2003年GW
東北の旅 (PART 1)
象潟や雨に西施がねぶの花
秋田県由利郡象潟町蚶満寺にてPART-2へ
4月28日の朝、小雨の中を出発、西宮インターより名神高速に入りひたすら走る。
草津付近で、盛岡ナンバーのセルシオの後について走る。
セルシオは、前に車がいるとパッシング、威嚇してどけてくれるので、空いた追い越し車線をハイペースで飛ばすことができる。
米原JCTで北陸道に入る。セルシオはそのまま名神を走っていった。
北陸道で何度かSAに入り、給油、休憩し、終点の中条インターに着いたのは、もう夕方の5時過ぎだった。
国道113号を北に進む。日がだんだん暮れてくる。
途中で国道345号に入る。結局、村上市の駅前のビジネスホテルに泊まることにした。翌朝8時ごろにホテルを出発、国道345号を日本海に沿って北上する。
さびしい海岸線を一人走る。北朝鮮の工作船が今にも現れて、拉致されそうな雰囲気の中、進んで行く。
国道345号をしばらく進むと、笹川流れと呼ばれる名勝が続いている。
眼鏡岩やびょうぶ岩、ニタリ岩など数々の奇岩の間を、盛り上がるように潮流が流れるところから、中心地笹川集落の名を冠して笹川流れと呼ばれるようになったという。
頼山陽の子で詩人、幕末の志士であった頼三樹三郎は、この笹川流れの景観を松島、男鹿と比して「松島はこの美麗ありて此の奇抜なし。男鹿はこの奇抜ありて此の美麗なし。」と詩っている。
国道7号に合流し、県境を越え、鶴岡で国道112号に入る。
湯野浜温泉を過ぎると、延々と松林が続いており、その中を進んで行く。
最上川を渡り、再び国道7号に合流する。道の駅鳥海のラーメン屋で遅い昼食をとる。
隣でチンピラ風の右翼が、この近くにある石原莞爾の墓の地図を見ていた。
国道7号は再び海岸線を通る。天気が良ければ、右手に鳥海山が見えるはずだが、残念なことに全く見えない。
日本海に突き出た岬に十六羅漢岩があった。
十六羅漢岩がある吹浦はもともと漁村で、多くの漁師が日本海の荒波に命を失ってきたのに胸を痛めた、海禅寺の第21代住職寛海和尚が、海難事故による諸霊の供養と海上の安全を祈り、衆生を救わんと、5年の歳月をかけて完成させたもので、16の羅漢に釈迦牟尼、文珠、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像をあわせて22体の磨崖仏が彫り上げられているという。国道をしばらく進むと山形県と秋田県の県境の三崎峠に差しかかった。
この三崎峠は、古代から交通の要衝で、有耶無耶の関が設けられ、多くの和歌にもその名が詠まれているという。
また明治維新の時には、官軍がたてこもった激戦地であり、戦没者の供養灯も建てられている。
松尾芭蕉も、奥の細道の紀行で象潟へ向かうため、元禄2年6月16日(1689年)雨の中、この峠を越えたという。雨の三崎峠を越え、しばらく国道7号を進むとそこが象潟の町で、松尾芭蕉奥の細道の最北の地として知られている有名な町だ。
国道をはずれ蚶満寺へと向かう。羽越本線の踏切を渡ると、参道があって、松尾芭蕉の像が建てられいる。
松尾芭蕉は元禄2年(1689年)、奥の細道紀行でこの地を訪れたという。
蚶満寺境内から九十九島を眺める。
象潟はかつて宮城県の松島と並び賞された、大小の小島が点在する入り江であり、松尾芭蕉は奥の細道で、象潟について「俤松嶋にかよひて、又異なり。松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはへて、地勢魂をなやますに似たり」と記している。また「象潟や雨に西施が合歓の花」という詩を残している。
しかし、今から約200年ほど前の大地震で、海底が隆起して陸地になってしまい、今では、田んぼの中に、かつての小島が塚として点在している。
その大自然が作り上げた枯山水の庭園のような景観が、逆に大自然の力のすごさを感じさせ、芭蕉のいう寂しさに悲しみを加えたような景観に、僕には見えた。蚶満寺は、奈良時代の天平宝宇8年(764)に蚶方法師という僧が、神功皇后の霊夢によってここに庵を結び、皇后殿を建立したが、すぐに地震で廃絶し、その後、仁寿3年(853年)慈覚大師円仁が東北巡錫の際にこの寺を再興した曹洞宗の古刹で、境内には親鸞聖人の腰掛の石や、北条時頼が手植えしたツツジなど、さまざまな史跡や文化財が残っている。
かつてはこの寺も海に浮かぶ島で、船着場跡の舟つなぎの石も残っていて、松尾芭蕉も船でこの寺を訪れている。国道7号をさらに北上する。
道の駅にしめで休憩する。
道の駅に隣接して黄色い帯のような菜の花畑が広がっている。
迷路のような菜の花畑を散策する。
菜の花畑の近くでは桜の花が満開で、4月の終わりだというのに、ここではまさに春真っ盛りといった感じで、道の駅でも観桜会&菜の花まつりが開催されていた。
秋田市内を抜けて国道をはずれ、県道56号に入り男鹿半島に向かう。
途中で国道101号に合流し、さらに県道59号に入り、男鹿半島を海沿いに一周する。
しばらく行くと、道の右手に鵜ノ崎海岸の景色が広がる。
ちょうど干潮時で、海岸には浅瀬が続いていて、岩肌が露出している。
静かな穏やかな海沿いの道を走ってゆく。
しばらく進むと、道は急に険しくなり、アップダウンとコーナーが連続する。
奇岩怪岩が連続する断崖が続き、男性的な海岸線を抜けてゆく。
戸賀湾を過ぎて、県道121号に入ると、周りの景色が一変し、なだらかな草原の間を抜けて行く。
北緯40度を通過する。
男鹿半島の最北端の入道崎は北緯40度上に位置するところから、北緯40度のモニュメントが設けられ、また40度線に沿って、点々と岩が並べられている。入道崎は、広々とした草原の真ん中に白と黒のストライプの入道崎灯台がすくっと建っていて、とても開放的な雰囲気が漂っている。
また男鹿半島は、なまはげで有名なところから、入道崎の観光売店の店先も、なまはげだらけだった。
そこで、なまはげと記念撮影。
国道101号をはずれ、県道42号で大潟村を走る。
かつて琵琶湖に次ぐ、わが国第二の湖だった八郎潟を干拓して誕生した大潟村には、広大な農地の間を、まっすぐの道路が縦横無尽に貫いている。
今の時代では、湖を埋め立てて農地にするということは、まず考えられないことだと思う。時代の変遷を感じながら、大潟村を走り抜ける。
国道101号に再び合流、やがて日が暮れ、真っ暗な国道を北上、結局青森県の五所川原市のホテルで一泊した。
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