夕食は失敗。近所のイタリアンレストランにいった。サイドオーダーしたガーリックトーストがピザ様で大きい。ピザも頼んでしまったので、持ち帰りとなってしまった。油がきつ過ぎて、夜中に腹具合が悪くなった。

田似
舎非

似非田舎
Windermereにて:安らぎの湖水地方というが、癒しをもとめる都会人が来るところ。だが、似非田舎。都会と何処が違うのだ。

 

9日目 2006年5月3日

ヴェジタリアンのための朝食が何種類も用意されていた。Full English Breakfastのヴェジタリアン版を頼んで大満足。

今日はCarlisle経由でHadrian's Wallを見てからGlasgowまで。

リンク:Hadrian's Wall Country North East England History Pages


ローマの築いた城壁の一部

 「ハドリアンの城壁」(Hadrian's Wall)はイングランド北部を、東のウォールゼンド・オン・タインから西のソルウェー・ファースのバウネスまで120kmにわたって横断しているローマ時代の城壁です。
 ローマ皇帝ハドリアンの命令で西暦122年に着工されたもので、ローマ時代の英国の最北端の防衛前線でした。
 この城壁は恐ろしいスコットランド民族を支配するのに役立つと期待されましたが、2世紀と3世紀に攻撃・侵略され、4世紀に放棄されました。
 最初はおよそ幅3メートル、高さ4.5メートルありましたが、何世紀もの間に城壁のかなりの部分が建築材料として略奪されました。
 しかし、ローマ時代の城壁と要塞の遺跡は今も立っており、現存している最もすばらしい区間はギルズランド村周辺のノーサンバーランド国立公園内にあります。最もよく保存されているローマ時代の要塞の1つはホールトホイッスルHaltwhistleから北東10kmのハウスステッズ(ローマ時代のVercovicium)に見られます。
英国大使館:観光情報、遺跡、歴史的建造物

夕食のためにGlasgowの市内へ。ハリー・ポッターの映画の撮影が行われたという大聖堂を訪ね、仕立て屋を探したが見つからず。

宿泊:Dalmeny Park Country House Hotel:Lochlibo Road, GLASGOW G78 1LG 料金 43 GBP


壁馬

羅馬造壁
Hadrian's Wallにて:壁を造るから戦いになる。

 

10日目 2006年5月4日

朝食にRange of Eggsと聞かれて、意味不明。目玉焼きが2個、パンの上に乗って出てきた。失敗。

Edinburghへ。

薦められた場所、アーサーズシートの丘を一周。市内を一望した。ついでQueenの夏の別荘Holyrood宮殿を見学。


市内一望の丘


Queenの夏の別荘


隣接する修道院は廃墟となたまま。


Royal Mile うしろがお城(Edinburgh CastleからHolyrood宮殿まで続く)

車をホテルに置いて、徒歩で市内見物。ハギスと鰊の酢漬けとラガーの遅い昼食。2時間ほど歩き回る。

宿泊:Thistle Edinburgh Waverly駅の近く。

歓独
迎立

独立歓迎
Edinburghにて:自治は自治に過ぎない。独立する気概がないから、自治歓迎で終わる。

 

11日目 2006年5月5日

Yorkへ向かう。

予定したルート

失敗したルート 実際にドライブしたルート


AAのRoute Plannerで作成

コース取りで失敗。ナビゲーションの使い方が判らずに、第2候補のルートを選択できず、高速で行くことになった。ドライブとしては楽だが、通ってきた道なので、ただひたすら運転三昧。一般道に比べて1時間はオーバー。Yorkに着く。


大聖堂

没帝
落国

帝国没落
Yorkにて:帝国は没落した。


2階が張り出している

夕食は宿のレストランで金曜日のサービスディナーでローストビーフとヨークシャープディング。村の人たちのパーティも同時進行。家族経営の気さくな宿。

宿泊:The Steer Inn 中心部から車で10分ほど離れている田舎のレストランパブ

 

12日目 2006年5月6日

Haworth ブロンテワールドを堪能。1945年ごろの服装をした近隣の人たちで村は賑わっていた。


ハワースでのお祭り

蒙無
昧知

無知蒙昧
Haworthにて:戦前回帰。栄光よ再びの遺伝子が残っているのか。

 


バーミンガムの夜 救急ヘリコプターの到着

Birmingham 物騒な街。 夕食のレストラン探しに手間取る。

宿泊:Thistle Birmingham 料金 64 GBP

 

13日目 2006年5月7日

シェクスピアゆかりのストラトフォード・アポン・エイヴォンへ。

イギリス人はハムレットの疑問をいまだ解いていない。


シェクスピア生家

Londonで友人に会って、一緒にPooh Worldへ行く。

デズニーランドを想像していたが、行ってみればただ森の中に橋があっただけ。100エーカーの森の散策は楽しかった。

昔のイングランドの森がそのまま残っているように見えた。日本のように密な森ではなく、林の風景だった。

放自
任由

自由放任
Pooh Worldにて:ここには自由なイギリスがある。

途中、Dover Tunnelの標識を見たときはそのまま走り続けてフランスへ行きたい衝動に駆られた。

友人をLondonに送って、Heathrowへ。土砂降りの雨にだった。ロンドンの夜は怖い。

宿泊:Thistle London 料金 46 GBP Heathrow Airport近く

 

14日目 2006年5月8日

レンタカー返却

1300出発

 

15日目 2006年5月9日

900成田到着

 

次の旅

旅の印象として、ヨーロッパ市民社会は成功モデルなのかどうか、この質問にはまだ答えが出ていない。どうやらその市民社会の成立のあたりを確認したいので、オランダが次の旅となるだろう。

ヨーロッパの変身を見る旅として、東欧への計画も立てたい。

結局、私のテーマは西洋の没落はありうるか?日本のこれからの針路は?そのあたりとなる。

西洋の没落は西洋合理主義の矛盾発生ということである。資本主義原理の矛盾と言い換えてもよい。その合理主義を乗越えるものを明示することがわたしの仕事だろう。

当面、明治維新後の脱亜入欧の是非に答えを出すこと。それは、戦争への総括にもなるし、幕末の攘夷論の行く末を見届けることにもつながるだろう。