愛宕神社のエピソード


芸術作品にあらわれた愛宕山

ある程度のお年の方には懐かしい鉄道唱歌は、「汽笛一声新橋の」とはじまり「愛宕の月」が出てきます。

江戸時代から江戸で最も見晴らしのいい土地として、広重などの版画の題材としても有名です。 また「鬼平犯火帳」「犬張子の謎」(平岩弓枝著)などの文学作品にも数多く扱われています。


NHKの第一声は愛宕山から

愛宕神社と同じ、愛宕山の上にはNHKの放送博物館があります。

現在でこそ博物館になっていますが、ここはNHKの発祥の地。NHKの第一声は、ここ愛宕山からはじまったのです。

ちなみに日本ではじめての生中継は、岩木利夫氏が馬で愛宕神社の石段を登った状況を中継したものです。

放送博物館は平成8年3月にリニューアルされ、懐かしい映像を鑑賞したり、テレビなどで使われる映像や音声のしくみなどが体験できるスペースになっています。

愛宕神社ご参詣の折りに、ぜひお寄りください。


日本各地の愛宕神社との関係

愛宕神社は、徳川家康が建立した経緯や、また周囲に武家屋敷が多かったことから、特に武士の信仰が篤かったのです。

そして、江戸に出てきた地方諸藩の武士達は幕府に忠誠を誓う意味もあり、参勤交代の折りに、江戸の愛宕の神様のご分霊を地元に持ち帰りました。そして、地元の小高い丘に「愛宕神社」をお祀りしていました。

各地に愛宕神社が多いのは、そのためです。

京都の愛宕神社も、ここ東京芝の愛宕神社と同じご祭神ではありますが、「どちらが本社とかではなく、同格扱いとする」との幕府からのお達しがあり、現在に至っています。


武士の信仰と隠し砦説

愛宕神社は江戸庶民の憩いの場として賑わっていましたが、実は一時期、武士のみが参拝が許されていた時期があったのです。そのときは町人は、参拝はもちろんのこと、愛宕山に登ることすら許されていませんでした。

愛宕山は主要街道の中心にあり、江戸城も近いこともあわせて、隠し砦としての役割もあったのでは?と推測されてもいます。

実は風水的に見ても、とても興味深いという説もあるのですが、それはまたの機会に。


東京の真ん中に山がある不思議

愛宕山は標高26M。6千坪の敷地があります。

もちろん東京23区内ではもっとも高い山です。

昔から、なぜここだけがポッコリ山になっているのか?というのが議論の的になっていました。 その中で有力な説のひとつに「愛宕山は江戸城築城の際に、そのお堀の土を盛って作った」というものがありました。

しかし、近年の地質調査の結果、愛宕山は関東ローム層のしっかりした土壌であることが判明し、お堀の土でできた山ではないことが証明されました。

でも、なぜここに急に山があるかは、依然ナゾのままです。


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