古萬古に新しい命を吹き込む陶芸家

もりいちぞう
森 一蔵さん

 森さんは生まれ育った東海道沿いの安永に工房「ろっ石窯」を構え、古萬古焼をベースとした新しい陶芸の創作に取り組んでおられます。斬新な作風にタレントや財界人など、熱心なファンの方も多いようです。創作活動の傍ら、陶芸教室やまちづくり活動も行い、陶芸の裾野を広げる努力をされています。森さんに、萬古焼の歴史やご自身の製作活動についてお話を伺いました。

 


森一蔵さん

● 萬古焼の歴史について教えてください
 「萬古焼は、桑名の豪商沼浪弄山(ぬなみろうざん)が、江戸時代の元文年間(1736〜1740)に現在の朝日町小向に窯を開き、趣味で京都風の陶芸を始めたのが発祥です。萬古焼の技術は『企業秘密』として伝えられたため、弄山死後、家業を手伝う人が途絶えてしまいました。それを惜しんだ桑名の豪商山田彦右衛門が桑名の田町の森有節を見込んで萬古焼再興を依頼しました。有節は天保2年(1831)窯を起こし、『再興萬古』『有節萬古』と呼ばれました。 ある時、桑名の鋳物師佐藤氏のところに有節の木型が修理に出されました。佐藤氏が自分で木型をつくって萬古焼をはじめたのが桑名萬古のはじまりです。しかし、鉄道が敷かれると東海道を人が歩かなくなり、桑名の萬古焼は次第にすたれ、四日市の方が盛んになり現在に至っています。」

 


森さんの作品


● 森さんはなぜ古萬古の復元をはじめられたのですか?
 「私は今住んでいる東海道沿いの安永で生まれ育ちました。萬古焼は昔から見慣れていたんですが、子供の頃は特に興味を感じなかったですね。東京の美術学校に進学したんですが、ある展覧会で陶芸に出会いましてね、触発されたんです。それから1ヶ月くらい西日本の窯場を自転車でめぐって色々な焼き物を訪ね歩きました。それで陶芸の大変さがわかりました。たいてい『半農半陶』でね、農業の傍らに陶芸をやっているんです。陶芸を学ぶ中で古萬古に出会って、面白さに夢中になり、古萬古の復元をやっていこうと決めました。四日市や名古屋の製陶所を転々として、萬古焼の技術を習得しました。」

● 現在の製作活動について教えてください
 「北勢町に登り窯があり、年に1回3日3晩かけて焼きます。登り窯はガス窯と違って焼きにくいんですが、炎が走るので作品に味わいが出ます。  私はいつも、『伝統なくして発展はない。発展なくして伝統もない』と言うんです。先人の技術を知った上で自分の技術を塗り重ねていかないと、伝統とは言えないと思うんです。私は常にそのために努力しています。斬新な作風にひかれてか、芸能人のファンも多いんですよ。  製作活動以外に、陶芸教室での講師もしています。陶芸の裾野を広げることで、その中から陶芸を志す若者もでてきてくれるかもしれないですからね。」

 


森さんの作品。有名女優さんが使われるバターケースだそうです

 

(2001年4月26日/森さん自宅にて)
http://www.kuwana.ne.jp/ichizo/

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