ハクビシンの谷−その後 2007.05.01


久しぶりにハクビシンの谷を訪れました。ハクビシンの谷とは、養老川支流の最上流部にある小さな谷の一つです。
(ハクビシンの谷のページhttp://www.asahi-net.or.jp/~gv8h-tnb/anima/tani.htmを参照)
私がこの谷で長期間の撮影を試みたのは1999年ごろ。当時、谷の底面にあるわずかな低地は、豊かな実りをもたらす水田でした。
谷のあちらこちらから湧き水があり、日照が続いても水が枯れることはありませんでした。周囲の山々が水がめの役割を果たしていました。狭いながらも稲作に適した環境でした。
初夏のころに訪れると、緑いっぱいに元気に育つ稲と、新緑の山々、手入れの行き届いたあぜ道と、それはみごとな風景でした。



しかし、この写真を見てください。今回訪れたのは2007年4月。8年の歳月が、こうした荒涼とした風景を作ってしまいました。
なぜ耕作が放棄されたのでしょうか。原因はいろいろあるでしょう。狭い水田に大型機械は入りません。棚田のあぜや水路の管理には大変な手間が必要です。農家の高齢化も進んでいます。誰も好き好んで放棄したわけではないことは、残された土地を見ればわかります。最後まであぜや水路の手入れは怠っていませんでした。





恐らくここが、最後まで耕作されていた水田でしょう。他の田にはすでに潅木などが生え始めているのに対し、ここはまだ水田の形態を保っています。この水田だけ、周りを壊れた柵が取り囲んでいます。





水田の中で、農家に最後の追い討ちをかけたと思われる容疑者の足跡を見つけました。
シカです。
先ほどの柵はシカの食害を防ぐために作られたものだったのです。




私が勝手に、この谷の物語りを考えました。
谷の奥から水田がひとつ、またひとつと放棄されていきました。農家の高齢化や人手不足、あるいは大水の後の崩落や橋の落下(この谷にいくつかある橋は、農家の手作りの丸太製です)が引き金になったのかもしれません。
ちょうどそのころ、野生のシカが増え、この谷にも進出してきました(10年前には全くいませんでした)。
放棄された水田は、シカたちにとって最適な餌場でした。ところが、雑草だけ食べてくれればいいのですが、シカたちは、近くの水田の稲までも食べ始めました。
食害で収穫が見込めない水田は次々と放棄されていきました。
そんな中、何とか稲作を続けようと苦心した農家は、水田をシカよけの電気柵で囲いました。この柵は、そうした農家の最後の砦だったのでしょう。
・・・実際のところはわかりません。

私にとって悔やんでも悔やみきれないことは、この谷の豊かな実りの姿を記録しておかなかったことです。何十回となく通ったこの谷の風景を1枚も撮影していませんでした。
当時、このような風景はどこへ行っても普通に見られました。当たり前の風景をわざわざ記録しようなどとは考えませんでした。しかし、それは間違いでした。
今、こうした谷の風景は次々と消えています。





水田横の斜面からは、今も湧き水がわき、新しい命を育んでいました。



谷の北側の斜面には、8年前と変わらない見事なヤマザクラが咲いていました。あぜ道のカントウタンポポが私を見送ってくれました。(2007.04.21取材)

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