播磨地区で「地区の輪」づくりの活動を行う

はりまちくわかい
播磨竹輪会グループ

 播磨地区は桑名駅から近鉄養老線で一駅のところにある古くからの農村地帯で、主産物は米とタケノコです。専業農家が少なくなり地域のつながりが薄れているこの頃、"地区の輪"を再びつくろうと活動しているのが竹輪会です。竹輪会の活動拠点であるという、元タケノコ集荷場だったという播磨公民館の2階で、活動や地域についてお話を伺いました。

 

● 播磨地区と竹輪会について教えてください
  「播磨地区は農村地帯で、主な農産物は米とタケノコです。世帯数は約200世帯で代々土地を受け継ぐ農家と分家住宅が多いのですが、最近は戸建ての借家も増えています。 竹輪会は、播磨の住民同士の交流の場づくりを目的に平成3年に結成されました。名前には『地区の輪』という意味も込められています。メンバーは、親の代は専業農家であり、自分たちの代で兼業農家となった人が多いです。もともと青年団で活動しており、子供ができると子供会で活動するようになり、子供会活動が終わって竹輪会をつくりました。現在会員は16名で、年齢は40歳から60歳です。」

 

どんな活動をしているんですか?
  「兼業農家の増加、借家の増加などにより住民同士の交流の機会が少なくなったため、住民同士が『溶け合う』ためのイベントなどを行っています。最も長く続いているのが町民運動会で、その他、大山田グリーンフェスタでの餅つきや、ビアガーデン、家族を含めた親睦旅行もやっています。竹輪会がイベントを始めてからは、地域のまとまりがよくなったと感じます。それから会員自身も『活動によって、会社でたまったストレスを解消できる』という人もいるんですよ。(笑)」

 


餅つき

 


町民運動会

 

 

 

播磨地区の農業について教えてください。
  「昭和35年頃までは米作と養蚕が主要な生産物であり、今の竹林の代わりに桑畑が広がっていました。その他、サトウキビやサツマイモ、お茶などがつくられていました。養蚕をやっていた頃の民家は茅葺きの『一反屋敷』と呼ばれ、2階は養蚕スペースになっていました。 やがて、西方の方からタケノコが入ってくると、値がいいので桑畑がどんどん竹林に代わっていったんです。タケノコの最盛期は昭和49年から52年くらいで、3月から5月までタケノコを掘れば、当時は生計を立てることができました。でも、流通事情がよくなり、他産地のタケノコが入ってくるようになると、播磨のタケノコは売れなくなり、農家の子供が会社勤めをするようになって兼業農家が増えました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イモチ」というのはどんな祭りですか?
 「 『虫送り』とも呼ばれる虫除けを祈願する祭りで、ずっと昔から播磨・北別所地区で行われていましたが、戦後しばらくたって行われなくなりました。8月1、2日頃に虫除けの松明をつくり、太鼓と鉦を鳴らして地域を回ります。酒が入って播磨と北別所が衝突したこともありました。播磨公民館に、昭和22年にイモチのために鋳造された鉦が保存されています。」


播磨公民館に保存されている戦後のイモチの写真

 

● 竹輪会の今後の展望を教えてください。
  「後継者づくりが課題です。竹輪会への参加は誰にでもオープンにしているんですが、子供達は会社の仕事もあってあまり顔を出しません。でも播磨地区に野球チームがあって、17歳から60歳までの部員がいます。そういうところが将来は播磨の『地区の輪』づくりをしていってもいいと思います。 それから、非常に近いのに交流がない大山田地区ともこれからは交流をしていけるといいですね。」

(2001年6月16日/播磨公民館にて)
 

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