桜舞うあの場所へ…
陣の外周の警備をしていた兵たちがこちらに気付いたらしい。銅鑼が響き 宴に出ていなかった兵たちが次々武器を手に出てくる。にとって、つい 先程までは自軍の味方だった兵たちだ。右手にある剣にも迷いが出よう。 それを見越してか隣を疾駆する姜維が微笑んだ。 「何も傷つけるばかりが剣の使い方ではない筈です。」 「…お見通しって事かしら?」 「当然でしょう?伊達に幼い頃から貴女のことを見ていませんよ。」 緊迫した状況下であるに違いないのに二人は何故か危機感を感じさせない 表情だった。隣にある存在が安心感をもたらす。互いに手綱を力強く握り しめると更に馬を疾駆させた。風を切るように走り抜ける二人に徒歩で 敵う訳がない。魏軍の兵たちがもたつく間にも二人は陣の外へと馬を走らせる。 大きな松明が行く先に見えてきた。あの松明の灯を越えれば、陣の外へ出られる。 二人の瞳が交差し頷き返す。既に言葉はなくとも互いの考えていることは 手に取るように分かった。混乱を誘うべく二手に別れる。近くの松明を 剣で落とし、風に靡く旗を支える柱を倒す…。指揮者を持たない兵程脆い ものはない。次々と脱落していく追手を横目でちらりと見る。 「もう少しね。」 「…油断は禁物です。」 再び合流した二人は少ない言葉を交わすと目標としていた松明の隣を駆け抜ける。 ほっと安堵の息を漏らしたに姜維が微笑もうとして、ふと後ろを振り返った、 その時だった。姜維の視界に映ったのは弓を引き絞る兵の姿。 「っ!」 「!?」 姜維の声にが後ろを振り返る。矢が自分自身の方に向かって来ているのを 確認すると観念したように瞳を閉じる。が突然体が浮き、次の瞬間姜維のうめき 声が小さく聞こえた。一瞬閉じた瞳を恐る恐る開けてみると、は姜維の馬に 横乗りになっている。どうやら彼が身代わりとなるべく、を自身の方へ 抱き寄せたらしい。の乗っていた馬は主を無くした所為であらぬ方向へと 駆けていく。 「…大丈夫ですか、。」 「私は平気。それより貴方の方が…。待ってて、今矢を抜くわ。」 姜維の左肩に突き立つ矢を抜くと、今度は自身の袍を裂き、患部を きつく縛る。次第に矢の雨が届かなくなり、一端速度を緩めた。走り通しでは 馬が潰れてしまう。 「そろそろ追手が来る頃かしら…。」 「そうですね。蹄の跡を辿ってくるならば、こちらと先程の馬が駆けていく方向と 二手に別れるでしょう。」 「入り組んだ場所で馬を放すのが得策かしら。」 「ええ。身を隠すなら近辺の方が身を隠しやすいでしょう。後は徒歩で徐々に 追手から逃れるしかありませんね。」 馬から下りると尻を叩き、先程のように背に誰も乗せぬまま、山道を駆け 抜けさせる。 徒歩になった二人は闇の中目を凝らしながら、身を隠す場所を探す。そして小さな 洞穴を見つけると入口付近を巧妙に山肌に同調させ、洞穴の中に入って行った。 一先ず腰を落ち着けると緊張の糸を緩める。 「夜明け前にここを出ましょう。人里まで出れば、後は何とかなる筈ですから。」 互いに顔を覆っていた布を取ると安堵の息を漏らす。腰を下ろした姜維は を見ると笑顔を見せた。 「貴女とここで再会するとは思っていませんでした。」 「…そうね…私が魏軍に所属しているとも思わなかったでしょう?」 「ええ…。徴兵…ではありませんね?」 「志願したのよ、私自身が。」 の言葉に眉をひそめる。姜維の知るは争い事が嫌いだった筈だ。 それなのに自ら軍に志願するとは考えられない。 「父様と母様…私がちょっと街へ出ている間に盗賊に襲われたの。」 それだけ聞けば後は想像するのは難しい事でない。若い娘が 一人で生活をしていくには無理がある。何処かへ嫁ぐか、自らの 特技を活かし、生計を立てるしかない。争い事が嫌いなではあるが、 幼い頃から剣と槍の扱いを嗜んでいた。ならば、彼女が生計を立てるのに… 自分が生きていくのに選ぶ道は一つである。 「…頑張りましたね。」 「……。」 はその言葉に頷くが、すぐにため息を零す。 「どうかしましたか?」 「ねえ、気になっていたのだけど。」 「はい?」 少し不機嫌そうなの声音に姜維は首を傾げていた。何も分かって いなさそうなそんな表情に彼女はますます苛立ったように眉根を寄せる。 「…その話し方…直らない?他人行儀のまま話されると私まで調子が狂うのよ。」 「あ……そうか…。ごめん。…ずっとこういう話し方だったから…。…善処する。 …これでいいかな?」 「そうしてくれる?…違う人と話してるみたいよ。」 ため息を漏らすに姜維は肩をすくめる。優しく目を細めると彼女の隣に 腰を下ろした。 「僕は僕だけどね。」 「…うん。それは分かってるけど…何か大人びてて嫌だわ。」 姜維の言葉に頷いたものの自分の膝を抱え、拗ねたように唇を尖らせる。 酷く幼い彼女の仕草に笑いを堪えながら顔を覗き込んだ。 「…君も僕も十分大人だと思うけど…?」 「…わかってるわよ。言葉の綾なんだから。」 自分に不利になると拗ねて言葉が少なくなるのは昔と同じだ。そんな彼女を 見ながらくすりと笑う。 「…昔から変わらないね。」 「…。貴方は変わったわ。」 「そうかな?」 拗ねたままの彼女に優しく笑いかけると嬉しそうに目を細める。 「あまり変わったような気はしていないけど…。君が言うなら、そうかも しれないね。」 返事のないを気にするわけでもなく一人言葉を続ける。 、君と別れてから多くの人に会い、そして別れを経験してきた。 丞相、趙将軍、夏侯覇殿…二度と会えない別れを幾度となく経験した所為かな、 実を言うと君にももう逢えないんじゃないかと思っていたんだ。 だから、あの時、君が僕を呼んだ時…僕は嬉しかった。 例え君が魏軍に仕えていたとしてもね。 僕たち二人が刃を交える間柄だったとしても、君に逢えた事が嬉しかった。 まさか、また君に僕の事を呼んで貰えるなんて思いもしなかったから。 そして魏軍の陣内で君が僕の前に現れた時。 もしこのまま命が果てたとしても、君と言葉を交わせた一瞬を胸に天に 召されてもいいと思った。 君を声色を変えただけで僕が気付かないと思ったようだけど、幼い頃から、 君をずっと見ていたんだよ。気付かない訳がない。 だって、僕は…。 「?」 肩にもたれ掛かった重みに気付くと瞳を閉じた彼女が規則正しい寝息をたてている。 「…そうだね。今日は色々ありすぎて、疲れたでしょう。ゆっくり 休んでもいいよ。人里へ降りる時、僕が起こしてあげるから…。」 優しく髪を撫でるとの寝顔に優しく微笑んだ。 続く...
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