友への手紙                                     

前略 お変わりなくお過ごしのご様子、何よりです。私はもうワンパターンな感じの毎日ですが、生かされていることを自覚し、それを感謝しなければと反省はしています。
 今日は日曜日だったので教会へ行きました。第一日曜日は聖餐礼拝ですので、通常の日曜日よりは礼拝においでになる方も多いのですが、今日はそんなではありませんでした。若い人はほとんど居ませんから寂しい限りなのですが、これは世界中の先進国に共通の現象なので仕方ありません。物質的な豊かさを追いかけるのには熱心ですが、心の豊かさを信仰に求める人が少なくなっているということです。「神は死んだ」というニーチェの言葉で現代文明は始まったのですが、神を失った人間が陥る陥穽で苦しむことになっているのも現実です。お金が全ての世相ですがこんな詩もあります。


もっとも大切なものは
     みんな ただ。
太陽の光
野や山の緑
雨や川の水、
朝夕の挨拶
神への祈り
そして母の愛 (河野 進)


 タダなるものの恩寵を忘れてはいけないのだと思います。価値観の転換がいかに大切なものであるかを最近つくづく感じます。 親子の間の愛情は生き物の基本的な感情、本能的なものですが、人間は物質的豊かさの追求の余りにこれらを失っています。 少子高齢化社会に帰結しようとしている日本、日本人は先輩たちが育ててきた心の糧を全て捨て去り、拝金主義、刹那主義、快楽主義の奴隷になってしまったのです。 その行き着く先が案じられます。日本語に「すみません」というのがありますが、これの意味は「人生の決済が未だ済んでいません」という意味だったそうです。 日本人はこの世に生まれてきたことに対する責務を認識し、その責務を果たしているのか、今だ未決済であって、これを決済しようともしていないのが現状なのでしょう。
 メールでお知らせしましたが先日鹿児島県の知覧町へ行きました。町には二つの歴史的記念物があります。一つは近代日本の先駆けとなった薩摩隼人が住んでいた町の家並みと庭園です。この庭園を眺める屋敷の縁側で、日本の在るべき姿を若き志士達が論じたことでしょう。西郷に連なる人の屋敷も残されています。もう一つは特攻隊の出撃基地になった飛行場の跡にある平和記念館です。司馬遼太郎の「坂ノ上の雲」に登場する群像が成し遂げた近代日本の確立、そして、その後継者たちが歩んだ誤った道の犠牲者、それらを思い起こさせる記念館です。人間は成功するとその果実に酔い、傲慢になってゆきます。そして全てが意のままになると錯覚してしまうのです。旧約聖書を読むと人間のそんな弱さが随所に書かれています。3000年前の人間も現代人も変わるところがないということでしょう。
 「ミトコンドリアはどこからきたか」という生命誕生の歴史を書いた書物を読んでいます。原始地球では大気が二酸化炭素に満たされ(二酸化炭素と窒素?)、地表面の温度が170度のような状態で生命の誕生があったことを知りました。38億年以上も前の出来事だったのですね。その後自然環境がバランスして生物進化があったのでしょうが、ここ200年余りの間に人間が自然環境を破壊し、著しく増殖をしましたが、どうやらこれも限界に達した感があります。
 最近の話題ですが、道路公団が民営化されましたが、債務を40年間かけて償還するそうですが、40年後どうなっているのか、それを本当に想像できていない人達が作った案ですので破綻は不可避だろうと思います。 クルマ社会でもある現代文明は自然との共生に失敗するでしょう。限りある資源を浪費するような社会が存続できなくなるのは当然です。
 それでは又便りします。健康管理を怠らず、楽しく過ごしてください
                                               不一