潮様に差し上げた小説

「伯符兄ちゃんの不幸な日」





 孫策には弟が何人かいるが、すぐ下の孫権は中でも一番可愛いと思う。元々髪も瞳も明るい家族だが、孫権の髪はとても明るい金色で、目も翡翠のようで、陽の下になどいるとまるで孫権自身が輝いているように見える。
 孫権がパタパタと駆け寄ってくる。本当に可愛い。
「兄ちゃん!!」
「どうした? 仲謀?」
「あのね、兄ちゃんに俺頼みがあるんだけどさ」
 碧の瞳で見上げられると、可愛くて可愛くてもう何でも言うことを聞いてやりたくなる。
「何だ? 何でも言って見ろ」
 弟はこんなに愛くるしくてもう喰っちゃいたいくらい可愛いのに、やくざモンのオヤジの影響で自分を「俺」と言う。まるで似合ってないこの一人称が弟の生意気盛りを表しているようで、余計可愛い。
「兄ちゃんって女の人にモテモテだよね」
「おう! まかせとけ! 好きな女手もできたか?」
「違うよ! 兄ちゃんがもてるのは女の人にだけ?」
「……ん?」
「あのね、兄ちゃん、俺に男の人とHする方法教えてよ!」
「……は?」
 孫策は一瞬弟が何を言ったのか、理解できなかった。男の人とHする? 男の人と? H? え?
「……仲謀?」
 弟は相変わらずの愛くるしい顔で自分を見上げている。孫策はその顔を見た瞬間、頭に血が上った。まさかどこぞの誰かが俺の可愛い仲謀に……!!!
「仲謀! どこの誰がお前にそんなとでもない事を……!!!」
「違うよ兄ちゃん、落ち着いてよ!」
 爆発しかけた孫策を、慌てて孫権は宥めた。
「違うのあのね、俺が、男の人とHしたいの! ちなみに俺が乗っかる方で!!」
 乗っかる方……?
 またもや孫策は頭を抱えた、乗っかる方? 乗っかるって……攻め?
「……仲謀、ちなみに、乗っかられる方は誰?」
「幼平!」
――――頭の中が白くなった。乗っかられる方が幼平? そんな訳あるか!!! 幼平ったら賊上がりだし、体だってでかいし、顔だっていかついし、もう結構年だっていってるし、あんな奴が仲謀相手に受けになるか!!
「あいつがお前をたぶらかしたのか!!」
「違うってば! 幼平はまだ何にも知らないの! 気がついたら絶対嫌がられちゃうから、気がつかれる前に唾つけときたいの!!」
 孫策は呆気にとられて弟を見た。弟の言っていることがよく分からない……。
「だから兄ちゃん、俺に男の人とHする方法教えてよ!」
「……」
「兄ちゃん?」
「…………仲謀」
「何?」
 孫権は相変わらず無邪気な、愛くるしい顔で自分を見上げている。
 気がつかれる前に唾をつけるって……しかも相手が幼平で……。さすがの孫策も頭がグルグルとしてパーになった。
 孫策は「Hに対してはリベラル!」という自分を貫いてきたつもりだし、又そういう自分を気に入ってもいた。世の中に同じ人が2人といないのと同じで、Hも2つと同じ物はないのだ。だから片っ端から試してみたいと思っていたし、自分の知らないHを他人が楽しんでいるのは何となく人生を損している気がする。
 だが。
 だが孫策は、男とだけは一度もやったことがなかった。だって男なんて固いし太いし胸だってないし、第一体の真ん中に自分と似たようなモンがついてるなんて、かなりゾッとするではないか。
 なのに、自分の可愛い弟が攻め? 相手があの周泰で? 本気?
「仲謀、あのな、お前もっとこう周りに可愛い女の子とか美人なお姉さんとかいるだろう?」
「女はすぐ泣くからつまんない」
「……こういうことは、ケンカじゃないんだから……。今は仲謀まだ小さいから分かんないかもしれないけど、」
「でも俺、幼平のこと好きなんだもん」
 弟は大きな目を更に大きく潤ませて、「駄目?」と悲しそうに孫策を見上げた。そんな顔をされてしまったら、孫策は弟のどんなお願いだってきいてやりたくなってしまうのに。
 だがここで折れては駄目だ。だって弟は男とのやり方を覚えたら、周泰とするつもりなのだから。周泰だぞ、周泰。自分はそんなつもりで周泰を可愛い弟につけたわけでは決してない。
「ごめん、やっぱりお前のお願いはきけそうにないよ……」
「そっか」
 孫権は悲しそうに俯いてから、ぱっと顔を上げると、「ごめんなさい、兄ちゃん。無茶言って」ともう食べちゃいたいくらい愛らしい顔で謝った。
「いや、分かってもらえれば……」
「じゃあおれ公瑾二哥に頼んでくる」
 ―――― 何 ―――?
 くるりと踵を返す弟の肩を、孫策はがしりと掴んだ。掴まれた孫権がきょとりと自分を見上げる。
「待ちなさい」
「何?」
 義弟の周瑜は孫策以上に女遊びが派手だ。どっちもどっちという噂も聞くには聞くが、だが孫策は絶対自分の方が誠実に女遊びをしていると信じている。そんな周瑜に可愛い孫権を任せちゃっていいのか!?
 良いわけあるか!!!
「分かった。兄ちゃんが教える! 兄ちゃんが教えてやるから、他の奴んとこに行くのは止めなさい!!」
 孫権は肩で息をしている孫策を不思議そうに見つめてから、天使のように微笑んだ。



 胸がドキドキしていた。テメェの弟犯っちゃっていいのか、とか、いくら可愛いとはいえ弟は男だぞ、とか、オヤジが生きてたら俺殺されるな、とか、そんな事が余計に孫策の心臓をバクバク言わせていた。
 孫権はちょこんと寝台の上に座っている。可愛い。もう弟は世界で一番可愛いとか信じて疑っていない孫策だが、だが弟とHしたいと考えたことは今に至ってもない。そこまで変態ではないつもりだし、実際弟は弟だから可愛いのだとも思う。
 どうしよう、俺、ちゃんと出来るのかな……。
 考え込んでしまっている孫策の肩に、ほっそりとした弟の手が乗った。
「兄ちゃん、服は俺が脱がせた方が良いのかな」

「え?」

 何か言い返そうとした途端、孫策は弟の手で寝台の上に転がされた。上帯を解かれ、袍の合わせを開かれる。
「……仲謀?」
「何?」
 小さくてスベスベした手が、自分の首筋を撫で、胸の辺りを這っている。
「…あの、仲謀? えっと、な…何してるの?」
「何ってHだよ、決まってるじゃん、兄ちゃん、ちゃんとアドバイスしてよね!」
「あの、俺、ひょっとして、……受け?」
「当たり前じゃん! 俺が幼平に乗っかるんだって言ったでしょ!?」
「いや、あの……」
「変なとこあったらちゃんと言ってよね! 俺初めてなんだから!」
 今度こそ孫策は何も言えなかった。そうか……、俺が受けか……。反論するスキも抵抗するスキもあればこそ。孫策は弟の「初めての相手」にされてしまったのである……。



「で、兄ちゃん、どうだった?」
 ……どうだったって言われても……。
 孫権は孫策が何か素晴らしい助言をくれるのだと信じて疑っていないようである。
 はっきり言って、今そんな状態であるものか。孫策だってヤローに犯られたのは初めてだし、しかも相手は可愛い弟だし、思った以上に体に対するダメージだって大きいしでもう気分は最悪である。
 だが、孫権は目を輝かしてこちらを見ている。こんな状態に自分を追いやった孫権だが、それでもやっぱり孫策は孫権の期待には背けない自分を自覚していた。
「……そうだね。仲謀若いから仕方ないかもしれないけど、もっと相手本意のHを心がけた方がいいかもね……」
「はい!」
 はいってお前……。
 ああもう最悪だ。弟はこれで周泰なんか相手にあんな事とかこんな事とかするのだろうか……。
 ……泣きたくなってきた……。
「仲謀、俺、ちょっと寝るから……」
「うん、兄ちゃん、ありがとうね!」
「……おう……」
 弟の軽やかな足音を聞きながら、孫策は枕に顔を埋めて、ほんのちょっぴり、泣いた。


 明るい午下がり。孫権が周泰を相手に棒術の稽古をしているのが見える。孫権は必死にやっているようだが、兄の欲目で見ても、弟には武術は向いていないようだ。
 弟が向きになればなるほど、周泰は可笑しそうに笑っている。
 ……やっちゃったようには見えないけど……。
 もしあの周泰が孫権にやられちゃったとして、あんな風に笑って稽古の相手なんか出来るとしたら、そんな周泰はすごく嫌だ。
「あ、兄ちゃん!」
「孫郎!」
 2人が孫策に気付いて駆け寄ってくる。孫策も笑顔で手を挙げた。



 ……笑顔が引きつっていないことを祈りながら……。


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