僕自身、久しぶりの北近畿、丹後半島ということで、楽しみにしていたA
ラリーだった。
西宮北インターから高速に乗り、舞鶴道福知山インターで高速を降りる。
海の日のせいか、インターの料金所は混雑している。
高速を降りてしばらくすると急に雨が降り出し、あわててレインウェアーを着込む。
しかし福知山市内を抜け、国道176号に入る頃から、雨は止み日が射してきた。
野田川町で国道312号に入り、県道655号に右折してしばらく行くとCP1小町公園小町の舎があった。
平安時代の歌人で、六歌仙の一人である小野小町は、日本三景の一つである天橋立へ行く途中、病に倒れ、「九重の 花の都に住みはせで はかなや我は 三重にかくるる」という歌を残し、この地で世を去ったという。
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池の向こうの寝殿風の舎の中に金色のブロンズ製の小野小町像があった。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」の歌が有名な小野小町だが、ブロンズ像は少々やりすぎというか、かえって本人の品格を落としているようで、小町像にはふさわしくないように思えた。
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再び国道312号に戻り、OPT1へと向かう。
途中で県道704号に入り、山の中をしばらく走るとOPT1乙女神社があった。
伝承によると、この地の若者三右衛門と、天へ帰れなくなった天女の間に生まれた三人の娘のうちの一人を祭ったもので、そのためか、乙女神社にお参りすると美しい女の子が授かるといわれている。
神社の向かいには、宿泊交流施設天女の里があって、囲炉裏もある純和風のコテージやオートキャンプもできるキャンプサイトなども設けられ、アウトドアと山里情緒が堪能できるという。
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国道312号を引き返し、峰山の町内を抜け、県道17号網野峰山線に入る。
網野町で県道665号に入り、曲がりくねった海岸沿いの道を行く。
切り立った海岸沿いのカーブのそばにOPT2静神社があった。
悲劇の英雄、源義経の愛妾であった静御前は、この磯の集落の禅師の娘として生まれ、京に出て白拍子になり義経に見染められるが、義経が追放された後は、故郷のこの地に帰り晩年を過ごしたという。
海岸には、影かくし岩、泣き別れ岩など義経と静にまつわる岩が点在している。
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再び網野の街に戻り、県道53号に入る。
丹後あじわいの郷を過ぎて、県道656号に入るとOPT3あしぎぬの碑があった。
天平11年(739)、この地から聖武天皇に「あしぎぬ」という粗く紡いだ大糸で織った絹布が献上され、今も奈良の正倉院に保存されているという。
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OPT4細川ガラシャ隠棲の地に向かう。
県道75号を進むが、途中でミスコースしてしまい、碇高原の手前で気づいて引き返す。
1車線の林道のような道の終点にOPT4細川ガラシャ隠棲の地があった。
有名なキリシタンの彼女はこの地で侍女の清原マリアからキリスト教の話を聞き、信仰に救いを求めて帰依したという。
関ヶ原の戦いの前に、大阪城内に移ること求めた石田三成の使者が来ると、邸内の礼拝堂で祈り、侍女たちを退去させ後、家臣に胸を突かせその生涯を閉じたという。
彼女の辞世の句は、「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」で、彼女の子孫である細川元首相が、議員辞職の会見でこの句を引用したという。
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国道482号を北上し、国道178号に出て東に向かう。丹後温泉の隣にCP2道の駅・てんきてんき丹後があった。
広々としたパーキングの道の駅で、地下には弥生時代前期の遺跡があるところから、古代をイメージするモニュメントを配置した公園も設けられている。
海水浴場にも近く、隣にはオートキャンプ場もあって、まさにレジャーの拠点といった感じの道の駅だ。
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道の駅に隣接する海水浴場の一角に間人(はしうど)皇后 聖徳太子母子像があった。
物部守屋の乱から難を逃れて、この地に聖徳太子母子が滞在していたという。
立岩を正面に見据えて、やさしげに母子像が立てられていた。 |
立岩はりアス式海岸で奇岩の多い丹後町のシンボル的な存在の大岩で、竹野川の河口のおだやかな浜に猛々しく立っている。
周囲1kmもある巨岩で、聖徳太子の弟、麻呂子親王が、退治した鬼を岩に閉じ込めたとの伝説が残っているという。 |
国道178号で丹後半島を周回する。屏風岩や丹後松島などの名勝が続いている。
海岸線を調子よく飛ばしていると、OPT5穴文殊があった。
黒松の参道が見事な寺で、正式な寺名は清涼九品寺というが、足利時代の石仏が祀られている古刹で、本尊の文殊菩薩は、もんじゅさんと呼ばれて智恵の神様として人々に親しまれているという。 |
国道178号を入り続ける。暑さと疲れがほぼピークに達してくる。
経ヶ崎灯台への道との分岐点を過ぎると道は山中にはいる。
白南風トンネルを抜けると前方に美しいリアス式海岸の風景が拡がる。
すぐそばのカマヤ海岸展望台で休憩する。
目の前に甲崎が見える。付近の海はきれいで海底まで見えている。
さっきまでの疲れも吹き飛んで、再び出発する。
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しばらく走るとCP3水の江里浦島公園があった。
玉手箱をモチーフとした円筒形の建物の周辺には、浦島太郎と乙姫の像を配した庭や二連太鼓橋があって、浦嶋太郎伝説の雰囲気を味わうことができる。
レストランで筒川そばを食べる。いかにも手打ちといった感じのそばだが、これといった印象はあまり残らない味だった。
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水の江里浦島公園の隣に浦嶋神社があった。
この神社の祭神は浦嶋伝説の主人公浦嶋子で、丹後の名族、浦嶋一族の功をたたえて創建された。
この神社に伝わる浦嶋伝説は、起源が最も古いもので、乙姫の打ち掛け・玉手箱・浦嶋の絵巻物もこの神社に伝わっているという。
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交差点を通りすぎてしまい、OPT6はパスする。
国道178号をそのまま進み、再び海岸に出ると前方に伊根の舟屋の集落が拡がっていた。
舟屋は、1階は舟のガレージ、2階は住居という全国的にも珍しい建物で、伊根湾の周囲に約230軒の舟屋が建ち並んでいる。海と家屋、漁業と生活が一体となった、まさに浦嶋太郎のふるさとといった感じの風景だ。
映画「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」の舞台となり全国的に有名になり、最近ではNHKドラマ「ええにょぼ」の舞台ともなっている。 |
延々と国道178号を進む。
宮津市内を抜け、由良川の河口の辺りにCP4安寿の里もみじ公園があった。
以前Qラリーでも来たことがある所だが、森鴎外の山椒太夫の舞台となった場所でもあり、駐車場の一角に安寿と厨子王の像が建てられ、二人の母が連れ去られた佐渡島を思ってか、厨子王の像は日本海の方角を指している。 |
国道178号を少し進むとOPT7山椒太夫屋敷跡があった。
小説山椒太夫のモデルとなった三庄太夫は、近在三ヶ庄の代官をもつとめる分限者で、この地に屋敷を構え、製塩業や海運業を営んでいたという。 |
由良川を渡り、山中を少し入ったところにOPT8安寿姫塚があった。山庄太夫のもとから逃げ出した安寿姫は、疲労と空腹に絶え切れず、かつえ坂の中山と下東の境で安寿は息絶え、村人によってこの地に葬られたと伝えられている。
今でも地元では7月14日を安寿姫の命日として、姫をしのぶ慰霊祭を行っていて、平成13年からは千個のろうそくをともす「夜祭りキャンドルイルミネーション」が開かれているという。
その後国道175号に出て、舞鶴市内で国道27号に入り、舞鶴西インターで高速に乗り、そのまま家に帰った。
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