Aラリー2002年
7月号


東紀州
ロング周回コース!


三重県飯南郡 道の駅・飯高駅〜
多気郡大台町 道の駅・奥伊勢おおだい 約218km



走行日 6月15日 曇り
 またしてもスタート地点が遠い。
 阪神高速、西名阪、名阪国道、伊勢自動車道と高速を乗り継いで、スタート地点目指してひたすら走る。
 勢和多気インターで高速を降りて、国道368号を西に進む。国道166号に合流して、しばらく進むとCP1道の駅・飯高駅があった。
 道の駅・飯高駅は、バス停もある文字通りの道の駅で、訳のわからないモニュメントが印象的な道の駅だが、人は少なかった。
  
 国道166号を進むと、OPT1水屋神社があった。
 水屋神社は、千余年前に大和の春日大社の安在所として、天児屋根命を奉斎して創建されたと伝えられている。
 神社から700mほど離れた所に閼伽桶(あかおけ)の井があり、この水を春日大社に送るお水送りの神事が行われ、春日大社ではこの水が神事に使われているという。
 境内には、県天然記念物で神社の御神木でもある水屋の大楠や、「君が代」に詠われているさざれ石などがある。
 また、縁結び、子授け、安産の祈願でも有名で、ジャズ・ロック歌手の山下久美子さんも安産祈願に来たらしい。
 水屋神社の少し先に、SQの本居宣長の歌碑があった。
 本居宣長は、この赤桶の地を通った際に、この村の名が閼伽桶の井のお水送りの神事にちなんでつけられたことを知りこの歌を詠んだという。
 「いにしへに たがおこなひし なごりとて 名にはおひけん 閼伽桶の里 」
 
 三重県と奈良県の県境に近づくと、巨大なループ橋が見えてきた。
 ループ橋をぐんぐん登ると、一気に標高が上がる。
 ループ橋を登りきると全長2460mの長大な高見トンネルがあって、県境を越える。
 国道166号から県道16号吉野東吉野線入ると、OPT2天誅組終焉之地があった。
 高取城攻撃に失敗した天誅組は、幕軍の追悼を受けその後各地を転戦、脱落者を出しながらも河内方面への脱出を計画するが、この地の戦いで吉村寅太郎や藤本鉄石、松本奎堂ら三総裁は戦死し、天誅組は壊滅した。
 草むらの中に吉村寅太郎の墓があった。
 藤堂藩兵の銃弾に散った吉村は、最後に「残念!!」といって散っていったという。
 県道16号をしばらく進むと、OPT3日本オオカミ像があった。
 明治三十八年(1905)にこの地で捕らえられた雄オオカミが、最後のオオカミの捕獲記録になるわけだが、多分この像はそのオオカミをモデルにしているのだと思うが、実に猛々しく野生の誇りに満ちた姿のように見えた。
 
 県道16号から県道262号国栖大滝線に入り、国道169号に出た。
 しばらく行くと左手に建設中の巨大なダムが見えてきた。
 大滝ダムは、昭和34年の伊勢湾台風で吉野川下流の紀ノ川流域に多大の被害が出たところから建設が計画され、甲子園球場140個分の貯水量を持つらしいが、この吉野川上流には大迫ダムという別の巨大なダムもあって、果たしてこんなにいくつものダムが必要なのだろうか。
 まさに土建国家の象徴とも言える光景だった。
 
 再び国道169号を延々進む。
 長大な新伯母峰トンネルを抜けると道は良くなり、ハイペースで走っていると、急に雨が降り出してきた。
 あわててCP2道の駅上北山温泉に飛び込む。
 通り雨のようなので、しばらく特産品コーナーで時間を潰す。
 ほんの10分ほどで雨は止み、日がさしてきた。

 池原ダムを過ぎると、再び道は狭くなる。いくつか工事区間を越え、国道309号に入ると、再びペースが上がる。
 国道42号に合流し、しばらく行くとCP3道の駅・熊野きのくにがあった。
 ログハウス調の建物の道の駅で、左手に木工品売り場があって、木の香りが漂っていた。

 国道42号を北上する。尾鷲市内を抜け、見や海山町に入り、国道をはずれOPT4種まき権兵衛の里に向かう。
 種まき権兵衛の里は、花と緑と水をテーマに、自然を生かした日本庭園や、武勇権兵衛の俗謡を伝える展示室、茶室を備えた権兵衛屋敷がつくられているというが、誰も見物客がいなかった。
 この種まき権兵衛というのは、このあたりでは有名な人らしく、生コンの工場にも、種まき権兵衛の里と誇らしげに書かれていた。
 再び国道42号に戻り、少し行くとCP4道の駅・海山があった。
  この道の駅も外観にはひのきを用いたログハウス調の道の駅で、この辺りは雨が多いことから、駐車場から施設まで、屋根つきの回廊が整備されている。
 何年か前、この道の駅に来た時にこの回廊の下でたくさんのライダーがキャンプしていて驚いたことがあったが、特に雨の日には、キャンプするのに便利な道の駅だ。
 紀伊長島の町を過ぎると道は上り坂になって、大小のコーナーを抜けて行く。
 トンネルの手前にOPT5荷坂峠マンボウの丘があった。
 荷坂峠は熊野街道の難所の一つで、西国三十三所名所図会には「向こうを眺望すれば東海の蒼海びょうびょうとして(中略)風景言語に絶す」と記されているというが、今ではトンネルで一気に紀伊と志摩との境を越えることができる。
 国道42号をしばらく進むと、CP5道の駅・木つつ木館があった。
 この道の駅は、去年の7月号のA ラリーでもCPとなっていて、ほぼ一年ぶりに訪れたことになるが、伊勢神宮の別宮の瀧原宮前にある道の駅で、これまた木で作られた建物が印象的で、 木製品の展示・販売や、専門の指導員により木工体験も楽しるという。
 ただ時間が遅かったせいか、道の駅には誰もいなかった。
 国道42号をCP5から少し進むと最終CP道の駅・奥伊勢おおだいがあった。
 これまた去年の7月号のA ラリーで来たことがあって、こちらの道の駅は、さっきの道の駅と違って、人がたくさんいる。
 ここもログハウス調の建物で、道の駅の建物は、ログハウス調に作るのが流行しているのだろうか、ふとそう思った。
 しばらく店内を散策した後、帰路に着く。
 国道42号をそのまま進み勢和多気インターから高速に乗り、そのまま高速を乗り継いで、家に帰った。


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