花の慶次に登場する場所(主に城)
注:交通手段などは資料そのままに書きました


厩橋城(1巻):群馬県前橋市大手町 JR両毛線・前橋駅徒歩15分

滝川一益率いる軍勢が拠点としていた上野の城。
元々は、長野氏の城であったが、上杉謙信が関東に遠征する際に明け渡した。
長野氏が滅亡した後は、謙信配下の北条(きたじょう)高広が城主になるが、何度か上杉家を裏切ったあげく、
武田・滝川(織田)・北条と主を変えることに…。



鉢形城(1巻):埼玉県大里郡寄居町字鉢形 JR八高線・秩父鉄道線・寄居駅下車徒歩30分

北条家の城で、北条氏邦らが城主。北条氏の支配下に入る前は上杉家の藤田康邦が治めていた。
慶次作中では古屋七郎兵衛がいる城で、慶次との一騎討ちが行なわれた。


金沢城(1・2巻):
石川県金沢市兼六公園 JR北陸本線金沢駅下車、小立野行きバス10分「兼六園下」降車、徒歩3分

元々は一向宗の拠点「金沢御坊」。柴田勝家の軍勢によって、一向衆が追い出されると、
佐久間盛政が堀を深くして城に。その後、勝家が滅亡するぐらいに前田利家が治めることとなる。


富山城(1巻):富山県富山市丸の内

元々は神保家の城であったが、柴田勝家らの軍勢によって陥落すると、佐々成政が城主に。
成政が転封されると、今度は前田家の領地に。
そして、前田利次が本家から分家し、城主に。


大阪城(1巻):
大阪府大阪市中央区大阪城 JR大阪環状線大阪城公園下車すぐ 地下鉄谷町線 谷町4丁目下車徒歩5分

一向宗の本拠地石山本願寺があった場所を、秀吉が拠点とするため城を作った。
(元々は信長のプランか?)
秀吉が最初に作った段階ではかなりの巨城であったが、大阪冬の陣の際に、和睦した後に外堀と内堀を埋められたため、
規模は縮小…(どれもこれも、淀君が悪いんだいっ!)。
つーか、規模を小さくさせる作戦は秀吉自身の考案らしい…ダメぢゃん。


末森城(1巻):石川県羽咋郡押水町生野 JR七尾線 宝達駅下車徒歩40分

元々は、能登畠山氏の城であったが、前田家の支配下となり、奥村永福(助右衛門)が城主に。
前田家にとって大きな戦であった、1584年の末森城の合戦の舞台。
作中では500の兵で、佐々勢の攻撃を防ぎ切った。


坪井山(1巻):石川県押水町坪井山陣址

佐々成政が、末森城を攻撃する際に本陣を置いた場所。


長篠(城)(1巻):愛知県南設楽郡鳳来町長篠市場 JR飯田線 長篠城駅下車徒歩10分

武田家が滅亡する遠因となった、長篠の合戦が行なわれた所。
作中では、慶次と蛍の許婚である氷室信成とが一騎討ちを行ない、氷室が破れた。
その際、蛍の一族も皆死んでしまい、蛍は復讐を誓うことに…。


安土城(2巻):滋賀県蒲生郡安土町 JR琵琶湖線 安土駅下車徒歩15分

信長が工事に着工したのが1576年。そして、完成したのが、1581年とかなりの大工事が行なわれた。
そして、天下布武の拠点として栄華を誇っていた。
本能寺の変の直後は明智秀満(鬼武者の左馬助ですな)が守っていたが、信雄が攻略した後、
謎の出火で炎上…。
慶次の作中では、甲斐の蝙蝠が信長の寝込みを襲った場所である。


本能寺(2巻):京都市中京区油小路蛸薬師山田町
(現在の本能寺)京都府京都市中京区四条坊門 JR「京都」駅から市バスで「四条河原町」下車、徒歩10分

信長が中国攻めの際に、この寺で休んでいたところを明智光秀の軍勢に襲われ、見事に散った場所です。
(寺と言っても、当時は軍隊が泊まることは多々あったらしい)
この作品では、甲斐の蝙蝠が再度信長を襲おうとした所である。


荒子城(2巻):愛知県名古屋市中川区荒子町大和ヶ池 地下鉄東山線高畑駅南500m

前田家の尾張時代の居城である。
作中では、家督を利家が引継ぐ際に登場(史実では助右衛門も明け渡した直後に浪人した模様)。


敦賀(2巻):福井県敦賀市

北陸随一の港で。当時は大谷吉継が領主であった。
武士だけでなく、船乗りや交易商人たちも多数いたため、かなり活気があった。
作中では、慶次と捨丸が遭遇した場所である。
ちなみに敦賀にある城は、昔は金ヶ崎城と昔は呼ばれており、
信長の最大のピンチであり、秀吉一生一代の大仕事である「金ヶ崎の戦い」の舞台であった。




この時代は、信長・秀吉によって応仁の乱の痛手から立ち直りつつあった。
そして、秀吉が天皇の権威を上手に取り入れて政治を行なっていたため、重要さは失われていない。
慶次が加賀を出てから住んでいた場所のため、話の半分近くは京で起こったことである。


聚楽第:京都市上京区一条堀川千本丸町付近

豊臣秀吉が京に作った屋敷のような城。1586年に工事が始まり諸大名の屋敷なども周囲に作らせた。
そして、1588年後陽成天皇の行幸が盛大にとり行われ、秀吉の権力を天下に誇示した。
その後、主となっていた秀次との仲が悪くなり、秀吉は大名屋敷などを伏見に移転させ、
秀次が自害したのち、廃城とした。


伊賀:三重県伊賀地方

当時は国土の9割を地侍が所有しているという異常な状態に置かれた国であった。
そして、1581年織田信長が殲滅作戦を行ない、あっという間に占領される。
この合戦をネタにしたのが『伊忍道』である(汗)。
作中では、利休と佐助・侘助兄弟の出会いや、家康が窮地を利休に救われる場所である。


:大阪府堺市

当時は日本最大の貿易都市である。自由都市としても知られていたが、
秀吉が貿易の独占を狙い、千利休が切腹した段階で、存在価値は次第に薄れて行く…。


桶狭間(2巻):愛知県豊明市 (名古屋市緑区有松町大字桶狭間という話も)

織田信長の運命を変えた桶狭間の合戦が行なわれた場所。
作中では、途方に暮れる家康が、摩利支天と遭遇する場所であった。


七霧の里(4巻):実在しないと思われる

一年中深い霧に包まれ、よそ者が侵入することを厳しく拒んでいた。
しかし、まれにその霧が晴れた時、里の空には七色の大輪の虹が輝いたという。
里までの道には多くのトラップがしかけられており、男はみんな左肩が盛り上がっているという無茶苦茶な里。
また、里の人間はそれぞれ異能の能力があるが、だんだん衰えている。
唯一残っているのは、自分の身に異変が起きたら、村のロウソクを消すということぐらいである。


名胡桃城(6巻):群馬県利根郡夜野町 JR上越線 後閑駅から徒歩1時間弱

真田・北条家の間で秀吉の仲介を経て、沼田城と名胡桃城の交換条約が結ばれたものの、
北条家がこの城を陥落させたために、小田原合戦のきっかけとなることに。

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